第43話:【アーシェ】思い思われ─4

「たとえばさ。言う通りにするって答えたとして、この場限りの嘘かもしれないよね。どうするの」


 こちらの方針を決めかねた。なにか魔法を使って、通用しなかった場合を思うと。最悪は天井が崩れてショタァが埋まり、薬売りだけが平気という状況。

 ああ、そうか。あっちの狙いがそれなんだ。自分の安全を確保することが、あたしの攻め手を奪うことになる。

 でも本当にそれだけなら、問題にならないけど。


「心配には、及ばない。あなたの血を、ひと匙分も貰えれば」

「なるほど? さすがは薬売りというわけね。魔女から魔法を奪う薬なんて、聞いたこともないわ」

「クッ。クッ。クッ。積み重ねているのは、あなただけでない。ということだよ」


 振り向き、顔を拝む。手にちょこんと載った小さな瓶が、その前に掲げられる。艶のある焼き物は、ゆらゆらと揺すられた。

 小馬鹿にするつもりなら、薄っぺらい笑みの一つも浮かべてほしい。真っ青な顔に、およそ感情というものが見えなかった。


 これだけ面倒な真似をする相手なら、会いさえすれば分かる。そう思っていたのに、どれだけ記憶を手繰っても、やはり知らない顔だ。

 どうにも今日は、嫌な予感がする。


「対象の魔女の血が、最後の材料ということよね。そんな薬が本当にあるならだけど」

「疑う、か。まあ、まあ、どちらでも構わないが。やることは、やってもらおう」


 無造作に投げられた小瓶が、あたしの上を通り越しそうになった。さっと腕を伸ばし、受け止める。


「ちょっと血を注ぐくらい、なんでもないけど。その前に一つだけ聞いてもいい?」

「はて、なんだろうか」

「あんた、ショタァになにしたの」


 ずっと抱き締めていても、彼は動かない。必死に樹木の真似ごとをするみたいに、首も腕も脚も強張らせて。


「なにも? 世間話を、したくらいだよ。二百年前の、ね」

「ああ、そういうこと……」


 息を呑む。ショタァの喉が、だ。

 もう一度ぎゅっと力を篭めてから、彼を解放した。あたしが立ち上がっても、頭を撫でても、生きた彫像は動かない。

 どうしてあげようか。

 見えない空を仰いで、重い息を吐いた。


「じゃあ、やることをやりましょうか」

「そうすれば、話が早い」


 頷く薬売りに向け、小瓶を突き出す。「弾けなさい」と、呟いて。

 少し茶の煙を上げ、焼き物は砂に還る。指の間から、ざあっと溢して見せた。


「どういう、ことかな」

「どうもこうも、思うままにはならないわ。別に魔女の血に未練もないけど、あんたの筋書きに従うのだけはごめんよ」


 薬売りの驚いたという言葉も、実際にはどう感じているのか分からない。内心では、高らかに嘲笑っているのかもと思う。


 だとしたら、いつからだろう?

 こんな恨みを買っていたとは、思ってもみなかった。大戦の生き残りとか言うなら、話も分かるけど。


 やっぱりあたしを好いてくれる誰かなんて、居なかったんだ。なんて、柄にもなく傷心を気取ってみる。


「いいのかな。その少年が、どうなっても」

「させないわ。でももし、仮に、万が一。あんたがショタァに、なにかしでかしたら」

「――しでかしたら?」


 どうしてだろう?

 たしかにあたしは、好かれようと頑張ってはいなかった。ずっと好きなことをして、穏やかに生きていれば、気の合う誰かくらいすぐに見つかると思ったのに。


 傍らに立つ男の子は、怯えた目で盗み見るようにしかしない。立ちはだかる薬売りは、あたしでなく、どこかよそをしか見ていない。


「あたしはあんたを沈めるわ。この大陸ごとね」

「そんなこと。いかに大地の魔女でも」

「出来るかどうか、試してみるのもいいわ。ねえ、べスタッティー?」


 間違いない。不気味な男を装う薬売りは、あたしを慕ってくれたはずの魔女。ベスだ。

 どこでボタンを掛け違えたのか、それとも最初からか。楽しげに構ってくれる彼女を思い出すと、どちらも信じられない。


「それは一体誰の――」

「ああ、無理無理。言い逃れは出来ないわ。あんた、ショタァを攫うのに昏睡の魔法を使ったでしょ」


 しらばっくれるのを、遮る。もう全て分かっている、ここからは答え合わせをするだけと強気に言った。


 それでも表情が変わらない。

 のは、ずっとだ。しかしそれも、あたしの家に死体の兵士を送り込んだのなら合点がいく。

 あたしはショタァの首から、ガーネットのお守りを引き出して見せる。


「これ、なんだか分かるでしょ。あたしがよく使ってるやつ。売り物とは段違いにしたけどね」

「まさか。そんな物があったなら、昏睡などかかるわけが」

「そうよ、かかるわけないの。出来るのはあたしか、あんただけよ」


 このお守りを作るとき、あたしとベスの魔法だけは無効にした。なにか危機が迫った時に、助ける為の魔法も打ち消してしまうから。


「そうですか。信用していただいたのに、それが仇になるなんて。皮肉なことですわね」


 薄皮を剥がすみたいに、真っ青な顔が捲られる。どうか間違っていてと願った確信が、事実へと変わった。

 現れたのは、見慣れたベスのふてくされた顔。口調もいつもの彼女のものに戻る。


死の仮面トーデス・マスケーね。あんたがそっちの魔法を使えるなんて、知らなかった」

「言いましたでしょう。経験を積み重ねているのは、お姉さまだけではありませんの。でも死霊の系統までご存知とは、さすがと申し上げますわ」


 死の仮面は、死体に生きていると錯覚させる魔法だ。顔だけを剥ぎとって被れば、生前に近い声を得られる。死体の全身にかければ、忠実に従う人形になる。


「あんたほど研究熱心じゃなくても、これだけ生きてりゃね。昔は使い手も珍しくなかったのよ」

「今と昔では常識が違う、ですか。やり方を調べるのに夢中で、その辺りに気付きませんでしたわ」


 仮面が放り投げられた。同時に魔法も解かれたらしく、ただの腐肉へと戻る。


「聞いてくれれば、やり方くらいは教えてあげられたのに。あまり得意じゃないけど」

「誕生日の贈り物は、意表を突いたほうが面白いでしょう?」

「趣味が合えばね。ねえ、どうして? 教えてくれたら嬉しいんだけど」


 ベスはまだ、百歳くらいだ。魔女としては若いほうだし、二百年前の大戦も話としてしか知らない。

 それがなぜ、こんなことをしでかすのか。全く予想もつかなかった。


「正体を隠しきるつもりでしたわ。つまり目論見も明かす気は無いということ」


 やれやれと、疲れた風に首を振る。その最後に、なにかをボソッと言った。

 途端、頭の上からやかましい音が響き始める。ガリガリと、岩を引っ掻くような。しかも音源は一つでなく、少しずつ距離を離してかなりの数だ。


「一つだけ言えるとすれば、お姉さまの為を想ってですわ」


 家を襲い、ショタァを捕獲し、魔法を奪うのがあたしの為。なにを言っているんだか、さっぱり分からない。

 考える間に、ベスはまた別の声を発した。今度は強く、はっきりと。


「水よ。怒濤となって押し寄せなさい」

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