第37話:【正太】薬売りの正体─2

 どれくらいが経っただろう。なにか硬い物に腕をぶつけて、僕は目覚めた。


「痛っ!」


 反射的に、痛む場所を押さえようとした。もちろん反対の手で。なのになぜだか、届かない。それどころか、動かない。


 寝呆けたようなぼんやりとした頭では、まだなにが起きているか分からなかった。目を開けると部屋が暗くて、風邪でもひいて寝込んでいるんだっけ? なんて考えた。


「おはよう。もうすぐ夜だけどね」

 

 びくり。

 背が震えた。その声は、すぐ近くで発せられた。寝転んでいる僕の真後ろで。

 やけに、のたのたとした喋り方。スロー再生の動画で聞く声みたいな。男性だと思うけど、若いのかお年寄りなのか見当がつかない。というか、生きた人間の声なのかが疑わしい。


 そうだ、小麦ギルドで襲われた時。あの亡霊の叫びに似ている。

 はっと振り向こうとしても、腕が背中の側で動かせない。両脚も、ぴったり重ねたまま離れない。鈍い僕も、ロープで縛られていることにようやく気付いた。


「クッ。クッ。クッ」


 忍び笑いまでゆっくりだ。深い甕の底から湧いたあぶくが、こぽこぽと弾けるような。ぞわぞわと身体じゅうに寒気を走らせる、不気味な声。


 見えない所へ居られるのが、不安で堪らない。思いきり反動をつけて振り向く。それでも回りきれず、芋虫みたいにうねうねともがいた。


「やあ、やあ。初めまして」

「……あなたは」

「自己紹介したところで、ね。ああ、そうだ。君たちには、怪しい薬売りと言えばいいか」


 真っ黒なローブ。いや、単に大きな布を被り、腰のところを縛っているだけ。ほんの二、三歩の距離に薬売りは居た。椅子にちょうどいい、大きな石へ座って。

 手にした小皿に、一本の蝋燭が燃えていた。背後には土を掘った壁が見える。僕が転がっているのも、剥き出しの土。どうもここは、地面の下らしい。


 三十歳くらいの、汚い布を纏った男。ザビネさんが言っていたままの、真っ青な顔がそこにある。

 男性としては少し小柄だ。意外と精悍な感じのする顔の造りと、アンバランスに思えた。


「い、いったい僕に、なんのご用ですか」


 声が上ずって、ひっくり返った。

 捕まったことそのものは、妙に納得している。最近のあれこれを思えば、あり得た話だ。

 でもだからと、怖さが消えたりはしない。薬売りがその気になれば、僕を殺すのなんて簡単に違いないのだから。


「用は無いよ。君には、ね。あの魔女が、目障りだから。人質さ」

「あ、アーシェさんに、なんの恨みがあるって言うんです」

「クッ。クッ」


 また、忍び笑い。でもそれは声だけで、表情が変わらない。視線も僕を向いているけれど、焦点の合ってない気がする。


「魔女の血を持って、あの魔女を恨まない。そんな奴が、居ると思うかい?」

「魔女狩りが、アーシェさんのせいってことですか」

「そう問われて、違うと答える。そんな魔女に、お目にかかったことはないね」


 二百年前の戦争で、たくさんの軍勢をアーシェさんは叩き潰した。その恐怖が魔女狩りに繋がったのは、分からなくない。

 でも、二百年だ。そんなにも前のことを、その時を知らない魔女にまで追求しなきゃいけないんだろうか。


 ましてや同族と言う薬売りが、アーシェさんに恨みを向けるとは。僕の感覚だと魔女狩りを続ける人間のほうが、限度を知らないように思う。


「どんなに昔でも、原因を作った人が悪いと?」

「ほとんどの魔女が、そう言うさ。会わないだけで、例外は居るやも、だけどね。どのみち魔女の末裔は、滅びるべきだ」


 全員が同じと決めつけるかと思いきや、少しは違う意見もあることを認めた。はっきりしないと言うべきか、正確に量っていると言うべきか。


 原因となる魔女が生き残っているから。魔女狩りの対象が、あちこちに居るから。魔女の血を引く自分まで、魔女狩りを怖れなければいけない。

 それが薬売りの言い分らしい。だからアーシェさんや他の魔女が邪魔だと。


「話を戻すが。君は使い魔に呼ばれただけ、だろう? 元の世界へ、帰してあげよう」

「そんなこと――」

「出来るよ」


 薬売りは、僕の否定を勘違いした。たしかにアーシェさんが、使い魔を戻すことは出来ないと言っていたけど。

 僕が言いかけたのは、帰してあげよう・・・・などと、恩を売られる覚えはないってこと。


 しかし、ふと思った。僕は元の世界へ、帰ったほうがいいんじゃないか。そうすればアーシェさんは、もっと役に立つ使い魔を呼べる。僕はこれ以上、アーシェさんを怖いと思わなくて済む。

