第二十六話「ビバナミダ」

                 ◇


「……了解した。ではまた後日」

「ああ。頼んだ」


 水曜日の昼休み。俺はスニーカーズのリーダー・秋本と姫路に関する話を確認し終えた所だった。廊下を歩きながら、昨日神崎から聞いた話と照らし合わせ、客観的な事実をもう一度推考する。


(……まず、あいつらの仲違いの一つ目の原因は)


 シンプルに、方向性の違いだろう。

 姫路は選抜ライブに出て、周囲から馬鹿にされる現状を打破したかった。

 しかし他の四人は、それを望まなかった。


 そこまでなら別に大したことのない話。

 問題は、そこからの異常なだ。 


 言うまでもなく、その原因は姫路の行動と発言にある。

 起こった事実と神崎の証言をそのまま信用するなら、確かにあいつは自分勝手で、人の気持ちのわからない人間という事になるが。


 俺はそうは思わない。


 あいつは基本的には冷静で、思慮深い人間のはずだ。少なくともぼけーっと天然で生きてるようなタイプじゃない。確かに人見知りな所はあるが、実際に話してみると、細かい気配りができたり、時々おどけてみたり、社交性は並以上にある。

 ただ時折――その冷静さが、脆くも崩れ去ってしまう。

 分かりやすい例としては、ライブ前の神崎との会話で一回。俺と響にライブ見せた日に一回。そしてあの雨の日に俺と話した時に一回。いずれも姫路は取り乱した様子で、妙に自虐的な台詞を吐いたり、他人をわざと遠ざけるような言葉を吐いている。

 

(……まぁ、あれは十中八九)


 演技か、一時的な感情の高ぶりによる暴走の類だろう。

 以前にも姫路は、前のバンドの事に関して酷く自虐的な発言を繰り返していた。だからあいつが、あの件に関して深い罪の意識を抱いているのはまず間違いない。  

 

 罪の意識。本音を隠す癖。一方的な独り善がり。

 恐らくそれこそが、歪みの源。

 あいつが起こした一連の不可解な行動の理由に繋がっていると俺は見ている。

 

 そして姫路瑞貴という人間を理解する為の、最後のピースを握ってるのは。

 おそらく。……誰よりも仲がよかったあいつだろう。


「……五十嵐、あれ? 居ねえ」


 しかし。早速訪れた二年D組の教室に五十嵐の姿は見当たらなかった。トイレか? とりあえず五十嵐の席の近くに居る伊勢海老コンビに俺は話しかけてみる。


「お、高宮じゃーん。ちょりっすー」

「ちょりっす。五十嵐探してんだけど、見てない?」

「香月ぃ? ううんー朝から見てないよ!」

「え、マジ? じゃあ今日休んだのかあいつ。……電話通じっかな」


 ズボンのポケットからスマホを取り出して通話をかける、が。


「……あれ? 出ねえ」

「え? マジ? あーしもかけてみよ。……ほんとだ出ねー! リカぁ! あーし香月になんか怒らせることした!?」

「いや、知らんけど。誰だって休みてー時くらいあんだろ」

「えーでも最近なんか香月テンション鬼サゲだしぃ。何かあったんかなー」

「あー。そういや昨日も何か顔色悪かったな。体調でも崩したんかな」

「体調……?」


 確かに昨日、五十嵐はバンドの練習中やけにミスが多かったし、その後も様子が少しおかしかった。……一度だけ、俺は以前にもあんな調子になってしまった時の五十嵐を見た事がある。あの時は、確か。


