第二十四話「マトリョシカ」

                  ●


 朝練を始めてから、約二週間。


 あたしのドラムの練習は難航を極めていた。教則本の他に初心者用の練習動画を見ながらやっても、全然上手くなってる気がしない。ピアノとはまた全然勝手が違う。昔、右手と左手が全然同時に動かなくて頭おかしくなってた時を思い出す。

 ちなみにバンド名は「スニーカーズ」になった。幸い、他のメンバーも完全な初心者だから合同練習までにはまだ時間はある。しかし歌とピアノという武器を封じる事になってしまったあたしは物凄く焦りを覚えていた。ゴリゴリにレベル上げしてたのに急にLV1にジョブチェンジしてしまったような感じ。このままじゃまずい。嫌われる。下手したら見限られる。やばいやばいやばい……。

 

 そんな風に泡を吹きながら練習の日々を送っていた、ある朝。

 

 いつも通り部室に行くと、激しいドラムの演奏が聞こえてきた。恐る恐る中を覗き込んでみると、黒髪でおかっぱ頭の、目つきが鋭い女の子の姿が目に映る。


(……あの子って、確か)


 五十嵐さん、だっけ。一年生には珍しいドラム経験者で、今あちこち掛け持ちして引っ張りだこになってるっていう。――それはともかく、凄い。当たり前だけどあたしなんかとは全然次元が違う。ドラムって、あんなにカッコよく叩けるんだ。


「……ん?」


 ドラムの演奏が止み、五十嵐さんと目が合う。やば。バレた。あたしは反射的に扉を閉め、部室の前を右往左往する。直後、五十嵐さんが内側から扉を開いた。


「……。ドラム、使う?」

「え、あ、いや」

「いいよ。別にアタシ、暇つぶしに来ただけだから」

「あ、じゃあ……」


 渡されたドラムスティックを握り、スツールの前に座る、と。何故か五十嵐さんもついてきて、じーっとあたしを見つめてきた。……えええ!? ナンデ!? 見学ナンデ!? もしかして殺されるのかなあたし? 下手糞過ぎて殺されるとか――


「……名前。姫路さん、だっけ」

「ひゃい!?」


 いきなり話しかけられて、ドラムスティックを手元から滑らせる。


「は、はい。そうです。わたしがヘンな姫路さんです……」

「何で敬語? ……それより。最近、ずっと頑張って朝練してるみたいだけど。何か練習してる曲とかあんの?」

「え? あ、曲は、全然、まだ。初心者だから、とりあえず基礎錬、的な……」

「ふーん……」


 五十嵐さんはしばらく考え込んだ後、自分の事を指差しながら言う。


「……基本的な事でいいんだったら、アタシ、教えよっか?」

「……え、え!?」

「……あー。まぁ別に迷惑だったらいいよ。何か、苦戦してるみたいだし。もし困ってんならって思ったんだけど」


 あたしはしばらく唖然とした後、全力で首を縦に振った。


「ぜ、ゼヒ! お願いします!」

「ん。じゃあちょっとスティック貸して」


 それから五十嵐さんは、――香月ちゃんは。あたしに色んな事を教えてくれた。

 ドラムの事は勿論、バンドの基本的な事とか、個人練習スタジオの借り方とか。

 何度か話している内に、あたしも自然に話せるようになって。朝はドラムの練習、昼休みは一緒に携帯ゲーム、放課後は一緒に街を遊び回り、夜は遅くまで携帯電話で連絡を取り合ったり――気づいたらお互い凄く仲が良くなって、素直に本音を言いあえるほどの間柄になっていた。


