第二十七話「窓の中から」

                 ●


 結局のところ、自分の部屋が一番落ち着く。

 暑い日もクーラーが効いていつも快適だし、誰の目を気にする事もない。

 服はTシャツにジャージ。目元にはファッション性も欠片もないデカ眼鏡。カーテンを閉め切って、太陽の代わりにモニターのブルーライトを浴びる。密閉型のヘッドホンを装着して、ガムでも噛みながらマウスを握れば、後はもう完璧だ。広大なネットの世界に、あたしという人間は影も形もない。名もなき観測者として、膨大な情報を飽きるまで摂取する。SNS、動画サイト、まとめサイト、ウィキペディア。時間なんて無限に潰せる。苦労もなく充足を得る。インターネットはどんなファンタジーよりもファンタジーな魔法だ。この指先一つで、世界と繋がれる。


 だけど本当は。ここには何もない。


 薄暗い部屋の中で、一人の人間が機械の前に佇んでいるだけだ。

 小さな窓の向こうを、眺めているだけだ。


「――、」


 不意に虚しさを覚えて、あたしは手を止めた。PCをスリープさせた後、ベッドに倒れて、ヘッドホンをしたまま天井を見上げる。無音の世界に、沈んでいく。


 14歳の時、何かをしようと思ってこの部屋を出た。

 だけど結局、あたしはこの部屋の中に戻ってきてしまった。


(……ほんと、下手糞だったよな)


 高校に入ってから、やる事なす事、みんな失敗ばかりだ。

 一年生の時は言うまでもなく。二年生になってからは、特にひどい。

 色々恥ずかしい思いをしたけど。一番恥ずかしかったのは、高宮たちに話しかけにいったあの時だな。一人称を僕にしたのはどう考えても失敗だった。小学校と中学校の時もそれで痛い目を見てるのに。――まあ、結局アレは本当はああいう人間になりたかったっていうあたしの願望の現れなんだろうけど。


 なれるわけがないのに。変われるわけがないのに。

 本当に、馬鹿な奴。


(――でも)


 そこから先の展開は、正直予想外だった。あの薄っぺらい化けの皮が剝がれた時点で、全てが終わったような気がしてたから。


 だけどあいつは、あたしを追ってきた。

 突き放しても、突き放しても、どこまでも追ってきた。

 どうなってもいいと思って、投げやりに思うままの言葉を吐いた。

 あいつは笑って、あたしを嫌うでもなく、また普通に話しかけてきた。

 

 正直に言えば、――うれしかった。


 香月ちゃんが、すぐそばに居たからってのもあるけど。あいつと――高宮と話している時のあたしは、ほとんど素の自分でいられた。あいつの、あのわけのわからない熱量に引っ張られて、自分の本音を引き出されて。ずっと踏み出せなかった一線に足を踏み入れてしまった。


 ありのままの自分でいること。

 好きなように好きな事を喋ること。

 気の合う仲間と、思い切り音楽を楽しむこと。


 教室で、部室で、ガレージで、カラオケボックスで。あの三人と過ごす時間は、本当に楽しかった。ずっと夢見ていた理想の学校生活。手に入るはずのなかった日常ものが、手に入っていた。毎日が幸せで、充実していた。


 だけど、あの時にあたしは思い出してしまった。

 自分が本当は、何者なのかを。


『……そういえば知ってる? E組の喜多川さん、学校来なくなったんだって』


 試験が終わった翌週の月曜日。廊下で聞き捨てならない噂を聞いた。

 あたしはすぐにその子達に話しかけて、詳しい情報を聞き出した。

 あたしの靴を隠したり、つまらない嫌がらせをしていたのは、E組の西野グループだったこと。その現場を目撃して糾弾した喜多川さんが、西野グループの反感を買い、その後に嫌がらせの標的になってしまったこと。


 ――今までの人生の中で、一番頭に血が上った瞬間だった。

 

 自分の中の何かがプツンと切れて、身体が勝手に動き出した。E組の教室に乗り込んで、ぺちゃくちゃ呑気に喋ってる西野の胸倉を掴み上げた。文句があるならあたしに言えよ。相手を間違えるな。なんのこと? 狼狽えながらとぼけるその顔に、平手を叩きこもうとした時、取り巻きの男子たちに抑え込まれた。それに抵抗して暴れるうちに、凄い騒ぎになって、他の皆が駆けつけてきた。


