第24話 月光のティナ


「終わったようだな、勇者殿」


 麓への階段を下りきると、黒騎士がそこに静かにたたずんでいた。

 その姿はいつもよりもずっと存在感があり……今しがた俺にもたらされた覚悟や決意を共有しているような錯覚すら覚える。


「ああ。いよいよ『光の神殿』に向かうことになる。案内はしてくれるのか? アシュレイ」

「いいとも。明日にでもファルゲンへ向かおう」

「……!」


 こともなげに放たれた黒騎士の言葉に、俺は小さく反応してしまう。

 それを目ざとく見つけたアシュレイが小さく肩をすくめる。


「アシュレイ、あんた……何者なんだ?」

「それを聞くのも久しぶりだ。そうだな、勇者殿が無事に『光の神殿』に至ったとき、この兜を脱ぐと誓おう」

「信じていいんだよな?」

「これまでの旅で証明してきたつもりだ」


 鉄仮面の奥から見つめられ、俺はこの試練の旅路を回想する。

 そうだとも。この英雄気質の黒騎士は俺以上に誰かのために戦ってきた。

 もし、『光の神殿』でこの男に聖剣が下賜されてもおかしくないと思えるほどに。


「そうだな。すまない、アシュレイ。その時は全部話してくれ」

「いいとも。約束する」


 うなずく黒騎士に、苦笑を返して俺たちは集落の通りを歩く。

 『風の神殿』のうわさが広がってるのか、集落の人通りはまばらだ。


「ところで、ファルゲンっていうと『鷹の平野』にある廃墟だよね? どうしてあんな場所に『光の神殿』があるんだい?」

「正確にはファルゲンにあるんじゃないけど、あの場所からしか行けないんだ」

「ふうん……」

「行ってからのお楽しみだ」


 俺とて断片的な記憶を流し込まれただけだ。

 実際に体験したわけではない。

 後方をあるく黒騎士はどうかわからないが。


「ファルゲンに向かうなら、また船旅かー……」


 ティナが少しばかり苦い顔をしながら肩を落とす。

 廃墟都市ファルゲンが存在する『鷹の平野』はここから海を越えた東の先。

 ポートセルムに戻って陸路で行くこともできるが、かなり遠回りになる。

 最も効率的な移動方法は、ポートセルムから海路で東に向かうことだ。


 だが、先日の嵐の記憶のせいで、どうも前向きになれない。

 それはきっと、俺だけではないだろう。


「ねえ、アシュレイ。陸路を行くんじゃだめかな?」

「……勇者殿の判断に任せよう。私は陸路でも構わない」


 珍しいこともあるものだ。

 さすがの黒騎士もあの嵐に会えば慎重にもなるか。


「ナーシャとリズはどうだ?」

「リズも陸路がいいのです」

「わたしもまた船は少し嫌かも」


 こうなれば、全員一致といえるだろう。

 俺としても先を急ぎたい気持ちはあるが、また嵐に見舞われることを考えれば確実に陸路を進んだほうがいいと思える。


「じゃあ、陸路ってことで。まずは明日、定期便でポートセルムへ戻ろう」

「了解した。では、私は部屋でルートの検討に入るとする」


 宿に到着するなり、黒騎士が隣を通り過ぎていく。

 これからささやかながら四神殿到達のお祝いをする予定だったのだが。

 呼び止めようとする俺の隣をリズがすり抜けて、アシュレイの裾をつまむ。


「待つのです、アシュレイ」

「どうしたね」

「これからお祝いをするのです。同席するのです」

「いや、私は……」

「四の五の言わずに来るのです」

「わかったよ、リズ」


 黒騎士の優し気な言葉に、そしてそんな黒騎士に笑顔を向けるリズに、少しばかり鳴りを潜めていた嫉妬心がするりと湧きあがる。

 アシュレイがリズにどこか甘いのは、旅の時々で見受けられたがあの時とは状況が違う。

 リズは、俺の恋人なのだ。


「わかればいいのです。さぁ、ヨシュ兄。行くのです!」

「あ、ああ。みんな、行こうか」

「ボク、甘いお酒が飲みたい」

「わたしも。なんだか気疲れしちゃった。風の試練って……少し性格が悪いわ」


 そう言えば、俺が歴代勇者と謎の男の声に導かれている間、みんなは誰かに会えたのだろうか?

