最高位の向こう側

 たどり着いた、と感じられる空間だった。

 深層区画をさらに進み、降りてゆくこと2日。


 2人の目の前に現れたのは、かなり大きな広間だった。


 その開放感が、逆に2人を押しつぶすかのように錯覚させる。

 今までは、どれほど進んでも、待ち受けているのは廊下にしろ部屋にしろ、密閉された空間である事は間違いない。


 ところがその空間からはそういった密閉感が感じられなかった。

 両開きの扉を開けると、広がっていたのは掘り下げの――としか言い様が無いのだが――入り口広間ホールのような佇まい。


 実際、一番似た空間を挙げるなら、そういった場所が一番近くなるだろう。

 青い灯火が、どういう仕掛けか煌々こうこうと天井で輝いていたことも大きい。


 だが、2人はその開放感に浸ることは出来なかった。

 圧倒されるわけにはいかなかった。


 何しろホールには、門番のようなモンスターがいたのだから。


 真っ白な皮膚。床に這いつくばるように広げられた四肢しし

 大きさも相当なものだ。見下ろした状態になっているため、正確なところはわからないが、もたげられた頭の位置――恐らく、牛頭人身ミノタウロスを上回っている。


 その頭に、わかりやすい特徴があった。


 全体的なフォルムは蜥蜴トカゲに見えるのだが、頭部にはまるでみずからが王である事を誇示こじするかのように、かんむりが載っていた。


 単純に鶏冠とさかだと思ってしまうことも、もちろん出来る。

 だが、その傲慢ごうまんな姿形を警戒する感覚が――時折現れる、理屈を越えた正解だった。


 ワルヤが、さすがに虚を突かれていたカリトゥの首根っこを掴んで、慌てて引き返す。それと同時に、扉を閉めた。


「マズいぞ……冠蜥蜴バジリスクだ」

「バジリスク? 何です?」


 カリトゥにとっては初めて見るモンスターだ。

 それもそのはずだろう。帝国でも西方。それも砂漠地帯に棲息するようなモンスターなのだから。


「何でこんなところに……いや、大迷宮ここでそれを言っても仕方ない」


 諦めの響きがともなった言葉がワルヤから放たれると同時に、閉めた扉が轟音と共に砕かれる。

 バジリスクが2人を追いかけてきたのだ。

 体当たりで扉を破壊し、巨体を通路にねじ込もうとしている。


 だが、2人は単純に逃げるわけにも行かなかった。


 何故なら、この場所に2人はやってきたのでは無い。

 のだ。


 3頭もの火吹犬ヘル・ハウンドに。

 最初は5頭もいたのだが、めいめいが1頭ずつ倒して、後は逃げてきてきたのだが、それがどうやら裏目に出たらしい。


 牙の間から炎を漏らしながら、ヘル・ハウンド3頭が先を競うようにして、2人の前に現れた。

 こうなったら、強引にでも突破――


「危ない! 伏せろカリトゥ!」


 その指示に、いちいち反抗するいとまはない。

 カリトゥは身を投げ出すようにして、うつぶせに倒れ込んだ。


 それは果たして間一髪だったのか――先頭のヘル・ハウンドに変化が発生している。

  