「……すご! 香月ちゃん、ドラムだけじゃなくて歌も凄い上手じゃん!」

「っ、べ、別に普通だと思うけど。それよりそろそろ、お前も歌えよ」

「うん。あーでも、やば。人前で歌うの初めてで緊張する……」


 いつもの一人カラオケじゃない。誰かと来た、初めてのカラオケボックス。

 そこであたしは、初めて自分の歌を披露した。あたしの神様、水樹奈々様の『ETERNAL BLAZE』。何百回歌ったかも分からない、十八番中の十八番。

 歌い終わって目を開けると、香月ちゃんはポカーンと大口を開けていた。


「……な、なんでお前、ボーカルじゃなくてドラムなんかやってんだよ……?」

「え?」

「いや、上手すぎだろ。マジで」

「あ。……ありがと。へへへ。な、なんでだろうねー……あっはは……」


 それからあたしは、ドラムをやる事になった経緯と、軽音学部に対する不満を漏らした。まず練習時間が短すぎる事。部員ほぼ全員、秋の文化祭ライブを目標にしてるからスローペースかつ雰囲気がゆる過ぎてやり甲斐がない事。


「……ま、仕方ねえよなそれは。軽音ってそんなガチでやる部活じゃねーみたいだし。本気で音楽やりたいんだったら、三好先輩みたいに外でやんのが普通だよ」

「そっかー。あたし、そんな事知らないでこの学校入っちゃったからさ。割と普通にショックだったんだよね。部員多すぎて練習できないとか想定外だよ……」

「ま、確かに、わざわざ隣の県から来てんのにそれはキツイよな。しかも姫路って、ほんとはボーカルやりたかったんだろ?」

「うん。まぁそれは別に今更いいんだけどね。ドラム意外と楽しいし。でも正直、今のバンドのままやってける自信ないよ……。あたしだけ全然馴染めてないし……」

「馴染めてないって、それはお前がずっと黙ってるからじゃねーの? 今アタシと話してるみてーに、他の奴らと普通に話してみたらいいだろ」

「む、無理無理! クラスでもバンドでも完全に無口の人って思われてるし! こんな陰キャが急にベラベラ喋り出すとかホラーじゃん! ドン引きされるよ!」 

「ん、んー……んなこたねぇと思うけど……多分」

「それに正直、話してもあんまり仲良くなれない気がするんだよね。……ほら、なんとなく。この人と趣味合わなそうだなーとか、そういう雰囲気ってあるじゃん。あたしオタクだから、そういうゾーニングかなり気にしちゃうんだよね」

「……ぞーにんぐ?」

「えっと、例えば、自分の好きなモノの話とかしても、他の人にとってそれが嫌いなモノだったら、不快な思いとかさせちゃうじゃん? 逆にあたしも、それで嫌な思いしたくないんだよね。だから――あたしみたいな面倒な奴って結局、下手に自己主張するより、他人と関わらない方がいいんじゃないかな、とか思って」


 つい、暗い言い方になってしまった。

 香月ちゃんは不思議そうな顔であたしを見つめた後、ふーんと呟く。


「……よくわかんねーけど。姫路って色んな事考えてんだな。アタシ、他人の事そこまで深く考えたことなかったわ」

「あっははは……だよね。普通そうだよね。やっぱ発想がキモいよね……」

「いや、別にキモくはねーけど。……でも他人と関わらない方がいいとか思ってる割には、誰かと仲良くなりたそうだし、ちょっと変なヤツだなとは思った」

「う、ぐぅッ……!?」


 図星を突かれてのけぞる。……そう。そこがあたしの一番終わってる所だ。

 自分が変なヤツだと分かってるくせに。それを誰かに認められたい。受け入れてもらいたい。ぶっちゃけて言うと、チヤホヤされたい。

 子供の頃からそういう、バケモノみたいな承認欲求に飢えている。


「ああ……人はなぜ、矛盾するのだろう……」

「……急にどうした?」

「な、なんでもないなんでもない!」


 つい心のモノローグが漏れてしまった。慌てて適当に話題をそらす。


「そ、そういえば変なヤツって言えば。部員に一人、変な雰囲気の男の子いるよね」

「……変な雰囲気の男の子?」

「……えーと、ほら。あたしと同じクラスの、高宮って奴。実はこないだ――」


 先週の水曜日のことだった。いつも通りあたしが朝練をしに部室に入ると、その高宮って男子がヘッドフォンをつけながら一人でギターの練習をしていた。

 それ自体は結構頻繁にある事で、大体いつも高宮の方があたしの存在に気づき、ギターを抱えてさっさと出て行ってしまうんだけど。その日はあたしの存在に気づかない様子で、ずっと真剣な顔で練習を続けていた。

