第42話:【アーシェ】思い思われ─3

 濡れた地面の上を、頼りない木の橋が渡す。町を囲う塀が、唯一途切れた場所。浜辺を思わす白い砂が、墓地への順路を真っ直ぐに現している。


 塀の無い代わりに、鉄柵が両際を塞いだ。弔いの人々に踏み固められただけの道。刈られなかっただけの枝によるアーチ。

 木立に囲まれた墓石は、そろそろ数を限界に達しようとしている。


「違う――違う――」


 整然と並んでいる、とは言い難い。そういう意図はあったのだろうけど。この向きは嫌だ、他と同じ広さは嫌だ、なんて我がままを聞くうち、モザイクのような模様を描き出した。


 墓石もそれぞれで、縦置きのがあれば寝かせたのもある。どちらにしても、どこに遺体があるかの目印には申し分ない。

 橙色の光は、いずれも死者の装飾品として共に眠っているようだ。


 物に遮られた向こうを見通す魔法を、あたしは持っていない。だから怪しむべき光が見つからなければ、掘り返してみるしかなかった。

 でも出来れば、死人に鞭打つような真似はしたくない。


「良かった。ショタァ、無事みたいね」


 一つだけ、墓でない通路の部分から立つ光があった。近付いてみれば、ほんの僅かに動く気配もある。

 まさかモグラが持ち運びもしないはず。もしもそうなら、揚げて食ってやる。


「すぐに行くから、待ってて」


 足下へ呟き、あたしは墓地から出た。地表に姿の見えない以上、ショタァの居るのは地下だから。

 深さが知れれば移動の魔法が使えるのだけど、残念ながら分からない。ということは彼を生き埋めにしないよう、慎重に掘って探ることになる。


「この辺でいいか」


 鉄柵を曲げ、茂みの外へ出た。正確に三百歩を進んで止まる。

 地面を踵で削ると、グレーの土が剥き出しになった。それをひと掴み、ぎゅっと握る。


「大地よ。あらゆる命を支える、かつて命だった物よ。あなたの友が望むこと、聞き届けなさい」


 手の中の土を媒介に、魔力が染み渡っていく。足下から輪を描いて。水面に伝う、波紋のように。


「……固まれ」


 この魔法は、あまり使いたくない。虫や獣や植物を、優しく育む土の動きを止めてしまうから。

 でもこれ以外に、方法が思いつかない。


「弾けなさい」


 地面に拳を向け、小さく円に動かす。するとあたしの目から見えるその範囲が、静かに割れた。沸き立つ麦酒エールの泡が、崩れるみたいに。


 魔力の量で、一度に掘る範囲を加減する。最初は少しやり過ぎた。目指す方向へ、十歩以上も進めてしまう。


「焦るな、あたし。ヤケを起こしたら、また失ってしまうわ」


 あえて自戒として口に出したのだけど、思った以上に苛とする。「分かってる」と、自分に当てつけなければいけないほど。


「弾けなさい」


 しかし二度目は、三歩ほど進める穴が空いた。もう少し。もう少し抑えないと。

 一歩分ずつ、離れた距離を取り戻していく。深さが合わなければ、少し戻ってやり直せばいい。


 しかし思いの外、振動が激しかった。土の消えるさまは厳かなのだけど、余波で生じる音が小さな雷みたいだ。


「これで二百九十六歩」


 抑えろ。という自分を律する呪文と、進んだ距離を繰り返し唱えた。口を動かすたび、じゃりじゃりと不快な感触をさせながら。

 もちろんここで止まったり、進むのを遅らせる理由はない。同じリズムで、弾けなさいと命じた。


「これで二百九十……」


 言いかけて気付く。崩れる音が、明らかに小さかった。消えた土の向こうに、薄暗いけど明かりも見える。


「しょ、ショタァ!」


 小さな空間だ、姿を探すまでもない。手足を縛られた少年が、地面に倒れていた。


「ねえ無事? あたしが分かる? 遅くなってごめん、でももう大丈夫。ねえショタァ、生きてるよね、大丈夫だよね」


 分かってる。声を出す暇をあげなければ、返事はない。しかし一つの言葉を口にしたら、次はこれ、それならこれもと止まらなくなった。


「あのね。あんたが居なくなってて、すごく後悔したの。やっぱり人間なんて、信用しちゃダメだって。衛兵にも弓を向けられたわ。ショタァを探してるのに、誰も教えてくれない。みんな、どうしてやろうって腹が立った」


