第二十八話「オンリー ロンリー グローリー」

                ◇


 金曜日。ブッキングライブまであと二日。

 俺達ロックスタディは部室で本番に備えた通し練習を終えた所だった。


「――うん。これなら明後日のライブも問題なさそうですね」


 満足そうに頷きながら、響はデジカメの電源を落とす。

 俺達が演奏している様子を撮影して、実際に観客からはどう見えているのかを確認する、ステージングの詰めの作業だった。


「なるほどね。確かにこうして見ると、ステージングってかなり大事だな。本番前に気づけてよかったよ」

「ロックバンドが棒立ちじゃ様にならないですからね。ライブって結局、そこも含めたパフォーマンスだから。見落としがちだけど、大事な事ですよね」


 確かに。実際、文化祭とか軽音の大会とかの演奏動画を見ると、ほとんどのバンドが棒立ちで手元をガン見という、かなりガチガチなパターンが多い。俺自身も動いてるつもりでも全然動けてなかったり、何か凄いキモい動きになってたりで、正直最初は直視するのが辛いレベルだった。

 その点、上手いバンドはステージ上の動きも軽快でこなれている。響の言う通り、ライブってのはただ正確に演奏すればいいってもんじゃない。のが、何よりも大事な事なのだ。


「アタシ、ドラムで助かったわ。目の前で観客煽るとか性格的にぜってー無理」

「ははは。でも逆に全然動かないバンドとかもいるよな、オアシスとか」

「まぁそこは結局、割と個人のキャラクター性によるっていうか。ぶっちゃけ結果よければ全部オッケーなんですよ」

「ずいぶんぶっちゃけたな……。でもその点、響と音無先輩は流石だよな。音も動きも、イメージ通りにかっけぇし。ステージ映えするっつうか」

「そうですかね。オレから見たら高宮先輩も、最近凄い良い感じですよ」

「え、そう?」

「はい。歌も、動きも。堅さが抜けたっていうか、自信がついたっていうか。この短い間にずいぶん変わったなって気がします」

「マジか。いやー、自分じゃよくわかんねーけどなー。げっへっへ」

「またすぐ調子に乗りやがる……」


 片づけをしながらそんなくだらない会話を交わしている、と。


「やっほー! お疲れロックスタディ!」


 部室の扉が開き、入り口からもはや見慣れた五人組が姿を現した。


「おー、お疲れスニーカーズ。これから五人で練習か?」

「そ。誰かさんのおかげで数か月ぶりのね」

「あっはっは。手厳しーね、のえるは」


 皮肉を言う神崎に、姫路は屈託のない笑顔を返す。


「そこ二人、なんかずいぶん仲良くなったな」

「まーね。昨日はもうさんざん本音でやりあったから」

「もうすっかりマブダチって感じ? にゃはは」

「調子乗んなっての、この」


 慣れ慣れしく肩を組んでくる姫路に、神崎は肘でつついて反撃する。

 たった一日で変わりすぎだろこいつら。まぁ、なんにせよ良かった。姫路も憑き物が落ちたのか、表情が明るくなってるし。


「……みんな、本当にありがとうね。なんて、お礼言ったらいいか」

「もし何か困った事があったら気軽に言ってくれ。今度は私達が力になる」

「いや別に俺ら大した事してねえし、気にすんなって。こないだのだって、この人が一人で姫路ん家行くの怖いから助けて~ってベソかいてっから仕方なく皆で、」

「ッお、おい! アタシは言ってねぇぞそんなこと!」

「へー。あたしの事でベソかいてたんだ、香月ちゃん」

「前から思ってたけど、五十嵐さんって意外と可愛いとこあるよね」

「うむ。一見近寄りがたい印象だが、ギャップ萌えの属性があるな」

「うんうん。それにドラムもすごい上手だし、すごくカッコいいよね」

「真面目な所も好感持てますよね、五十嵐先輩は。オレも尊敬してます」

「そうそう。それに何だかんだ優しいしな。勉強できるし、教え上手だし」

「っ、な、なんなんだお前らさっきから! や、やめろ! そんな目でアタシを見るんじゃねえ!」

「よーしよしよし。香月ちゃんったら照れちゃって。可愛いね可愛いね~」

「あ、頭を撫でんじゃねえええええ!」


 スニーカーズの面々に、五十嵐がオモチャにされている。こうして見ると、結構弄られキャラだなあいつ。面白いからほっとこ。

 