 まぁいいかと思いつつ、ドラムのスツールに座った時。二年生のガラの悪いヤンキー連中が部室の中に入ってきた。あたしは案の定そいつらに目をつけられ、ニヤニヤと笑われながら取り囲まれた。その直後、すぐ近くに居た高宮がエレキギターを大音量で掻き鳴らして、こっちに中指を立てながら大声で叫んだ。


『朝っぱらからうっせーぞ腐れボケ共! 練習しねーならさっさと出てけ!』


「……で。んな無駄にカッコつけときながら。結局逃げたのかよ、そいつ」

「うん。まあ、ヤンキー連中引き連れて出てったから、たぶん今のうちに逃げろってことだと思うんだけど。唐突過ぎて気づけなかったよ」

「…………。高宮、な」


 香月ちゃんはぼりぼりと頭を掻きながら、顰め面をする。


「あいつにはあんま関わんねえ方いいぞ。多分、ろくな事になんねーから」

「え、香月ちゃん。高宮と知り合いとかなの?」

「……。まあ、知り合いっつうか。同じ中学っつうか」

「へー、そうなんだ。……でも、あの子さ。結構、歌上手だったんだよね。毎日学校の色んな所で一人で練習してるし。なんで誰ともバンド組んでないんだろ」

「……さあな。そうやって無駄に敵増やして、嫌われてっからじゃねーの」


 どこか棘のある言い方で、香月ちゃんは視線を逸らす。

 何だろう。実は仲悪いとかなのかな。中学時代、何かあったとか?

 聞いてみようか迷っていると、香月ちゃんは大きく溜息を吐いて言った。


「……とりあえず。ドラムはもうちょっと続けろよ。やるって言った以上、ちゃんと筋は通さねえとな。せめて秋の文化祭が終わるまでは頑張るとか」

「……うん。確かに。それはそうだよね」


 あたしが頷くと、香月ちゃんはぽりぽりと首を掻きながら言う。


「……で、まあ。文化祭終わったら部員半分くらい燃え尽きて辞めるらしいし。 そのタイミングで、アタシとお前で、新しくバンド組むとかもありかもな」

「……え? そ、それって。もしかして」

「……うん。もちろん、お前がボーカルな? そんなに歌えんのに、歌わねえとか絶対損だろ。二年になったらアタシと一緒に、大会とか出ようぜ」

「……!! うん!!」


 大好きな香月ちゃんとバンドが組める。あたしが、ボーカルで。

 こんなに嬉しい出来事は今までの人生になかった。

 だけど、それから数週間後。あの事件が起こってしまった。


「……え?」


 七月半ば。夏休みに入る一週間ほど前のことだった。

 香月ちゃんが、学校で暴力沙汰を起こしたらしい。

 軽音学部の部室で、急に暴れて。誰かのスマホをぶっ壊した、とか。

 

(……っ、香月、ちゃん)


 あんなに優しい子が、何の理由もなくそんな事をするはずがない。

 あたしはすぐに電話とメールで香月ちゃんに何度も連絡を入れた。

 だけど「ごめん。大丈夫だから心配しなくていい」の一文以外、何も返ってこなかった。なんでそんな事が起きたのか、理由を話してくれなかった。

 学校では色んな噂が流れていた。その中で特に気になったのは、高宮の事件との関連性だ。香月ちゃんの暴力事件の約一週間前、高宮は二年のヤンキーたちにリンチにされて、学校に来なくなってしまっていた。香月ちゃんが部室で暴れたのは、その高宮の動画を、誰かが広めていたからだったという話もある。あの二人は、実は裏で付き合っていたんじゃないか、なんていう話も。


(……、隠し事してたってことなのかな)


