最終話 ふたりの夏祭り

 彼らの耳に花火の音が聞こえてきたのは、加村優の自宅から、少し離れた閑静な住宅地の中だった。

「どうやら、夏祭りの準備が進んでいるみたいだ」

 ボソっと呟く松葉芽衣(中身は優)の隣で、加村優(中身は芽衣)は思い出したように、両手を合わせた。

「そういえば、松葉さんと一緒に夏祭りに行く約束してたっけ? ごめん。すっかり忘れてたよ」

「はぁ。忘れないでよ!」

 呆れ顔になった芽衣の前で、優が苦笑いする。その直後、芽衣のショルダーバッグの中でスマホが震えた。

 素肌に触れたバッグから振動を感じ取った芽衣は、バッグから自分のスマホを取り出し、画面を覗き込む。


 それに目を通した芽衣は、優に画面を見せた。

「白石さんからメッセ来たよ。知り合いの人が今晩の夏祭りにスーパーボール掬いの出店を出すから、そこに来てだってさ」

「スーパーボール掬い?」

「うん。一軒しか出してないから、すぐにどの出店かは分かりやすいはずだって。そこの提灯の中にあの明かりを仕込んでもらうみたい」

「ああ、あのオジサン、白石さんの知り合いだったんだな」

 芽衣の声で優が思い出したように呟いた。一方で、優の姿になった芽衣は目を丸くする。

「えっ? 知り合いなの?」

「特に知り合いってわけじゃないけど、毎年、夏祭りにスーパーボール掬いの出店を出すオジサンがいるんだよ。多分、あのオジサンの店だと思う」

「そうなんだ。ところで、何着て行くつもりなのかな?」

 怖い顔になった優と対面した芽衣が身を震わせる。

「浴衣は着ないよ」

「そうなんだ。良かった。着てほしくなかったんだよね。浴衣」


「えっ!」

 背後から驚きの少女の声が聞こえ、二人は目を見開きながら、振り返る。

 その先にいたのは、水色のワンピースにっ身を包んだ川原日和姫だった。

 顔を青くした日和姫は、なぜか身を小刻みに震わせている。

「えっと、日和姫。どうかしたか?」

 芽衣が優の声で心配そうに尋ねると、日和姫は表情を暗くした。

「さっきのって、浴衣姿の女の子に興味ないってこと? 最悪。優に浴衣姿を見せつけたくて、お小遣い前借して、浴衣を借りちゃったわ。今晩の夏祭り着ていくつもりだったのに!」


「ごめんな」と優の姿の芽衣が、頭を下げる。

「まあ、いいけど。レンタル料もったいないから、予定通り、浴衣に着替えて夏祭りに行くよ。そして、後悔させてあげる。浴衣を着てほしくないっていう発言をしてしまったことを!」

 幼馴染に対して、日和姫がビシっと右手の人差し指を立てた。

 そのあとで日和姫は、チラリと芽衣の顔を見る。

「松葉さん。知らなったよ。あのオジサンがあなたの地元の夏祭りでも、スーパーボール掬いの出店を出してたなんてさ。県外の夏祭りにも店を出さないと、儲からないのかな? 夏祭りの出店って」

「たっ、多分そうなんだろうね」

 芽衣の姿の優は苦笑いした。


 

 夕焼け空が暗くなっていく中で、四人の高校生たちが石の鳥居を潜った。左右には、多くの出店が立ち並んでいる。

 そんな中で、青い半そでTシャツにジーンズ姿の福坂徳郎は、右手で握っていたスマホの画面を覗き込んだ。そんな彼は、黒いリュックサックを背負っている。

「花火まで七十五分かぁ。まだ、時間ありそうだな」

「そうだね。じゃあ、適当に出店でも見ちゃおうかな?」

 徳郎の左隣にいた朝顔をモチーフにした浴衣姿の河原日和姫が、頬を赤く染めて、加村優の顔を見た。一方で、優は真顔で首を縦に動かした。

「ああ、そうだな」


「それはそうと、優。どう? この浴衣。っかわいいと思わない?」

 両手を広げながら、グイグイと日和姫が困った顔の優との距離を詰める。

「……ノーコメントで!」

「ノーコメントって、何か言うことあるでしょ? ああ、そっか。言いたくても言えないんだね。浴衣姿の女の子に興味ないって言ってたから。あの発言は忘れるから、素直にかわいいって言ってもいいんだよ?」