 最初は麻痺したかのように見えた。

 突如その動きを止めたのだから。


 だが、変化はそれで終わりでは無かった。

 固まったヘル・ハウンドの体にひび割れが入ったのである。


「な……なんです!?」

「『石化』だ。バジリスクににらまれた生き物は、石になる」


 同じように身を投げ出し、カリトゥの横で伏せていたワルヤが説明する。

 余裕があるわけではない。

 今しか、説明するタイミングがないのだ。


「行くぞ! とりあえずはヘル・ハウンドで時間稼ぎできる」


 その指示と同時に、立ち上がるワルヤ。

 続くカリトゥ。


 バジリスクに追われている。見られること自体が危険。そして巨体。


 これだけ情報が揃えば、るべき戦術はおのずから明らかになる。


 2人は、打ち合わせもせずに同じ方向に走り出していた。


                 ▼


 2人が目指したのは、前日休憩に使った部屋だ。

 もちろん扉があるからではない。そんな扉など障害にはならないだろう。


 だが、部屋の狭さ自体はバジリスにとって十分障害になるはずだ。


 そこまでは瞬時に計算出来る。

 何しろ、バジリスクの体の大きさでは部屋に入ることも出来ないと確信できるのだから。


 恐らくは頭が入るだけだ。

 その目論見が成功すれば、バジリスクの視線方向もかなり限定されるはず。


 さらにカリトゥはロープを使って、天井近くの壁際に身体を固定させている。

 入り口の上だ。


 罠を張る時間は無かったが、これでバジリスクの頭に飛び降りることが出来るはずだ。

 そしてワルヤはロングソードを構えて、バジリスクを待ち受ける。


 危険ではあるが、適材適所を目指すならこの布陣にならざるを得ない。


 ほとんど打ち合わせも無しに、2人が準備を整えることが出来たのも、その選択肢の少なさが理由だ。


 足音が聞こえた。

 それと同時に、扉が破られてしまう。


 木っ端微塵になって、残骸がワルヤへと殺到した。

 だがワルヤは動じることなく、首をくねらせて入り込んできたバジリスクから目を離さない。


 そのバジリスクの瞳は紅い。

 紅玉ルビーのようだと表現するには、余りにもバジリスクの瞳はぬらぬらと濡れすぎていた。

 血の色、という表現が一番しっくりくる。


 多くの命を石化させ、そのため自身の飢えは一向に満たされない。


 そんな逆恨さかうらみが、バジリスクのひとみを血で濡らしていたのだ。


 そんな瞳を正面から見るわけにはいかない。

 ワルヤは部屋の中で灯されている青い光をロングソードで弾きながら、側面に回り込もうと動く。

 もちろん兜を目深まぶかに被ってだ。


 それだけでバジリスクの注意を引きつけるには十分だった。

 斥候職スカウト最高位ハイエンドであるカリトゥにとっては。


 音も無く、バジリスクの頭部に降り立つ。

 右腕にはすでに「理力光渡鞭ワイヤー」が巻かれていた。


 一撃必殺――そんな夢は見ない。


 片目だけでもふさぐことが出来れば。

 それが目標であり、最悪でも果たすべきつとめ。


 今まさに、ワルヤに向けられようとしている左目を――


 それが思い込みだった。

 それに計算違いが重なる。


 バジリスクはワルヤに気を取られていたわけではない。

 このモンスターは単純に、身を縛る全てのものがいとわしかったのだ。


 巨体を振るわせる。

 そして、その重量、力、その全てをもってして堅牢けんろうに思えていた大迷宮の壁ごと粉砕したのだ。


 轟音、破片、粉塵ふんじん、そして固体化したような憎悪。


 その全てがワルヤに襲いかかる。カリトゥを弾き飛ばす。


 ワルヤは反射的にロングソードをかかげて、バジリスクの巨体を防ごうとした。それは自棄やけになっての行動では無い。


 今まで力で負けたことはないのだろう。

 ワルヤもまた最高位ハイエンドなのだから。


 だが、それは過去の話になってしまった。

 ワルヤはバジリスクの体当たりをこらえる事が出来なかったのだから。


 頑強であり、重さもあった鎧ごと弾き飛ばされ、ロングソードはこの場に相応しくない涼やかな音を響かせて折れてしまう。


 頭から振り落とされたカリトゥもとっさに受け身を取ることが出来なかったのか、身体をくの字に折って懸命に呼吸しようとしていた。


 何しろ危機をたのしんでいる場合では無い。

 それで終わりなのだ。


 今はまだ、バジリスクは身体を震わせるのに必死だが、やがてそのくれないの瞳は|生き物を捉えるだろう……

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