 別にそれはどうだっていい。隠し事くらいあたしにだってある。

 だけど、何で電話に出てくれないんだろう。香月ちゃんは、あたしにとって大事な友達なのに。どうして、何も力にならせてくれないんだろう。……どうして。

 香月ちゃんと会えない喪失感に打ちひしがれたまま、一学期は終わり、夏休みになった。あたしは地元で果物の袋詰めのバイトの日々を送り、数週間が経ったある日の夜、急に香月ちゃんから電話がかかってきた。


「か、香月ちゃん! 大丈夫!? 元気してた!?」

『久しぶり、姫路。ごめんな、しばらくずっと連絡もしないで』

「いいよ、全然そんなの。それよりもう、大丈夫なの?」

『うん。気分はもうかなり落ち着いた。……でさ、久しぶりにお前と遊びてーんだけど。今週どっか時間あるか? あ、つっても、定期とか切れてるか』

「いいよ全然、そっちまで会いに行くよ。あたしも東谷で遊びたいし。あ、そうだ。毎日暑いしプールとか行かない? 海でもいいけど――」


 それから三日後に、あたし達は二人でプールに行く約束をした。

 早速バイト代で水着を買って、あたしは意気揚々と高速バスに乗り込んだ。

 待ち合わせ場所は、東谷駅内のステンドグラス前。時間通りに辿り着いたけど何故か、香月ちゃんの姿は見当たらなかった。早く着きすぎたのかな? 人混みの中きょろきょろ辺りを見渡していると、やがて一人の女の子が近づいてくる。


「あ、居た。姫路」

「? あ、香月、ちゃ――!?」


 あたしは思わず絶句した。だって、香月ちゃんが。あの無骨で飾り気のない硬派な香月ちゃんが。何か、……物凄い金髪のギャルになっていたからだ。


「ど、どうしたの。その髪。ってか、色々」

「ん、ああ。ちょっとイメチェン、みたいな」


 恥ずかしそうに、香月ちゃんは髪を弄りながら目を逸らす。か、可愛い。重そうなおかっぱスタイルだったのに、滅茶苦茶シャギー入って軽くなってる。

 正直びっくりしたけど、よく見ればかなりメイクもコーディネートも凝っていてオシャレだった。前に休みの日に遊んだ時は、ものすごくシンプルでボーイッシュなスタイルだったのに。この短い期間に一体何が。まさか彼氏か。彼氏でも出来、


「ん? あれ? 香月?」

「お? おおお? ほんとだ! 香月じゃーん! よっすよっすー!」


 そして突然に、その二人はやってきた。香月ちゃんと同じ金髪のギャル二人組。

 学校内でも何度か見かけた、近寄りがたい雰囲気の子達だった。


「あれ? 何やってんだお前ら、こんなところで」

「くそ暑いから二人でプールに行くとこ。そっちは?」

「いや、アタシらもプール行くとこ」

「えー、マジ!? あ、今日予定入ってるってそれ!? じゃあじゃあ、せっかくだし同じとこ行かね!? 皆一緒の方が楽しいっしょー!」

「や、でも。姫路が――、姫路?」


 呆然と目を剥きながら、あたしは立ち尽くしていた。

 目の前の会話のほとんど全てが、頭に入ってこなかった。

 香月ちゃんの見た目が急に変わった理由。親しい様子で他の二人と話す姿。あたしと連絡を絶っていた間に一体何があったのか。あたしの無駄な妄想力が、殆ど一瞬で答えを導き出す。かつてのトラウマを、脳内で呼び起こす。


(――ああ)


 小学校の時の、あおいちゃんの時とおんなじだ。

 そうだよね。香月ちゃんは、あたしにとっては唯一の友達だけど。

 香月ちゃんにとっては、別に――いや。


(んなこと今更、どうでもいいわ!!!!!)


 アホか! あたしのトラウマとかそんなもん、その辺のゴミ箱にでも捨てとけ! 

 香月ちゃんが、あの香月ちゃんが!! 念願だったイメチェン成功させてる……!! ほんとはもっと派手なファッションとかしたいっていつも言ってたもんね! あたしじゃ全く力になれなかったけど……!!