 そんな二人の間に、芽衣が割って入る。

「まあまあ、この辺にしといて!」

「うーん。じゃあ、優、行こうよ。あっちの方から、焼きそばのいい匂いが!」

 日和姫が目を輝かせて、右奥を指さした。


 その直後、徳郎が一回咳払いして、両手を合わせた。

「悪い。そろそろ花火会場に行った方がよさそうだ。俺と日和姫は、先に行って花火が見えやすい席を確保しとくから、お前らは買い出し担当な。これでテキトーに出店でなんか買ってこい!」

 徳郎がジーンズのポケットから、千円札を一枚取り出して、優の右手に強引につかませた。一方で、不満そうな顔になった日和姫が、頬を膨らませる。

「徳郎。勝手に巻き込まないでよ! 私だって、優と出店見て回りたいんだかららね!」

 怒った顔の幼馴染の前で、徳郎は両手を左右に振った。

「日和姫。それは、花火大会終わってからも悪くないだろう。花火を見終わってから、四人で出店を見て回るつもりだ」

「まあ、それならいいよ」と納得した日和姫と共に、徳郎が目の前にある人混みの中に消えていく。

 そうして、ふたりきりになると、優の姿の芽衣がホッとしたような顔になった。

「良かった。これでふたりきりだね」

 芽衣が近くにいるホントの自分の顔をジッと見つめた。同時に視線を重ねた優が芽衣の声で呟く。

「ああ。そうだな。これで時間も気にしなくて、大丈夫そうだ」

「じゃあ、早く探さないとね」


「何を探すの?」

 背後から疑問の声が聞こえ、ふたりはハッとして、後ろに視線を向けた。

 そこには、スーツ姿の杠叶彩の姿がある。

「なんでここに杠先生が!」と驚く芽衣たちの姿を見て、杠叶彩はクスっと笑う。

「夏祭りの見回りです。このお祭りに芽衣ちゃんたちも来るんじゃないかって、思ったからね。大学の同期の高校教師のお手伝いという建前で、見回りをしていました! ところで、ふたりだけみたいだね?」

「はい。花火大会の席を確保してるこっちの友達の頼みで、買い出しをしているところです」

 優(中身は芽衣)の説明を聞いた叶彩が頬を緩める。

「なるほど。買い出しという建前の夏祭りデートだ。それで、芽衣ちゃん。何を探すの?」

 一瞬の沈黙のあと、芽衣の姿の優が頷いた。

「もちろん、美味しい焼きそばの出店だよ。買い出し頼まれてるから、美味しいお店を探さないとねって」

「そうなんだ。じゃあね。おふたりさん」

 楪叶彩が右手を振り、ふたりに追い越し、歩き出す。


 それから、ふたりは、人混みの中に加わり、キョロキョロと周囲を見渡しながら、歩みを進めた。すると、数十メートル歩いた先で、優が芽衣の右手を掴み、引っ張る。

「あったよ。スーパーボール掬いの出店!」

 雑踏の中で、囁くような少年の声を聴いた、芽衣は目を見開く。

 手を繋ぎ、人混みを抜け、問題の出店の前でふたりは立ち止まった。

 赤い提灯がぶら下がっている問題の出店には、多くの子供たちが集まっている。

 しばらくすると、あの日のように、加村優のズボンのポケットの中で、ブレスレットが白く光を放ち始めた。

 ポケットから、ブレスレットを取り出し眺めた優は、左手にそれを持ち直して、右手で隣にいる彼女と手を繋いだ。

「ねぇ。この近くで人気のないところってない? 早くしないと……」

「それなら、あっちの奥に林がある」

 そう言いながら、芽衣の姿の優は少年の手を引っ張り、出店のあるスペースから離れ、左奥に見える雑木林の中へ駆け込んだ。


 人気のなく、薄暗い林の中。その中で模様の浮かび上がったブレスレットを、少年は両手で握りしめた。

 彼と向き合うように立った圧倒的美少女は、首を縦に動かす。

「松葉さん」

 正面から自分の名前を呼ぶホントの声を耳にした松葉芽衣は、瞳を閉じて、あの日呟いた言葉を口にした。

「家の鍵」

 

