第7話:【アーシェ】伝わらぬ思い─2
「早速だけど、頼みたいことってなに?」
「えっ、と。あの――いきなりですね」
「言いにくいこと?」
お近づきに、もう少し世間話でもあると思ったのか。エトはあたふたと、周囲を気にした。
暗い空の下でもはっきり分かるくらい、頬が真っ赤になっている。どうやら怪しげな仕事では無さそう。
「そ、そういうわけでは。ええとあなたは、他では請けてもらえない困り事を必ず解決してくれると聞きました。間違いないですか?」
「聞くだけはなんでも聞くけど。必ず解決、ではないわ」
こちらの質問をはぐらかすくせに、自身の疑問は解消を図る。こういう相手はイラッとする。目くじらを立てて怒るほどじゃないけど。
「まあ、なんとなく分かったわ。好きな女の子が居るのね」
「ええっ。ど、どうして?」
せっかく声を潜めてあげたのに、当人の驚きが賑やかだった。幸い近くを通る人はみんな、足早に駆け抜けてそれどころではなさそう。
「アーシェさん。こんなところで魔法を使っちゃっていいんですか」
「大丈夫よ、使ってないから」
ローブとレースと、纏めて握ったショタァが引っ張る。彼はあたしにだけ聞こえるよう、ひそひそと忠告をしてくれた。
うぅん、今すぐ頬ずりしたい。
見ているとそのまま家へ連れ帰ってしまいそうで、泣く泣く視線をエトに戻す。依頼人はようやく覚悟を決めたように、耳打ちの風で言った。
「実は、その通りです。ある女性についてお願いしたくて、でもこの雨で帰ってしまいました。その男の子も濡れてはまずいでしょうし、宿で待っていてもらえませんか」
そこなら宿代も都合できる。と彼が申し出た宿は、ニーアでも一番の安宿。安さだけが取り柄で、常にコオロギやハエの飛び回るような店だ。
ショタァをそんな所へ入れるわけにいかない。丁重に断り、普段あたしの使う宿の名を伝えた。食事は出ないけど、銀貨二枚を払えば清潔で安全な部屋を貸してくれる。
「最終の馬車が出たら、すぐに伺います」
「食事でもしながら、のんびり待ってるわ」
話す間にも、雨は強さを増した。フードの無いショタァは、もうずぶ濡れだ。なにか雨具を買ってあげようと心に決め、とりあえず宿を目指す。
「アーシェさん、フードをかぶってください。風邪ひいちゃいますよ」
「あんたが大丈夫なんだから、あたしも大丈夫よ」
「でも。うわっ」
言い張る彼を「うるさいなあ」と抱き上げる。歩幅を合わせて歩くのはとても楽しいけど、今は早く宿へ着きたい。
決して。公衆の面前で堂々と抱っこ出来ることを悦び、狙ってのことじゃない。
うふふふふ。
雨から逃げる人々が、馬車道を右往左往。宿のある通りへ一つ折れると、それも落ち着いた。概ねまっすぐの横道に、通行人は片手で数えられる。
たったったっ、と軽快に走った。脚に絡まる布も、なぜだか全然気にならない。
「あっ、お姉さま!」
あと一区域走れば、宿に着く。というところで、正面から声をかけられた。
知った顔だ。見た目に二十歳前くらいの、健康的な女の子。
「あら、ベス。雨の中をお出かけ?」
立ち止まるのは躊躇われたけど、無下に扱うのもかわいそう。仕方なくゆっくり歩くと、彼女も後戻りで着いてくる。
「そうなんですの、広場に忘れ物をしたみたいで」
真っ赤なワンピースの胸と裾に、刺繍の花が咲き誇る。その上へ
それも、扇いで風を起こせそうなフリル付きがベスのお好みらしい。
「すぐだから平気と思ったのに、これほど強くなるなんて思いませんでしたわ」
背中で二つに分けた、銀色の髪。ベスはひと束ずつを胸の前へ持ってきて、ぎゅっと絞った。
「お姉さまこそ、お越しとは存じませんでした。言ってくだされば歓迎しましたのに」
「頼まれて、さっき着いたばかりなの」
「そうなのですね。宿はいつもの所へ?」
そうよ。と答えたころには、ベスの目があたしの胸へ向けられていた。
「あら、あなたは初めましてね。お名前を聞いてもいいかしら」
心得ている彼女は、問いの最後にあたしを見上げる。目の前で連れの本名を聞くような真似はしない。
「ショタァよ」
「へえ、変わった名前ですのね。お姉さまの知り合いの子なの?」