 熱していた頭が急に冷めて、とてつもない自己嫌悪の波に襲われた。


 ――あたしは、一体、今まで何を。


 西野たちへの怒りよりも。あんな事をしでかしておきながら、今までのうのうと生きていた自分への怒りが勝った。

 スニーカーズを滅茶苦茶にしたのは、あたしだ。あの子達から、大事な部活の時間を奪ったくせに、それを気にもかけず、自分だけが楽しい思いをしていた。更には暴力沙汰を起こして、高宮くん達の評判まで下げる真似をしてしまった。


 ――、くそやろう。


 そして、罪悪感に耐え切れなかったあたしはまた突飛な行動に出た。

 部活をやめる。人付き合いをやめる。家の中に閉じこもる。

 いつも通りの、間違った方法。自分が一番楽になれる選択肢を選びとった。


 ――自分が嫌いなら、自分が苦しい方を取っとけよ、バカ。


 本当は、どうするべきだったのか分かってる。高宮くんの言う通り、あたしは、皆とちゃんと向き合うべきだった。有耶無耶にしないで、独り善がりな方法を取らないで。絡まった糸を、一つずつ解いていけばよかった。

 

 ――だけど。あたしは弱虫だから。

 

 あれ以上優しくされたら。あの優しさに甘えたら。

 きっと、本当に狂ってしまうから。

 こんな方法しか、選び取る事ができなかった。


「……ほんとに。失敗ばっかだな。あたしの人生」


 だけど、後悔はない。

 あの日、何かをしようと思った。

 このちっぽけな部屋の中から、窓の向こうの世界に憧れた。

 そんな自分を、許してあげたい。

 無意味じゃなかった。今はもう、それだけでいい。


(……これから、どうしよっか)

 

 ひとまずは時間が欲しい。立て直すのに何をすればいいのかを考えたい。ゴタゴタになった人間関係も、事務的に処理していけば大丈夫なはずだ。誠意ある対応ののち、低速に疎遠になる。これが一番、穏便で大人な対応だろう。


(とりあえずは、ライブ。ちゃんとやんなきゃな)

 

 穴埋めで急遽出る事になったから、ノルマとかはないらしいけど。

 正直、憂鬱だ。ライブに関しては特に不安はないけれど。

 あいつと、一体どんな顔をして会えばいいんだか。


「……ん?」


 不意に、とんとんと。扉を叩く音が聞こえた。

 ヘッドホンを外して聞き耳を立てると、聞きなれた声が聞こえてくる。


「……瑞貴? 起きてる? 瑞貴」


 お母さんの声だった。あたしは答えず、無言で構える。

 何か、普段と違う。妙な気配を感じた。その直感は案の定的中する。


「ごめんね。せっかく来てもらったのに、反応ないみたい」

「あ、いや。全然大丈夫ですよ。俺の方からも声かけてみていいですか」


 思わずあたしは目を見開き、噴き出してしまいそうになった。


(―――本当に)


