エピソード2:汚れぬ花-2

「置き去り……って事よね」


「状況的にはそうだけど。あのお母さん、そんな事するようには見えなかったけどな」

 唯一母親の姿を見ている藍はそう言い返す。


 だが、事実レン君はショッピングモールに置いて行かれ、母親は姿を消している。どんな事情があるのかは想像も出来ないがこんな小さな子供を置いていくなんで、尋常でない事だけは確かだ。


 さて、どうしたものかと考えていると、少し遅れて有瀬が現れた。


 「なんだ、まだ開けてなかったのか」


 「うん、今ちょっとそれどころじゃなくて」


 「何かあったのか……って、誰だこの子は」


 「開店出来ない理由よ」

 私が事情を説明し終えると、有瀬の表情は次第に険しくなっていった。


 「そうか……。事情はわかったが、このまま店に置いておくわけにはいかないだろう。警察に連絡して保護してもらうぞ」


 「やっぱりそうなるのね。保護してもらった後はどうなるの?」


 「警察の保護施設で一時預かりになる。身元が分かれば自宅を訪ねられるが、見たところ名前や住所が書いていそうな物は無さそうだ。そのまま母親が見つからなければ児童施設に行く事になるだろうな」


 「イヤだ!」

 それまで大人しくしていたレン君が荒げた声に少し驚く。恐らく言葉の意味はわからずとも、ここから離れる事は理解しているらしい。

 

 「そうは言ってもな、ボウズ。ここに居たってお母さんは来ないんだぞ?」


 「ママを助けて!」

 再びレン君は声をあげる。先ほどより涙目になっている。


 「助けて?ママはお前を置いて何処かに行っちゃったんじゃないのか?」


 「違うもん、ママは僕の事大好きだって言ってたもん」

 不安や寂しさで押しつぶされていた感情があふれ出たのか、レン君は大声で泣き出してしまった。


 「困ったな……」

 有瀬はボサボサの頭を掻きむしりながら、たじろいでしまう。


 するとレン君は、涙を拭きながら藍の元へ向かう。

 「アメのお姉さん、ママを助けて欲しいの。お願い」


 そう言われた藍は、しゃがみ込んでレン君と目を合わせると優しく諭すように語りかける。

 「いいよ、助けてあげる。私に会いに来たのも、それをお願いする為だったんだよね」


 無言で頷くレン君の頭を撫でながら、今度は有瀬へと視線を移す。


 「オーナー、私からもお願いします。さっきも言ったけど、この子のお母さんは理由なく子供を置き去りにするような人には見えなかった。きっと深い事情とか、良くない事に巻き込まれているとか、何か理由があると思うの」


 「そうは言っても、ボウズの証言だけじゃなんともならんだろう」


 「それでも、出来る限りの事はしてあげたい」

 いつになく真剣な表情の藍に驚いたのか、有瀬は黙ってしまった。緊張感の漂う静寂。それを破ったのはまたしてもレン君だった。


 ————グゥゥウウ


 恥ずかしそうに小さなお腹を抑える姿に、呆れと笑顔が入り交じった表情で有瀬は呟く。


 「……飯、食うか」


 「うん」


 「お母さんの事、もう少しだけ聞かせてくれるか?」


 「うん!」


 私は藍と顔を見合わせ、少しだけ笑った。




 21時に開店する為の準備は藍と菜々、アルバイトの瑠璃ちゃんに任せることにした。私と有瀬で母親の話を聞きがてら食事をとらせるため、レン君を近くのファミレスに連れてきた。途中有瀬は電話を掛けに少し席を外したが、すぐに戻ってきてテーブル席の通路側に腰掛ける。子供と3人でファミレスに居ると家族に見間違われそうだ。


 お子様ハンバーグセットを美味しそうに平らげ、緊張も解れてきたのだろう、徐々に明るい表情になってきた様子だ。


 「そろそろ聞かせてもらおうか、ボウズ。まずはお母さんの名前から」


 「ママのお名前はカオルだよ」


 「そうか。お母さんのお仕事、知ってるか?」


 「うん、中華屋さん。いつも炒飯持って帰ってきてくれるんだ!」


 「そりゃ良いな」


 「でも、ママが作った唐揚げの方がおいしいんだよ!」


 無邪気な笑顔にこちらの頬まで緩んでしまう、魔法の顔。自分の子でもないのに、愛情が溢れ器から零れ落ちそうになるくらいだった。尚更、母親の事情が気になってくる。この子を置いていく決断など、断腸の想いだったのではないだろうか。