ベスの声は、またあたしの腕の中に向けられた。でも今度は、ショタァがあたしを見上げる。
意図を察し、その通りと頷く。彼には以前、ベスのことを話した。彼女もあたしと同じく、魔女だと。
「あの。一応、使い魔なんです。アーシェさんに呼び出されました」
「ええっ? あなた人間でしょ。そんなこと……あるみたいね」
傍目に使い魔か否か、判別する方法はない。ショタァのように、なんの特徴もない人間だと特に。
でもあたしが否定しなかったので、信用したらしい。
「じゃあベス。着替えないといけないから」
「ええ、お姉さま。後でなにかお届けしますわ」
宿に着き、彼女は再び大広場へ向かって去った。豪雨と呼んで差し支えない水のカーテンが、あっという間に後ろ姿を包み隠す。
「よく拭くのよ。魔女も使い魔も、不老不死ってわけにはいかないんだから」
「あの、僕、自分で拭けますからっ」
通された客室で、ショタァの服を全て剥いた。ずぶ濡れなんだから、誰に咎められる謂れも無い。
あたしも下着まで脱ぎ捨て、大きな手拭いで彼を拭いてあげる。結婚しろなんて言う割りに、両手で目を覆うのがもう堪らん。
「ふう、堪能した」
「なんのことですか?」
持参した服に着替え、濡れたのは壁に吊るし、人心地ついた。
ベッドに倒れ込むあたしをよそに、ショタァはいそいそと荷物を探る。なにかと思えば、ポットを取り出した。
「温かいお茶を淹れますね」
「あぁぁ、ありがと。あんたもしかして、天使とか?」
「いいえ。僕はアーシェさんの婚約者です」
「だから違うってば」
何度断っても、全然へこたれない。あまつさえ「照れちゃって」などと、独り言なんか言ったりする。
薬茶を用意する手が止まらないのに免じて、突っ込まないでおくけれど。
「ところでアーシェさん。まさかと思いますけど、エトさんの好きな人ってベスさんでしょうか」
「ええ? どうしてそう思うの」
「こんな雨の中、忘れ物を取りに行くって。それなのにアーシェさんに着いてきて、また戻るって。よほどの用事かなと思いました」
忘れ物と言ったからと、本当になにか品物とは限らない。言う通りだけど、想像してもきりのないことだ。
それにエトから聞けば、真実はすぐに分かる。
「さあ。どうだか分からないけど、そうじゃないことを祈るよ。魔女を好いたって、いいことなんか無いもの」
などと話していると、扉がノックされた。返事をすると、宿屋の奥さんの声。
「エトヴィンという方が、いらっしゃってますよ」
「はぁい。下ります」
「お茶はまた後で、ですね」
肩を竦めるショタァの頭を、ぐりぐりぐりっと撫で回す。
奥さんはあたしたちを、宿泊者がくつろぐ暖炉の前へ案内した。そこにはもちろん、毛布を与えられたエトがぶるぶる震えている。
「お仕事、大変ね」
「い、いえ。こ、これでも今日は、最後の便が休みになったので。よ、良かったです。ううぅ」
やはり奥さんの親切らしいスープを啜る。焦る理由もなく、あたしたちも敷物に座り、スープが無くなるまで待った。
「お手数ばかりかけて、すみません」
「構わないわ。報酬さえ、きちんとくれればね。それで?」
改めて事情を問うと、今度はすらすらと話し始める。壁を叩く雨の音で、よそへは聞こえないと安心してかも。
「あの広場へ、パン売りに来る女性のことなんです」
「まさか。その子が好きだけど恥ずかしいから、代わりに伝えろとか言わないわよね」
まだ寒さに震える手の平を、エトは自身の顔に打ち付ける。そんなことしたって、図星なのはごまかせないのに。
「い、いえっ違います。いや違わないんですが、お願いしたいこととは違います」
「じゃあなに?」
深呼吸があって、「実は」と。エトは依頼を口にした。雨音の中でも、声を小さく。
「ここ数ヶ月、この町で。二十歳前後の女性が行方不明になっています。私の聞いただけでも三人。あの女性が、いつ同じ運命に遭うか。私は心配で心配で」
青臭い相談だなと高を括っていたら、随分ときな臭い話が聞こえた。
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