 しつこすぎるし、むかつく奴だな。

 高宮太志。


「姫路? 起きてるか? 姫路? ……すいません、お母さん。もしかしたら姫路が話しづらいかもしれないので、ちょっと一旦、俺一人にして貰えますか」

「あ、そうね。じゃあ私は下の階で待ってるから」

「すみません。ありがとうございます」


 パタパタと、スリッパの音が遠ざかっていく音がする。

 それを聞いてあたしはベッドから起き上がり、ドアの前に立った。

 ゆっくり深呼吸をする。――大丈夫だ。鍵はちゃんと、閉まっている。


「……聞こえてるか、姫路」

「……聞こえてるけど。何? 高宮くん」


 まずは一手目。平然とした声色であたしは言葉を返す。


「てか、よくこんな遠いとこまで来たね。移動時間、クソ長かったでしょ」

「ああ。思ってたよりクソ長かった。これを毎日往復とか、すげえよお前」

「あはは。でも慣れると意外とそうでもないよ? 集中してじっくり音楽聞けるし。ま、朝が混むのは難点だけどね」


 自然に他愛のない会話を交わした後、あたしは本題を突き付ける。


「……で、何? わざわざそんな世間話にでもしにきたの?」

「……いや。こないだの話の続きをしにきた」


 まぁ、だろうな。平静を保ちながら、あたしは言葉を返す。


「……ああ。ごめんね、こないだは。流石にちょっと冷静じゃなかったっていうか。別に気にしないでね、一時的なヒステリーって言うか、そういうアレだから」

「分かってるよ。それより、今は大丈夫か? 落ち着いてるか」

「さあね。そんなことより、話の続きって何?」

「仲直りする気ねえか、俺たちと」


 一瞬、胸の鼓動が早まった。


「……仲直りって?」

「一方的な無視は無し。前みたいに、普通に俺らと接すること。簡単だろ」

「言うほど簡単じゃないけどね、それ。嫌だって言ったら?」

「嫌って、何が嫌なんだよ。言わなきゃこっちも納得しねーぞ」


 本当にしつこいし、面倒くさい。昭和の熱血教師かよお前は。

 まあいい。この際だし、ちゃんと本音を言ってみよう。


「嫌なのは――、精神が。気持ちが、不安定になるから」

「……それは何でだ?」

「……っはあ? それも説明しなきゃいけないわけ?」

「いや、なんとなくは分かるけど。お前、やたらと自分で自分を責めるタイプだもんな。要するに、他人に影響されて一喜一憂したくないんだろ? 違うか?」

「……合ってる、けど」


 洞察力が鋭すぎて若干キモいな。あたしのストーカーか何かかよ。


「そんだけ分かってんなら、察してよ。どうする事もできないでしょ、こんな奴」

「そうかな。……俺はそうは思わねえけど」


 それから少し、無言の時間が過ぎる。


「……姫路」

「……なに」

「……どうしても、一人になりたいってんだな」

「……うん。悪いけど。あたしにとって、それが一番だからさ」

「……ほんとにそうか?」

「……どういう意味?」

「……それがお前にとって、本当に一番、やりたいことなのか?」


 やりたい事。本当に一番――あたしが、やりたいこと?


「姫路。お前の気持ちが不安定になるのは、人と接してるからじゃない。ちょっと失敗して、色んな面倒ごとを抱えちまってるからだろ。……だけどもし、お前が明日学校に行ってみて、その面倒ごとが全部片付いてたらどうする?」

「どうする、って」

「西野とか、うるせー外野の連中は全員転校しちまって、スニーカーズの連中とも無事に仲直りして、今までどおり、俺らと音楽やったり遊んだりできる。そんな現実を選べたとしても、お前は今みたいに一人になる選択肢を選ぶのか?」


 一瞬、想像する。そんなあり得るはずもない光景を。


「……無茶な事ばっか言わないでよ。無理に決まってるんじゃん、そんなの」

「ま、外野が全員転校ってとこは確かに無理だな。けど他は余裕で実現可能だろ」

「どこが? 高宮くんたちの事はともかく。あたしは、スニーカーズの皆に、取り返しのつかない事しちゃったんだよ。どうやったって、その罪は償えないよ」

「それって、本当に取り返しのつかないことか?」

「だって、あたしが、バンドやめるなんて言ったせいで。皆、練習できなくなっちゃったんだよ? 神崎さんにも、あかりちゃんにも、酷い事言って、傷つけて。高宮だって、あの時一緒に聞いてたでしょ。鬱陶しいから話しかけんな、って」

「ああ。でも、あれって別にお前の本心じゃないんだろ? だったら」

「だったら何? 本心じゃなかったなんて、ただの言い訳だよ。動機も意味わかんないし、人を傷つけた事には変わりないんだから。許されるわけ、ないよ」

「まあ、確かに。それは実際に話してみねえと分かんねえ事かもな。喜多川さん」

「……え?」


 耳を疑った。それからコンコンと、控えめにドアを叩く音がする。


「……みずきちゃん? 私の声、聞こえる?」

「……あかり、ちゃん」


 鈴のように静かで澄んだ音。紛れもない、あの子の声。

 

「……ごめんね、居ないふりして。卑怯だよね、こんなこと」

「っ……別に、そんな。でも、どうしてここに」

「高宮くんにお願いしたの。私もみずきちゃんに会って話したいって。そしたら」

「うん。まあバカ正直に正面から行ったらどうせまたしらばっくれるだろうし? その前に俺が上手いこと本音を引き出したってわけよ。だっはっは」

「っっ最っ低なんだけど、マジで……!!」

「ご、ごめんね。本当にごめんね!」

「あ、いや。別にあかりちゃんに言ったわけじゃなくて……!!」


 ま、まずい。完全に高宮のペースにハマってる。このままじゃ――。


「みずきちゃん。……私の事、嫌い? やっぱり鬱陶しいって思ってる?」


 呼吸が止まる。ドア越しなのに、あの潤んだ瞳が目に浮かぶ。

 そんなわけない。あるわけない。あかりちゃんは本当に良い子だ。

 道に迷ってる人を助けたり、お年寄りに席を譲ってあげたり、見も知らない他人にも、自然に優しくできる子で。いつも無口なあたしにも、誰よりも優しくしてくれた。明るい笑顔で、微笑んでくれてた。


