第45話:【正太】想いを問う─2
泥で煮詰めたような褐色の骨。朽ちかけた衣服と同じくらい、薄っぺらに張り付いた皮膚。
腕が無かったり、片足だったり。頭が無くても、死人には関係がないらしい。カッカッと硬い棒きれみたいな音を、土に打ち付けて迫る。
「石ころ、石ころ――」
アーシェさんの手が向くと、そこにあった骨が砕ける。太腿でも頭蓋骨でも。
けれど死体は怯まない。両腕を砕いても噛み付こうと飛びつき、両脚を砕いてさえ腕を使って這い寄った。
「これはきりがないわね。ショタァ、ここを出るわ」
「は、はいっ」
カカカッと、駆ける音が哄笑に聞こえた。ざあっ、ざあっと土を削るのが、命を削る音に聞こえた。
伸びてくる手。アーシェさんの死角から飛び込もうとする、躊躇のなさ。枯れた小枝のような指が、ほんの鼻先で振り回される。
「ショタァ、怖い?」
「い、いいえ。こんなの全然、全然です」
通路に向けて一歩踏み出したアーシェさんが、振り返る。僕が着いて行こうとしないからだ。
足が、動かなかった。膝だけは存分に震えてくれるのだけど、歩くという行為には役立たない。
「強がらないの。いま出来ないことがあるのは仕方ないわ。飲みきれないお茶を無理やりに飲む方法より、次に適量を注ぐにはどうするか考えたほうが得よ」
言う間に、十数体の骸骨が身動き取れなくなった。まだ指や肘なんかをデタラメに動かしてはいるけど、ようやくだ。
両手で応じていたアーシェさんは、僕にその手を向ける。
「引っ張ってあげるから」
「はっ、はいっ!」
差し出された手を、自然と握っていた。触れていいのかなとか、考えることもなく。
僕にはどうしようもない化け物を、簡単に粉砕する魔女の手なのに。
「この上が墓地なの。離れないと、いくらでも降ってくるわ」
それでジメジメと黴臭かったのか。裏付けるように、新たな骸骨が落ちてきた。
アーシェさんが走ると、力強く手が引かれる。僕も出来る限りの力で握り返し、転ばないよう足を動かした。
「弾けなさい!」
百メートルほども走ったろうか。突如として振り向いた魔女の手が、狭い通路の天井を砕く。
降り積もった土砂は、追ってくる骸骨との間に壁を築いた。
「これで時間が稼げるわ」
魔法の光が、アーシェさんの頭の上辺りをふよふよと飛ぶ。おかげで、にっこりとした笑顔がよく見える。
「アーシェさん、顔が泥だらけです」
「そりゃあ急いで掘ったもの。ショタァに洗ってもらうわ」
「ええっ? わ、分かりました」
それは一緒に風呂に入れということだろうか。思わず想像して、答えにつまずいた。
「ふふっ。さあ、もう少しよ。急ぎましょう」
意味ありげに笑い、アーシェさんはまた走り始めた。僕はどんな顔をすればいいやら、声も出せない。
それからまた同じくらい進んで、出口らしき光が見え始めたころ。概ね真っ直ぐで平たい壁に、枝が突き出た。
「うぅっ!」
土を弾き飛ばし、目の前にまず一本が見えた。アーシェさんは速度を落とさず、屈んで走り抜けようとする。
そこへ二本目、三本目。いやいやそれどころでない。何十本もの枝が、同じ方向の壁に並んで突き出された。
「アーシェさん!」
「大丈夫。ちょっとかすっただけ」
剥き出しの腕に血が滲んだ。十センチくらいの傷が、かぎ裂きの感じで出来ている。
枝と見えたのは、骸骨の腕だ。一つ怪我を負わせたくらいで満足するはずもなく、獲物を求めてバタバタと動き続けた。
「伏兵とは恐れ入ったわ。でも腕のことしか命令されていないみたい――大地よ、もう一度頼むわ。固まれ!」
流れる血を、ぺろと舐めて。アーシェさんは魔法の言葉を発した。意味する通り、土を硬くしたんだろう。骸骨の腕は動きを止め、指だけが悲しく蠢く。
「この先にもまた、同じのが仕掛けてあるんじゃ?」
「そうね。同じでないにしても、なにかはあるでしょうね」
姿勢を低く骸骨の腕をやり過ごしたところで、アーシェさんは僕を引き寄せた。足を止めたのは、僕の質問と同じ理由に違いない。
行き先を見つめた後、塞いだ後ろの通路を振り返った。「あたしに死体を傷つけさせないでよ」と呟いた口が舌打ちもする。
しかし諦めたらしい。大きなため息を吐いて、僕の手を離した。代わりに握っていなさいと裾を差し出し、アーシェさんの両腕は複雑に踊り始めた。
「大地よ。付き合いも短いあたしだけど、無理を言うわ。道を空けなさい。あたしの行く先が、あんたたちの新しい面の皮よ」
言い終えると同時に、両手が通路の先を示す。この先を新しい地表として作り替えろと、そういう魔法のようだ。
すると直ちに、土がうねる。頭の上が割れたのに砂粒一つ落ちてこないし、何ごとも無かったように両脇へ収まっていく。見えない手が、塩パンの生地でも捏ねるみたいに。
「ベス、見ているんでしょ! 姿を見せなさい!」
僕たちの後ろは、垂直な壁として高さを残した。背丈の何倍もありそうで、視界の邪魔になる。
アーシェさんに手を引かれて、ゆっくりと離れた。彼女の視線は、壁の向こうを警戒していた。
「うふふふふ。さすがお姉さま、罠を避けるどころか押し潰すなんて」
「ありがとうと言えばいいの? でもそんな気分じゃないわ。このあたしに、水攻めと死体のセットなんて。そこまでして怒らせたいの!」
ベスさんは悠々と歩いて姿を見せた。さっきまでの、僕たちの頭上に。箒を持ち、その穂先で顔の下半分を隠して笑う。
問うアーシェさんは、必死に怒気を抑えていた。声に感情が混ざりかけると、すぐに息継ぎをして元に戻す。
「いいえ、まさかそんなこと。穴に篭った相手に、有効だからですわ。と言いたいところですけれど、さっきまではそうでした」
「でしょうね。鉱山から出るのに埋まった死体ごと掘り返したなんて、あんたにしか話さなかったのに」
ああ……。
兵士と死体。水攻めと死体。どちらも片方は分かるけど、死体ってなんだろうと思っていた。
でも聞けばなるほどと思う。地下深くに閉じ込められたアーシェさんは、土を死体ごと排除するしかなかった。
落盤が起きたと聞いて、助けに来たはずの坑夫たちの死体を。
「あたしと顔を会わせる度胸は、十分過ぎるみたいね。それならついでに、一つくらいは教えてくれるでしょ? どうしてこんなことをするのか、はっきり言いなさい!」
見下ろす格好で、皮肉げに笑っていたベスさん。答えず、箒に跨った。
「お断りしますわ。どうしても聞きたければ、私を負かしてからにしてくださいませ」
ふわと浮き上がり、堂々とした宣戦布告がされる。そのときにはもう表情から笑みが消え、ベスさんの得意な魔法と同じ氷点下に変わっていた。
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