 も、もしかしてもしかしなくてもギャル子お二人様、あ、あなた達が助けてくれたんですか!? うわああああ名前も存じ上げないけどありがとうございますありがとうございます! あんな事あったのに香月ちゃん元気そうだし! あたしじゃできなかったメンタルケアの方もして頂いて!? あっ無理だこれ、とりあえず、


「あ、ありがとうございますッ……!!!」

「ひ、姫路!?」


 色んな感情が限界まで高まりすぎて、あたしは吐血しながら地面にぶっ倒れた。いや、吐血は流石に嘘だけど。口から変な汁は出てたと思う。


「お、おい。何か顔真っ赤だぞお前。大丈夫か?」

「あ、ごご、ごめん。え、何だろ、熱中症かな? へ、へっへへ……」

「マヂで!? 超ヤベェじゃん! あーしちょっとスポドリ買ってくるね!」

「ちょ、待っ、亜美! ……行っちまった」


 え、何あの子。もしかしてオタクに優しいタイプのギャル? そんな神話上の存在実在すんの? ってか、それより。まずいことに気が付いた。


(あ、あたしだけファッションがクソだせぇ……ッ!!)


 水着はともかく、思いっきり中学生かよって感じの私服を着て来てしまった。他の三人は小物とかアクセサリーまでばっちりお洒落してきてるのに。

 女子の横社会では空気読めない=死。あたしが死ぬのはどうでもいいとして、香月ちゃんがノリ悪いダセー奴連れてきたとか思われたくない。


「……か、香月ちゃん。ごめん。何かあたし、ちょっと体調悪いかも? 急にごめんだけど、今日は三人で行ってきてくれるかな???」

「え? でも」

「……。あー。香月。もしかしてだけどこの子、お前と二人だけで行きたいんじゃね? だったら私らも二人で行くから別に――」

「すいません、やっぱり四人で行きたいです」

「ど、どうした急に!? 体調は?」

「治りました」


 気を遣って貰った以上は、あたしも気を遣いたい。……あれ? でもこれって結局気を遣って貰う事になるんじゃ??? よ、よくわかんなくなってきた。


「リカ~!! 香月~!! どう”し”よ”~、間違えて三本も買”っちゃった”~!」

「いや、アホかおめーは」「一体何をどうしたらそうなるんだよ」

「あ”だじもわがんない~!! あ、はいこれ! あーしの奢りだから!」

「あ、アリガトウゴザイマス」


 受け取ったペットボトルのスポーツドリンクをごくごく飲む。

 それで、少しは気分が落ち着いた。


「まだ頭痛い? 大丈夫そ?」

「あのな、亜美。水飲んだからってすぐに体調は良くなんねーんだよ」

「え、そーなの!? 初耳なんだけど!」

「どうする、姫路。やっぱりもう、帰っとくか?」

「……い、いや! ほんとに大丈夫だから! て、テンアゲでいこウェーイ!」

「全然大丈夫そうに見えねえぞ!?」

「おーっ!? 意外とバイブスあんじゃん! じゃあもう行くべ行くべ!」


 それからあたしは電車の中でギャル子二人――純度100%陽キャラの伊勢崎さんと、クールでダウナー系の海老原さんと軽い自己紹介を交わした後、四人で大きめのレジャープール施設に遊びに行くことになった。

 結果からいうと、まぁそれなりに楽しかった。途中空気すぎて何度も消え入りそうになったけど。三人とも優しかったし、嫌な気持ちには一度もならなかった。

 

 ――けど。


(住んでる世界がやっぱ全然違うな……)


 帰りのバスに乗りながら、あたしは痛いほどにそれを感じていた。

 学校には、いわゆるスクールカーストというものがある。一軍とか二軍とか、属したグループによって上下の序列が自然に決まっている。最上位に位置するのは、男子だったら運動部とか。女子だったら美人でオシャレな子を中心としたグループとか。伊勢崎さん達みたいなギャルや、ヤンキー系男子も大体は上位層に属する。