「あれ? そういや音無先輩は?」

「ああ。さっきぬるっと帰っていきましたよ。一ノ瀬先輩も一緒でした」

「そっか」


 ちょっと話したい事があったんだけど。……まぁいいか。


「ところで響、チケットのほう今どんな感じ?」

「ああ。オレの分はとっくに売り切れましたよ。何件か取り置き予約も入ったし」

「マジかよ、流石だな」


 前からノルマなんて楽勝とか豪語してただけの事はある。コイツ、前のバンドで顔も知られてるから、それだけで買う固定ファン層みたいなのが既に居るんだよな。やっぱりイケメンは強い。一家に一台。一バンドに一イケメン。

 ちなみに俺らのノルマは一枚1500円を20枚。普通はメンバーの人数で割って各員が売る形になるんだろうが、響は面倒だし効率的だから自分が全部売ると言い出し、流石にそれはどうかと思ったので俺が半分を引き受けた形になった。


「先輩の方はどうですか。売り切れないようなら、オレが引き受けますけど」

「ああ。俺は大丈夫だよ。まだ微妙に残ってっけど、ちゃんと当てもあるし。それより姫路、そっち大丈夫か? 一人で二十枚って相当きついだろ」

「あ。あたし? 大丈夫大丈夫。ちゃんと全部売り切れたよ! みんなが手伝ってくれたから」

「え。マジか。二日くらいしかなかったのに、すげーな」

「ああ。何かコイツ、意外と男子のファンついててさ。ほら、アンタの連れの安藤と水無瀬だっけ? あいつらも喜んで買ってったよ」

「あ、あいつら……」


 俺のを徹底的にスルーしてたのはそういうわけか畜生。まぁいいけど。


「あとは、三好先輩が根回ししてくれたお陰かもしれないな。困った時は名前を出せと言われていたのだが、実際それで何人か女子も買ってくれた」

「なるほどね。三好先輩もその辺のケアは流石だな。――どうよ姫路。おとといギリギリで仲直りしてよかっただろ? じゃなきゃ今頃お前三万円自腹だぞ」

「ぐッ……ほんと今回は、皆さん、申し訳ございませんでした……!!」

「ふ、ふぇぇ……ぜんぜん誠意が感じられないよぉ……」

「平田さん今日の第一声それ!?」

「はっはっは。なほはこう見えて意外と毒舌だからな」


 和気藹々と笑うスニーカーズを後目に、俺はギターケースを背負う。


「んじゃ、ぼちぼち俺らはお暇するか。五十嵐は残ってドラム教えるんだろ?」

「ん、ああ。まあな」

「でも本当にいいの? あかりちゃん。あたし別に今までどおりドラムやるよ?」

「ううん。いいの。私、またみずきちゃんが歌ってるところ見たいから」

「あ、あかりちゃあああん……ほんと良い子ぉ……」

「五十嵐、ちゃんと優しく教えてやれよ」

「わ、分かってるっつの。余計なお世話だ!」


 確かに。それは言うまでもなかったか。


「じゃあなスニーカーズ。姫路、俺との次の勝負、忘れんなよ」

「分かってるって。またぼっこぼこにしてやんよ!」


 勝気な笑顔を見届けた後、俺は響と二人で部室を出る。

 一階に降りたところで響は女子グループに捕まり、俺は一人で昇降口を潜った。


                ◇

 

「じゃあ、頑張ってください! 楽しみにしてます!」

「ありがとうございます! 頑張ります!」


 手を振りながら去っていく二人組を見送り、俺はまたアコギを抱え込む。


(――、これで残り二枚)