「全然、思ってないよ。……だけど」

「だけど?」

「あかりちゃんは、優しい子だから。あたしみたいなバカで悪い奴と一緒にいちゃダメだよ。あたしにはあかりちゃんの友達でいる資格なんて、ない」

「……みずき、ちゃん」


 それからしばらく、重い沈黙の幕が下りる。 


「……ん? あ、あれ? 喜多川さん。もしかして今ので言葉尽きた感じ?」

「え? あ、うん。私、みずきちゃんのしたいようにさせたいな……って」

「あー。なるほど。そういう感じ。意外と引き際早いんだ。へー。く、クソッ……もっとちゃんと打ち合わせしとくべきだった。仕方ねぇ次だ! 行け五十嵐!!」

「は!? きゅ、急にアタシかよ!?」

「え!? か、香月ちゃんまで来てるの!?」

「わ、わりい。姫路。アタシも別に隠れてたってわけじゃなくて……」

「おい姫路! 五十嵐先生はなぁ、お前の事でここ最近夜も眠れねえくらい胸を痛めてたんだぞ! そりゃもう恋する乙女かっつうくらいのもんで」

「お前ちょっと黙ってろ!」

「ぐらぼへァッ!?」


 ガツン、と。何かが壁にぶつかる鈍い音がドアの向こうから響いた。


「っ姫路。ごめんな。アタシ、去年からお前とバンド組む約束してたのに。何の断りもなくこんなアホとバンド組んじまって。話しかけづらかったよな」

「い、いや。そんなの別に。全然気にしてないよ。あたしは、香月ちゃんが楽しそうならそれでいいやって思ってただけだし」

「そ、そうか。……でも、アタシ今、全然楽しくねえよ」

「え?」

「だって、お前が居ねえとやっぱつまんねえよ。ずっと放置してたくせにこんな事言うの、ほんとおかしいって思うけどさ。バンドの奴らも伊勢エビも、全然ゲームやらねえからゲームの話できねえし。お前が落ち込んでるとアタシも落ち込むっつうか。だから、また一緒に居てくれよ。お前しか、アタシを助けらんねーんだよ」

「……香月ちゃん」


 そうか。あたしは、知らない内に香月ちゃんの事も傷つけてたんだ。

 本当はあたしとゲームの話したかったのに。もっと一緒に遊びたかったのに。

 あたしが勝手に離れてったせいで、香月ちゃんは、――ずっと。


「み、みずきちゃん。私も、五十嵐さんと同じだよ。みずきちゃん、他のみんなと違って、私の好きなアニメの話、真剣な顔で聞いてくれるし。一回だけ私におすすめのアニメ教えてくれたよね。あれ、すごく面白かった。また、私に教えてくれないかな。私、もっといっぱい、みずきちゃんと話したいよ」


 零れ出そうになる涙を、必死でこらえる。


「姫路。もうこれでわかっただろ。お前の友達が、何をお前に思ってるか。喋りたくないならもう別になんも喋んなくたっていい。このドアを、開けるだけでいい」


 そして、あたしは俯いていた顔を上げた。

 目の前には鍵のかかったドア。あたしの心によく似た安っぽい錠前。


(――ああ)


 人生って、クソゲーだ。生まれた時点で色々決まってて。何も思い通りに上手くいかないし。どんなに手酷い失敗をしてしまっても、状況はオートセーブされてるし、ロードなんてできやしない。まして、リセットボタンなんてついてない。


 だけど。リトライボタンだけはいつでも押せる。


 だから何度失敗しても、何度だってそのリトライボタンを押す。 

 負け続けるのは悔しいから。その先にある景色が見たいから。


 あたしはまた、そのボタンを押し込むんだ。


「……分かった」


 前に進み出て手を伸ばす。鍵を開けて、ドアノブを捻る。

 

「―――、」


 そしてゆっくりと開いたそのドアを。

 あたしはすぐに閉めて、また内側から鍵を閉めた。


「……ん?」


 ん??? 何か、何か多くね??? いや多かったよね今???? 

