第47話:【正太】想いを問う─4

「鉄の爪! 銅の鎚! あたしの思うまま、その手を伸ばして!」


 言葉の通り。銀色と黒褐色の腕が地面に立ち、ベスさんへ向かう。グレーの土もろとも、か細い竜巻のように。


「石ころたち、あたしの願いに答えて!」


 掴みかかる手を、ベスさんは華麗に避けた。その行く先を読み、地上から舞った石つぶてが、弾幕を張る。

 銀と褐色と黒の腕が、一頭の蝶を追い回すようだった。


 しかしどれだけやっても捕まえられない。いよいよとなれば、蝶はさらに上空へ逃れればいいだけだったから。

 この辺りに埋まった鉄鉱と銅鉱に限りがある以上、アーシェさんの腕の長さにも限界があった。


「箒が……」


 上下左右。向きも移動方向も自由自在な、箒に乗った魔女。その首に縄をかけようとするみたいなことだから、それは難しいだろうと思う。

 金魚すくいも動画でしか見たことのない僕には、想像もつかないけど。


「これは無理ね」


 口を結んだアーシェさんの歯が、キュッと鳴った。諦めてしまったのか、操っていた腕も地面に崩れ落ちた。

 ただ。さっきまでよりも強い感情を宿した目だけは、ベスさんを焼こうとする。


「何処か知れず、彼方より来た者。古からの理に従い、もと来た道へ帰す」


 見上げるだけとなったアーシェさんに、ベスさんは微笑んで見せた。でも中断していた魔法の言葉を忘れることはなく、続きを声にする。


「アーシェさん、僕が帰ればベスさんは満足するはずです。僕は構いませんよ」

「バカなこと言わないで。そんなの、あたしが構うのよ」

「でも、無理なんでしょう?」


 僕の気持ちなんて関係なく、帰したくない。ハイリョも気遣いもないはずの、アーシェさんの想い。

 これが気休めでないのも、僕にだって分かる。これが聞けただけで、この世界へ来た理由には十分過ぎる。


「ええ無理よ。ベスを生かしておくのがね」

「生かして――アーシェさんダメです!」


 長い脚に組み付き、止めようとした。裾を引っ張っても、白い肌を叩いても、全体重をかけて転ばそうとしても、魔法の言葉が止まらない。

 祈るように両手を組んだアーシェさんは、僕の存在を忘れたみたいにこちらを見ない。


「門はコバルトに染まり、クロムの鍵で口を開ける。サファイアの牙を研ぎ、大地に繋がる者を喰らい尽くす」


 見える限りの一面。地面という地面が、青色に変わった。街の彼方も、平原の遥か先も、霞んで見える山々さえ。

 組まれた手が離れ、ゆっくりと平行に広がっていく。低くなるにつれ、地面の青さも濃くなった。


「お、お姉さま? こんな魔法、私は知りませんわ。まさか、私に禁忌を? 大戦の魔法を!?」


 ベスさんは声を震わせて問う。

 これだけの範囲に及ぶ魔法だ、今からではどうやっても逃げられない。僕を送り返すのなら、問答無用で発動する脅し。

 と、考えたのだろう。しかしアーシェさんの言葉は止まらない。


「それはきっと、天の神々にさえ及ぶだろう。飢餓を癒やしなさい、暴食の果てに!」

「お姉さまぁっ!」


 声が震えていた。叫んだ二人ともの声が。

 魔法を完成させたほうは、怒りにだと思ったのだけど。歯を食いしばり、流れる涙を堰き止めようとしていた。


 宙に在るほうは、驚きと悲しみ。ここまでやっておいて、アーシェさんが本気になるとは思っていなかったらしい。


「どうして? どうして! 私はお姉さまの傍へ居たいだけなのに! 本当のお姉さまを知っているのは、同じ魔女の私だけ! 分かり合えるのは私だけなのに!」


 ベスさんの真下を中心に、地面が口を開いていく。中は青黒い渦が巻いて、外へは岩盤が花びらみたいに広がっていった。

 どうしてと叫ぶベスさんの手が、当たるを幸いという風に魔力を叩きつける。それは氷塊であったり、目にも映る突風だったりした。


 でも、大地に空いた穴はものともしない。むしろおいしそうに、飲み込んでいるように見えた。

 その食欲は、煌めく牙の届く範囲に限らない。徐々に下向きの風が吹き始め、ベスさんは引き込まれないことにかかりきりとなった。


「お姉さま! お姉さまっ!」


 もう。アーシェさんを呼ぶ以外は、なんと言っているか分からない。それさえ激しい風の音で、掻き消えるのも時間の問題だ。


 ただし一つ、僕は勘違いしていた。アーシェさんの魔法は発動したけど、まだ完成していなかったようだ。


 宇宙へ飛び立つロケットみたいに、真っ直ぐ上に飛び続けるベスさん。たぶん全力なのだろうに、全く進んでいない。その状態で、真っ青な口は動きを止めた。


 足掻くさまを楽しもうとか、悪趣味は持ち合わせないはず。そうか、ここまで大掛かりにやっても、あくまで脅しなんだ。

 と思ったのに。アーシェさんが言ったのは、短く冷たい言葉。


「さようなら、ベス」


 今度こそ、魔法は完成した。広がった花びらが上空へ伸び、動きのとれないベスさんを覆っていく。


「お姉さまああぁぁっ!」


 一枚。また一枚。

 六枚が順に閉じ、やがて地面へ沈んでいった。後に残ったのは、草木も生えない灰色の平地。

 ブルドーザーで整地したように、凹凸のない平坦な大地。アーシェさんは膝から崩れ、へたり込んだ。


「ごめんねベス。飢餓の大地は、あたしにも止められないのよ。あんたが……あんたが酷いことするからっ」


 ベスさんの言った通り。何千、何万の兵士を飲み込んだ魔法なんだろう。想像はついたけど、そうなんですかと尋ねる気にはなれない。


「アーシェさん」


 なにを言えばいいやら、なにも浮かばない。なのに黙っているのも怖くて、名前を呼んだ。

 一人は姿を消し、一人は崩折れ、僕は足を震わせながらも立っている。アーシェさんは返事をしてくれなかった。


 そうして沈黙のまま、どれくらいが。と言っても、たぶん大して経ってはいない。重苦しさが、長く感じさせただけだ。

 立ち尽くす僕の背に、呼びかける声があった。


「少年。どうにも派手なことだな」

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