 時刻は十八時半。日も暮れかかった東谷の街に、俺は一人で繰り出していた。

 私服に着替え、路上ライブが許可された公園で、アコギの弾き語りで自分の曲を歌う。最近は家に帰る前に一時間程度、こうして過ごすのが日課になっていた。

 目的としては、ライブの宣伝とノルマ分のチケットの販売。地道に続けた甲斐あって、残りあと二枚という所まで捌けている。もっとも半分くらいは、さっきの女子二人みたいにハルシオン目当ての体育館ライブのついでに俺達を知ってくれた人なんだけど。もう半分は、顔も知らない赤の他人。

 何でこんな事を始めたのかといえば、単純にやってみたかったのと、次に繋がると思ったからだった。友達や家族にチケットを買ってもらったって、それは次には繋がらない。俺達の事を知っている学校の連中にしてもそう。自分の事を知らない人間に、自分の価値を突き付けて、買ってもらう事に意味があると思った。

 そして結果的に見れば、もう一つ意味は生まれていた。人前で自分のうたを披露して、お金を貰う――それは今の俺にとって限りなくシビアで、実戦的で、否応なしに色々な事を考えさせられる体験だった。


 音楽とは何か。芸事とは何か。

 目の前に居るこの人達に、俺は一体何を与えられるのか。


 それを手触りのある現実として意識するようになってから、歌い方も歌詞も、どんどん変わっていった。さっき響が言っていたように、俺に変化があったんだとしたら多分、そういう部分なんだろう。


 世の中、色んな人が居る。


 馬鹿馬鹿しい話、俺は今更それを実感した。

 公園にこうして座り込んでるだけでも、老若男女さまざまな人間の姿が目に映る。歩きタバコのサラリーマン。歩道を走るジャージ姿のランナー。母親に手を引かれながら、不思議そうに俺を見る子供。スマホのカメラを向ける女子高生。説教してくる酔っ払いのおっさん。厳つい顔の割に、去り際に頑張れよとか言ってくる気のいいヤンキー。俺に興味を示す人たち、全く興味のない人たち。

 身近な人間にしてもそうだ。家族の事を考えてる千春。父親の居ない一成。迷走する姫路。夢を見る暇もない神崎。エトセトラ、エトセトラ。


 みんな、それぞれの人生を生きている。

 俺が好きなモノも、夢中になっているモノも。何の関りもないままに。

 

(……やりたい事を、やる)


 それが正しいと、それを信じて生きていればいいと俺は思っていた。


 だけど、違う。


 人は、社会は、音楽は。俺のやりたいことの為にあるわけじゃない。

 俺はモラトリアムという、社会が与えてくれる時間の中で、親や周りの人間にやりたいことをさせてもらっている。


 チケットノルマが重い? 好きでやってるんだから当たり前だ。

 俺の都合なんて、俺の都合でしかない。他人にとってはどうでもいい。


(……なら)


 歌う事は。曲を作る事は。

 今まで俺が漠然とやってきたそれは一体何を意味するのか。

 俺は音楽に、一体何を求めているのか。

 

 ――それは。 


「あら、あら。こんなところに駆け出しのミュージシャン気取りが」


 艶のある声が響き、見覚えのある人が歩み寄ってきた。白金の髪、白い服、黒革のバッグ。白く美しい美貌に不遜な笑みを浮かべて、俺を見下ろす。


 ヴィクトリカのボーカル、真行寺奏恵。

 

「お。どうも真行寺さん。俺の歌聴いてってくれるんですか」

「は。冗談言わないで? 貴方の歌なんて聞きたくないわ?」

「まぁ、でしょうね」


 俺が苦笑すると、真行寺さんは俺の横に座り、嗜虐的に口元を歪める。


「それにしても路上ライブだなんて、ずいぶんな事に手を染めたものね。知ってる? 日本の街中でそういう事は禁止されているのよ。あなたのやっている事は違法よ違法。犯罪行為。前科一般ねおめでとう」

「ああ、もちろん。それは知ってますよ。でも東谷ってストリートパフォーマー制度ってのがあって、それに申請すれば、許可された地域ん中で路上演奏とか色々できるんですよ。見ての通り、俺以外にも色んな人がここでライブしてますし」

