第5話 逃走の夜

 その日のうちにバルバロ大洞穴から戻った俺達は、ラバーナの町のレストランでささやかな祝宴をあげた。


「おめでとう、ヨシュア」

「ありがとう、ナーシャ」


 喜色満面で俺の杯に檸檬酒を注ぐナーシャに、思わず顔がほころぶ。


「しかし、結局試練とは何だったんだい……?」

「なのです。魔物と戦ったのも、アシュレイさんだけなのです」


 首をティナとリズに、黒騎士が答える。


「バルバロ大洞穴の最奥に辿り着くことこそが、試練なのだよ。かの洞穴は広く深淵だ。道を違えれば、魔物の巣にもいきつく」

「そうなのです?」

「ああ。私が初めて入ったときには、随分と苦労したよ」


 この祝宴の時にすら鉄仮面を外さぬアシュレイの声は、どこか懐かし気だ。

 酒の一杯でも嗜めばいいのに、と思うのだが、本人が固辞するので無理にはすすめない。


「なら、今回の成功はアシュレイさんのおかげですね」

「確かに……あの黄水晶の事だって文献すらなかったもんね」

「お役に立てて何よりだよ」


 鉄仮面で見えぬ表情のまま、アシュレイが頷く。

 そんな黒騎士の袖を、リズが小さく引いて首をかしげる。


「ね、アシュレイ。あなたっていったい何者なのです?」

「……!」


 酔った勢いか、いきなり核心に踏み込むリズ。

 その様子に、俺も、ナーシャも思わず固まる。

 そこに踏み込んではいけない、という雰囲気を黒騎士はずっと醸し出していたからだ。


 だが、黒騎士の対応は、思ったよりも柔らかなものだった。


「私か……? そうだな、リズは何者に見える?」

「質問を質問で返すのは、よくないのです!」

「これは手厳しい」


 鉄仮面の裏で軽く笑ったらしいアシュレイが、愉快気に肩を揺らす。


「いずれ、明かすときがくる。だが、今はまだその時ではない」

「何故なのです?」

「それも含めて、まだ明かせないんだ。ただ、私は君達を裏切らないと誓うし、必ず目的地まで案内してみせる」


 そう告げて、黒騎士が拳を軽く突き出す。

 ふわりと笑ったリズが、それに拳を合わせた。

 冒険者界隈では親しい者同士がする、握手のような所作であるらしいとリズから聞いた事がある。


「信用するのです!」

「ありがとう、リズ」


 仲間同士の絆を深める、どこか微笑まし気なやり取り。

 ただ、隣に座るナーシャがどこかそれをどこか寂しげな様子で見ているのが、少し気になった。


◆ 


 祝宴はしばらく続き、十分に飲み食いを堪能した俺達は宿へと戻った。

 成功のあと、気分はいい……はずなのだが。


「……」


 割り当てられた宿の部屋、安っぽいベッドの上で俺はグルグルとした思考を持て余していた。

 勇者がこなすべき『土の試練』そのものは、何の問題もなく完遂できた。

 アシュレイが少しばかりのけがを負ったが、大きな損耗はなく、ほぼスムーズといえるだろう。

 しかし、ナーシャの態度然り、アシュレイの巨竜討伐然り、どうにも俺が蚊帳の外に置かれている様で、美味く感情を処理しきれない。


 何より、あの男に守られ、導かれながらのうのうと旅をする自分が、情けなかった。


 自分自身の子供っぽさが嫌になる。

 いや、勝手に高まらせた鬱憤をあのようにぶつけてしまうのだから、子供っぽいというより子供そのものだ。


「あああ……」


 頭を抱え、ベッドの上を転がる。

 自分がこうも女々しく、情けない男だと自覚できてしまうとただただ恥ずかしい。

 本来、王の推薦で旅の案内を務める先輩騎士というだけでも敬意を払わなくてはいけないはずなのに、俺の態度といったらなんだ。

 勇者の刻印が現れたからといって、俺自身が偉くなったわけではないよいうのに……少しばかり、増長しているのではないか?


 まとまらない思考を深呼吸で落ち着かせ、ベッドから起き上がる。

 何にせよ、まずは謝罪だ。

 勇者どうこうよりも、まずは人としてしっかりせねば。


 あの黒騎士に張り合うにしても、あんな張り合い方ではだめだ。

 実力で、あるいは実績で以て示さなくては、ただの愚か者になってしまう。

 そんな人間が、勇者として魔王に対することなどできやしない。


 意を決して廊下に向かい、アシュレイの部屋へ向かって歩く。

 彼の部屋は廊下の一番奥だ。


 一歩一歩、自分が緊張するのがわかる。

 元見習騎士であれば、先輩騎士への謝罪など慣れたことのはずなのに、こうにも気が重い。

 おかげで、まるで忍び足をしているかのような歩き方になってしまった。


「……っ……ぁ」


 黒騎士の部屋の前まで来た俺の耳に、小さな声が届く。

 部屋の中からだ。

 ぎくりとして、耳を澄ませる。


 荒い息遣い、ベッドのきしむ音、そして押し殺すような女性の声。

 閉じられた扉の向こうから、それらが微かに漏れている。

 それと同時に、鼓動が早くなって体が冷たくなるのを感じた。


 扉の向こうから漏れいずるのは、ナーシャの声。


 聞き間違えるはずはない。

 それがたとえ、俺が聞いたことがない様な……甘い声であっても。


(なんだ、なんなんだ? 何が起こってる? 嘘だろ? そんな……ナーシャが、どうして?)


 混乱する頭に対して、体は冷静だった。

 『土の試練』で肉体の力を得たおかげだろうか、ここに来た時よりも慎重に足音を消しながら、俺は廊下を戻る。

 息すらも殺して、ゆっくりと廊下を無音で戻り、俺の部屋の隣にあるナーシャの部屋へ向かった。


 もしかすると、勘違いかもしれないじゃないか。

 アシュレイが商売女を部屋に連れ込んでいるかもしれないし、その女の声がナーシャに似ているだけってこともある。


「ナーシャ……?」


 希望を込めて、おそるおそる扉を開ける。

 小さく開いた扉の先、部屋の中に……彼女の姿は、なかった。

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