 何としても、母親を見つけレン君を返してあげなければ。


 「お母さんのお友達に会った事はあるか?」


 「あるよ!クマのおじさんと、ヘビのお兄さんと、ネコのお姉さん」


 「動物ばかりだな。どんな人だった?」


 「クマのおじさんはおっきくて、クマさんみたいなんだ。いつもおうちにご飯を持ってきてくれるの。あとね、ヘビのお兄さんはヘビの絵が好きで、お外が暗くなると遊びに来てくれて僕に見せてくれるんだ。僕はすぐ眠くなっちゃうんだけど、ママとお話してるみたい。あとね、ネコのお姉さんはいつもネコのカバンからお菓子を出して僕にくれるんだけど、このあいだママとケンカしてた」


 「ケンカ?」


 「ネコのお姉さんは、クマのおじさんとヘビのお兄さんが嫌いなんだって。ママにダメだよって危ないからやめなよって言ってる。でもママは言う事聞かないんだって」

 

 「なるほどな……よしわかった、ありがとうなボウズ」


 「僕の名前はレンだよ」


 「……わかったよ、レン」

 

 面倒くさそうに振舞っているが、有瀬はとても優しい表情だった。

 

 恐らく有瀬は、母親の交友関係から探る気なのだろう。今のところそれしか手掛かりはない。しかし、名前と年齢だけではレン君と母親の生活圏もわからないはず。それでは調べようもない。


 「さて、問題はここからだな」


 「そうね。せめてカオルさんの写真でもあれば良いんだろうけど……」


 「写真ならあるぞ」


 「え?」

 



 驚きを隠せない私に対して、余裕の表情を崩さない有瀬はスマホを取り出し画面を見せつけてきた。そこにはテーマパークのエントランスで楽し気に写った親子の写真があった。


 「本当だ、レン君も一緒に写ってるじゃない。でも一体どうやって?」


 「ああ、さっきここでレンの写真を撮って菜々に送っておいたんだ。画像検索で何か出てきたら知らせてくれってな」


 なるほど、さっきの電話は菜々への依頼だったのか。それにしても仕事が早すぎて怖い。


 「じゃあ、他にも何かわかってるの?」


 「勿論。母親は坂戸薫、30歳。住所まではわからんが、住んでいるのは千葉県……といってもここから電車で30分と離れていない街だな。親子二人、仲良くやってるみたいだ。勤め先の中華屋もわかったし、明日の朝にでも行ってくる」

 

 「渋っていたくせに、いざとなると早いのね」


 「まあな」


 なんだかんだ言っても、子供は好きなのだろう。自身の辛い経験もあってか、なかなか素直にはなれないらしい。しかしその言葉はしまっておく。

 そうこうしているうちに、私の右肩に温もりを感じた。蓮君は眠ってしまったようだ。

 「疲れちゃったのかな」


 「無理もないさ。さて、こいつの寝床をどうするかが問題だ」


 「問題って、それだったの?」


 「ああ、俺の家は問題外だし、沙良の家じゃ少し遠いな」


 「うん、アナタの部屋、ちょっと人が入れる状態じゃないもんね……」


 「うるさいな、その通りだ」

 

 「藍ちゃんに頼んでみよっか。懐いてたみたいだし」


 「まあ、そうなるか。沙良、すまないが店に戻ったら藍と変わってきてくれるか?朝まではきっと起きないだろうが、誰かが傍に居てやった方が良いだろう」


 「そうだね。一人にはさせられないもんね」


 会計を終え、Kuに向かって歩き出す。

 

 蓮君を背負って歩くその背中に、不思議と父性を感じた。普段は高い身長と広い肩幅で頼れる男の背中だが、どこか物悲しい哀愁に満ちている。しかし今は負の重荷などないように、温かい感情で埋め尽くされているのだ。

 私はその背中が妙に愛おしく感じ、同時に切なさで胸が苦しくなってしまった。有瀬の傷は私の想像よりも遥かに深い。とても誰かが気安く触れていいものでもない。支えになりたいと何度思った事か。数え切れない程の葛藤がそこにはあるのだ。

 でも、今は目的がある。蓮君を無事に母親と再会させる事。母親がもし窮地に立たされているのなら、出来る限り尽力しよう。この愛くるしい寝顔を守るために。

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