第8話 想いを叫ぶ

「本日未明、東京湾で船に乗せられた男性の遺体が発見されました。警視庁は遺体の身元を東京都在住の禿野豊はげのゆたかさん、43歳と断定。禿野さんは、指定暴力団流星会の幹部とされていて、警視庁組織犯罪対策課は暴力団による抗争で殺害されたとみて捜査をしています。次のニュースです。来月開催される東京環境サミット……」


 福坂徳郎と榎丸一穂から離れていった松葉芽衣は、路上に立ち止まり、加村優の隣でスマホを取り出し、動画サイトにアップされていたニュース映像を目にした。

 そこに映し出されているのは、本日未明に殺害されたという暴力団員幹部らしき男。その顔はあの時、あのブレスレットを落としていったあの男と同じ。


「あのあとすぐに殺されてたみたいだな」

 芽衣の顔をした優が元の自分の体との距離を詰め、芽衣が手にしているスマホを覗き込む。

「はぁ」と息を吐き出す優の青い顔を芽衣がジッと見つめた。

「大丈夫? 今日は帰った方がいいと思うんだが……」

「……そうするつもり。じゃあね。さん」

 優の顔で無理をして笑顔を作った松葉芽衣が右手を左右に振る。

 不安が宿った自分の顔を向き合った優は、自分に背を向けた芽衣を呼び止めた。

「ちょっと……」と優が芽衣の口で言いかける声を無視して、加村優の背中が松葉芽衣の元から遠ざかっていく。



 

 それから、すぐに松葉芽衣の自宅に戻った加村優はリビングのソファーに座り、スマホを握り締めながら、溜息を吐き出した。

 壁にかけれた時計が午後4時を指し、ボーっと垂れ流されているテレビに視線を向ける優の頭には、不安そうな自分の顔が浮かび上がっていた。

「やっぱり、独りにして良かったのか? あのままどこかに遊びに行って、気を紛らわせた方が良かったのかもしれない。でも、無理して楽しそうに過ごしても、つまらない。ああ、なんで、あの時、気の利いたことが言えなかったんだ!」

 誰もいないリビングの中で考えていることを吐き出した瞬間、加村優のスマホが振動を始めた。

 画面に視線を向けた芽衣の目に、松葉芽衣という文字が映し出される。


 慌てて着信ボタンをタッチすると、芽衣の耳に優の声が届いた。

さん。ちょっと、いいかな?」

「ああ、いいけど、今、どこにいるんだ?」

「毛利荘のあなたの部屋の中。まだ福坂くんは帰ってないみたい。そっちは?」

「松葉さんの家のリビングだ。帰ってきたら、買い物してくるっていうお母さんからのメモが残されてた。杠先生も不在だな」

「そうなんだ。じゃあ、まずは、ごめんなさい。これから、ウチのお母さんと叶彩さんと仲良く暮らしてね。もう、あなたは松葉芽衣として自由に生きていいから」

「ちょっと、何言ってるんだ?」

 加村優の声で伝えられる松葉芽衣の真意が分からず、加村優は芽衣の眉を潜めた。

「ごめんなさい。もうイヤなの。どうしたら戻れるのか分からなくなった。一生、このままなんて、耐えられるわけないじゃない!」

 自分の悲痛な叫びを聞き、加村優は松葉芽衣の目を伏せた。


「だからと言って、そんなの間違ってる!」

 そんな声は、彼女の耳には届かない。松葉芽衣は、窓から空を見上げ、悲しそうに涙を浮かべる。

「大丈夫。スマホを遺品として引き取ってくれたら……」

 このままではマズイと焦る芽衣の耳に、遠くから徳郎の声が届いた。

「ただいまって、優。今、遺品って言わなかったか? それにお前、その顔、どうしたんだよ! 思いつめたような暗い顔しやがって!」 

 スマホ越しに本気で心配する幼馴染の声を聴き、優は芽衣の頬を緩めた。





「だから、何でもないって」

 スマホを右手で握ったまま、加村優の姿の芽衣が視線を後方に向ける。その先には、ルームメイトの福坂徳郎の姿があった。徳郎は心配そうな表情で、優の元へと歩みを進める。

「優、お前がそんな顔するの初めてみたぞ! まさか、あれから松葉さんに告って、フラれたのか? それで自分がイヤになっているんだ。そんなのお前らしくない!」

 優の両肩を優しく掴んだ徳郎が、追いつめられている幼馴染の顔をジッと見つめた。それに対して、優は視線を逸らす。

「うるさいな。今の気持ちなんてわかってないクセに!」

「ああ、分からねーよ。一度フラれたくらいでなんだ! 松葉さんが優のことを好きになってくれるまで、何度も挑戦すればいいんだ! そもそも、いきなり告ろうとしたのがダメだったんだ。まずは、友達から少しずつ関係を深めていけばいい」