「ふうん? 東谷が音楽文化が盛んな街とは聞いていたけれど。日本にしては寛容な地域もあったものね」


 ちなみに路上演奏が日本の街中で禁止されてるのは本当の話だ。一応、警察に許可を取ればOKとされてはいるものの、一般の一個人にそんな許可が降りる事は殆どなく、実際のところ路上ミュージシャンたちの多くは無許可で演奏していて、警察の温情で注意のち即撤収で何とか黙認して貰っているのが現状なんだとか。

 もっともこの東谷の街のように、ストリートミュージシャンの為の制度が設けられた地域もあるみたいだが。全国的に見たらかなり珍しい例らしい。


「でも、それって逆にどうなのかしら? 実際に集まっているのは、気軽さと慣れ合いに甘えているだけの三流ばかり。どうも空気が生温いわね」

「そりゃまた、手厳しいご意見で」

「ああ。もちろん別に私だって素人が趣味で楽しんでいるところに水を差す気はないのよ? でも、ほら。貴方やあそこに居るあの子達みたいに、自分に酔って、いかにもアーティスト気取りって顔の半端者たちを見ると、虫唾が走るのよね」


 視線の先を追うと、アコギを肩から提げた若い男二人組が、額に汗を輝かせながら十人ほどの観客を目の前に熱唱している。この公園ではいつも見る二人組だ。


「どこかで聞いたような古臭い曲。勢いに任せた稚拙なパフォーマンス。あれで本気でプロを目指しているつもりなら、神経を疑うわね。あれじゃ何年やっても芽は出ない。何故だかわかる?」


 少しだけ考えて、俺は答えを返す。 


「……目的意識が曖昧だから、とかですか? 本気でプロを目指すなら、路上演奏なんかより、オーディションとか。いくらでも現実的な選択肢があるだろうし」

「もちろん、それもあるわね。成功しない人間は大抵、やり方を考えない。考えたとしてもすぐに正解を導き出せない。だから無駄に遠回りをして、無為に時間を浪費し続ける。まず物事を見る視点からしてお話にならないのよね。仮にまともな視点を持っていたとしても、それはただの必須事項に過ぎない。貴方の出した答えはとてつもなくレベルの低い、問題外の話だわ」

「……じゃあ、正解はなんですか?」

「才能がないからよ」


 とてつもなくシンプルで、現実的な答えだった。


「地道に努力を続ければ、いつか芽が出る――なんていうけれど。その言葉の意味を履き違えている人間は多い。どういう事か分かる?」

「努力してる天才に、凡人は一生追いつけないみたいな話ですか」

「答えとしては近いけれど、惜しいわね。学力、体力、経済力――確かに誰でも努力次第である程度のものは手に入れられるわ。だけど、努力は万能じゃない。積み重ねじゃどうにもならないものもある。何だかわかる?」

「ぱっと思いつくのは、……顔とか、声とか、身長とか?」

「それは子供でもすぐに分かる答えね。私が言っているのは、もっと曖昧で、気づきにくいモノの話」

「気づきにくいモノ? ……それは?」

「魅力、よ。センスや個性、アイデンティティ。総じて他人を惹きつける能力の事。魅力のない人間がいくら努力を積み重ねた所で、その本質的な部分は変わらない。――ああ、もちろん。日常生活程度の話なら別よ? ただ魅力がステータスとなるプロフェッショナルの世界において、


 全てがそうとは限らない気もするけれど。言ってる事は分かる気がする。

 プロの世界は才能のある人間の中から勝ち残った最高の才能の集まり。才能のない人間が努力した程度で割り込めるような、甘い世界じゃないという事だろう。


「分かりやすい例を挙げましょうか。例えば路上出身で、今はドームを満員にするほどの有名な二人組のミュージシャンがいるわよね。あの人たちの持つ本質的な魅力は、路上に立っていたその時から変わっていない。そうは思わない?」