 一方であたしは、どこに属するのかというと。どこにも属しない。最下層中の最下層。三軍のオタクグループにすら入れない、陰キャ・オブ・陰キャだ。

 伊勢崎さんたちは優しかったけど。本来ならあたしは、ああいう上位層の子達から忌避される存在だ。人としての格が違う。だから一緒に居るとどうやったって、今日みたいに不自然な感じにはなってしまう。


(……あ、香月ちゃんからメール)

 

 ――お疲れ。今日無理させてごめんな。また今度二人で遊びに行こう。

 ――うん。全然いいよ気にしなくて。また今度ね。絵文字。


 返信完了。スマホの電源を落とす。

 

 今日の香月ちゃんは、凄く楽しそうだった。

 キラキラした二人に囲まれて、とても自然に輝いて見えた。

 あたしと違って香月ちゃんは、オタクじゃない。元々スポーツをやっていた体育会系の女子で、成績も優秀で、ドラムも上手くて、誰からも一目置かれている。

 本来は、あたしと友達でいることのほうが不自然な存在なのだ。


(もう、気を遣わせたくないな……)


 今日のあたしはまるで、高校生のお姉さん達に遊んでもらってる小学生みたいだった。あたしが上手く喋れないのを察して、三人共色々と気を遣ってくれてた。同い年なのに、明らかな差がある。ひどい、劣等感を感じる。


 強く、なりたい。

 強く、なりたいな。


 真っ暗な山間を走るバスの中で、下唇を噛締めながらあたしは決意した。

 香月ちゃんに追いつきたい。引き上げてもらうんじゃなくて、自分の力だけであそこまで這い上がりたい。――誰にも気を遣わせない。そんな存在になりたい。



                 ●


「……修業?」


 夏休み明け。学校で会った香月ちゃんにあたしはそう伝えた。

 しばらく一人にしてほしい。一人で修業がしたいからと。


「うん。ちょっと一人に戻って、一から鍛え直したい的な……」

「いや、ごめん。言ってることがよくわかんねーんだけど……」

「えっとね、だから――」


 それからあたしは何とか香月ちゃんを説き伏せて、納得してもらった。


「……そんなに言うんなら、とりあえず分かったけど。アタシとバンドを組むって話はどうすんだよ?」

「それは、とりあえず。文化祭終わった後、今のバンドに抜けたいって話しようと思ってるから。話が纏まったら、あたしの方から香月ちゃんに話かけにいくよ」


 そうして、あたしはまた一人になった。

 バンドでドラムの練習を続ける一方で、夏休みに稼いだバイト代でDAWソフトと録音機材を買い、使い方を少しずつ覚えて行った。いつか香月ちゃんとバンドを組んだ時の為――そして元々興味のあったニコニコ動画での音楽活動を視野に入れながら、二年生に向かって着々と準備を始めた。


 修業の日々は、順調だった。

 だけど心の方はそうもいかなかった。

 

 あの二人と楽しそうにしている香月ちゃんを見るたび、寂しくて胸が苦しかった。

 自分で決めた事なのに――そもそも修行って何? そのカッコつけ意味あった?

 情緒不安定、キショい矛盾の連続が、余計にあたしの自己嫌悪を加速させる。

 ずっと一人に慣れていたはずなのに、一人でいる事が苦しくなっていた。

 特に、昼休み。昼食を食べる場所にいつも困った。ぼっち飯はきつい。人目というよりは、お母さんが作ってくれたお弁当を一人で食べるのに罪悪感を覚える。

 

「……あ、みずきちゃん!」

「……え?」


 そんな時だった。同じバンドの喜多川さんが、あたしを昼食に誘ってくれた。

 あたしが香月ちゃんと昼食を食べなくなったのを見て、気を遣ってくれたらしい。

 正直、最初は断ろうかと思った。だけど結局断れず、あたしは昼休みの時間をバンドの面々と過ごす事になった。


「……でね。っていう、アニメがあって。そのEDの曲が私凄い好きで」

「ふーん。何かあかりも、すっかりアニメオタクだね」

「の、のえるちゃぁん……」

「ごめんごめん。別にバカにはしてないから。怒んなって」


 相変わらず、あたしは会話には入れない。黙々とメンバー同士のライトなオタク話題に耳を傾けたり、聞き流したりしている。この時間が、あたしは正直苦手だった。あまりにも話してる内容が浅すぎて、口を挟もうって気にもなれないから。


