第8話:【アーシェ】伝わらぬ思い─3
「心配なのは分かるわ。でもあんたが頼むべきは衛兵で、あたしじゃない」
「仰る通りです。実は先月、兵士の詰め所にも行きました。でも取り合ってもらえなかった」
眉間に皺を寄せ、俯くエト。街を守るのが衛兵の仕事だけど、よほど大ごとにならなければ奴らは動かない。
盛り場で酔っ払い同士が殴り合うくらい、見てみぬふりどころか囃したてる。それでどちらか死にでもしたら、捕まえて自分のお手柄。そんな輩だ。
けれど何人も居なくなっているなら、それは大ごとなのではとも思う。
「どういうこと?」
「女性たちが消えるのは、決まって盛り場なんです。兵士が言うには、男に囲われてるだけだろうと」
「それもあり得るでしょうね。本人が納得してるなら問題も無いし」
盛り場を一人で歩く女は、全て娼婦。と考える男も少なくない。女たち一人ずつに聞いてみたわけでなし、本当のところは知れないけど。
いい金づるを見つけて、よその町へ行った話もたまにはある。衛兵が、またかと軽く見るのも分からなくはなかった。
「でも私の聞いた三人は、誰もそんな危うい仕事ではなくて」
「で。どうにもならなくて、あたしを呼んだ?」
「そうなります」
期待を篭めた目で、エトは頷く。
知っていることはなんでも話す、と顔に書いてある。そうすればトラブルが解決し、想う相手も安全。などと考えているようだ。
気に入らない。
「あたしのことは誰かから聞いたの?」
「ええ。居なくなった一人が飯屋の妻で、私はその店によく行っているんです。客同士、行方不明のことを話しているうちに、アーシェさんの話も」
だいたいの経緯は分かった。でもトラブルがあったからと、すぐにアーシェの名が出てくるのはいただけない。
あたしは目立ちたくないのだ。そろそろ別の土地へ移動する潮時かもと思う。
「ふうん。それで、パン売りの子はどう関わるの? 一向に名前が出てこないけど」
「あっ、そうでした。彼女になにかあったわけじゃないんです、でも十八歳
「えっ、なにも無いんだ? 歳が近いからってだけね」
たしかに最初から、心配と言うだけで具体的なことは口にしなかったけど。肩透かしにあって、あたしはすっかり呆れた。
「はいはい、なにも無いならなによりよ。どうせ買い物のついでがあるし、出張料はタダにしとくわ」
「はあ、すみません……」
なにも無いなら、あたしに出来ることも無い。敷物を立って埃を払っても、エトは視線で追うばかり。食い下がろうとはしない。
というか。若いと言え大人の女性を、続けて攫うような何者かが本当に居るとして。か弱いあたしに、どうさせるつもりだったのだろう。
「ほらショタァ、部屋に戻るよ」
「えっ、あっ。はい、でも」
あたしにも依頼を突き返されて、エトは抱えた膝に顔を埋める。
そんな青年を、ショタァは見つめた。背を撫でてやろうか、迷う小さな手が宙をさすらう。
「なに? 言いたいことがあるなら、遠慮しないで言っていいよ」
「ええと、じゃあエトヴィンさん。その女の人の名前は知ってますか?」
「え? うん、たしかエルゼというはずだよ」
今度は幼いショタァに頼ろうというのか、エトは素直に答えた。いやさすがに、自嘲しながらだ。
「あの、僕のお父さんがいつも言ってたんです。商売で損をしないコツは、徹底的に相手を知ることだって。そして絶対に負けないっていう一瞬、タイミングを逃さず勝負を仕掛けるって」
ああ、気付いちゃったか。それで出てきた言葉が「お父さん」とは、彼の家族関係がよく分からない。
「う、うん?」
「その人のことが好きなんでしょう? なのにどうして、名前も歳もはっきり知らないんですか? エトヴィンさん優しいから、聞けばきっと教えてくれますよ。そうしたら守ってあげられるじゃないですか」
