第20話 女の頭領
意見がまとまっていない様子だった。
しびれを切らしたのか金髪のにきび男が、俊一たちによりいっそう近づいてくる。身長は百八十くらいで、俊一がやや見上げる形になった。にきび男はその高い場所から、上半身を前に倒して、俊一の背後に半ば隠れるようにしている雛子に話しかけてきた。
「おいガキ。家に帰りたくないか?」
その質問に雛子はうつむいた状態で、ほんの少しだけ首を動かして答えた。
「帰りたくないのか?」
今度はかすかに聞き取れるくらいの声が、雛子から漏れた。
「返事せぇ」
男が苛立った。男の耳には返事は聞こえていないも同然だった。雛子はますます萎縮してしまう。
「はっきり言え。君は人形か」
雛子がまた小さくうめいた。男の態度は威圧的だった。雛子は余計に萎縮してしまう。男はそれが気に食わなかったらしく、ますます口調を強めた。
「大きく口を開けて、帰りたいでーすて言ってみ」
雛子が黙っていると、男は隣の俊一を腕で押し退けるようにして、雛子の頬を右手で鷲掴みにした。雛子のかかとが地面から浮き上がる。
「ほら、おうちに帰りたいよー、って言ってみ」
雛子が声にならない声を出す。身を縮めて、すごく辛そうな顔になる。目尻に涙が滲み始めた。
「おい! きたねぇ手で触ってんじゃねぇ!」
俊一が叫ぶ。怒号とともに、男のにきび顔に振りかぶった右拳を叩き込んでいた。
男は横からの強襲に身体が大きくぐらつき、次の俊一の腰蹴りで床に倒れ込んだ。俊一が追いかけるように前に踏み出して顔面に蹴りをもう一発お見舞いしてやろうかと思ったところで、別の誰かから跳び蹴りを受けて吹き跳ばされてしまった。
「なにしとんじゃわれぇ」
「ふざけとんちゃうぞ」
「なんやこいつ」
大柄な男たちが俊一を取り囲む。そこから一斉に集中豪雨が始まる。頭を押さえて丸くなる俊一に、男たちが容赦なく蹴りを浴びせてくる。
殴り跳ばされたにきび男が顔を押さえながら、おもむろに立ち上がった。口元の血をぬぐい取ってから、薄暗闇の中で袋叩きにあっている俊一を一瞥すると、攻撃に加わっていないユニクロの坊主頭の男に向かって短く言った。
「武器よこせ」
「いや、ないですよ」
坊主頭の男は周囲を見回して答える。
「なんでもえぇから出せ」
坊主頭の男が部屋を取び出し、まもなく戻ってきた。
「バットならありました」
「よこせ」
曲がったバットを受け取ると、にきび男は背後の壁に向けて、それを力一杯振り下ろした。コンクリートの壁にぶつかり、かーんと乾いた音が部屋中に響きわたる。
にきび男がバットを担いで吐き捨てるように言った。
「コロす」
周囲にいる仲間たちを一人ずつ押し退け、俊一への攻撃を辞めさせる。丸くなり顔を押さえ込んでいる俊一の後頭部めがけて、バットが大きく振り上げられた。
「それはまずいとちゃう」
一人がつぶやくも、にきび男の目には既に俊一しか見えていない。止めに入る者もいない。
目を血走らせてにきび男が叫んだ。
「くたばれゴミくそ」
男がバットを振り下ろすか下ろさないかの間際に、入り口の方から「おい!」とよく通る声が響いてきた。男たちからすれば高めの、しかし女としては低めの声だった。
入り口に立っていた女は動きの止まった連中をかき分け、バットを握りしめているにきび男の元へと寄っていく。俊一は下からそれを見上げる形で、少し身を起こした。
白い特効服を着ている長い金髪のその女が、にきび男の顔に自らの顔を近づけていき、そのまま顔面に拳をたたき込んだ。
「ってぇ」
「おいカズキ。おまえ吸っただろ」
顎をしゃくる女。
「え? いや、吸ったかどうか、ちょっとだけは」
今度は太股に蹴りが飛ぶ。
にきび男がしゃがみ込んで、痛そうに太股を押さえた。
「いたいっすマジで」
「おまえ規則守れんなら、出てけよ」
「いや俺、そいつに殴られたんすよ」
「あ?」
にきび男の指さす先に俊一を確かめる。女はまた言った。
「吸うなって言ってんの。特におまえの吸ってるやつは」
「じゃセッターならいいんすか」
「吸うなって言ってんの」
にきび男が急に弱々しくなった。
特効服を着ている女は俊一に視線を戻してから続けた。
「で、こいつ誰」
「誘拐犯です」
「は?」
「いや本当です」
周囲の男たちも一緒になって説明する。
「あの子ほら、誘拐されてる」
タンクトップの入れ墨男が、雛子を指さした。
特効服の女がそこで初めて部屋の隅でおびえるように立っている雛子に気がついた。
「おい、もっと詳しく説明しろ」
「あの子誘拐されたってほら、ニュースになってる。男はロリコンのおたくだって、新着記事ありますよ」
入れ墨男がスマホの画面を女に見せる。女はスマホの記事をしばらく眺めた後、今度は床に手をついている俊一の胸ぐらを掴んで、豪快に引っ張り上げた。
「おいてめぇ、このド変態! ほんとにそこの子連れ去ったのかよ。サイテーだな人として」
「おまえらだって、似たようなもんだろ」
俊一が言い返した。頬から血を流し、かけていた黒のメガネが折れ曲がり頭に引っかかっているような状態で、女を睨み返す。俊一も頭にきていた。ここまで殴られたらあと何発殴られても同じだ。
「うちらは女子供には手は出さねー」
女が反論する。
「てめぇみたいな奴が一番タチ悪りぃんだよ。根暗野郎。気色わりー」
「おまえらみたいなカスに言われくねぇよ。暴力でしか話が通じないやつらに」
「てめぇがそこの子にしたことは暴力じゃないのか。弱い奴は小さい子を狙うからサイテーだな」
「俺は雛子ちゃんに酷いことはしていない。知ったような口きいてんじゃねぇ」
女が俊一の胸ぐらをきつく締め上げた。息が苦しくなって俊一はもだえた。
「おまえ立場分かってんのか。ここうちらのシマなんだよ。警察に突き出して終わりなんて生ぬりーことしねぇよ。ここでその子にしたこと全部話せば、私がてめぇを裁いてやる」
女は本気の目をしていた。目つきも悪くしゃべり方も腕っ節も男勝りだった。しかし他の男たちとは違い、雛子を連れ去った俊一を唯一女として嫌悪しているように思えた。
追い込まれた俊一は雛子を誘拐したいきさつを、ありのまま話した。俊一は自らがした行為の正当性を信じていた。
「嘘言うなよ」
女の胸ぐらを掴む力が弱まる。
「本当なのか」
「嘘なもんか。俺は雛子ちゃんを助けようとしただけだ」
俊一はまっすぐに女の目を見て答えた。
女は雛子に目をやり、しばらく考えたかと思うと、ようやく俊一を放してくれた。
「おいカズキ」
「はい」
にきび男が返事をする。
「おまえ、そこのビニコンで救急箱とか買ってこいよ」
「救急箱って絆創膏とかすか」
「そうだよ。よーちんだよ。あとそこの嬢ちゃんの好きなお菓子も」
「はぁ。あの警察は」
「は?」
特効服の女が振り返る。
「てめぇバカか。悪くないやつ警察に差し出してどーすんだよ」
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