第17話 鹿之助、堕落(だらく)する

 客人まろうどという言葉は、まれに訪れる人、「まれびと」をその語源とするという。もちろん部外者として排斥される場合もあるが、古来日本の山里では、多くが彼らを珍重し歓迎した。


 他の村落との交流が少ない時代、旅人がもたらす新しい情報は、現代の人間が思うよりもずっと貴重なものだった。都で流行する衣装や言語文化など、最新の事柄を知りたがるのは、現代も昔も変わりはない。


 そして情報の他にも旅人がもたらすものがある。

 新しい血である。


 義経伝説を始めとして日本各地に残る貴種流離譚の数々がそれを物語っている。遺伝学という概念を持たない中世の人間であっても、閉ざされた地域だけで繰り返される婚姻関係が惹き起こす危険性について、本能的に悟っていたのだろう。




「何かおかしい」

 冴名は鹿之助を鋭い目で見る。菅谷すがや山内に来て以来、鹿之助の表情が緩みっぱなしなのだ。一時的に尼子家から離れているとはいえ、こんな腑抜けた状態ではいざという時、役に立つとは思えない。冴名は鹿之助の保護者という立場上、放っておく事は出来なかった。


「いやあ、ここはいい所だな。そうだ、冴名も一緒にどうだ。今夜、涅槃ねはんで待っているぞ」

 冴名の追及に鹿之助はへらへらと返す。


「涅槃ってもう死んでるじゃない。……あ」

 冴名は鹿之助の身体から漂う香りに気付いた。

「鹿之助、あなた」

「なんだ」


「鹿之助、あなた女くさい」

「おやおや」

 鹿之助は袖のあたりを嗅いで、そうかな、というように首を傾げる。

「いつも夜になると何処かに出かけて行くと思ったら……この浮気者っ!」

 冴名の平手が一閃すると、首が変な角度に曲がったまま、鹿之助は吹っ飛んだ。



「なんで冴名に怒られなきゃならんのだ。お前には関係ないだろ。そりゃ、お姉さん方と酒飲んで……ちょっとあちこち触らせて貰ったりはしたけど」

 首を元の位置に戻しながら、鹿之助は口を尖らせた。

「あ、あ、あ。あちこちって、どこっ!」

 鹿之助は、ぽっと赤くなった。

「え。まあ、〇〇とか、もっと下の××のあたりとか、かな。いやぁ、皆さん積極的でなあ」

 むふふ、と遠い目になって変な笑い方をする。どうやらこの山内に『涅槃』という名前の、いかがわしい店があるらしい。


「……この、この」

 ふー、ふー、と荒い息をつき、冴名は握った右手の拳を後ろに引き、少し腰を落とした。

「この変態っ!!」

「ふぎいいいい」


「いいですか。あなたは当分の間、夜間外出禁止です!」

「へへぇ」

 平伏したまま鹿之助は誓わされた。


 ☆


 月山富田城が囲まれたという知らせが菅谷山内にも届いた。


 前回、大内氏の襲来の際には撃退の立役者だった赤名あかな氏、三沢みざわ氏、三刀屋みとや氏らも毛利の調略によって戦わずして開城した。もはや尼子義久は出雲の国衆からも見放されていたと言っていい。

 

「残るは白鹿しらが城の松田のみか」

 絵図面を前に、鹿之助は唸った。

 現在の松江城が在る場所とは異なるが、宍道湖畔に建つ白鹿城は尼子が最も重視した城である。城主の松田氏もまた尼子に対し固い忠誠心を保っている。

 

「兄上は、伯耆ほうき(鳥取県西部)の国衆を集め救援に向かうとのことです」

 冴名が硬い表情で言った。謀反を疑われ、因幡の鹿野城へ身を寄せる事になった冴名の兄、立原久綱だが、未だに尼子を見捨てる事ができないのだ。


「そこで、鹿之助に頼みがあります」

 伯耆の尾高おだかさらには江尾えび氏という有力な国衆の助力があれば、毛利を撃退するのも不可能ではない。ただそれは富田城の内外の勢力が呼応し、一斉に毛利本隊を挟撃する場合である。


「富田城内へその日時を伝えて欲しいのです」

「しかし、富田城へ登る道はすでに毛利が囲み、塞いでいるのではないか」

 新右衛門が困惑顔で冴名を見る。


「いや。みちはある」

 鹿之助が顔をあげた。


 冴名も頷いた。

「はい。本丸へと続く途が」


「そうか」

 そこで新右衛門も気付いた。鹿之助たちと初めて出会った時、この二人が登って来た、あの道なき急斜面がある。

「なるほど。もう一度、鹿になるのだな」

「わたしはもう、やりませんけど」

 冴名は苦笑する。



「晴久さまは今日があるのを見越して、おれに、この月山富田城を陥してみせろと言われたのかもしれない」

 到底、鎧武者が登る事のできない箇所。つまり攻撃方の盲点となる経路を探らせていたのではないか。鹿之助は目に涙を浮かべている。


「それは、どうか分からないですけど」

 さすがに冴名も言葉を濁した。


 ☆


 鹿之助と新右衛門は、城を包囲する毛利軍の中に紛れ込んだ。

「いいか、今度は喋るなよ」

 前回は鹿之助の出雲弁のせいで、危うく失敗するところだったのだ。


「け、しゃんこた分かっちょーがの。だいたぁ、おらの何処が訛っちょーかい(ああ。そんな事は分かっている。それより、おれの喋りのどこが訛っているというのだ)」

「だから、黙れと言っているだろうが。このだらくそ(ばか野郎)!」

「な……。おお、そ、そげか(そうか)。分かった分かった」

 激怒する一歩手前の新右衛門を見て、鹿之助は口をつぐんだ。



 彼らの前には、月山富田城が三日月に照らされている。



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