 スマホで優と徳郎のケンカを聞き、芽衣の姿の優は恥ずかしくなり、頬を赤く染めた。


「優。お前に足りないのは、勇気だ。やらなくて後悔するより、やって後悔した方がいいんだ!」



「松葉さんが優のことを好きになってくれるまで、何度も挑戦すればいいんだ!」


 幼馴染の声を心に響かせた優は芽衣の首を縦に動かした。


 このままだと後悔する。そう思った優は芽衣の手でスマホを右手で握り締めた。



「もしもし。電話中にケンカしないでよ。えっと、福坂くん。それとくん。あなたに生きていてもらわないと困るから!」


 誰もいないリビングの中で、優の想いが爆発する。その瞬間、静かにリビングのドアが開いた。後方から視線を感じ取った優は芽衣の体を振り向かせる。

 その先には、杠叶彩と加村優にとって見知らぬ胸の大きな女性がいた。杠叶彩の右隣で欠伸をする40代前半くらいの見た目の女性は、どこか松葉芽衣と似ている。

 誰だろうと疑問に思いながら、優は咄嗟にスマホの通話を切った。

「ただいま。愛が重い芽衣ちゃん」

 ニヤニヤと笑う杠叶彩の前で松葉芽衣の姿の優が首を傾げる。

「おかえり。叶彩さんと誰だっけ?」

「芽衣。忘れるなんて酷いわ!」

 ショックを受ける謎の女性の右肩を叶彩がポンと優しく叩く。

「おば様。拗ねてるだけですよ。お母さんと中々会えないから」

「そうね。きっとそうだわ」


 杠叶彩の隣にいるのは、松葉芽衣の母親らしいと認識した優は、ジッと母の顔を見つめた。

「えっと、ママ、夜勤明けで寝てたんだよね? もしかして起こしちゃった?」

 昨日、芽衣が言っていたことを思い出しながら、芽衣のフリをした優が母親を気遣う。

 すると、松葉芽衣の母親は、なぜか両手で頭を抱えた。

「うわぁ。いつもはお母さんって呼んでくる芽衣が、ママって呼び出した! 距離を取ろうとしているんだわ」

「おば様。拗ねてるだけですよ。お母さんと中々会えないから」

「そうね。きっとそうだわ」


 この件を何回繰り返すのだろうと芽衣の顔で苦笑いした後で、芽衣の姿の優が叶彩の前で首を傾げた。

「ところで、叶彩さん。いつからいたの?」

「今、帰ってきたんだよ。それにしても、気付かなかったなぁ。芽衣ちゃんが加村くんのことが好きだったなんて。そんな素振り、学校でも見たことないのに」

「だから、それは……」

 答えに困る芽衣との距離を、杠叶彩はニヤニヤと笑いながら、詰めていく。

 

 そんな娘の顔をジッと見つめた松葉芽衣の母親は、叶彩の隣で首を捻った。

「ところで、加村くんって誰? 同じ学校の男子ってことはなんとなく分かるんだけど」

「ウチのクラスの男子ですよ。気づかない間に付き合いだしたみたいです」

「あら、初めての彼氏? すごく気になるわ」と松葉芽衣の母親が目を輝かせる。


「あなたに生きていてもらわないと困るって? 芽衣ちゃん。重い。重すぎるよ。その愛」

 

 芽衣の顔で苦笑いした優のスマホが右手の中で震える。その瞬間、優のスマホに

 松葉芽衣の名前でメッセージが届いた。


「覚悟を決めました。あなたは松葉芽衣として。私は加村優として。お互いに入れ替わっていることを隠しながら、普段通りに学校に通いましょう」


 どうやら自殺願望はどこかに吹っ飛んだらしい。

 そう思った優は芽衣の頬を緩めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る