第二十二話「モザイクカケラ」

                ◇


 翌日、放課後。時刻は十八時。二時間のスタジオ練習を終えた後、俺は五十嵐と近くにある自販機の前で話し込んでいた。


「……ついに着信拒否、か」


 スマホをポケットにしまい、俺は自販機でミネラルウォーターのボタンを押す。雨の翌日とあってか、夕陽で熱した路面からじめじめと嫌な湿気が立ち上っていた。


「そっちも相変わらず連絡とれないか?」

「……うん。メールもなんか、エラー出て送れない」


 パタン、と。地味めにデコられたケータイを畳みながら五十嵐は溜息を吐く。

 俺はともかく、五十嵐の方も着信拒否とは。姫路の奴も相当頑固らしい。


「今週のライブには出るらしいけど、どうなんだろうな。日曜日まで、そっとしとくべきか。どう思う五十嵐。――五十嵐?」


 ケータイを握り締めながら、五十嵐は何か考え込んだ様子で目を伏せている。


「……何か、顔色悪いぞ? 大丈夫か?」

「……え? ああ。わりい。ぼーっとしてた。別に平気だよ。……それよりお前、この後バイトだろ? 行かなくていいのか」

「え? ああ。まあ、そろそろ行かなきゃだけど」

「じゃあもう行けよ。アタシもこれからバイトだし。……あいつの事、気になんのはわかっけど。アタシらにはアタシらのやる事あんだろ」 


 そう言ってジュース缶をゴミ箱に放り込むと、五十嵐は歩き去っていく。

 ……ああやって平静を装ってはいるが、五十嵐はどうやら俺よりも姫路の事を気に病んでいる。普段ほぼミスとかしないのに、今日はやけにミスが多かったし。去り際の一言も、俺に言うというよりは、自分に言い聞かせてるようにも思えた。


『――余計なこと考える暇あると思うなよ』

 

 ふと、昨日音無先輩に言われた一言を思い出す。

 確かに今の俺にとって、姫路の件は余計な事なのかもしれない。

 実際他人に構う暇があるくらいだったら、そのぶん練習しろとも自分で思う。

 しかしそれで正解なんだろうか。本当に――ベストの選択なんだろうか。


                ◇


「……だーかーらー! 俺の言ってる事わかんねえかなぁ、お姉ちゃん」


 バイト先のレンタルビデオ店。陳列棚にDVDを戻す仕事の最中、何やら騒がしい声が近くから聞こえてきた。何事かと思って駆けつけてみると、そこには何やら酒臭そうな中年親父に絡まれている神崎の姿があった。


「先週借りたコレじゃなくて、別のが見たかったんだよ俺は。それがどこにあんのかって聞いてんの」

「えっと、ですから。タイトルの方を言っていただければ――」

「おいおい頼むよ~。ど忘れしちゃったから聞いてるってさっきからいってんでしょ。隕石が落ちてくる奴。有名なヤツだし、お姉ちゃんならわかるでしょ」

「すみません。映画はあまり詳しくなくて……」

「え? 店員なのに? お姉ちゃんそりゃちょっと勉強不足なんじゃないかな~」


 明らかな厄介クレーマーだった。この仕事じゃ別に珍しくもないが。

 とりあえず店長呼ぶほどでもなさそうだし、間に割って入る。


「えー、すみません、お客様! 何かお探しでしょうか!」

「お? おお。こないだこれ借りたんだけどさぁ、中身が思ってたんと全然違ったんよ。お兄ちゃん、これと似たような奴知らん?」


 手渡されたパッケージは――「インデペンデンス・デイ」。1996年のSF映画。宇宙戦艦がやってきて地球が滅亡の危機に陥るやつ。これの敵は宇宙人で、隕石は落ちて来ねぇはずだが……まあ何となく何と間違えたのかは察しがつく。


