第6話 ティナの抱擁
「はあ、気が重いよ」
馬車に揺られながら、ティナがうなだれる。
現在、俺たちは東の国境に向かって、移動をしている最中だ。
『土の試練』突破から三日。十分な休息をとった俺たちは、次なる試練の舞台となる『水の神殿』を要する、水の都ウィズコへと向かうこととなった。
「久しぶりの故郷でしょ?」
「それはそうだけど、もうずっと戻ってないんだ。父上だってボクのことなんか忘れてるかも」
そういいながら、ティナが特大のため息を吐き出す。
両親たちとの折り合いがうまくいっていないとは聞いていたが、これほど気をもむとは思わなかった。
……いや、俺も人のことは言えないか。
あの日の夜のことを、俺は誰にも言えずにいるのだ。
ナーシャとアシュレイ、どちらかに聞いてしまえばすっきりとするかもしれないのに、どうしても真実を確かめる勇気が持てず、ただただモヤモヤとしている。
とはいえ、それを顔に出すほど愚かでもないが。
自分の悩みから意識をそらすべく、俺は軽く笑ってティナの肩をたたく。
「きっと大丈夫だよ。娘のことを忘れる親なんていやしないさ」
「ヨシュア、それは楽観的すぎるよ。でも、いいか……『ウィズコ』に行けば君もわかるさ。あの町がどんなにへんちくりんなのかはね」
再度ため息を吐き出しながら、ティナが苦笑する。
少しは元気が出たようだが、行けばわかるとは穏やかではない。
「ウィズコは一般的な価値観と隔絶された都市だ。我々はあまり歓迎されないだろうな」
御者台で黙ってやり取りを聞いていたアシュレイが、前を向いたまま話に加わる。
「そうなのです?」
「ああ。あそこは魔法使いしか住まないところなんだ。魔法使いでないのは、労働奴隷くらいだよ」
「にゅにゅ! リズは入れないのです?」
「旅行者や商人は別さ。だが、我々は『水の試練』に挑まなくてはならない。ウィズコの中枢に入る必要がある。おそらく、一筋縄ではいかないだろう」
アシュレイの話を聞きながら、用意された資料に目を落とす。
『水の神殿』はウィズコの中心部、『知恵の院』の地下にあるらしい。
魔法使いたちは古の神殿を研究し、解析し……そして、利用するすべを得た。
つまり、ウィズコの都市機能の中枢となっているのだ、『水の神殿』は。
いくら俺が勇者だからといっても、そんな場所に他国の人間をやすやすと招くわけもなく、試練を受けるのはかなり難航するだろうと記載されている。
「王に書簡を頼んであるし、ウィズコの評議会も魔王の危険性は理解しているはずだ。スムーズにいくことを願おう」
「いざとなれば、ボクがお父様に頼んでみるよ」
「なに、私にも少しばかりあてがある。まずはそちらを当ってみるよ」
馬車を走らせながら、黒騎士が軽い様子で告げる。
ラバーナに向かっていた時と何も変わらない様子。ナーシャに特別声をかけるわけでもなく、俺に何かあてつける様子もなく、ただの案内人然とした振る舞い。
やはり、勘違いだったのかもしれない。
あの日以降、二人をそれとなく観察していたが以前と変わった様子はなかった。
ナーシャがアシュレイについて何か知っているのは確かだ。
だが、それについて彼女は詳細に話すつもりはないらしい。
アシュレイは『神眼鑑定』も『過去視』も抵抗なく受け入れ、そこに悪意や敵意は存在しないという結果だけが、俺たちに伝えられた。
俺は食い下がったが、「わたしの力は、知られたくない過去を暴くためにあるんじゃないのよ」と言われてしまえば引き下がるしかなかった。
そして、素性や過去を知ってしまったが故に、ナーシャは黒騎士に気をかけるのだろう。
それが秘密の共有のように見えて、俺はそれに嫉妬しているのかもしれない。
好意をいまだ伝えきれない幼馴染が俺だけを見てくれないという幼稚な自意識が、神経質に高ぶって、心をさいなんでいるのだ。
「そろそろ今日の野営地だ。すまないがそろそろ野宿の準備を始めてくれ」
モヤモヤと加速する俺の思考は、皮肉にも黒騎士の声で途切れることなった。
◆
「ね、ヨシュア。いったいどうしたんだい?」
夕食後、野営地そばの小川で顔を洗う俺の背後から、ティナが声をかけてきた。
「どう、とは?」
「君ったら、らしくないよ。ずっと考え込んだりしてさ」
ティナの言葉に、ぎくりとする。
うまく隠しているつもりで、その実、ティナにはばれていたらしい。
「俺にだって悩み事くらいあるよ」
「勇者に選定された時よりずっと深刻そうな顔をしてるように見えるけど?」
「……」
隣に座り込むティナに、俺は黙り込む。
彼女も、幼馴染の一人なのだ。さすがにごまかすにも限界があるか。
「ナーシャがさ……」
「アシュレイと仲良くしているのが気に入らない、と」
「な……っ」
「何年の付き合いだと思ってるんだい? とっくに知ってるよ」
驚いた俺の肩を優しくなでるティナ。
月明かりに照らされた髪がさらりと輝く。
「心配なんだ」
「わかるよ。君たちはずっと一緒だったものね」
「ティナも同じだろ」
「そうだね」
俺の返答に、ティナが困ったように笑う。
「それで、何があったのさ? ディルがいないんじゃ、君の悩みを聞くのはボクの役目だよ」
「……そうだな。じゃあ、話半分に聞いてくれ」
隣に腰を下ろしたティナに、あの夜のことを俺はぽつりぽつりと話す。
思い出しただけで胸がざわつく記憶を、ティナは時々「それで?」「そうなんだね」と相槌をうちながら、辛抱強く聞いてくれた。
「どうだい、少しはすっきりしたかな?」
話終わったとき、俺の心はすっかり整理されて、もやもやとしたものはなりを潜めていた。
「ああ。助かったよ」
「いいさ。ボクと君の仲だろ?」
そう笑って、ティナが俺の頭を抱いて小さくハグする。
らしくない彼女の行動に、俺は驚いて固まる。
「ティナ?」
「こら、動かないで」
柔らかな感触とティナの匂いに包まれて、俺は体を脱力させる。
「一人じゃないんだ、ボクがいるよ。困ったら、何だって相談して」
「……ありがとう、ティナ」
「素直でよろしい。さ、もどろうか?」
解かれた抱擁を少し名残惜しいなどと甘ったれたことを考えつつも、俺はうなずく。
あまり長らく席を外せば、何かトラブルかと思われるかもしれない。
抱えていたトラブルは今しがた決着がついたのだから、みんなの元に戻ろう。
「ほらほら、急いで!」
どこか上機嫌なティナに促されて、俺はその背中を追った。
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