「で、高宮はなに。香月に用事でもあったん?」

「ん? ああ。まあちょっと」

「ふーん。じゃあ後でお見舞いにでも行ってやれよ。家ちけーんだろ、確か」

「お。じゃうちらも行く!? お菓子買ってさぁ、全員でわちゃわちゃすっべ!」

「いや、私この後ダンススクールだし。おめーは彼氏とデートだろ」

「あー! そうだった! てへぺろ!」

「んじゃ。そういうことだから。香月によろしく」

「え? あ、ああ。わかった」


 相変わらず伊勢崎さんはギャルギャルしてるし、海老原さんは掴み所がねえ人だ。

 けどまあ確かに、あいつが学校休むなんてよっぽどだし、少し心配だな。

 あとで直接、様子見に行ってみよう。


                   ◇


「はーい。あれ? 太志くん?」

「あ、どうも」


 そして、放課後。

 俺が五十嵐家のインターホンを鳴らすと、五十嵐のお袋さんが出迎えてくれた。


「今日も練習? いやー、毎日暑いのに大変だねー」

「あ、いや。今日は練習じゃなくて。カズキ、今日なんか学校休んだみたいだから、どうしてるかなって思って。家には居ますよね?」

「え? ああ普通に居るよ? ……香月ー!? 太志君きてるわよー!? 香月ー!! ……だめだこりゃ。ガンガン音楽つけてるし。上に居るから勝手にあがっていいよ」

「あ、はい。じゃあお邪魔します」


 靴を脱いで二階にあがる。二階にあがんの結構久しぶりだな。中坊ん時は竜也さんの部屋によく入り浸ってたんだけど。確か五十嵐の部屋はその隣だったか。


「おーい、五十嵐ー」


 軽くドアを叩きながら、名前を呼ぶこと二回。しかし反応がない。お袋さんの言ってた通りガンガン音楽が鳴ってるから気づいてないらしい。

 しかし、流石に勝手に入んのは不味いよな。とりあえずドアを叩きまくるか。ついでに無駄にリズムカルにしてやろう。ドラゴンボールの摩訶不思議アドベンチャーのイントロ並みに。デレデッ!ツパーン!デレデレデレデ!デッ!デーレ!

                   

「――ッうっせえぞ!! 一体何の嫌がらせだこのクソオヤ……」

「おす」 


 勢いよくドアが開き、姿を見せた五十嵐は俺を見て絶句した。ショート丈のタンクトップに短パン、長い前髪はピンで留めてデコ出し。だいぶ涼し気でリラックスした格好になっている。……クーラーもないし部屋暑いんだろうな、多分。


「…………」


 そして五十嵐は顔を真っ赤にしながら勢いよくドアを閉めると、すぐさまドアを少しだけ開けて、隙間からこちらをぎろりと睨みつけてくる。


「…………、なんで居んだよ」

「なんでって、学校休んだみたいだからお見舞いに」

「え? お、お見舞い?」

「ほら、昨日もなんか調子悪そうだったろ。大丈夫か?」

「……あ、ああ。まあ別に、大丈夫だけど。……その為にわざわざ来たのか?」

「いや、ついでにちょっと姫路の事で話したい事もあって。今時間あるか?」

「姫路? ……分かった。兄貴の部屋で待ってろ。すぐそっち行くから」

「了解」


 言われるがまま、隣にある竜也さんの部屋に俺は入る。

 部屋の大きさ的には、俺の部屋とさほど変わらない。壁にはロックバンドのポスターがいくつも貼ってあり、棚には漫画や音楽雑誌に大量の音楽CD。置いてあった楽器類が消えた分、心なしか寂しい見栄えになっていた。

 前はよくこの部屋で、竜也さんに色んなバンド教えて貰ったっけ。コンポの上に積んであるMDの山が思い出深い。俺的ベスト盤とか言って渡された記憶がある。

 

「……お。またすげー懐かしいのが」


 ふと、学習机に飾られた大きめの写真立てが目に留まる。

 リトルリーグチーム、広瀬ヤングジャガーズの集合写真。竜也さんが六年生の時のだ。俺たち四年生組の姿も隅に映ってる。つーか、全員若ぇ。ってか幼ぇ。竜也さん坊主だし、五十嵐はデコ助のカズキくんだし。今じゃ両方金髪ロン毛なのに。

 

