第46話:【正太】想いを問う─3

「天よひれ伏せ。主の言葉に従い、無限の礫を抱えなさい」


 黒い布が、風にはためく。引き千切りそうなほどの強さにも、ベスさんは魔法の言葉を唱えた。強く、高く、鋼の天井で圧し潰されるかと錯覚するような声で。


「零下の槍」


 箒に乗ったまま、両手を離す。一方は頭上へ、もう一方はこちらへ向けて。

 見上げた僕の目に、晴天が背景として見える。真上を通り過ぎた太陽が、まだまだ元気な青い空。


「零下って、氷? 空から――雹?」

「よく知ってるわね」


 などと話すくらいの間があった。なにが起きるのか、この隙に逃げられないかと思う。手を翳し、悠々と見上げるアーシェさんに、そのつもりは無さそうだけど。


「星が」


 この辺りだけ、夜になったかと思った。いや空は明るいままなのだけど、きらきらと星が光ったから。

 ベスさんを中央に、傘を広げたみたいな。灯りの乏しいこの世界の夜と同じ、無数と呼んで差し支えない星空が出来上がった。


「下れ」


 号令一下。

 一斉に動き始めた、数え切れない星々。その光景が、僕の口を勝手に動かす。


「空が……落ちる」


 それぞれに、白い筋を描く。最初はゆっくり、ほんの一、二ミリを数秒かけて。

 でも。一つひとつがとても大きな、おそらく人間大の氷と知れると、もう猶予はなかった。


「大地よ。あたしの足を支えてくれる、優しい友よ。厚い壁を作りなさい。あんたの懐を示すような、何者も突き通せない壁を」


 壁というか、屋根が形作られる。四方八方から、土が腕を伸ばしてきて。

 覆う傍から、薄い部分を氷の槍が貫く。狙いは大きく外れ、地面に突き立って割れた。空いた穴を、別の腕が塞ぐ。またそれを氷が突き、ザッと鈍い音が鳴る。


 目の前へ盾を構えて機関銃に撃たれたら、こんな感じだろうか。土を削る音が絶え間なく。やがて音と音が重なり、それがまた隙間ない。

 最初の何本か以外は、槍を間近に見ることは無かった。弾き返すのも段々と高音に変わり、さらに遠退いていく。


「金属と岩の層を作らせたわ。もう氷くらい、どうってことない」

「そ、そうですか」


 いったい、どれくらい続くんだろう。もう降ってこないと保証されても、やまない音が不安を掻き立てる。

 高い高い崖っぷちで、落ちなきゃ死なないと言われた気分だ。


「あの子の魔法も久しぶりに見るけど、うまくなったわ」

「前にもあるんですか」


 見えない壁の向こうを眺め、アーシェさんがぽつり。眉を寄せた難しげな顔に、薄っすらと笑みが窺える。


「魔物を相手にね。あたしにじゃなくて」

「そんなときがあったんですね」

「今の家の前よ。どこに住もうかって探してて、たまたまベスも同じ目的でふらふらしてた」


 少し怒鳴るくらいでないと、会話にならない。僕もそうだからか、怖いと思わなかった。

 いやアーシェさんが「ほんの短い時間よ」と、慌てて付け足してくれたからかも。


「嬉しいですか」

「え?」

「後輩、というか妹みたいな感じなんですかね。そんな魔女が上達するのは嬉しいのかなって」


 笑っていたからとは言わなかった。なんだか、やぶ蛇な気がして。


「うぅん、嬉しい? なんだろ。面白い、かな」

「楽しいんですか?」


 ベスさんの居るだろう、高い位置を睨む目は変わらない。しかし鼻から息が漏れ、口元ははっきりと笑む。


「だってさ。あたしは自分の家に居て、せいぜいその周りを歩くくらいなの。たまにお客を相手にして、世界は十分に動いてる。ベスは普段、あたしの世界に居ないのよ。なのにあの子はあの子で、あたしの知らない世界を見てる」


 世界とは、なんだろう。地図に描けるようなものでないのだけは分かった。

 ええと。自分だけが見ているのが世界?