「凄い奴は、初めから凄いみたいなことですか」

「そう。キース・リチャーズより優れた技巧を持つギタリストは大勢居るわ。だけど彼らは一生かけても、ステージに立つキース・リチャーズの魅力を得る事はできない。下積み時代が長かったなんて言っている売れっ子のミュージシャンも、結局は日の目を見る機会に恵まれなかっただけのこと。努力を積み重ねれば、才能ないものが手に入るなんて奇跡は起こらないのよ」


 氷のように青白い瞳が、哀れむように俺を睨む。


「……ねぇ、高宮太志。貴方は自分が他人からどう見えているのか気づいてる? 貴方はただ、浸っているだけでしょう? 夢を追っている自分に。綺麗だとでも思ってるのかしら? そんな自分の姿は。残念だけれど、誰の目にもそんな風には映らない。髪の毛を茶色にして、平日の路上でギター持ってる人間なんて、背広もネクタイも見たくないって駄々をこねている、大きな子供にしか映らないわ」


 だろうな、としか思わない。

 俺自身、実際にそういう奴だから。


「……興味深い話でしたけど。それで、俺に一体何の用ですか。まさかわざわざそんな話しにきたわけじゃないですよね」

「もちろん。今のはただのオープニングトーク。軽い前戯に過ぎないわ?」


 悪戯っぽく笑い、艶めかしく指を振ると、真行寺さんは俺の方に向き直る。


「こないだの話は覚えているわよね? あれからだいぶ時間も空いたし。そろそろ正式に答えを聞かせて貰おうと思って」

「こないだの話、って」

「音無さんのことよ。貴方のバンドを辞めさせてほしいって話」

「……ああ」


 何かと思えば、その事か。


「あの話なら、まぁ。普通にお断りします」

「へぇ? 思ったより生意気な答えね。一応理由を聞かせて貰える?」

「シンプルに、それは俺が決める事じゃないので。あの人が抜けたいってんなら話は別ですけど。わざわざ俺らがヴィクトリカに気を遣う理由も、特にないですし」

「ふうん。――なぁんだ。意外に冷静じゃない高宮太志。じゃあこれならどう?」


 にやりと笑みを浮かべながら、真行寺さんは黒革のバッグを放り投げる。

 開いたジッパーの中には、――大量の札金が乱雑に敷き詰められていた。


「……何ですか、これ」

「手切れ金よ。私の財産の半分が詰まってる。これで考え直してくれないかしら」

「……ふざけてるんですか?」

「いいえ、本気よ。あの人にはそれだけの価値があるもの」


 紙幣の束を撫でながら、真行寺さんは平然と言う。


「……冗談にしても。まさか俺がそんなもの受け取ると思ってんですか」

「ええ。だって何をするにも、お金は必要でしょう? 音楽で食っていこうなんていうのなら当然。才能のない人間は、チケットノルマもろくに捌けないものね」

「いや、お気遣いは有り難いですけど、割と捌けてはいるんで。必要ないです」

「そう? ……ふふ。もう少し面白い反応を期待したのだけれど。残念」


 別に残念でもなさそうに、真行寺さんはバッグのジッパーを閉じる。


「それにしても、男子三日会わざればとはよく言ったものね。しばらく見ない間に、何だかずいぶん良い顔つきになったじゃない。褒めてあげる」

「そりゃあ、なんつうか……どうも」

「だけど、まだ足りない。貴方は未熟そのものよ高宮太志。――その濁った眼つき。もうとっくに自分で気づいているんでしょうけれど。気づいた上で目を逸らすのは、結局愚か者と変わらないわ」

「……何の話ですか?」

「あら、とぼける気? あんなに前置きをしたのに、まだ何の話か気づいていないのかしら。ならせっかくだし、はっきりと忠告してあげる」


 蠱惑的な笑みを浮かべると、真行寺さんは俺の首に腕を回し、そっと耳元に囁きかけてくる。


「――


 一瞬、無意識に瞼を見開いた。


「……好きなのはいいことよ? 趣味で音楽をやる事を、私は否定したりなんてしない。だけれど、プロを目指すというのなら話は別。貴方も分かっているでしょう? アレはほんの一握りの、選ばれた人間だけがやっていける世界よ」