「それにしても竜也さん……惜しい人を亡くした……」

「勝手に殺してんじゃねーよ。つーか、あっつ、この部屋……窓開けようぜ」


 感慨深く俺が写真立てを拝んでいると、五十嵐が部屋に入ってきた。

 オーバーサイズの白Tシャツ、前髪はいつも通りの全下ろし&後ろ髪はバレッタで一纏めと、さっきとは少し違う格好になっている。

 言われた通りに窓を開け、網戸を閉めた後、俺は床の上に直接座り、五十嵐は学習机の前のチェアに座る。


「……で。姫路の話って?」

「ああ。実は昨日――」


 そして俺は神崎と秋本から聞いた話を五十嵐に話した。それを聞いた五十嵐は深刻そうな表情で視線を落とし、何か言いたげに下唇を噛む。


「? どうした?」

「……やっぱ、アタシのせい、かも」


 それから五十嵐は、一年の時に姫路と出会った時の話から、再会に至るまでのエピソードを簡単に俺に話してくれた。


「……二人でバンド、一緒に組む約束してたのか」

「……うん」

「……で、その事うっかり忘れて、俺らとバンド組んじまったと」

「……い、いや。忘れてたっつうか、普通にアイツ、スニーカーズの奴らと上手くやってるもんだと思ってて」

「……ああ。まぁ便りがないのは元気な証拠とか言うしな。でもあん時久々に会ったとか言ってたけど、なんで仲いいのにお互いそんなに距離置いてたんだ?」

「……それは。多分アタシがいっつも伊勢崎と海老原とつるんでっから、あいつが話しかけづらかったんだと思う。……で、アタシの方も。見た目こんなだし」


 耳のピアスに触れ、金髪の毛先を捩じりながら、五十嵐は視線を落とす。

 ……まぁ、確かに。最近はそうでもないけど、俺が今年最初に会いに行った時の五十嵐は、スカジャンにマスクというヤンキースタイルで威圧感が凄かった。平田さんあたりは見ただけできっと裸足で逃げ出すに違いないだろう。


「……なるほどね。お互いがお互いのグループに気ぃ遣って、って事か」


 友達付き合いの難しい所だよな、それは。全員が共通の友達ってんなら不便はないんだけど。それぞれ別にグループを作って行動しちゃうと、学校じゃなかなか一緒に絡みづらい。特に五十嵐と姫路の場合、お互いが結構引っ込み思案だし。多分「邪魔しちゃ悪いしな……」的な発想で無駄に距離を置いてしまったんだろう。


「……はぁ。ったく、本当にお前ら。もっとちゃんとコミュニケーション取っとけよ。別にメールでも電話でもいいし休みの日とか一緒に遊べばいいだろうが。何でそんなに不器用なの? 迷惑かけたくねぇとか言ってよ。同じ高校に通っときながら友達同士で一年間会話もなしとかそんな奴いるぅ!? いねぇよなぁ!!」

「お前じゃねえか」

「俺でしたァ!!」


 あの件については本当に申し訳ない。俺はカスですありがとうございました。

 まぁそういうわけなんで、俺には二人の気持ちはよく分かってしまう。

 特に姫路視点で見れば、一緒にバンド組むつもりしてた五十嵐が、急に湧いて出たアホ男に横取りされてしまったわけで。……改めてみると申し訳なさが凄ぇ。どことなく姫路が俺に対して辛辣だったのって、もしかしてそれもあるんだろうか。


「ま、ゴールデンウィークの時期は俺らも色々大変だったし。仕方ねぇよ。別にあいつの方から連絡があったわけじゃねぇんだろ?」

「……うん。でも、あいつ。バンドの連中と喧嘩した時。多分、すげぇ辛くて。不安だったはずなのに。アタシ、何もしてやれなかった。今回の事も、結局何も解決してやれなくて。――友達なのに。なんも、気づけなくて」


 膝を抱えて、五十嵐は顔を埋めてしまう。少し、涙ぐんでいるようだった。

 ……やっぱりな。どうせそんな事だろうとは思ったけど。今日学校休んだのも、ずっと顔色が悪いのも。姫路の事をずっと気にかけてるかららしい。そのくせ、会いに行くでもなく部屋に閉じこもってるって所が、らしいといえば、らしいというか。


「五十嵐」

「ん?」

「今から、姫路ん家行くか」

「……は!?」


 何となしに俺がそう言うと、五十嵐が呆然と口を開ける。


「いや、まあ。今からは流石に無理だけど。明日あたり一緒に行こうぜ」

「お、おま、三好先輩たちとのライブ、もう四日後とかだぞ。明日のスタジオの予約、もう取ってるだろうが。そんな事してる暇――」

「曲はもう出来てるだろ。明日練習しなくても、残り二日ありゃ十分だ。キャンセル料は俺が払っとくし。他の二人にも俺の方から言っとく」

「っ……でも、別に。姫路の事は、今すぐにじゃなくたって」

「いや、逆に今すぐじゃなきゃダメだろ。あいつだってライブに出るんだし、お前だって今の気持ちのまま、ちゃんとやりきれんのかよ。俺らの事情なんて、お客は知ったこっちゃねえんだぞ」

