エピソード2:汚れぬ花-1

 生暖かい空気と徐々に増す湿度が季節の変わり目を告げている。もう2週間もすると傘が手放せない日が続く事になるだろう。しかし、私は雨が嫌いだ。


 酒飲み処で店長をやっていると様々なタイプの人間がやってくる。常連客や、楽しく過ごす事が目的のお客さんばかりなら良い。だが当然、そうもいかない。これは私のジンクスだが、雨の日は高確率で”そうではない”タイプの客が来るのだ。


 例えば、ハナから泥酔状態のサラリーマン。呂律も回らず足もフラフラ。酔いつぶれられては困るので、やんわり入店拒否をする。また、強烈な異臭を放つ大男が来店した時もあった。臭いに気が付かなかった新人の女の子が入店を許可してしまい、店内は一時騒然とした。1セットで帰らせ、全員総出で換気と消臭をしたのはいい思い出。さらには時折、何故か性的サービスを求めて来る勘違い野郎が一定数現れる。『BAR』の文字が見えないのだろうか。出来るだけ端的に間違いを指摘しお帰り頂くのだが、しつこく食い下がる男には有瀬をあてがう。高身長の髭面が功を奏し、一言「うちは飲み屋ですよ」と伝えるだけで退散してもらえるから有難い。


 嫌な思い出に浸りながら制服に着替え開店準備を進めていると、予報通り雨が降り出した。ゲリラ豪雨の季節にはまだ早いが強い雨脚。良くない予感が頭をよぎる中、店のドアにかかった札を『OPEN』に切り替える。


 すると、およそこの場所に似合わない光景が飛び込んだ。

 飲み屋しか並んでいないこの裏路地に、緑や青で彩られた恐竜柄の傘を両手で持ち、その場に呆然と立ち尽くす少年。まだ小学校に通う前くらいの年齢だろうか。アスファルトから跳ねた雨粒が7分丈のデニムを色濃くしていく。私の思考は一瞬停止したが、痩せた身体を震わせながら彼は声を掛けてきた。


 「あの、えっと……」


 「どうしたの?こんなところで」


 「あのね、ママを探してるの」


 さらに私の思考を混乱させる一言。私は勿論違うが、Kuのメンバーに母親がいただろうか。少なくとも知っている限りは皆独身だ。まさかシングルマザー?いやいやいや、昼夜逆転のこの仕事をしながら小さい子供を一人で育てるのは非常に困難を極めるはず。しかも子供の存在を隠しながらなんて不可能だ。もしそうなら相談してくれていれば……。


 とにかく、事情を聞こう。


 「坊や、お名前言えるかな?」


 「レンです。5歳です」


 「偉いね、ちゃんと言えたね。パパは一緒じゃなかったの?」


 「パパはいないです」


 「そうなんだ……ごめんね。レン君、風邪引いちゃうから、とりあえずこっちへおいで」


 やはりワケ有のようだ。放っておくわけにもいかないし、一旦中に入ってもらう。


 彼を中に招き入れると同時に、ドアの札を『CLOSE』に戻す。この天気じゃどの道お客さんは暫く来ないだろうが、5歳児が居ては通常営業など出来るわけもない。少なくとも交番に連れていくなり、対処しなければ。

 

 アレコレ考えていると店の女の子達がバックヤードからカウンターに入り出す。その姿を不思議そうに見ていたレン君が、ある女性に反応した。


 「あ!」


 指を刺されたのは藍だった。まさか、藍が母親!?年齢的にはおかしくないが、今までそんな素振りも見せなかったのに……などと考えていたが、一瞬にして取り越し苦労だと判明した。


 「レン君じゃない!あれ、なんでここにいるの?」


 「アメのお姉ちゃん見つけた!」


 「見つかっちゃった!でもレン君、ママはどうしたの?」


 どうやら母親は他にいるらしい。少しほっとしたが、すぐに次の疑問が浮かんでくる。何故彼はここにいるのだろうか?


 「あのね、ママ、いなくなっちゃったの」

 

あどけない喋り方ながらも一生懸命、自身に起きた状況を伝えようとする姿にその場に居る全員が心を打たれた。


私と藍ちゃんとでなんとか聞き出せた情報をまとめる。

 

 約3時間前。今日の夕方頃、レン君は母親と車に乗ってショッピングモールに来ていた。途中母がトイレに寄った際、外で待っていたレン君は偶然買い物に来ていた藍とぶつかってしまう。


「あら、大丈夫?」


「ごめんなさい。お姉さん痛くない?」


「優しい子ね。お姉さんは大丈夫だよ!」


 母親がトイレから戻ってくるまでの短い時間だったが2人は交流を深めたようだ。

去り際に持っていたアメ玉を渡し、


「レン君、困ったらお姉さんがいつでも助けてあげるからね!」


「うん、ありがとう!ばいばい」

 

 彼は母親と笑顔で立ち去って行った。


 藍と別れた後は、ゲームセンターやおもちゃ売り場、室内遊戯場にも連れて行ってもらったようで、彼はとても嬉しかったと言う。


すると突然、母親は「ここで少しだけ待っててね」と言い残し、その場を立ち去り何処かへ行ってしまった。待てど暮らせど帰ってこないので不安になったレン君は、先程母が向かって行った方向へ歩き出す。しかしいくら探しても見当たらず、気がつけばショッピングモールの外に出てしまっていた。


 途方に暮れた彼は、偶然見つけた出勤中の藍に気が付き、後を付いて行ったところこの店に辿り着いたのだった。

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