第32話:【アーシェ】行き違う心─1
「石ころ、石ころ。誰も本当の名を知ろうとしない、作られた無名のあんたたち。あたしだけは忘れない、絶対に」
足元を、魔力の光が広がっていく。丸く、何重にも、波紋のように。青い色は、ローブの色が染み出したみたいに深い。
答えて、光の届く地面から小石が浮かび上がる。大きくても指先くらい。小さいのは麦粒ほど。数は、あたしにも分からない。広げた範囲内、全ての石ころだから。目の前にも頭上にも、投網でも被って見た心地。
「そこ!」
いちばん近くの三人へ手を翳し、攻撃を指示する。待機状態の石たちの幾つかが、あたしの目にも追えない速度で動く。
一人の頭を仰け反らせ、一人の足を掬い、一人の肩をもぎ取らんばかりに弾いた。
ぎゅっと押し潰したような切り裂き音が遅れて耳に届く。
三人がその一撃で倒れても。踏み越えて、左右から回り込んで、兵士たちは向かって来る。バカの一つ覚えに剣を振り上げ、畑も踏みつけて。
「見上げたものね。怖れるって言葉を知らないみたい」
分かってる、この連中は兵士じゃない。でも、だからこそ。わざわざこんな格好をさせた意図があるはず。こいつらを操る、何者かには。
それなのに止まらない、止まれない。あたしがだ。
騎士や兵士は悍ましいもの。他者を騙し、自分の都合でしか動かないもの。あたしの中では確信に近い疑いと、襲われている事実が結びつく。
だからあたしの手は止まらない。魔力が猛り続ける。
「このおっ!」
素通りしてヨルンのほうに、三人が向かった。大きな図体の頭と胴体と脚へ、それぞれ剣が向く。
三人ひと組、適切な箇所へ分散して攻撃。この国の兵士が、集団戦闘の基礎知識に習うことだ。
ヨルンは放っといても、たぶん問題ない。だけど自分で殴り飛ばさなきゃ、気が収まらない。
手を向けると、反対から別の組が来る。残念ながらあたしには、左手もあるけど。
「このっ! どけっ!」
食いしばりすぎて頬が痛い。たぶん今のあたしは、牙を剥く獣のように見えるだろう。言葉もどんどん荒々しくなっていく。
これが本性でないと、自分では思う。ショタァと居るときの、だらしないのが本分のはず。
なのに、苛立ってしまう。石つぶてが鎧に穴を空けても。覗いた地肌を貫通しても。気が晴れるどころか、使った石と同じだけ胸に重みが増していく。
「死ねっ!」
おかしなことを言う。考えのない自分の発声を、嘲笑った。
こいつらは最初から死んでいる。証拠に、どれだけ傷付けても一滴の血も流れない。兵士の死体を動かしているのか、死体に兵士っぽい動きをさせているのかは分からないけど。
明白なのは、相手があたしを知ってるってこと。兵士と死体と、この二つを揃えて挑発しようなんて出来すぎている。あたしには最高に効く。
あたしを怒らせるには、これ以上無い組み合わせ。
「出て来い! 祈る暇も与えずに殺してやる!」
それがあの男の望みのはずだ。と言ってもザビネから聞いただけで、どんな人物か知らない。
しかし偶然の可能性は低い。トラブルが一度に一つと決まってはいないけど、突き詰めれば原因は一つのことが多い。
だからこの兵士を操るのは、汚らしい雰囲気の男、だ。魔女の血を引く男が、どこかからやって来た? それともずっと力を見せずに居た?
どちらにしても、顔を見れば分かるはず。普通に身なりを変えるとか、頬の傷を隠すくらいならあたしにも出来る。薬を受け渡すほどのやり取りをして、本性を晒さない魔法なんかは知らない。
「そこか! そっちか!」
何体を転がしただろう。百を超えたのはとっくだ。伏兵を気取っているのか、小さな茂みから数が増える。
兵士たちは素早くない。走る格好をしても小走り程度が限界のようだし、身を守ろうとする素振りもなかった。
手数は圧倒的にあたしのほうが多くて、怪しい物陰へもどんどん石を撃ち込んだ。
前に。前に。どれだけ進んでも、こんな大掛かりなことをする奴だ、きっと会えない。あたしを傷付けるのに、この軍勢は貧弱すぎる。
それなら、なんの目的があるのか。
ただの嫌がらせ? そんなバカな。
あわよくば、万が一を狙った? 叶ったとして得にもならない。
「なんでこんなことするのよ……死ねえっ!」
茹だった頭では、整理のつくはずもなく。また埒もないことを口走った。
息が切れる。でも疲れたわけじゃない。苛立ちをぶつける相手が、居なくなったから。
広大な草原。それに低い丘から、靄が消えた。人間の形をした物も見えない。ゆっくりと右から左へ、左から右へ。睨みつけても、なにかが動き出す気配は失せた。
「なんだって言うのよ――」
思いきり怒鳴りつけたい気分だった。しかし聴いてくれる相手は、丈の短い草木しか居ない。
胸に空いた穴を、平和な風が冷やしていく。だから咽てしまって、咳き込んで呟くしかなかった。
それからしばらく、あたしは動かなかった。動けなかったのでなく。
二百年前の戦争は、ここから遠い。箒の全力でも、一日では着かないほど。でも同じ大陸で、同じ空の下だ。足下から真上に、視線を動かす。忘れたいと思うほど記憶は色を薄め、輪郭だけが際立っていく。
「帰ろ」
正面にあった雲が、いつの間にか居なくなった。とりあえず家に戻ろう。単純にそう思って、口に出した。すると思いがけず、胸が軽くなる。
そっか。あたし、帰れるんだ。
少し前まで、家とは寝起きする為の場所だった。当面の荷物を置き、雨風を塞ぐ為の物陰に過ぎなかった。
しかし今は、ただいまと言える。おかえりなさいと言ってもらえる。
「ショタァが!」
気付いて、振り返った。
言いわけはしない。しても意味がない。あたしは忘れていた。怒りに身を任せて、ショタァのことを忘れていた。
きっとヨルンが守ってくれている。などと咄嗟に思い浮かべたのも、身勝手が過ぎる。あの子はあたしと一緒に居たいと言ってくれたんだ。
「ショタァ!」
累々と兵士たちの倒れた草原を走る。こんなに進んだろうか。家の裏口に立つ人影が、針先くらいだ。
でも立っている。壁に縫い付けられているのでもなければ。
「無いわ。そんなこと、あっちゃいけない」
平坦な草原が、いつもの倍も凹凸を激しくさせた。これも誰かの意地悪、なんてことはない。あたしが焦っているだけ。
走って、走って。目指すランタンの光が、世界の果てに思えた。
でもようやく辿り着く。ショタァは無事に、ヨルンと並んで立っていた。見回すと、あたしが撃ち抜いたのとは違う兵士も倒れている。馬鹿力で、主に頭をひしゃげさせて。
「ごめん、ショタァ。怖かったでしょ」
ただいまの前に謝る。守ると決めたのに、放ったらかしたのだから。頭を撫でようと手を伸ばしかけ、引っ込める。
ショタァは、答えない。なんだか目をぱちぱちとさせ、どうにか首を振って否定だけはしてくれた。
「本当にごめん」
「い、いえ。アーシェさんも怪我が無さそうで良かったです」
鉄の芯に貼り付けたような、固い声。あたしに向く目も、焦点は違うところで結ばれている。
「お疲れさまでした。お、お茶、お茶を淹れますね」
労ってくれる少年の手で、金属製のランタンがカチャカチャと細かく震えた。
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