第18話 鹿之助、富田城を攻略する

「おい鹿之助。お前たち、よくこんな処を登ったものだな」

 月山富田城の本丸へと続く急斜面を上りながら、新右衛門は荒い息をついている。


 それも前を行く鹿之助だけでなく、冴名も一緒にだ。さらに真偽のほどは分からないが、二人は馬の格好でこの斜面を駆け上ったのだともいう。

「信じられん。これが愛の力というやつか。それとも、ただ馬鹿なだけか」


「ああ? 何か言ったか」

 鹿之助は木の根や草を掴みながら、ひたすら本丸を目指す。

「あちこち試してみたが、本丸まで辿り着けたのはこの経路だけだ。他は絶壁だったり、足元が崩れやすかったりして、どうしてもダメだったからな」

 ほとんど這うようにして、やがて、やや平坦な場所に出た。


「見ろ、ここは新右衛門と出会った場所ではないか」

 周囲を見回し、鹿之助は言った。そういえば新右衛門にも見覚えがあった。

「ではもう少しだな。急ぐぞ、新右衛門」

「ああ。だが最後はお前ひとりで行けよ」


 意外な言葉に、鹿之助は新右衛門を見返した。

「なぜだ。新右衛門はどうするのだ」

「俺は……」

 新右衛門はかすかに頬を歪めた。自分が居ては、義久は謀略を疑い、鹿之助と会う事はないだろう。


「俺は鉢屋衆だ。忍びという者は、決して表には出ないものさ」

 新右衛門は静かに言った。


 ☆


 夜来の強い雨音が止み、菅谷すがや山内さんないに静寂が訪れた。

 冴名はそっと身体を起こすと、窓の隙間から外を伺う。かすかに月の光が差し、立ち上った雨後の霧を白く照らしている。

 ひんやりとした空気が冴名の頬を撫でて通り過ぎていった。


「眠れないのか、冴名さま」

 まだどこか寝ぼけたような小さな声が、冴名の背中に掛けられた。振り向くと、彼女と同じくらいの少女が布団から半身を起こしている。


「ごめんなさい、阿井あいさん。起こしちゃいましたね」

 謝る冴名に阿井はかぶりを振った。

「心配ない。わたしはいつも半分寝て、半分起きているようなものだ」

 だから熟睡した事は無い。そう言って阿井は苦笑した。あの新右衛門が自分と同じ匂いがすると言った少女だ。阿井もまた忍びとしての訓練を受けているらしい。


「……新右衛門たち、無事に富田城内に入れたかな」

 阿井は、ぽつりと言った。


「きっと大丈夫、あの二人なら。ただ……毛利の陣中さえ通り抜ければだけど」

 冴名の懸念しているのは鹿之助だ。

「ああ。鹿之助さんは、ふとした時に出雲弁が出るから。でも本人は気付いていないんだろう?」

 自分が出雲訛りを喋っている事に全く気付かないというのが、大方の出雲人の特徴だ。これは、ひとり鹿之助に限った事ではないが。

 冴名も苦笑するしかなかった。


 

 本丸へたどり着いた鹿之助と新右衛門は、泥まみれになっていた。

「なすて、あと、もうちょんぼしいうとこーで、きゃん大雨が降るだあか。新右衛門、おめ、日頃ふごろの行なーが悪いこたーねか」

(訳:なぜ、あと少しという所でこんな大雨が降るのだろう。新右衛門よ。お前の日頃の行いが悪いからではないか)


「やかましい、お前に言われるようではお終いだわ。おい、人が来たぞ」

 振り向くと、松明を掲げた武者がこちらへ向かっていた。

「誰だ、そんな所で騒いでいるのは。早く持ち場に戻れ」

 何の違和感も無く、城兵だと思われたらしい。


 鹿之助は片膝をつく。

「私は尼子家の家臣、山中鹿之助幸盛と申す者。義久さまにお伝えしたき儀があり、城外より毛利の重囲を潜り抜けて参りました」


 男は驚いたように鹿之助の両肩に手を掛けた。

「おお、山中家の。俺は横道よこみち秀綱だ。久しぶりだな、見忘れたか」

 男は太い眉の下の目を大きく見開いて笑った。どこか達磨ダルマに似た容貌だ。当然、鹿之助も見覚えがあった。

 横道兵庫介秀綱は、主に石見との国境で毛利軍を相手に激闘を繰り返してきたが、現在はこうして富田城に入り、守りを固めていた。


「兵庫介どの。いつ富田城に入られたのだ。ああ、いや今はそんな場合ではない。一刻も早く義久さまに引き合わせてくれ」

 兵庫介は眉をひそめた。急に醒めた表情になる。

「なんだ。もしや、お主もお館さまに降伏を勧めに来たのか」

 

「馬鹿をいえ。詳細はこの場では言えぬが、その逆だ」

「ほう」

 兵庫介の目が輝いた。鹿之助の手をとり勢いよく引き起こす。

「ならば急げ。お館さまは、そろそろ降伏の意志を固めそうだぞ」


 鹿之助は新右衛門を振り返る。しかし、そこには彼の姿は無かった。おそらく元のに戻ったのだろう。もし自分がここまで辿り着けなかった場合は、この伝令の役目を新右衛門に託すつもりだった鹿之助は、ほっと息をついた。

「行って来るぞ、新右衛門」


 それを見下ろす樹木の枝に腰かけ、新右衛門は大きく欠伸をする。



 雲が切れ、皓々とした月が姿を現した。



 


 

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