 少し聞いてみたい。俺は、父には会えなかったから。


 リズに手を引かれるまま、俺はまだ日の高い集落を酒場に向かって歩き出した。



「う──……」


 夜半、尿意で目が覚めた俺は小さな頭痛とふらつきを覚えながら身を起こす。

 いささか飲みすぎたようだ。

 窓から見える月は中天からやや傾いているものの、まだ日の出までは時間がありそうだ。

 静まり返った宿の中を通り抜けて厠へと向かう。

勇者として強化された俺の視覚は、夜闇の中でも何の問題もない。


 みんなはまだ眠っているのだろうか、などとぼんやり考えながら厠に入り、用を足した俺は、帰り際に人影を発見する。

 階段そばに設置された小さな歓談エリア。ソファと小さなテーブルだけが置かれたその場所に、見知った顔が一人、月明かりに照らされてポツンと座り込んでいた。


「ティナ?」

「……わ、びっくりした。こんばんは、ヨシュア」

「どうしたんだ? こんなところで?」


 向かいのソファに腰を下ろし、ティナを見る。

 薄手のシュミーズから素肌のままの細い脚が露になっていて、どこか煽情的だ。

 かすかにティナから『女』の気配を感じ取って、目をそらす。

 友人に抱いてはいけない感情が呼び起こされそうだ。

 そんな俺を見てか、ティナが小さく噴き出す。


「君ってやつは、いつまでたっても初心だね」

「そうでもないさ」


 実際、リズを──女を知ったことによって敏感になってしまった部分もある。

 今のティナが、妙に女の雰囲気をまとっていることが、わかってしまう。

 もしかすると、俺の知らないどこかで男を知ったのかもしれない。


「……」


 そこまで考えて、ふと思い浮かぶのはアシュレイだ。

 ジャルマダで否定されて以来、ティナとアシュレイの間柄については深く考えてこなかったが、ウィズコで長く一緒にいたということはそういうことがあってもおかしくはない。

 こんな風にティナに女の顔をさせてしまう誰かが、あの黒騎士だっておかしくはないのだ。


 たとえ恋人でなくとも、愛を語らうことはできる。


「それで? どうしたんだ?」

「少し考え事をね」

「好いた男のことか?」


 俺の言葉に、伏し目がちだったティナの視線がこちらを向く。

 その顔は驚いたような、どこかばつが悪いような複雑な表情だった。


「当たらずも遠からず、かな。ボクはね……君が好きだよ」


 ティナの突然の告白に、どきりとする。

 あまりにもその表情が儚げで優しかったから。


「ふふふ、言っちゃった。本当は旅の終わりまで黙っているつもりだったんだけど」

「俺は……」

「おっと、答えは結構。君を困らせるつもりなんてないんだ。でもね、言わずに後悔したバカな女を、ボクは知っている。そいつはさ、最後まで好きな男のことを想いながらとても残酷なことをしたんだ」


 誰の話だろう。

 ティナのことだから流行りの劇の話とかではないと思うけど。

 もしかすると、『風の試練』のさなかで、その誰かに再会でもしたのだろうか。

 少し考える風にしていたティナが身を乗り出す。

 ゆるいシュミーズの隙間から双丘が覗き、俺は目をそらす。


「ね、ヨシュア。キスしてもいい?」

「それは、まずい」

「誰も見てないよ。リズもね」

「知って──……」


 驚いてティナに向いた俺の唇に、柔らかく甘い感覚が触れる。

 そのままテーブルを超えてきたティナを受け止めて、俺はティナとキスを触れ合わせたまま抱き合った。

 薄布一つに遮られただけの柔らかな重みと体温が、強張った俺の体に広がっていく。


「ティナ……?」

「ふふ、この浮気者め」


 潤んだ女の顔で、すっかり言い訳できないことになった『俺』に触れて、ティナが耳元でささやいた。


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