第51話:【アーシェ】知る勇気─4

「じゃあ逃げるとしましょうか。ベス、そのまま拗ねていても構わないわ、捕まって火炙りになってもね。まだ言いたいことがあるなら、あたしの家に来なさい」


 衛兵と守備騎士の百や二百、薙ぎ払うのなら簡単だった。でももう、そんなことはしたくない。だからあたしがやるべきことは、ショタァに手を伸ばすだけ。


「帰りましょう?」

「はい、アーシェさん」


 もしかして、いやだと言われるかも。三割くらいは不安に思ったけど、彼は手を握り返してくれた。

 大規模な魔法を警戒して兵士たちが手をこまねく間に、あたしたちは逃げ出した。


「――あ。そういえばあの子の箒、壊しちゃったんだっけ」


 我が家に着いてから気付いた。しかし逃げるつもりなら、どうとでもするだろう。やけになって兵士に魔法を使ったかも。それはベスの勝手で、あたしが口出しすることでない。


「でも、本当にそうだったら……」

「アーシェさん?」

「ん、大丈夫。ベスが無茶してないかなって思っただけ」


 玄関の前。ショタァの低い頭を撫でて、ニーアの方向を見つめた。

 あの場から逃走しても、ここへ来ない可能性も高い。あたしなら面倒に思って、姿をくらます。

 そう思うと待っているのが虚しくて、つらかった。背中を向け、扉へと足を動かす。


「あっ、帰って来ました!」

「ほんと⁉」


 居残っていたショタァが、街道の先を指さす。ベスは獣を手懐けるのが得意だから、乗せてもらったのかもしれない。と、駆け戻った。

 でも違った。よく考えれば、どんな獣も魔女の箒と同じようには走れない。


「あれはヨルンね。体力だけは馬鹿げて怖ろしいわ」

「そうなんですね、僕にはそこまで見えなくて」


 いかにも残念そうに、声色が一つ暗く落ちる。狙われたのは、ショタァだというのに。


「腹が立たないの? 怖いからもう会いたくないとか」

「うぅん、どうでしょう。無くはないと思うんですけど、違う気持ちのほうが強いですね」

「どんな?」

「アーシェさんのことを、本当に好きなんだなって。なりふり構わないから迷惑っていうのも分かるんですが、あそこまでのめり込めるのは凄いと思います」


 それはまあ。というくらいには、同意せざるを得ない。剣や槍を使わせたり、絵や彫刻をやらせたり。人間の中でも並外れた力を発揮するのは、いちいち周囲を顧みる性格をしていない。

 その点だけで考えると、あまり傍に置きたくはない。あたし自身、同類だからと思うけど。


「だからうまくいってほしいって? 結婚しろとか言ってた割りに、簡単に譲っちゃうのね」

「それを言われると困っちゃいます。でも本当に、敵わないって思うんです。今は」


 今は、か。その言葉が無ければ、あたしは泣いてしまったかもしれない。危ういところで「いひひっ」と笑った。ついでに撫でていた手に、力を篭める。


「い、いたっ。痛いですよアーシェさん」

「我慢しなさい」

「ええっ? は、禿げちゃいます!」


 決めた。ベスがここへやって来たら、許してあげよう。

 そう、丸一日も待って来なければ、二度と現れないはず。その時は忘れよう。


 二つに一つと決めたら、とても楽になった。胸を詰まらせていた綿が、深呼吸で出て行った。

 久しぶりに清々しい空気を吸えたのに。自らの脚で駆ける吸血鬼が、もうもうと土煙を上げて到着する。


「けほっ、けほっ。もう少しおとなしく――ベス?」


 ヨルンの背に、おんぶされるベスが居た。こちらへ顔を向けていたけど、咄嗟に反対へ背ける。

 しかしすぐに自分の足で立ち、あたしとの距離を詰めた。普段の十分の一くらいの歩幅で。


「あの、お姉さま。私、謝ろうと思いまして。恥を忍んでやって参りました」


 大した時間は経っていない。軽く食事の出来るくらいだ。それでどうした心境の変化か、ヨルンに目を向けた。

 でも、分からないと首が振られる。


「悔しいですが、その人間の言う通りですわ。私はお姉さまのなにもかもを知ってはいなかった。その子のほうがお姉さまを理解していますわ、悔しいですが」

「あんたたちって――」


 やはりとても似ていて、実は相性がいいんじゃないか。と、思わず口走りそうになった。


「なんでしょう?」

「なんでもない。それで、どうしようって話?」


 万が一にも、ショタァを奪われたら困る。この状況からあり得ないと思っても、僅かな可能性さえ否定しておきたかった。


「以前のままとは申しません。しかしどうか、お姉さまとのお目通りをお許しくださいませ。その為なら、どんな条件も果たしてみせます」

「どんな条件でもって。それは例えば、奴隷みたいに扱うとしても?」

「もちろんです」


 寸分の間も無く、肯定の声が返った。魔女が奴隷と言えば、専用の魔法がある。それは使い魔になるよりも拘束が強く、下手をすれば自我を失ってしまうのに。


「主人の椅子に座るのが、ショタァでも?」

「構いません。お姉さまと会えなくなるほうが、私には地獄です」


 間髪入れず、想定していたように淀みない。

 ここまで言われては。いや言われなくとも、許そうと思っていた。だから残るは、ショタァの気持ちだけだ。


「どう思う?」

「僕が言うことなんて無いです。アーシェさんが思うままどうぞ。でも出来れば、あまり酷い要求はしないであげてほしいです」

「言うことあるんじゃない」


 少年を見下ろしたのは一瞬で、視線の合った彼は微笑んでいた。

 ベスに目を戻すと、彼女の見ているのはショタァだった。暗く萎れた表情の中に、動揺が瞳を揺らす。とても信じられない物を見たという風に。

 あたしはもう、笑うしかなかった。


「あははははっ」

「お、お姉さま?」

「あははっ。あはははははっ」


 なにをそんなにと問われても、あたしにも分からない。魔女と人間と吸血鬼と、極端なのばかりが集まってなにを話しているやら。


「分かった。ベス、今まで通りに戻りましょう」

「ええ? 奴隷の魔法は」

「要らない、っていうか面倒くさい。今までだって、会うとか会わないとか特に約束しなかったでしょ。それでいいよ」


 偶然の成り行きに任せる。その意味を考えたのだと思う。ベスは少し考える素振りをして、「仰るように」と頷いた。


「丸く収まったようだな。ではユリアの回復と一緒に、うまい食事でもして祝うとするか」


 こういう時、終わった話題の次になにを話すべきか。選択に迷うものだけど、ヨルンが先手を取った。

 感謝しつつも、「無理よ」と否定する。


「しばらくしたら、ここにも兵士が来るのよ? 引っ越しするに決まってるでしょ」

「そうか、残念だ」


 首を竦め、ヨルンは一人で建物に入っていった。ユリアを呼ぶ為に。

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