 土地や海があって。たくさんの人間が。いや動物や植物が居て、思い思いに生きている。そういうもの全てを指すのが、世界という言葉と思うのだけど。


「分かんないって顔してるけど、あんたもよ。ショタァもあたしの知らない時間を持ってる。ヨタマチに住むショタァの九年間は、あんただけの世界。どんなに嫌ったとしてもね」

「ええっと……」


 なんとなく、分かる気がした。うまく言葉には出来ないけど。


「神さまだって完璧な世界を創れなかったんだもの。人間や魔女に創れるはずない。でもまあ変なところもあったほうが、印象には残るわ」

「尖った部分がぶつかりあっても?」

「そんなことでもなきゃ、尖ってるとさえ気付けないでしょ。伸び過ぎてると、圧し折られるけどね」


 アーシェさんは、ベスさんを許すつもりがない。ただでは、という意味で。

 それだけに理由を聞いて納得すれば、矛を収めるのかも。これだけ的確にトラウマを刺激して、どれだけ高いハードルなのやら。


 とかなんとか。そろそろ壮絶な雨音が鳴らなくなった。

 防いでくれた屋根に、アーシェさんは「助かったわ」と。そそくさと退いていく土や岩が「いえいえそんな」なんて、へりくだっているように見えた。


「降らしも降らしたり、ね。しばらく雨に困るんじゃない?」

「ええっ。それは大変なんじゃ」

「大丈夫よ、川まで涸れたわけじゃない」


 辺り一面、氷の破片だらけだった。降った大きさそのままの物。砕けて砂利のサイズになった物。

 空と平原を乱反射させるクリスタルの森が目に痛い。


「ベス! 残念だけど、まだあんたには負けてあげられないみたい!」


 浮かんでいた宙に、姿は無かった。アーシェさんは声をかけつつ、慎重に近場の氷を砕いていった。

 なるほどこれは大掛かりな布石に過ぎず、障害物に身を隠してからが本番ということか。


「そうでしょうか? 少なくともお姉さまは、氷が尽きるまでそこへ釘付けになっていましたわ。私がなにをしているか、知ることも叶わず」

「なにをしたって言うの? この通り、あたしもショタァもかすり傷一つ無いわ」


 声が聞こえて、その方向を見た。なんのことはない、ベスさんはさっきの崖に着地していただけだ。また箒に跨り、危なげなく上昇していく。


 ただしその手に掴んでいた、なにかが落ちた。飽きたおもちゃを棄てるみたいに、衝撃で砕けるのを見向きもしない。

 それは誰の物か、朽ちた骸骨だ。


「傷は、ありますでしょう?」

「だから無いって――」


 言いかけて、ハッと腕を押さえる。たしかにアーシェさんは、傷を負った。もう血も乾いていて、ほとんど痛みも無いと思う僅かなものだけど。


「お姉さまの血液。たしかにいただきましたわ」


 ベスさんはインク瓶を取り出し、蓋を開けた上に手を翳した。レシピに塩を一摘みとでも書いてあるのか、なにかを揉み落とす。


「それをどうするつもり」

「大したことは出来ませんわ。お姉さまの偉大な魔法を真似るのさえ、自分の魔力をそのまま使ったほうが楽ですもの」


 アーシェさんは箒を持っていない。空に在るベスさんには、手の出しようがないんだろう。歯噛みして成り行きを見守っていた。


 顎を突き出すようにして、気取った笑みを浮かべるベスさん。インク瓶には当たり前に、ペンが浸けられた。

 この世界でももうあまり使われなくなったという、獣の革から作った紙。組んだ脚に載せ、器用にサラサラと書き付けていく。


「出来ましたわ」

「ベス、やめなさい。今なら冗談ってことにしてあげる」

「さすがお姉さま、お優しいですわ。でも……」


 インクとペンをしまい、分厚い紙が両手に掲げられる。そこに書かれているはずの、ベスさん自身が書いた文章が声に出された。


「私。大地の魔女、アーシェの名において。使い魔召喚の取り消しを執行する」

「やめなさいっ!」


 名を騙るベスさんの、歯痒げな重々しい声。掻き消そうとするアーシェさんの悲鳴。

 そのどちらもが、冗談などでないことをこの上なく教えてくれる。

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