うわあ、みなまで言っちゃった。ショタァは同情に眉を寄せて、励ましているつもりらしい。
しかし気弱なエトヴィン君には、致命傷だ。
「……そうだ。そうだよね、私はいつもこうなんだ。君はずっと歳下なのに、私の何倍も大人だ」
「えっ。いや、なんで落ち込むんですか。僕、そんなつもりじゃなくて」
ショタァに厭味とか打算とかは無い。あ、いや。あたしに求婚するときは別として。
心底、良かれと思って言っただろうに、エトは泣き出しそうだ。予想外の反応に慌てる使い魔の、可愛さったらありゃしない。
「あ、アーシェさん。あの、なにかいいお守り無いですか。エルゼさんが身を守れるような」
困りごとの相談の他に、あたしはお守りを作って売っている。そこらで扱うような見てくれだけのと違う、本物を。
人攫いから身を守るお守りだって作れるけど、さすがにそんな物を渡せない。
見過ごすつもりだったけど、ショタァに頼まれちゃ仕方がない。エトの出方次第で、もう少し付き合ってあげよう。
「無いことはないけどね。でも、もっといい方法があるよ」
「それは、なんでしょう。どうか教えていただけませんか」
「その答えは、もうこの子が言ったわ」
力んだエトの鼻先に、指を突きつける。行方不明の真偽はともかく、意中の女性と知り合いでさえないのを、部外者がどうもしてやれない。
「え、ええと? 良ければもう少し具体的に」
「明日。その女の子に、あんたのことを聞いてあげる。知っていれば、褒めといてもあげる」
名前が正確かをたしかめ、ある程度の印象まで知らせる。これは破格の扱いと言っていい。
だのにエトは、不安げに顔を曇らせた。
「知らない、と言われたら?」
「知らないとか、実は気味が悪いとか言われたら。すっぱり諦めなさい」
「気味が悪いって」
大広場は雑然としているけど、こうまで思い詰めるエトの視線はかなりのはず。相手の女の子が気付いている可能性は、多分にあった。
「だってそうでしょ。たとえばあんたも、腕力でとても敵わなそうな男に、じぃっと見つめられ続けたらどう?」
「怖いですね……」
苦瓜でも食べたように、「いぃっ」と口が横へ広がる。もしかしたら、それがエルゼの気持ちかもしれない。
「このままなにも無くても、その女の子はいつか誰かの奥さんになるよ。あんた、我慢出来るの?」
「それは構いません。彼女が幸せでさえいてくれれば、私がその運び手である必要は無いんです」
花を手折り、身近に置きたいと思わないようだ。尊い献身の心、とでも言うんだろうか。
ショタァなんかは目を輝かせ、力強く同意に首を振る。
「誰かをそんなに思えるって凄いですね!」
でも、あたしは頷けない。
「そういうところが無責任だって言ってるのよ」
「む、無責任?」
「ええ。荷物を半分持つって喜ばせて、やっぱり重いからやめる。あんたのはそういうやり口よ、親切心ではあるんだろうけど」
座ったままのエトは、見上げる視線を力なく下げた。羽織っていた毛布も床へ落とし、「そうかもしれません」と首肯する。
「でしょ。関わるなら、諸共に押し潰される覚悟を持ちなさい。そう思えないなら、関わらないことね」
これは極論だ。でもあたしの、正直な感想でもあった。これくらい呑み込めないようなら、助けてはエルゼの迷惑になる。
エトは顎を引くようにして唾を飲み、おもむろに立ち上がった。それでもなお、言葉を選ぶ間が幾らかあって、おずおずと答える。
「……分かりました。もし、彼女が私を疎んでいないなら。堂々と助力を申し出ます」
「なら、引き受けるわ」
あたしの答えは、悩む必要が無い。精々の笑みを見せてあげたのに、エトは奥歯を噛み締めつつ宿を去る。
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