「えーと、隕石が落ちてくる有名な映画ですと――こちらのアルマゲドンか、ディープ・インパクトとかですかね」

「うーん。俺が見たのは何かハゲのおっさんが出てきて、歌が外人の奴なんだけど」

「主題歌がエアロスミスの奴ですよね? どわなくろーずまいあーいず!っていう」

「おお! それそれ! お兄ちゃんよく知ってんなぁ」

「いえいえ。でもこの手の映画ってヒット作多いし、似たようなパッケージ多いですからねー。ややこしくなっちゃうの、僕もすごい分かりますよ!」

「はあ~なるほどなぁ。ごめんなお姉ちゃん。次からはちゃんと名前覚えてくるわ!  ありがとうな~」


 満足げに去っていく中年客を見送った後、俺はもう片方のDVDを棚に戻す。


「……ってな感じで、神崎。今みたいな事あったら、誰か呼べばすぐに対応してくれっから。先輩とか店長とか、俺でもいいし。困ったら無理しないで気軽に言えよ」

「あ、……うん」


 神崎が頷いたのを確認した後、俺は自分の持ち場に戻る。

 それからまた一時間働き、21時にバイトを終え、着替えて外に出る――と。


「……お疲れ」

「ん? おう。お疲れ」


 駐車場のアイスの自動販売機の前に、神崎が立っていた。今日は22時上がりじゃないのか。そんな事を思いながら俺もアイスを自販機で買う。チョコミント味。


「あのさ」

「ん?」

「……さっきは、ありがと」


 がこん、と。落ちてきたアイスを拾い上げたその時、神崎がそんな事を言う。


「さっきって……ああ。別に気にすんなよ。よくあることだし」

「……この仕事さ、結構クレーマー多いよね」

「そうなんだよな。まあ今日のは全然マシな方だけど、一番酷かったのは――」


 それからお互いがアイスを食べ終わる間、仕事の愚痴を零し合う。

 暫くそんな取り留めのない会話が続いた後、俺はふと、思い立つ。


「神崎」

「? 何?」


 ここから先は多分。本当に余計なことだ。

 だけど無駄でも無意味にもならないと俺は信じている。

 何故ならそれは全部――自分が納得する為だけの行動だから。


「……お前、姫路と何があったんだ? なんで姫路の事、そんなに嫌うんだ?」


 そして、聞いた。

 聞く必要もない、部外者の俺が知るべきじゃない事を。


「……そんな事聞いてどうすんの?」


 案の定、怪訝そうに神崎は俺を睨む。


「あいつ、最近学校に来てねえの知ってるだろ。だから今、周りに色々聞いて回ってんだ。あいつが何で学校来なくなったのか、その手掛かりを探してる」

「何それ。あたしに原因があるって言いたいの?」

「いや、原因が別にあんのは分かってる。俺が知りたいのは、お前から見た姫路がどういう奴かってことだけだ。……俺もちょっと今、あいつと喧嘩してる最中だから。あいつがどういう奴なのかを、違う視点からちゃんと確かめたいって話」


 神崎はしばらく考えこんだ後、眉を顰めながらじっと俺を見る。


「高宮。前々から思ってたけどさ。あんたって姫路の事好きなの?」

「神崎…………俺の今のこのテンションがそんな風に見える…………?」

「……いや。ごめん」


 シンプルに謝られてしまった。それはそれで、なんか。


「……ま、言いたくねえなら別にいいけどな。俺に言う義理もねえだろうし」


 神崎はばつの悪そうな表情で頭を掻くと、大きく溜息を吐く。


「……喧嘩してんの? あいつと」

「……まあな。お前にあたしの何がわかんだよってキレられた」

「……っ。めっちゃ言いそう、それ」

「だろ? ちょっとキレるともう、暴走列車みたいになるんだよ、あいつ」


 俺が呆れ気味に口元を歪ませると、ずっとしかめ面だった神崎が苦笑する。


「……で、何。あたしが、何で姫路のこと嫌いかって言えばいいの?」

「ああ。教えてくれると助かる。勿論誰かに言ったりはしねえよ」

「……。って言われてもな。改めて言葉に直すと、なんだろ」


 夜空を見上げながら、過去を思い起こすように神崎は目を細める。


「多分、あいつが。……あかりの気持ちを踏みにじったから」


 そして、低い声でそう呟いた。


「あかり、って。喜多川さんの事だよな。踏みにじったって、それはどういう」

「あかりは、……あたしの幼馴染なんだ。昔から気弱で、鈍くさくて、そのせいで昔から周りに虐められてて。中学の時、バカに目つけられたせいでずっと不登校だった。本当に優しくて良い子なのに。親もクソで、虐められる方が悪いとか言って」


 黙って、俺は神崎の話に耳を傾ける。


「――だけどあかりは、あたしと同じ高校に行きたいって言ってくれた。小さいころから歌とピアノが好きで、……アニメで見た軽音学部の世界に憧れてたから」


 ――それは。まるでどこかで、聞いたような話だった。


「あかりにとって、軽音学部で過ごす時間だけが何よりの救いだった。アンタらみたいに、大して上手くなんかなくても。あかりやあたし達にとっては、皆で過ごすあの時間が何よりも大事だった。誰かに下手糞だって馬鹿にされても。皆で続けられればそれで幸せだった。……それなのに、姫路は」