 雑踏の音が遠く、街の明かりが滲んで見える。

 蕩けるように優しい声で、真行寺さんは俺の耳に言葉を吹きかけ続ける。


「……貴方くらいの年頃の子が、何かに憧れるのは仕方のないこと。だけれど、それはただのまやかしよ。貴方が、何をきっかけに音楽を始めたのかは知らないけれど。あなたは何も受け取ってなんかいないの。選ばれてなんかいないの。才能のない半端者が夢を見る程、悲劇的な事はない。だからもう、」


 やめておきなさい。

 今ならまだ、引き返せるわ。


「……ねぇ高宮太志。貴方は見た目ほど馬鹿な子ではないでしょう? だったらちゃんと勉強して、いい所に就職して、たまにライブでも見に行って。そんな風に過ごせばいいじゃない。ノルマがどうとか、売れる曲がどうだとか、そんな事に悩む必要はなくなる。大丈夫。貴方が音楽をやめても、貴方が好きな音楽は消えてなくなったりしないわ。貴方の代わりに、貴方より才能のある誰かが音楽を作ってくれる。貴方にしかできないことなんて何も無い。――何も無いのよ、高宮太志」

 

 そこまで聞いて、瞼を開ける。真行寺さんが俺の肩に回していた腕を解く。

 顔を上げて、俺はゆっくり息を吐く。


「真行寺さんって、なんつうか……不思議な人ですよね」

「そう? まぁ凡夫の貴方から見ればそうでしょうけれど。私は別に――」

「いや、そういう話じゃなく。真面目に、やってる事が支離滅裂だなって」

「……どういう意味かしら?」


 真行寺さんは怪訝そうに眉を顰め、サングラス越しに俺を睨む。


「だって真行寺さんの目的って、ヴィクトリカに音無さんを連れ戻す事ですよね。だったら、もっといくらでもやりようがあったんじゃないですか。例えば、最初に会った時から俺の事をあからさまに嫌った風な顔で、ああだこうだ捲し立てて来てますけど。それってぶっちゃけ、あんま合理的な行動とはいえないですよね」

「へぇ。合理的な行動って? 例えば?」

「例えば――本気で音無さんをヴィクトリカに連れ戻したいんなら、俺と敵対するより、友好的に接した方が、多分色々やりやすいはずじゃないですか。今みたいに本音をぶちまけるより、もっとこう、人のよさそうな顔で嘘を吐いたり。もっと効率的で手段を選ばない方法を、取る事ができたんじゃないですか?」

「……何が言いたいの?」

「やり口が。さっき、成功しない人間はやり方を考えないって言ってた割には、考えが浅い人に思える。もしくは」

「もしくは?」

「……馬鹿な高校生に手加減してくれてる、実は結構優しいお姉さん、とか」


 真行寺さんは一瞬だけ固まると、堰を切ったように笑いだす。


「ぷっ、ふふ。ふふふふふ。なにそれ。馬鹿馬鹿しすぎて、逆に面白い見解ね。私が優しい? なぜそう思うの?」

「さっき、俺の耳元でなんか長々と喋ってましたよね。あれって、やたら上から目線で意地悪な感じがしたけど。よくよく聞くと、すげーまともな事言ってるなって。俺、もっと意地悪だったり、テキトーな人たちのこと見てきてるので。安易に頑張れとか言ったり、根拠もなくやめろとか言ってきたり。……それに比べたら真行寺さんって、ちゃんと俺に向き合ってくれてんなって思ったんですよ」