 おかしいな。あたしの見間違いかな? いつものあたしん家の二階の廊下に、軽く7~8人くらいの人間が立って居たような。いやそんなはずないよな。そんなことあったらホラーだよ。大丈夫大丈夫。もっかいドアを開けて覗いてみよう。


「…………うん」


 高宮、あかりちゃん、香月ちゃん――までは、いいとして。

 普通に他のスニーカーズの三人も居るな。っていうか響くんとかもいるし。

 やっぱ、多いな。普通にめちゃくちゃ多いな。いや怖。どういうことだよ。

 勢いよく扉と鍵を閉めて、あたしはスマホで高宮に通話をかける。


『ハイ、高宮です』

「いや、あの、何か。人が思ったより多い気がするんですが?」

『うん。まぁ……やっぱ物量は力だよなって事で……全員で来ちゃった☆』

「いや来ちゃった☆じゃねーよ!?」

『チッ。あーもう面倒臭いな。お母さん、この扉ぶち破っていいんでしたっけ?』

『あ、うん。全然いいよ~やっちゃって』

「え、ちょ、おか、お母さん!? つかそこで聞いてたの!?」

『よっしゃ! 許可は出た! 行くぞ全員、とりあえず扉をぶち叩け!』

「いやいやいや!! 怖い怖い怖い!! 無理無理無理無理!!!」


 ドアが無数の手にドンドン叩かれてる!! もう完全にホラーだよ!!!

 ってか、今の会話も全員聞いてたの!? やっぱりホラーじゃんこれ!!


