第16話 制圧された銀山街道

 石見銀山を手中にした毛利は、次に銀の積み出し港である温泉津ゆのつを狙った。


 現在では漁港と小さな温泉街だけが残る谷間たにあいの古い街だが、当時の温泉津は、繁栄を極めた西日本有数の貿易港なのである。

 石見銀山との間は通称『石見銀山街道』と呼ばれる街道によって結ばれ、そこから莫大な量の銀が船によって運び出されていた。


 銀山と港、その両方を押える事によって、世界で流通する銀の三分の一にも及ぶ量を産出したと云われる石見銀山の富を手に入れた事になるのだ。


 しかし温泉津港の周辺には尼子方の国人が勢力を張り、毛利隆元の調略によっても容易に降る様子を見せなかった。やや手詰まりとなった毛利元就へ、将軍足利義輝から尼子との和議が命じられた。


「尼子義久め、将軍を動かすとはな」

 やや意外そうな元就に対し、隆元も小さく頷いた。

「それだけではなく、豊後の大友宗麟にも援軍を要請し、大友もそれに応え出兵準備を始めたとか。まだまだ尼子の名は力を持っているようです」


「大友の動きは形ばかりよ。まずは放っておいてよかろう。だが、将軍の命令はどうしたものか」

 何事か考え込み始めた元就に、隆元は首を傾げた。

「それこそ無視しても問題無いと思われますが」


「いやいや。やはりここは和議を受けるべきであろうな」

「はあ……それは何故に」

 怪訝そうな隆元。

「こちらに都合の良い条件を付けさせて貰う。石見から手を引けとな」

 いやそれは、と隆元は口ごもる。


「さすがに尼子が受けないでしょう。銀山に続いて温泉津まで手放すという事になりますから」

「尼子もそこまで愚かではない、と思うか」

 元就は目を細めて隆元を見据える。


「よいか隆元。人というものは、とことん窮すれば一本のわらですら大船に見えて来るものだ。はかりごとと云うは、人の欲と願望に付け入ることよ」

「肝に銘じます」

 隆元は頭をさげた。


「それに」

 元就は冷ややかな笑みをみせた。

「尼子が受けぬと云うならそれで良い。その時は力ずくで奪うだけのこと」


 果たして、尼子義久はその条件を受けた。

 条件を付けるに際し、毛利方から幕府へ丁重な贈物を行った事は言うまでもない。尼子は自ら調停を要請した立場上、将軍家からの条件付与を断ることが出来なかったという事情もあった。


 和議により尼子からの支援を失った温泉津城主、温泉英永ひでながは城を捨て出雲へ撤退する。温泉津の東部、刺鹿さつかに城を構える多胡氏は討ち死にし、頑強に抵抗を続けていた本城ほんじょう常光も、侵攻する毛利の大軍を前に、ついにその軍門に降らざるを得なかった。

 

 家中の安定を優先し、毛利との和睦を選んだ尼子義久だったが、その代償は非常に高くついた。


 ☆


 菅谷すがや山内の中心は、高殿たかどのと呼ばれる内部にたたらを据えた建物になる。その高殿を囲むように工房や、たたら衆の住む長屋が連なっていた。

「我らが知る山里とは、だいぶ様子が違うな」

 鹿之助と冴名は茨之介に山内を案内してもらっている。谷間のやや平坦な場所を選び、建物が密集するその光景は、のどかさとは程遠い。


「水田が無いのですね」

 冴名が辺りを見回して言う。これが他の山里との最も大きな違いだろう。

「ああ。この山内には土地も、水も無いからな」

 両側を山に挟まれ、川は高殿の脇を流れる小川だけなのだ。このたたら場の主、田部家の屋敷周辺にわずかに田圃が造られているが、とても全てのたたら衆が食べるだけの量は収穫できないだろう。


「やはり冴名は、食いものの事となると目ざといな」

 からかう鹿之助の頬を冴名は思い切りつねり上げた。

「いてて。冗談だ、冴名」


「ほんと馬鹿之助だね。あなた達、武士は刀を齧って生きてるの? 戦うためには兵糧が必要でしょ。そこに意識が行かないようじゃ、大将は務まらないのよ」

 成程そういうものか。鹿之助は痛む頬を撫でながら納得した。


「あれは神事のために育てているのだ。我らが喰うコメは他で買ってくるのさ。生きるためのすべてを、この山内だけで賄うなど不可能事だからな」

 鉄を売り、その金で米、魚、酒などを買うのである。


「なあ茨之介。さっきから気になっているのだが、どこの斜面にも同じ樹木が植えてあるな。あれは何だ」

 ふうん、と茨之介はそれを見やった。答えかけて、冴名に目をやる。

「分かりますか、冴名どの」


「桑の木、ですね。では、かいこを育てているのですか」

「その通りです。さすが冴名どのだ」

 茨之介が指さす長屋の中に、雨戸を締め切った、やや背の高い建物がいくつも有る。その中で蚕を飼っているのである。

絹糸いとをとり、布を織るのです。冴名どのにはあれを、お手伝いいただきます」


「では、おれは何をすればいいのだ」

 勢い込む鹿之助。

「お前は田圃の真ん中で、案山子かかしの代りでもやってろ」

「なんでだ。冴名とおれの扱いが違い過ぎるだろう」

 ちっ、と茨之介は舌打ちした。


「お前は、おれと同じ侍人衆だ。言っておくが、おれが頭領だからな。おれが死ねといったら、必ず死ぬのだぞ」

ふん、と鹿之助は鼻を鳴らした。

「断る。おれは冴名のためにしか死なん」

「えっ!」

 冴名が赤くなった頬を押えた。

「そ、そんな、鹿之助。こんなところで急に……恥ずかしいっ!」


「なんだ、それは。お前たちはそういう関係だったのか」

 がっくりとした様子で茨之介は肩を落とした。このうらやましい奴め、と小さな声で言う。


「ああ。以前、おれがうっかり冴名の菓子を食ってしまってな。いやあ、怒られたのなんの」

 あはは、と鹿之助が笑う。

「その時、おれは誓わされたのだ。冴名のために死ぬとな」

「そうか。それはまったく羨ましくないな」

 醒めた顔で茨之介は言った。


「だったら今すぐ死ね!」

 顔面に蹴りをくらった鹿之助は、茨之介を巻き込んで急な坂を転がり落ちていった。



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