第31話:【正太】忍び寄る悪意─4

「なっ、なんだ!」


 突然の暗黒。最初に叫んだのは小父さんで、激しく椅子を蹴立てる音がした。その次にはリリーさんが「まあ大変」と、あまり大変そうでない感じにほんわか呟く。


「すぐに点け直すわ、みんな座ってなさい」


 やれやれと。やはりのんびりした口調で、アーシェさんの席を立つ気配。火を点け直すと言っても、こう暗くてはどうしたものか。

 考える僕をよそに、アーシェさんの影が厨房のほうへ向かう。


 そうか、炉にも火があった。単純なことを思い付けなくて、一人で勝手に恥ずかしく縮こまる。でも少し目が慣れてきた。すぐにアーシェさんを追いかけたけど、炉の火が見えない。


「そんな、炉まで消えるなんて」

「ショタァ、ちょっと」


 立ち止まった僕を、彼女は厨房の隅へ呼ぶ。手探りで僕の耳に触れ、こそこそと話した。


「火を用意するから、あんたはランプを点けて」

「僕は、って。アーシェさんは?」

「決まってるわ。火を消した奴を探しに行くのよ」


 言う間に、「炎よ」と明かりが灯った。強く燃える薪を受け取ったものの、すぐには動けない。


「消した奴を、どうするんですか」

「お話するのよ、どうして悪戯するのか。最近のあれこれもね。安心して、ベスとも話して残ってもらうわ」


 ちょっと乱暴な言い方だったけど、まだまだいつも通りのアーシェさんだった。例の薬売りをなんだと思うものの、兵士を憎む気持ちほどではないらしい。


「僕も着いて行っちゃいけませんか」

「危ないかもしれないわ」

「でも僕、アーシェさんの傍に居たくて」


 誰かが煽いでいるように、薪の炎は音を立てて揺れる。おかげで浮かび上がる魔女の顔は、とても喜んでいるようにもつらそうにも見えた。


「……そんなこと言ってくれちゃって。寂しいの?」

「ちっ、違います。僕にはアーシェさんの傍に居て、見届ける義務があります」


 左手を握り、薬指へ嵌まった物を突き出す。きらきらと輝く、契約の指輪を。


「義務、か。いいわ、でも危ないと思ったらすぐに逃げること」

「分かりました」


 頷いた顔が、苦笑っぽかった。呆れられたか、逆に満足の表れなのか。もちろん解説はなく、アーシェさんはベスさんを呼んだ。


 その間にランプを点けてと言われたので、その通りにした。ガラスの風除けを外し、薪の火を移していく。

 風除けを戻した後、試しに息を吹きかけてみた。思いきり、唾で汚れるほど。でもやはり、そんなことでランプは消えない。


「ショタァ、行きましょう」


 扉に手をかけて、アーシェさんが呼ぶ。ベスさんは自分の席へ戻るところだ。リリーさんは「驚いたわねえ」と食事を再開し、小父さんは生返事で辺りを見回す。

 あれ、レオナルトさんが居ない。灯りが消える直前まで、空いた椅子に間違いなく居たはず。言っておいたほうがいいんだろうか。口を開く前に、扉が開かれた。階段や納屋へ通じるほうの。


「あんた、どうしたの」


 こちらへは灯りが無い。あるのは僕の手の薪だけだ。突然にアーシェさんは、暗がりへ声をかけた。

 火を向けると、階段に身体の大きな誰かが座っていた。一瞬、びくっとしてしまう。しかしすぐに、誰だか分かった。


「よ、ヨルンさん?」

「酷いぞこの声は。うるさくて頭が割れそうだ」


 頭痛が堪らないと。青褪めたヨルンさんの手が、自分の額を鷲掴みにする。


「へえ、やっぱりそんな感じなの。今から原因を探しに行くところよ、悪いけどもう少し待ってて」

「待て、見当があるのか。それなら俺も行こう。こんな悪さをされては黙っていられない」


 おもむろに。いや、ふらふらと。ヨルンさんはバランスを取りながら立ち上がる。巨大な柱をロープ一本で吊り下げる風で、いかにも頼りない。

 しかし両手で顔を叩き、「ふうっ!」と息を吐く。すると寝呆けたような表情が、金色の瞳を輝かす鬼へと変わった。


「無理をしないようにね」


 肩を竦め、アーシェさんは納屋に入る。持ち運び用のランタンを取り、僕に渡した。火を移し、薪は踏みつけて消す。

 するとアーシェさんは「しっかり持っているのよ」と頭を撫でてくれた。同じ手が、裏口の扉にかかる。


「開けるわ。いきなりなにも無いでしょうけどね。はあ、面倒臭い」


 ため息混じりに開けられた扉から、月光が差さない。昨日はあれほど綺麗な月が出ていたのに。

 夕方に空を見たときも、雨や霧になりそうな空気でなかった。それなのに扉の向こう、家の外は靄に閉ざされている。数歩先に立つ畑の柵や並ぶ立ち木も、輪郭をぼんやりとさせて。


「ん、こんなに近かったですか?」


 違う。まともな木は、いちばん近いのでも二十歩以上離れていた。それに数本があるだけで、整然と揃ってはいなかった。


「前に出ないで!」


 畑をいじりに行くのと同じ感覚だったかもしれない。柵まで行こうとして、アーシェさんに掴まれた。

 その脇を、大きな身体が駆け抜ける。ランタンに白く照らされた、ヨルンさんが拳を突き出した。


「なんだ貴様ら!」


 頭痛の八つ当たりか、威圧なのか。普段の紳士な口調とはかけ離れた怒号が響く。答える声は無い。代わりに金属を擦り合わせる嫌な音が、幾つも囁かれた。

 ずるずると。土を削りながら、ヨルンさんはなにかを掴んだまま戻ってくる。僕は手を伸ばし、ランタンの灯りを向けた。


「なんで兵士が……」


 離せと叫びはしない。でも手足をばたつかせ、逃れようとする。掴まれている相手は、ゲオルグさんが着ていたのと同じ鉄環鎧に長剣。

 頭には革製らしい帽子をかぶった。頬から顎へも生地がかかり、明らかに戦う為の防具だ。

 そしてそれは、一人だけでない。立ち木と思った影はもちろん、その後ろからも続々と列を為して近付いてくる。

 どの顔も、見覚えがない。土気色と言うのか、乾いた土を塗りつけたようだ。こちらを見ているようで、焦点が定かでなかった。


「お前たち。あたしの家になんの用か、言えるもんなら言ってみなさい」


 アーシェさん自身の歯をすり潰すように、憎々しげな声が地面を這った。握られた僕の手首が痛くて、強引に振り払う。


「あ、アーシェさん?」


 呼びかけても、僕の主は振り向いてくれなかった。振りかざされた何十本もの剣を睨みつけ、すっと右手を突きつける。

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