「あらあら。ずいぶんと殊勝で無防備な心構えだこと。詐欺とか変な宗教に引っかからないか心配だわ?」

「あと別にそれだけじゃなくて、根拠はもう一個あります」

「へえ? それは?」

「……音無先輩が、貴女を信用してる事」


 真行寺さんの表情から笑みが消える。


「俺は別にあの人と付き合いが長いわけじゃないし、貴女とどういう関係か知らない。だけどあの人と打ち解けられる貴女が、悪い人だとは俺には思えない」

「思えない? ……ふふ。思いたくない、の間違いじゃないの?」

「そうだとしても、関係ないです。俺はあの人を信じてる。だからあの人が信じる貴女の事を信じてる」

「無茶苦茶な論理ね。じゃあ音無さんの信じている私は、一体どんな人間だと?」

「そうですね。……いくら破天荒に振舞っていても、冷酷な手段を選び切れない。そういう人並みの甘さを持った――普通の人間だと、俺は思ってます」


 言い切ると、真行寺さんは俄に目を見開く。


「――普通の人間、ね」


 どこか虚ろに呟くと、真行寺さんは儚げに瞼を閉じる。そして、


「……ふふ。なかなかほざくじゃない。気に入ったわ」


 と。何故だか妙に、嬉しそうに笑った。


「ただ、惜しいわね。目の付け所は悪くないけれど。貴方は根本的に私という人間を勘違いしている」

「へぇ。……っていうと?」

「確かに貴方の言う通り、音無さんを引き入れるのに、もっといい方法はあったかもしれない。ただ私がそれを選ばなかったのは、別に貴方に情けをかけたからじゃないわ。単純にプライドとしての問題。そんな方法に頼らなくても、貴方に勝てる自信があったから、あえて手ぬるい方法を選んだ。それだけの話」

「成程。……要するに、俺の事をめちゃくちゃ舐めてたと」

「そういう事。今日こうして話しかけたのも、実は単なる憂さ晴らし。モラトリアムを満喫してる夢見がちなガキに現実を突き付けて、ボコボコにしたかっただけ」

「とんでもねえ悪党だなオイ!」

「当然よ。私はロックスターになる女だもの。気に入らない奴はぶっ潰すだけ。それともまさか、聖者でも相手にしてるつもりだったのかしら? ふふふ」


 にやにやと、楽しそうに真行寺さんは笑う。本来、もうちょっと真面目にキレるべきなんだろうが。あっけらかんとした様子に、怒る気も起きなかった。


「……でもね、高宮太志」

「……今度はなんですか」


 サングラスを外しながら、中空を見上げ。真行寺さんは神妙な顔をする。


「……さっき貴方に言った忠告は、全部本当よ。少しでも将来に不安があるなら、やめた方がいい。音楽は、所詮音楽。他と比べて何が特別というわけもない。ロックや、ロックバンドなんて、なおさらの話。古びていくだけの幻想よ。鬱屈した若者たちが、エレキギターの音に熱狂した。そんな時代はもう戻ってこない」


 道を歩く人たちの姿が、遠く霞む。草木が枯れ、青くなり、枯れて、また青くなる。繰り返す度、道行く人の手の中の小さな光が、徐々に数を増やしていく。


 それを眺めながら立ち尽くす俺は、誰の目にも留まらない。


 そんな錯覚を、見る。


「それでもまだ、続けるというのなら。ぜひ聞かせてくれないかしら。夢を見るほど、もう幼くもない貴方が何を思って。何を求めて歌うのか。――その理由を」


 息を吸い、俺は視線を落とした。

 涼やかな夜風が、汗ばんだ首筋を冷やす。

 目を瞑ると、今日まで俺に笑いかけてくれた人達の顔が思い浮かんだ。

 腕の中には、傷だらけのアコースティックギター。

 堅い弦に指を食い込ませると、少し痛くて。生きている実感を覚える。


「――俺は」


 ほんの一か月前まで、有耶無耶にしていた答え。

 それを今なら出せる。そんな気がした。


「――俺は、多分。というか、間違いなく。誰からも好かれるような人間じゃないです。だからきっと、俺の作るモノは、俺自身と同じように、誰からも好かれるような素晴らしいものにはならない。……だけど。俺の事や、俺の作る曲を好きになってくれる人が居る事は知ってる。今はまだ、ほんの一握りかもしれないけど。その人達の期待に応えられる自信はある。だから」


