第25話 船上のまどろみ
『風の試練』を終えて三日。
俺たちは再びハルパイア諸島をめぐる定期船に乗り、港町ポートセルムを目指していた。
『鷹の平野』への陸路については、アシュレイが仮のルートを考えてくれたが、やはり交易都市であるポートセルムで正確な情報をつかんでからということになった。
黒騎士が万能でないとわかって、少しばかり安心した。
とはいえ、自分の情けなさも浮き彫りにしてしまったが。
本来ならば、これはリーダーである俺の仕事だ。
案内役とはいえ、アシュレイに頼りきりというのはいささか無能が過ぎると自嘲してしまう。
「見て、ヨシュア。イルカがいる」
「本当だ。こんなに近寄ってきて大丈夫なのか?」
「イルカは魔法で海流を起こして群れを加速するんだ。人間の船があると、シャチなんかが近寄ってこないから一緒に海流に乗せてくれることもある。今みたいにね」
「ほー……魚のくせに賢いんだな」
「イルカは魚じゃないよ。動物だよ」
どや顔で語るティナに、俺は苦笑して返す。
あの夜のことは、お互いに秘密にすると決めた。そうするしかなかった。
あの夜、ティナへの気持ちを止められなかった俺にすべての責任がある。
だが、それをリズに言い出せないままここまで来てしまった。
自己嫌悪のまま、俺は海を見つめる。
「勇者殿、悩み事かね?」
「まあね」
生返事をしながら、この黒騎士ならいい相談相手になるのではないかとふと考える。
しかし、相談できる類のことではないと思い直して、水平線に視線をもどした。
「いろいろあるのさ、ヨシュアにもね」
「勇者殿は若い。しっかり悩むといい。答えに至ろうとも、後悔はいつも付きまとう」
「おいおい、後悔のない選択肢はないのか?」
俺のぼやきに、黒騎士が小さく肩を揺らす。
「若者らしい考え方だ。あるいはそれもあるかもしれない。それをつかもうと思えば、きっと命を懸けた覚悟が必要となるだろうな」
「命を?」
「そうだ。結局のところ、それは死の間際にしか結果はわからない。己の魂が風にさらわれる瞬間に振り返ったとき、満足できるかどうかだろう?」
浮気相談の答えにしては、あまりに上等すぎる。
だが、言わんとすることはわかる。
「あんたは、どうなんだ?」
この旅でもたびたび死線を潜り抜けてきた黒騎士アシュレイは、何を思ったのか興味がわいた。
「私は……後悔しないさ」
「嘘つきだね、アシュレイは」
黒騎士の言葉に答えたのは、俺でなくティナだった。
「嘘じゃないとも。名残惜しくはあるがね。後悔をする権利も、私にはない」
「そんな悲しいことを言わないでよ、アシュレイ」
「なのです」
気が付けば、仲間たちが集まってきていた。
「おっと、失言だったかな?」
らしくない様子でおどけて見せる様子の黒騎士に、仲間たちが苦笑する。
「この旅が終わったときに、君に後悔なんてさせないよ」
「きっと、もっと名残惜しくなるのです」
「風になっても忘れられないくらいにね」
仲間たちが、アシュレイに笑う。
黒騎士の表情は鉄仮面でわからないが、小さくうなずいた。
「ありがたい話だ。美しい若者に囲まれて死ぬのはきっと名残惜しいだろうな。私が風になったらまた『風の神殿』にくるといい。恨み言を聞かせるよ」
上機嫌な様子でそう告げた黒騎士が、俺の肩をたたく。
「悩みがあるなら彼女らに相談するといい。若者の悩みは、若者でないと解決できないものさ」
それだけ言うと、黒騎士はこの場を離れて行ってしまった。
「ガキ扱いかよ……」
「それで? ヨシュ兄の悩みって何なのです? リズに教えるのです」
「わたしも聞いてみたいわ。最近、ヨシュアったらわたしのことを避けるんですもの」
幼馴染と恋人に詰められる俺を見て、ティナが小さく笑う。
他人事じゃないんだぞ、ティナ。
「ま、待ってくれよ。相談できないから悩んでるんだ。それにナーシャ、俺は別に避けてないぞ!」
「そう? 昔はもっとわたしを見てくれてた気がするんだけどなー」
不審の目で見るナーシャに俺は、一歩下がろうとして下がれないことに気付く。
しくじった。アシュレイのやつめ、うまく逃げ切ったものだ。
まさか、あの会話の間に立ち位置をコントロールされているなんて。
「さぁ、キリキリ吐くのです!」
「話してくれるまで逃がさないもんね」
詰め寄る二人にたじたじとなりながら、俺はどうしたものかと考える。
さっきのアシュレイの言葉が、心に引っかかってしまうのだ。
例えば、この次の瞬間……俺が死ぬとして、俺は後悔なく逝けるだろうか?
リズに黙ったままで?
ナーシャのことをはっきりさせないままで?
ティナに秘密を抱えさせたままで?
相談したつもりはないが、アシュレイの答えは俺の悩みを増やす結果となってしまった。
「ほらほら、ヨシュアが困ってるよ」
「む、ティナ姉はヨシュ兄の悩みを知っているのです?」
「そういえば、いつもは首を突っ込んでくるのに……」
止めに入ったティナに、矛先が向く。
「さて、どうかな?」
「これは怪しいのです!」
びしりと指さすリズにするりとティナが近寄って、耳元で何かしらささやく。
その瞬間、リズの耳と尻尾がふにゃりとなって、目が見開かれる。
「にゃ、ん……だ、と……」
「ナーシャもおいで。ポートセルムにつくまでまだ一晩ある。ちょっと女子会をしようじゃないか」
「? いいけど、急にどうしたの? ヨシュアの悩みは?」
小さく首をかしげるナーシャにティナがにこりと笑う。
「リズが教えてくれるよ」
「え? そうなの? え?」
ティナに連れられるようにして、二人が船室に消える。
さて、何なのかよくわからないが、俺の危機は去ったようだ。
ただ、悩みはやはり残る。
水平線に視線を戻して俺は再びため息をついた。
それと同時に、アシュレイの言葉を脳裏で反芻させる。
後悔する権利もないとは、どういうことなのだろうか。
悩みと疑問を伴ったため息は、水平線に吸い込まれていった。
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