 その瞬間、ブレスレットが強い光を放った。

 それを浴びた優と芽衣の目が眩み、二人の視界が真っ白に染められていく。




 

 雑木林の中で、加村優は瞳を開けた。少年の前には、松葉芽衣がいる。

「ホントに戻った……のか?」

 少年の喉から飛び出したのは、ホントの自分の声。まさかと思い、優は目をパチクリとさせる。

「そうだね。良かった」

 安堵した芽衣と顔を合わせた優が深く息を吐き出す。

「じゃあ、そろそろ戻るか。早く、頼まれたのを買わないと……」

「あっ、ちょっと待って」

 背を向けた少年を、少女が呼び止める。少年が振り向き、再び向き合うようにして立つ、彼女は頬を赤くした。

「一番近くであなたのことを見てきて、分かったことがあるの。あなたは悪い人じゃないって。だから、今度カラオケ行こうよ。もちろんふたりきりでね」

 見つめてくる芽衣の言葉に優は息を飲み込んだ。それから、少し遅れて衝撃を受けた優が、驚きの声を出す。


「マッ、マジか! それってカラオケデート?」


「勘違いしないで。加村優として1か月以上、生きてきたから愛着が湧いただけだから! 初めてふたりで行ったカラオケボックスで歌ってみたいし、一緒に公園でバードウォッチングもしてみたい。他にもやりたいことがいっぱいあるの!」


「ちょっと待ってくれ。まだ心の準備が……」

 真っ赤な顔で慌てる少年の前で、少女は真剣な表情になる。


「元に戻っても、私はあなたから離れたくない」


 その直後、優の右手で握っていたブレスレットが白く光り始める。

 異変に気が付いた優は目を見開く。

「おい、待て。ウソだろ!」

 少年の叫びが虚しく響き、ふたりの姿は、白い光に包まれた。







 加村優は目をパチクリとさせた。正面に見えたのは、ため息を吐き出す加村優の姿。

「はぁ。せっかく元に戻れたかもって、思ったのに。一瞬だけだったみたいだね。

 細い手を持ち上げた少女の顔が青くなる。

「信じられない」

「あれが偽物の光だったからなのか。それとも、別の呪文を唱えないと元に戻れないのかは、分からないけどね。いずれにしろ、まだこの生活が続くってことみたい。あのブレスレットの模様も消えたし、今日は無理だね」

 肩を落とす優の姿の芽衣は、右手に持っていたブレスレットを、芽衣に見せた。

 模様が消えたブレスレットを目にした、優が、悔しそうな顔になる。

「じゃあ、そろそろ戻るか。早く、頼まれたのを買わないと……」

「そうだな。それで、さっきの話だけど、いつ行くんだ? カラオケ」


優が芽衣の声で疑問を投げかけると、優の姿の芽衣が視線を逸らす。

「さぁ、少なくとも私は、その声で加村優が好きな歌を歌ってほしくないから」

 そのまま、右手でズボンのポケットに例のブレスレットを仕舞い、加村優になった松葉芽衣が手を放す。

 



「元に戻っても、私はあなたから離れたくない」


 加村優の姿になった松葉芽衣は、思考を巡らせた。

 なんで、こんなことを言ってしまったのだろう。


 加村優のことを好きになっている?


 そんな疑念を少年の胸に抱えた芽衣は、本当の自分の姿の優と共に騒がしい笛の音が響く神社へと戻るため、一緒に歩き出した。

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