「はい。みずきちゃんも。凄い良い曲だから聞いてみて」

「あ、……うん」


 中学生の頃に見たアニメの、何度も聞いた有名なED曲だった。

 知らないふりでイヤホンを耳に突っ込み、何となしに目を瞑る。

 だんご、だんご――「だんご大家族」。クラナドのアニメのEDテーマ。


「……? 瑞貴ちゃん?」

「……っ」


 何でだかわからない。本当に何でだかわからないけど。

 急に涙が、ぽろぽろと零れて止まらなかった。


「え、そんな泣くその曲!? だ、だんごの曲だよ!?」


 アニメの内容はあまり関係ない。ただあたしはその時、そのどこか懐かしい、童心に返るような曲調に心を洗われた気がしたのだった。

 ――いつからあたしは、こんなにひねくれちゃったんだろう。こんなに、純粋な優しさであたしに気を遣ってくれるこの子達の事を、浅いとか分かり合えないとか、心のどこかで見下して。一体、何様のつもりだったんだろう。

 今、誰かと一緒にご飯を食べられるこの状況が、眩しくて、暖かくて。

 他人に受け入れられるって事の尊さを噛み締めていた。


 ……文化祭のライブ、絶対成功させよう。

 ……変に高望みをする必要なんかない。

 ……今、目の前にある景色を大事にしよう。


 あたしはその日から堅く気を引き締めて、練習に取り組んだ。

 結果的に文化祭のライブは、さんざんな結果に終わってしまったけれど。むしろそれで全員の絆は深まり、あたしもスニーカーズに愛着を覚えるようになった。


「……バンド、やっぱ続けるって?」

「……うん」


 文化祭が終わった後、香月ちゃんにあたしはそう伝えた。


「そっか。……ちなみにアタシとバンド組むって話はどうすんだ?」

「うん。それはとりあえず、しばらくは延期かな。あたし、最近DTMにハマっててさ。意外と一人で色々出来るなーって気づいたんだよね。だから今は、あのバンドでドラム続けながら、家でソフト弄る時間増やしたいなって思って」

「へぇ。DTMとかやってんのか。すげーじゃん。本当に音楽好きなんだな」

「別に何も凄くないよ。……それよりごめんね。勝手な事ばっか言って」

「良いよ別に。前と違って姫路、最近なんか楽しそうだし。アタシはどうせいつもヒマしてっからさ。気が向いたらいつでも声かけてくれよ」

「……うん。ありがと」


 この時は、これでいいと思った。ボーカルに――ステージの主役になって、自分の歌を誰かに聞かせたいという思いはあったけど。そんな分不相応な夢を見るより、今は自分の身の丈に合った事をやろうと思った。


                 ●


 それから、ある日の朝。あたしの席の周りがクラスの陽キャの群れに占拠されてたので、人気のない校舎裏に避難しに行くと、そこで思わぬ先客を見つけた。


(……あれは)


 同じクラスの高宮太志。

 今日もまた、一人でギターを抱えながら何かの歌を口ずさんでいる。


(……前はもうちょい、他の人たちと絡んでた気がするけど)


 最近はもう、完全にぼっちって感じだ。結局文化祭ライブにも出てなかったし。

 あの二年生のヤンキーグループに正面から喧嘩を売ったせいで、今じゃ皆に避けられているらしい。可哀想ではあるけど、正直。自業自得だと思った。

 

(……ほんとに協調性がないと、ああなっちゃうんだろうな)


 もう少し、器用に生きればいいのにと思う。あたしみたいに、身の程弁えて目立たず立ち回れば。あいつもきっとそれなりの平穏を手に入れられただろうに。


(……そろそろ戻るか)


 視線を切って、あたしは道を引き返した。

 あの時、あんなに小さく見えたあいつが数か月後、どうなるのかも知らないまま。

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