第19話 鹿之助、毛利軍を襲撃する

「そなたが山中鹿之助 幸盛ゆきもりか」

 現在の尼子家当主、義久は脇息に身体を預け、力なく掠れた声を発した。


 顔をあげた鹿之助は思わず息をのむ。義久の顔はどす黒く鬱血し、眼光にも力がない。籠城戦になっているとはいえ、まだ兵糧が不足している訳ではないだろう。それは隣の横道よこみち兵庫介の壮健な様子を見れば明らかだった。

「わざわざの使い、大儀であった」


「酒か……」

 鹿之助は唇を咬んだ。義久からは酒の匂いが強く漂っている。


 父、晴久の急死により当主となった義久だが、代々尼子家の武の要となってきた新宮党はすでに滅亡し、主要な家臣は毛利の反間策によってその多くが追放されていた。また、曾祖父、経久の謀略の才。そして父、晴久の軍事の冴え。いずれも、この義久は受け継がなかった。


 他に頼る者を持たない、ごく平凡な青年が一族滅亡の危機に際し、酒に逃げ込もうとしたのも分からなくはない。尼子義久は鹿之助よりもいくつか年上であるとはいえ、まだ二十代前半なのである。


「立原久綱は息災か」

 ぼんやりとした表情で、義久は自らが追放した家臣の安否を問うた。もはやその事も義久の頭の中には無いのかもしれなかった。

「はい。因幡いなば伯耆ほうき(ともに現在の鳥取県)の兵を糾合し、ここ出雲へ向かっております」

「ここへ、のう」


 まったく興味を示さない義久に、鹿之助は膝を進め詰め寄った。

「さらに白鹿しらが城の松田誠久どのも、松江方面より毛利軍の様子を伺っているとのこと。富田城の内外で時を合わせ攻め寄せれば、いかに毛利の大軍といえど打ち破ることができましょう」

 鹿之助はその期日を伝えるために、この城に戻って来たのだ。

「ですから、いましばらくご辛抱を」


「もう、よい」

 しかし義久から出たのは意外な言葉だった。

「此度どうにか毛利を討ち払っても、また奴らは攻め寄せる。そうしたらまた籠城じゃ。これから何度、同じことを繰り返さねばならぬ」


 鹿之助は言葉を失った。


 そんな様子を見て義久は薄く笑った。

「戦乱の世は、もう終わりにしようではないか」


 

 月山富田城の麓から喊声が湧き上がった。毛利方の攻勢が始まったのだ。


「また、ああやって、早く降伏しろとの催促だ」

 義久は怒りのために身体を震わせる鹿之助を見やった。

「ここまでご苦労だった。そなたも共に毛利に降ろうぞ」


 どんと床を叩き、鹿之助は顔をあげた。

「お断りだ。あなたのような者と一緒にされたくはない!」

「おい鹿之助!」

 思わず、隣の兵庫介が制する。しかし義久は特に気にする様子もない。哀しみと喜びが入り混じった、複雑な表情で鹿之助を見やった。


「鹿之助と言ったな。……あれを持って行くがいい」

 義久は後ろを振り返った。

 背後に置かれてあったのは漆黒の甲冑と十文字槍だった。兜の前立ては、ここ月山に因んだのだろう、鋭い三日月形である。


「父のものだ。わしよりも、そなたのような勇者にこそ似合うであろう」

 どこか寂し気に義久は呟いた。 


 ☆


 毛利元就の次男、吉川元春は富田城攻めの最前線に出ていた。

 長期の対陣を前提とした籠城戦において、元春のように総大将に準ずる者が最前線に居る事は本来有り得ない。普通であれば後方で悠然と構えていれば良いのである。

 彼をここまで駆り立てる原因は後方の元就本陣の内にあった。


「……兄上っ」

 元春は焦りを隠そうともせず、唇を噛む。


 元春の兄、隆元は陣中に病んでいた。

 軍議の席で倒れた隆元は、本陣とした屋敷の一室に伏したまま起き上がる事も出来ずにいた。もはや従軍した侍医の処置では回復が見込めない状態にある。


「一刻も早く富田城を陥とし、郡山城へ帰還せねば」

 隆元の策により、尼子義久はすでに降伏の意志を固めているという。あとはその使者を待つばかりだ。だが優柔不断な義久はその使者を送って来ない。

 ここ数日、特に激しく攻撃を繰り返すのは、そんな義久に決断を促す為だった。


 東の方がほのかに白み、月山の稜線がくっきりと見え始めた頃、防柵の辺りが騒がしくなった。悲鳴も上がっているようだ。元春は舌打ちした。

「何事か!」


 元春の怒号に、側近が駆け寄り戦況を報告する。

「城内より一騎突出して参りました。こちらの寄手はその者によって撃退された由にございますっ!」

 たった一騎にだと。元春は耳を疑った。まさか富田城内にそれほどの猛者がいるとは彼の想像の外だった。


「おのれ、降伏は偽装であったか」

 元春は長槍を手にすると愛馬に騎乗した。

「途をあけよ。おれが相手してやる」


 ☆


「待て鹿之助。勝手な事をしては和睦の邪魔になるぞ」

 熊谷(鉢屋)新右衛門が止めたが鹿之助は聞かなかった。義久がすでに降伏に決した事を立原久綱らに伝えるよう新右衛門に頼み、鹿之助は晴久の鎧を身に着けた。

「大丈夫だ。最後に、毛利に尼子武士の意地を見せてやるだけだからな」

 

「だが、お前が死ねば、冴名どのはどうなる」

 新右衛門は鹿之助の背中に叫んだ。馬を止めた鹿之助は振り返った。

「また、おれの事を馬鹿だというだろうな」

「そういう事を言っているのではない。本当に心底からの馬鹿だなお前は!」

 鹿之助は困ったような笑みを見せ、馬腹を蹴った。



 尼子晴久の甲冑を身に纏った鹿之助は一気に富田城の大手まで駆け下った。

 勢いに恐れをなした城兵に大手門を開かせると、毛利軍がひしめく飯梨川の河畔へ単身、斬り込んで行く。


 毛利の兵を蹴散らし一直線に進む鹿之助の前に、渋い海老茶の甲冑を纏った巨漢が立ち塞がった。

 鹿之助はその男に見覚えがあった。

「吉川元春どのとお見受けする。いざ、勝負!」


 鹿之助の十文字槍が吉川元春の胸板を目掛け、鋭く突き出された。

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