「姫路! あたしの声、聞こえてる!? あたし、あんたにちゃんと謝らないと! それにいっぱい、話したいことあるし。だから、お願い。出てきて!」


 神崎さん。


「っ私もいるぞ、姫路! ぐすっ……涙声で申し訳ないが!! 私ももう一度、お前とちゃんと話がしたい!! っ無論、もう一人もだ!!」


 秋本。……え? もう一人って、まさか。


「み、みず、みずきちゃん」

「……な、なほ、ちゃん?」


 平田なほちゃん。あたしの次くらいに口数が少なくて、正直未だ何を考えてるのかよくわからないギターの子。まさか、この子も。あたしの事を心配して――。


「わた、わたし。わたしからは――とくにないです!!!」

「特にねぇの!?」


 思わず、高宮と香月ちゃんと三人ハモりで突っ込んでしまった。

 ここまで来てそれは、流石に予想外過ぎる。


「……姫路」


 そして最後に、高宮の低い声が響いた。


「聞こえただろ。お前と関わりたい奴らの声が。どうせお前、ここまでは追ってこないとか思ってたんだろ? あんまり舐めんなよな、ここにいる全員のことを」


 正直。その通り過ぎて、返す言葉もなかった。

 一番びっくりするのは、こんなに人を巻き込んできた高宮の行動力だけど。

 こりゃ負けだ。あたしは苦笑しながら、もう一度ドアの鍵を開けた。


「……ったく。来すぎでしょ。あたし一人ごとき、に――」


 ドアを開けた瞬間、香月ちゃんを先頭に、スニーカーズの面々が部屋の中に雪崩れ込んできて、あたしはみんなの下敷きになる。


「ちょ、ちょちょちょ!!!?? 重い重い! 死ぬ死ぬ死ぬ!」

「ったく、心配かけさせやがって。このこのこのこの」

「痛い痛い痛い! か、香月ちゃん、そのプロレス技はちょっと!」

「よし! この隙にくすぐり攻撃だ! いけ、なほ! あかり!」

「ふ、ふぇぇぇ!!」

「にぎゃあああああ! や、やめ、だ、誰か助けッ……うっ、」


 皆の体温に触れて、堪えていた感情が吹き出てしまう。 


「くっ、う。うえええええ……」

「あ、泣いた」

「そ、そんな痛かったか? 姫路?」

「ち、違う。違くて。だ、だって。あたしの部屋に友達が入ってきたの、初めてだったからああ……」

「み、みずきちゃん……」


 子供みたいにあたしが泣きじゃくると、皆笑って、あたしが泣き止むまで慰めてくれた。開きっぱなしのドアを見ると、高宮たちの姿はもう廊下から消えていた。


                 ●


「お、やっと来た」

「やあやあ姫路さん。元気そうでよかった」

「ま、松本先生? どうしてここに」


 下の階に降りてリビングに入ると、丸々とした巨体の先生がソファーの上に座っていた。そのすぐ傍には、あたしのお母さんと、高宮たちの姿がある。


「瑞貴。先生が、車で皆をここに連れてきてくれたんだって」

「はっはっは。まあ、皆で家に行くっていう提案は高宮くんだけどね」

「いやーでも。急な話なのにここまで協力してくれるとは思ってなかったですよ。わざわざハイエースとか借りてきてもらっちゃって。ほんと有難うございます」

「いやいや、いいんだよ。これでもフットワークの軽さが売りの教師だからね。見た目はこんなデブだけど。はっはっは。あ、このお菓子美味しいですね」


 テーブルの上のお菓子をぱくぱく食べながら、松本先生はコーヒーを啜る。


「ってか、高宮くんはともかく。響くんとか、先輩達まで、来てくれたんだ」

「あぁん? 俺はともかくってどういうことだコラ?」

「い、いや。別に文句言ってるわけじゃなくて……単純に、意外だなーって」

「まぁ、言われてみりゃそれは確かに。響、お前は何でついて来たの?」

「ああ。オレ、姫路先輩の事は尊敬してるので。何か力になれるならと思って」

「え、そ、尊敬!? そそんな、ととと、とんでもない!」

「三好先輩は?」

「俺は部長として、成り行きを見届けに来た。スニーカーズが抱えている問題を見抜けなかったのは部長である俺の責任でもあるからな」

「はっはっは。三好君はなんでも部長である自分の責任にしたがるねえ。どっちかっていうと、顧問の僕の責任なんだけどね。はっはっは」

「それに姫路には、今週のライブの件について確認したい事もある。もしキャンセルするなら、俺達の方で埋め合わせるが。どうだ? まだ出る意志はあるか?」

「……あ、あたしは」


 後ろを振り向く。無理するなと、みんなが目でそう言っている。

 だからあたしは笑顔で、三好先輩の方を見て言った。


「あります! 今週のライブも、来週の大会も――スニーカーズの代表として!

 あたしに出来る最大限を、やり遂げてみせます!」


 あたしがそう言うと、お母さんが笑って。

 少し遅れて、三好先輩も笑ってくれた。


「そうか。分かった」

「いや、よく言った姫路。それでこそ俺の最大のライバル――」

「おめーは一体何目線なんだよ」

「後方ライバル面ってやつですかね」

「っせーぞテメーら! あ。ちなみに、音無先輩は何でついて来てくれたんスか? ぶっちゃけ姫路と、大して接点ないですよね」

「……ん? ああ」


 ぽりぽりと首の後ろを掻くと、音無先輩は涼し気な顔で言う。


「ぶっちゃけノリで来た」


 ……。ぶっちゃけノリで来てたんかい!


「ま、まあとにかく。これで一件落着って事で。さっさと帰りますか、先生」

「うん。そうだね。向こうに着く頃には夜だし、そろそろお暇させて貰おうか」

「本当に、わざわざご苦労様でした。皆も、本当にありがとうね。本当に昔からこの子、手のかかる子で……親に断りもなく急に茶髪とかにするし」

「ちょ、お、お母さん。恥ずかしいからやめてって!」


 どっとリビングが笑いに包まれた後、全員で家の外に出る。


「じゃあな、姫路」

「また学校でな」

「うん。二人ともまた明日ね」

 

 軽く手を振り、あたしは高宮くんと香月ちゃんの背中を見送る。

 少しだけ、その距離感に切なさを覚えながら。


「んー、青春だねぇ」

「なんか言った?」

「いーや、何も。でも若いっていいよねぇ~若さ、若さ~♪」


 またお母さんが変な歌を歌い始めた。さっきはだいぶ抑えてたけど、いつもはもっと変だから本当に困る。いや。今はそんなことより。


「……やっぱり、外の空気っていいな」


 息を吸い込みながら、あたしは思い切り伸びをした。

 じめついた地元の気温も、山に囲まれた閉塞感も、いつまでも鳴いててうるさいセミの声も。何故だか不思議と心地よく、愛おしく思えた。


 あたしは今、窓の外にいる。


 あの部屋の内側から見た、遠い景色の中で。

 今はまだ遠い誰かと、真っ赤な空を見上げている。

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