 選ばれなくても、明日を待ち続けた。そんな人たちの事を知っている。

 選ばれなかったなら、選びに行けと。そう叫んだ人たちの事を知っている。


 だから俺も、選びたい。

 一度だけの人生を後悔しない為に。

 

 顔を上げて、真行寺さんの目を真っ直ぐに見る。


「だから、続けますよ俺は。誰に何を言われようと。誰かが俺を信じて、俺が俺を信じてる限り。自分の納得のいくまで、やりたい事をやり続けます。ロックスターになれなくても――誰かのロックスターにはなれるって俺は本気で思ってるから」


 腹の底から、言い切った。

 真行寺さんは俺の目を真っ直ぐに見つめ返した後、茫然と夜空を見上げる。


「誰かのロックスター、か」


 静かに呟くと、やがて真行寺さんは呆れたように溜息を吐く。


「……小さい夢ね。全然ロックじゃない。だけれど」


 穏やかに呟きながら、切なげに真行寺さんは俺の頬に手を触れる。


「私は笑わないわ。貴方の濁った瞳に灯る、その青い炎の煌めきは――のように醜くて、とても美しいもの」


 それからサングラスをかけ直すと、真行寺さんは颯爽と立ち上がった。


「最後にもう一つだけ忠告があるわ。聞く気はある?」

「そりゃもう、是非」

「とりあえずその、他人ひとを善人と見て信用する癖には気をつけなさい。世の中にはね、まともそうなフリして、びっくりするほどクズな人間もいるのよ。どれだけ真摯に向き合っても向き合おうとしない卑怯者や、それなりの立場に居るくせに、あり得ないほど無能な人間も。貴方がこれからどんな世界に生きるにしても、誰が味方で、誰が敵なのか。見定める視点を持ちなさい。いざという時に牙を剥く覚悟のない人間は、食い物にされるだけよ」

「それくらい、言われないでも分かってますよ」

「それならいいけど。――ところで高宮太志。チケットはまだ余っている?」

「? 余ってますけど。何でですか」

「私が一枚、買ってあげる。貴方がどんな音楽を演るのか興味が出たから」


 俺は一瞬、目を丸くした。

 半信半疑のまま、バッグからチケットを取り出して手渡す。


「値段は一応、1500円なんですけど」

「ふうん。そう。じゃあ、そのバッグあげるから。支払いはそれでいいわよね」

「え、は!? いや! こんなもん置いていかれても……!?」

「いいのいいの。それは餞別。お釣りとしてあげるわ? それじゃ!」

「ちょ、待っ! って、えええええええええ!?」


 俺が立ち上がる間もなく、真行寺さんは白金の長髪をたなびかせて、雑踏の中に消えていってしまった。相変わらず凄まじい逃げ足すぎる。


「……っ、なんなんだあの人」


 そんで、どうすんだよこれ。この黒革のバッグ。ひとまず家に持って帰るか? 

 いやその前に一応中の確認を……って、ん? こ、この中身よく見ると。


「……ッ子供銀行券じゃねえかッッ!」


 駄菓子屋とかで売ってるやつ! わざわざ用意したの!? なんて女だよ! いやこんなに札金の大きさ違うのに気づけなかった俺も俺だけども! 

 ……ん? ってか、待てよ。じゃああの人、金も払わず俺のチケット持っていきやがったってこと? ま、まともそうなフリして、びっくりするほどクズ人間じゃねーか! 最後に言ってた忠告ってそういう事!? あの女マジで許さ……ッ


「……?」

 

 大量の子ども銀行券の中に、一枚だけ妙な紙切れが混じっている。

 よく見ればそれは、俺がさっき渡したものと同じ形をしている。


 ヴィクトリカの、単独ライブのチケットだった。


「……ほんと。よく分かんねえな、あの人」


 植え込みの縁に座り直し、苦笑しながら脱力する。

 敵なのか味方なのか。良い人なのか悪い人なのか。もうさっぱりわからん。

 まぁそんなことより、今は。


「……やるか」


 アコースティックギターを抱え直す。チケットは残り一枚。

 ほざいたからには、一歩でも前に進む。             


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