 ぎゅ、と。神崎は拳を握り締める。


「姫路は、あたしやあかりや秋本が、何度も何度も、どんだけ必死になって説得しても、全然言う事聞かなかった。……一番むかついたのは、あたしが姫路を一人で問い詰めに言った時――あいつ、あたしに一体なんて言ったと思う?」

「……なんて言ったんだ?」

、って。……あたしの事はともかく、あかりは本気であいつの事が大好きで、尊敬してて、友達だと思ってたのに。だから、ドラム代わりにやるって言いだしてたのに。……あいつは。そのせいで、あかりは」


 苦々しく神崎は目を伏せて、堅く握り締めた拳を震わせる。

 もうそれで十分だった。こいつが一体どういう人間なのか――それだけで。


「……神崎って、すげえ友達思いの奴なんだな」

「……何それ。だから何?」

「……いや、何ってわけでもないけど。色々腑には落ちたなって感じ」


 後ろ頭を掻きながら、俺は安堵の溜息を吐く。

 姫路の言っていた通り、神崎は何か一本、筋の通った人間な気はしていた。

 その勘が当たっていて、本当に良かったと思う。


「……ところで神崎。お前、姫路が昨日、軽音やめたの知ってるか」

「……え?」


 唐突すぎる俺の言葉に、神崎はぽかんと口を空ける。


「姫路が? ……やめたって、なんで?」

「一週間くらい前、昼休みにちょっと騒ぎになってたの覚えてるだろ? E組の教室であいつが、西野グループにキレて喧嘩したって」

「……ああ。でもどうせあれって、あいつの自業自得でしょ? あのアホどもに因縁つけられたから、そのままキレたってだけの話じゃ――」

「自業自得ってのは、そうかもな。でも姫路がキレた理由、お前は知ってるか?」

「……知らないけど。どうせ自分がバカにされたからとかでしょ?」

「違う。イラっとはくるだろうけど、姫路はそんな事でキレたりしねえ」

「……? じゃあ何? つーか、それあたしに何か関係あるわけ?」

「あるよ。あいつ――喜多川さんとか、平田さんの事でキレたんだってよ」


 怪訝そうに歪んでいた神崎の表情に、明らかな戸惑いの色が浮かぶ。


「何、それ。どういうこと?」


 それから俺は、神崎に詳しく状況を説明した。姫路が、口に出さないまでも、前のバンドのメンバーを気に掛けていた事。本当は一人になんかなりたくなかった事。今まで見て聞いた、姫路瑞貴という人間の姿の全てを俺は話した。


「……姫路はさ、バンド抜けた後、お前のことも庇ってたよ神崎。あいつの上履きが隠された時、正直俺ら、あいつと一番仲悪そうなお前の事を疑っちまったんだけど。あいつは絶対違うって言い張ってさ。ぶっ叩かれた事にも文句言ってなかった」


 神崎は何も言わない。目を剥いて、呆然と立ち尽くしている。


「……お前さ。あん時、姫路に他人ひとの心が分からない奴とか言ってたけど。お前の方こそ、あいつの心が分かってなかったんじゃねえのか」


 神崎は何も言わない。視線を落として、唇を噛む。


「あいつが、ほんとはボーカルやりたかったのに、一年間もずっとドラムやってた理由はなんだと思う? 俺でも覚えてるくらい、あいつ、毎朝頑張って練習してたぞ。わざわざ隣の県からこの学校に来てさ。それって多分、お前らと――」

「……え? 待って。高宮。今、なんて言ったの?」

「? いや、だから。隣の県から、学校に来て――」

「隣の県? 姫路って、そんな遠くのとこから来てるの?」

「え? ……お前まさか、それも知らなかったのか?」

「……知らない。だって、あいつ。そんな事、一言も――」


 震えながら、神崎は片手で口を抑える。

 何か、思い当たる過去の記憶を探るように。


「……神崎。俺、お前があいつに色々納得いかない気持ちはかなり分かるんだよ。あいつって、普通にめちゃくちゃ人付き合い下手だし、やたら本音を隠すから。そこにイラつくのは、むしろかなり共感できるっていうか」


 俺は食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に放り、改めて神崎に向き直る。


「だから、もう少しだけ俺に協力してくれ。……こんなくだらねーボタンの掛け違えでモヤモヤすんの、お前だってもう、まっぴらごめんだろ?」


 神崎はしばらくうつむいた後――俺の顔を真っ直ぐに見て、はっきりと頷いた。

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