限界突破

 調べにあわせ、今度は、おじいちゃんおばあちゃんらがうたいはじめる。鈴木さんの姿もあった。彼女も歌い手の一人なのだ。


「「「「「お~にの面をつけ~♪……敵の陣屋に攻め入れば~♪」」」」」


 鬼面浮立の調べと歌に乗って、僕らは舞う。


「「「「「よ~い~やさ、きたさ♪」」」」」

「「「……「「「「「そりゃ!」」」」」……」」」


「「「「「あの山むこうに、鬼どもが~♪……浮足立ったら、総崩れ~♪」」」」」


 鬼面浮立もなかなかにきつい舞踊だった。歌舞伎の飛び六方のように片足立ちで見得を切ったり、首を大きく回してにらみを利かせたり、地面を強く踏み鳴らしたり……。


 呪いを断ち切るは、人から人へ連綿れんめんと受け継がれてきた舞踊。


 だけどそれは、決して美しいものではなかった。僕らの舞は、バラバラで一糸もそろわぬ不揃いなものだった。

 僕も含め、おじさんたちはぜぇぜぇ肩で息をしている。ワイシャツのボタンは弾け飛び、お腹のぜい肉がはみ出している人もいる。部屋着などの緩い格好をしていた人は、ズボンが脱げ半ケツ出している人もいる。カツラが飛んでいった人もいる。それでも舞う。

 女子中高生たちも大人の女性たちも、化粧は崩れ、パンチラもストッキングの断線も「然もあればあれ!」と「ええい、ままよ」と「然もありなん!」と言わんばかりだ。それでも舞う。

 みんな、汗鼻水涙みどろで舞いに舞った。


……!

…………!

………………!




 どのくらいの時間が経っただろう。一台のパトカーが赤いランプを回転させてゆっくりとやってきた。

 二名の警官が出て来て、目の前の光景に愕然がくぜんとしている。


 道路で。車の上で。歩道で。庭先で。駐車場で。神社の石段で……。無数の人々が文字通りに大の字に横たわっていたからである。


 僕たちは、限界を突破した。

 限界を超えた後は警察が来ようが誰が来ようが立ち上がることなどできない。みな息絶え絶えである。


「あのね、赤い靴の呪いだったの!だけどね、あたしたち勝ったよ!呪いを消し去ったの!神社の天狗てんぐさんも加勢してくれたよ!みんなで鬼面浮立踊ったの!」


 あの元気のよい女の子だった。警察に笑顔でそう言っていた。


「天狗?」


 そう訊く警官に、女の子が千年杉を指さす。


「あっ……!」


 ぼくは、頭をわずかに持ち上げて杉を見やった。彼は、まだ杉のてっぺんに立っていた。


わざわい転じて福と為す』


 天狗のその声は、その空間にいる僕らの心に木霊した。


『病魔病災により極まった陰の気は裏返り、やがて陽の気がきざす。大いなる生の脈動によりて、異国の古い呪詛じゅそは祓われた。よき舞踊じゃった』


 そう言うと、何とも楽し気にからからと笑った。手にしていた羽団扇はうちわをひとあおぎする。

 するとつむじ風が巻き起こり、散らばっていたマスクが天高く舞った。夏空にきらめくそれは、まるで花びらのようだった。


 僕は足元を見た。靴は、もう発光してはいなかった。周囲を見渡す。


 十代の子たちが、もう立ち上がりはじめた。


 もう回復しているだと!?


 脱力して天を仰ぐ。


「これが、若さか……」

「なに言ってんの?」


 青く輝く空に、にょきっと影が伸びてきた。娘の花音かのんが呆れたように僕を見ていた。


「しっかりしなよ、二人とも」


 娘が両手をさしのべる。僕は、娘の右手を握った。娘の左手を取り引っ張られるように起きたのは香織かおりだった。


 すると娘の後ろから、背の高い女の子が顔を覗かせる。


「あ!花音ママお久しぶりでーす!」

「あら、玲奈れなちゃん。しばらく見ないうちに背が伸びたのね」

「へへ、どーもです」


 娘の友だちだった。


 中高生たちは立ち上がり、額の汗を拭いたり互いに身体を支え健闘を称えている。


 これが、若さか……。


 僕は、もう一度空を見上げた。空は、あの頃と変わらぬ色をしていた。時を超えて、いま僕は、あの頃の自分をまっすぐに見つめることができていた。


 身体も、若いころと比べて衰えが目立つようになった。これからも、それは変わらないだろう。自分の身にも、この世界にもいろんなことが起こり続ける。

 そうだとしても、こうして手を取り合えば逆境を乗り越えられる。


 そうだ。まだ終わりじゃない。僕らはこんなもんじゃない。こんなもんじゃないはずだ。僕らは、まだやれる。


「あのさ」


 僕は、妻と娘に呼びかけた。


「今度、家族で。三人で映画を観に行こう」


 僕がそう言うと、二人はお互いの顔を見合った。


「別にいいけど」と娘が言った。


 香織もうなずいた。


 僕らは、三人で支え合いながら歩いた。


 取りあえず、早く車道からは出ないといけない。警官が慌ただしく動いている。ちょっと大変なことになりそうだ。


「だけど、なんで神社の天狗様は、わたしたちに加勢してくれたんだろう?」


 香織が言った。


「さあ、混じりたかったんじゃないの?この神社の天狗って音楽と踊りが大好きだって聞いたことがあるよ」


 花音が答える。


「ああ、お祭りでいつも奉納されているもんね」


 僕はうなずいた。


「うん。でも去年も今年も、中止になったからね。わたしらに混じって楽しみたかったんだよ、きっと」

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『朝のごみ出しラ・ラ・ランド』 さんぱち はじめ @381_80os

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