第6話 ばばぁを呪う呪文

 隣の家の女は、その後も不定期に、唐突に少女を虐待し続けた。気分が変わったと思ったら、徐々にヒステリックに声が変貌していく。そして雛子ちゃんを、罵倒するのだ。調教するのだ。執拗に。執拗に。

 その日も女はヒスッていた。包丁でまな板をすかんすかんと強く叩きつけ、娘に恐怖心を植え付ける。

「今日のごはんは適当だから。誰のせいだと思ってるの」

 すべてを娘の責任にする。

「本当はこんな暮らし望んでなかったのに」

 少女を確実に追いつめる。

 それでも満足がいかなければ、どこまでも過剰な怒り方で、とにかく少女に当たり散らすのだ。

「キィィィィ。どうして、どうして雛子はママの言うこと聞いてくれないの。朝から晩まで、これだけ苦しい思いをして仕事してるママを、ちょっとでも助けてくれないの! ママにばかり負担をかけるのよ! ほら、そうやってまたうそ泣きして。泣きたいのはママのほうなのに!」

 髪の毛をむしり取るような音が聞こえてきそうなくらいの、狂った叫びが俊一の部屋に響く。隣の女は破滅に身を投じていた。なにもかもを娘に押しつけ、自らはあらゆるものからの逃避を企てていた。あの女にとっては今、どのような輝かしいことも、夢も希望も、すべては自らを苦しめる悪魔でしかないのだ。ゆえにヒステリー。自らの首を自らで締めあげ、叫び散らす害悪の正体だと思った。

 日を重ねるごとに、少女へのあたりが強くなっていく。もはやあの女の近くに娘を置いておくことは出来ない。俊一はそれを再認識した。

 その日のキ〇ガイじみた嬌声は、特にひどかった。寒気がした。

 俊一は泣きそうになるのをこらえて、福祉事務所に電話をかけた。この声を聞かせよう。そう思った。しかし繋がらなかった。時刻は午後九時半だ。役所は五時までだ。

「くっそぉぉぉぉおぉぉ。あのばばぁぁぁぁ。ばばぁと松木ぃぃぃ」

 俊一は極太の赤マジックを手に取ると、涙を流しながら、床に魔法陣を描き始めた。呪いの魔法陣。ヒステリー女の子宮の中に異物を送り込む魔法陣だ。

「レラクレクラスレロロス。レラクレクラスレロロス。滅びたまえ。邪悪の中に生まれ落ち、数多の罪を重ねた魔女よ。生まれたことを悔いて氏ね。ヒステリーであることを悔いて氏ね。そして天使を、純真無垢な僕らの天使を、救いたまえ」

 壁の向こうの女に呪いを届ける。床が淡く光りはじめ、部屋中が光で満たされていくような気がした。どす黒い塊をした呪いが床からしみ出して来て、あの女の腐った子宮に送り込まれていくような第六感を覚えた。不思議な心地がした。救われたような気がした。

 動悸が次第に治まっていく。

 しかし。そのあと壁の向こうから聞こえてきた音は、大人の女が、少女の小さな頬をひっぱたく音であった。ぱんと乾いた音がした。最初それがなんの音か分からなかった。理解したとき、俊一は呆然と天を仰いでいた。

 隣の女がなにに対して怒っているのか、どのようなことを少女に口走っているのか、俊一の耳にはもはや届いていなかった。俊一はただただ自らが描いた赤い滲んだ魔法陣の中央に、無言で立ち尽くすばかりであった。

「悪魔だ」

 その時はじめて、俊一は気が付いた。

 自らが悪魔であることに。

「天使ちゃんを守れない俺だって、悪魔じゃないか」

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