 土に膝を突き、ロープを切って抱き起こす。ほのかな温もりと、しっかりとした鼓動が伝わった。

 生きてる。脈が速いけど、こんなところへ閉じ込められてたら仕方ない。泥だらけなだけで、怪我もしてない。


「でもね、やり返さなかった。そんなことしたら、二百年前と同じになるって思ったから。じゃあどうしてそう思えたかって言うとね。ショタァ、あんたのおかげよ」


 言いたいことを言い、目と手はショタァの容態を探り。面食らわせてしまったかもしれない。

 ようやくあたしは、異変に気付いた。


「――ねえ。なにか答えてよ」


 自分の足で立たせてみれば、ちょっとふらついた。肩を支え、目を見ようとしたのだけど、合わない。

 あたしの後ろ。ずっとずっと先を見通すように、焦点がここに無かった。


「ねえ、ショタァ?」


 精神を縛るような術でもかけられたんだろうか。それともよほど怖い目に遭って、放心状態とか。

 どちらにしても、あたしのせいだ。


「ごめんね……」


 こっちが彼の顔を見ていられない。俯くと、小さなショタァの手が動く。たしかにあたしの腕に触れ、戸惑う様子で元の位置へ戻っていった。


「ショタァ?」


 もう一度呼んでも、やはり見えないふりで聞こえないふり。もやもやっと、胸に黒い渦が巻く。

 これはショタァのせいじゃない。分かっていても、どうすればいいか見当がつかない。力の限りに抱き締める以外は。


「やあ、やあ。初めまして」


 あたしとショタァと、どちらでもない声がした。掘り進んで来た、細い通路のほうから。

 つまりあたしの背中の側から。


「クッ。クッ。クッ。感動の対面を邪魔して、悪いのだけどね。ちょっと話をさせてもらえるかな」

「薬売り、ね」

「いかにも」


 水飴に汚泥を混ぜて練るような、ねちっこい声。男か女か、若いか年寄りか、これだけでは判別がつかない。


「話なんてないわ。あたしになにをしたか、理解しているならね」

「誰よりも。だからこそ、選択はこちらが優先される」


 動かず、視線だけで辺りを見回す。何の変哲もない土だけで、薬売りの余裕を裏付ける仕掛けは見つからない。

 ショタァを攫い、墓地の地下なんて場所へ閉じ込めた。その理由は、あたしを誘い出す為? だとしたら、有無を言わせないような仕掛けがあると考えるべきだ。


 いやそれは、穴を掘る前から承知の上だけど。対策を考えてからとか、まだるっこしいことをしたくなかった。


「まあいいわ。どうしたいのか、簡潔に述べなさい。聞くだけは聞いてあげる」

「それは、それは。クッ。クッ」


 芝居じみた、嫌な笑い声。その間にあたしが魔法を使ったら、どうする気なのか。対処する方法があるとは思えない。


「大地の魔女。こちらの目的は、今後あなたに魔法を使わせないこと。魔女を、引退してもらいたい」

「バカも休み休み、言ってるわね」

「叶うなら、二人の無事を約束しよう。叶わぬなら、少年の命は無い」


 やはり。目的はあたしで、対処の方法はショタァの存在そのもの。

 それなら彼の身体に、なにか仕掛けでもされたのか。そっと探ってみても、それらしき物は見付からなかった。

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