 たぶん今なら、まだ彼女を好きと言えるから。


「契約を結んだ使い魔は、魔女から離れられない。というルールに、間違いはないよ。しかしね、君の指輪。それはまだ、契約を成立させていない」

「ええっ?」

「やはり、知らなかったか。でなければとっくに、あの魔女はここへ来ている。魔女は使い魔と、感覚を共有するからね」


 僕はアーシェさんの使い魔じゃない?

 そんなバカな。だって契約に必要だからって、僕は血を塗り付けた。それで金色に輝きもした。いま指輪を眺めても、静かに銀色の光を撥ねさせる。


 ……でも。魔法を知らない僕には、確証のないのも確かだ。

 契約の手続きには、まだ残りがあった。ということであれば、僕には知りようがない。


「お、おかしいじゃないですか」

「おかしい? なにが」

「アーシェさんを憎いなら、なんで僕に親切にするんですか」

「聞いてどうする」


 と、首が傾げられる。

 薬売りの目的と、使い魔の契約と。確実な、本当が欲しかった。契約のほうは分からない。けれども目的なら、聞けば分かる。大して良くない僕の頭では、突き詰められるか頼りないけど。

 やがて薬売りは「まあいい」と、否定に首を振った。


「親切になど、していないよ。とばっちりは、他に要らない。そう思うだけさ」

「アーシェさんのとばっちりを、あなたや他の魔女が受けていると言うんですか」

「違うとでも? 君がどう考えても、構わないけどね」


 クッ。クッ。クッ。

 表情や身体の動きには、全く感情を見せないのに。忍び笑いだけが落ち続ける。まるで色と重さを持つように。周囲の闇を作る、堆積物のように。


「とばっちりと言うなら、死体の兵士もあなたの仕業ですよね。僕は危うく、死ぬところでした」

「ああ、そうだよ。魔女の実力を、知りたくてね。君も外へ出るとは、思わなかった」

「見てたんですね」


 悪かったとは言わない。まあ笑声と共に頷くほうが、似合いと思えてきた。


「ヘルミーナさんやヨルンさんも、あなたが呼んだんですね」

「人形と吸血鬼、かな。その通りだよ。暴れさそうとした、が。守りが強かった」


 実力を測る為、段々と力の強い相手を送り込んだ。ただし当人の能力以前に、暴走を封じられてしまった。

 薬売りの話には、矛盾が見つからない。


「ゲオルグさんも?」

「誰かな」

「衛兵さんです。八人くらいで来ました」

「それは知らない。なにかあった、なら。偶然だろう」


 レオナルトさんも言っていた、誰かの声がすると。人間でない人たちにだけ聞こえたようだから、ゲオルグさんが偶々とは正しく思えた。


 薬売りの言葉は、辻褄が合っている。すると目的も本当のこと、なのか?

 おそらくそうだと分かっても、結局は僕にどうにか出来ることでない。使い魔でさえ無かったと知って、蚊帳の外と思い知っただけだ。


「納得したかな。君を送り返すには、魔女の血が必要だ」

「アーシェさんを殺す――んですか」


 魔女は滅びるべき。さっき薬売りは、そう言った。それなら選択肢は、一つしかない。と思ったのに、「クッ。クッ」と笑声に合わせて手が振られる。


「死んでほしい、とまではね。殺戮者になる気はない。二度と魔法を、使わせない。それだけさ」

「そんなこと」

「出来るよ。君が居れば」


 蝋燭の載った皿が、目の前へ突きつけられた。熱と光から、目を背ける。と、ひゅうと音を立てて、一瞬の強い風が吹き抜けた。

 炎は消え、辺りは暗闇になる。光はどこにも見えない。


 金属の落ちる、軽薄な音がした。僕の顔の前で。そこから、至極小さな赤い光が転がっていく。まだ熱を残す、蝋燭の芯だ。


「ねえ」


 呼びかけても、返事がない。薬売りは、消えてしまった。

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