「……それは」


 分かっているはずだ。俺なんかに言われるまでもなく、五十嵐はきっと。

 だけど自分でそれを解決できない。だから、不安げに顔を逸らしてしまう。

 全くあの五十嵐先生らしくもない。いい加減、そろそろ戻って貰わないとな。


「……五十嵐。そろそろ本当の事言えよ」

「……? 本当のことって?」

「……しんどいんだろ。前に俺の事でも、お前、やたら周りの言葉気にして傷ついてたもんな。姫路の事も、今いろいろ好き勝手言われて、きついんだろ?」

「……っ」


 ぎり、と。歯を食いしばる音が聞こえた。


「……五十嵐」

「……なんだよ」

「……お前、いつだったか俺に言ったよな。やるべき事より、俺のやりたい事に付き合いたいんだって。――あれさ、俺もおんなじ気持ちだよ」

「……え?」

「やりたい事をやるって、やっぱすげー大事なことなんだよ。最近、色々人から話聞いたり、自分で気ぃ遣って改めて感じたけど。他人を気にして縮こまってたら大抵、ろくな事になんねーんだ」

「……高宮?」

「姫路なんか、まさにそうだろ? ライブを成功させて、殴りたいヤツを殴りに行て。そうやって自分のやりたい事をやってのけた一方で、あいつは、身近な人間に対してはひどく臆病で、本当に自分のやりたい事を、最後まで貫き通さなかった」


 それが、全ての歪みの原因。

 姫路瑞貴の抱える矛盾の極致。


「五十嵐、お前から見て、姫路はどういう奴だった?」

「……色々、考えてる奴だ。考えすぎだってくらい、考えすぎな奴」

「あいつ、俺らともう会いたくないっつってたけど。それは本当だと思うか?」

「嘘だ。クソつまんねぇ、ただのつよがりだ」

「……じゃあ、あいつ。前のバンドの奴らとか、俺らと。……本当は仲直りしたいって思ってるか?」

「……っそんなの絶対。絶対に、思ってる」


 五十嵐は大きく洟をすすり、声を震わせながら言う。


「っだけど、あいつ。っほんとに不器用で、……バカなヤツだからっ……」


 それでもう、話は十分だった。

 俺は立ち上がり、椅子の上で膝を抱えた五十嵐に言う。


「じゃあ香月。次はお前の番だ」

「……え?」

「俺に言えよ。お前が、何をしたいのか。たまにはお前のやりたい事に、俺を付き合わせろよ」

「……高宮」


 五十嵐は細い目を見開いた後、組んだ腕の指先にぎゅっと力を籠める。 


「……アタシ、は」


 深く息を吸い込んで、五十嵐は絞り出すように声を吐く。


「アタシ、あいつに、もう一回会いたい。会って、話して、連れ戻して。……全員で思いっ切り、ライブがしたい」


 良い返事だ。

 力強くて、とてもいい返事だった。


「香月」

「……っ、な、なんだよ」


 俺が名前を呼ぶと、五十嵐は気まずそうに視線を逸らす。


「……んー、いやー。せっかく教えてもらって悪いんだけど。それ、俺と丸被りでつまんないからぁ、やっぱ別のにして貰えます???」

「は? ……なっ、なんだテメー! 人に聞いといて!」

「だっはっは! ま、どっちにしろお前の考えてる事なんてこっちは予想済みだけどな! 大方一日中、姫路に何話せばいいか分かんなくて閉じこもってたんだろ?」

「にッ……ぐッ……!?」


 あれ、図星なのかよ。コイツもコイツで引っ込み思案が過ぎる時あるな。

 ――だからこそ。あの姫路と一番仲が良くなったんだろうけど。


「ま、つーわけでだ。とっととこんな面倒ごと片付けに行こうぜ。大体もうすぐライブだってのに、うちの屋台骨がいつまでもその調子じゃ困るしな」

「っ、……っ分かったけど。勝算はあんのかよ。言っとくけどあいつ、相当めんどくせー性格してんぞ。アタシら二人で行ったところで、ちょっとやそっとじゃ――」

「まぁまぁ。そこは安心しとけって」


 竜也さんの部屋の扉を開け、振り向きながら俺は五十嵐に言う。


「――俺にいい考えがある」

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