第二十話「嘘」

                 ◆


「はあー……つっかれた。今日はずいぶん歩き回ったな」


 すっかり日は暮れて、夜。くだらないボウリング対決が終わった後は現地解散で、私と舞子は二人きり、朝と同じ駅の東口のベンチに腰を落ち着けた。


「あたしは普段運動してるから平気だけど。楓は明日絶対筋肉痛ね」

「甘いな。私くらいになると二日後にくる」

「ジジイかアンタは。はあ。でもあたしも最近、妙に歳食った気するわ……」


 腕を伸ばしながら、舞子はしみじみと目を細める。

 まあコイツの場合、大袈裟な話じゃないのかもしれない。親の反対を押し切って進学を拒み、今は安アパートを借りて自活しているらしい。それでなくても昔から私とかハルとか真行寺とか、子供みたいな連中に振り回されて、相当辟易しているに違いなかった。バンドのリーダーという重圧をこいつはずっと背負い続けている。


「そういえばさっきちょっと話したけど、良い子たちね。高宮くんも、姫路ちゃんも、五十嵐ちゃんも。みんな音楽が本当に好きって感じがした。青春って感じでいいよねー、ああいうの」

「キラキラしすぎて目が痛いけどな」

「あっはは。確かに。あのノリはアンタじゃついていけなさそうだわ」


 言うほど、ついていけない事もないけれど。逆に私があいつらと同じ年頃の時に出会っていた方がついていけなかったような気もする。何せ、無駄に尖ってたから。


「……それにしても真行寺の奴には参ったわ。目ぇ離すとすーぐ何か問題行動起こすし。元々ひどかったけど特に最近ひどいのよね。何かあんたと話した事がきっかけみたいだったけど。あいつと何か話したの?」

「別に。無理やり歌聞かされて、ベラベラどうでもいい夢の話聞かされただけだ」

「……そっか。じゃあ聞いたんだ。あいつの歌と、あのアホみたいな計画のこと」

「ガールズバンドで天下を獲るとか何とかだろ。馬鹿馬鹿しい」

「あはは。ほんとよね」


 苦笑いを零すと、舞子は夜の空を仰ぐ。


「あたしも最初聞いた時は何言ってんだコイツって思ったけど。……あいつの歌はじめて聞いた時にさ。何か、火ぃついちゃって。バンドを続けるか解散するか、本気で悩んでた時期だったから、余計に。最後にいっちょう、バカに付き合ってみるかって気持ちでやったライブが成功して――結果的にあいつの存在があたしら三人を繋ぎ止めてくれた。だから、今は結構感謝してるの」

「……そうか」


 解散。本当にそこまで落ち込んでいた時期もあったのか。

 忘れかけていた自己嫌悪の感情が、今更になって押し寄せてくる。

 この二年間、本当に私は一体何をやっていたんだろう。


「最近の調子はどうなんだ。客の入りとか」

「ん? ああ。前も言った気するけど、これ以上ないってくらい上々よ。去年の秋の路上音楽祭の時にさ、ちょっとSNS上でも話題になって。そっからずっとチケットは完売してる。信じられないと思うけどさ、今じゃワンマンで200人も集まんのよヴィクトリカ。もう東谷のバンドシーンじゃ、ほとんど敵なしって感じ」

「……へえ」


 200人。東京のインディーズシーンなら全く大した数じゃないのかもしれないが、地方都市のアマチュアバンドが200人を集めるというのは、相当凄い事だ。

 私が居た頃のヴィクトリカのライブといえば、多い時のブッキングで50人も居たかもわからない。それもおまけ扱いで、何十回とやって一度もまともな喝采を浴びたことはない。代わりに浴びせられたものといえば色物を見るような侮蔑の視線か、対バンのチャラい奴らの好色な視線。薄っぺらい誉め言葉を捲し立てながら、しつこく連絡先を聞いてきたり、ひどい時は帰り道にまで尾けてくる奴も居た。だからあの頃の私はカッターナイフを常に持ち歩いていた。ポイントは相手に向けるんじゃなく自分に向けること。首に刃を当てて見せれば大体は気味悪がって逃げていく。――本当に掻き切ってしまいたいくらい、あの頃のヴィクトリカは絶望的だった。


「あのコスプレも、今じゃ結構好評でさ。たまに地下アイドルとか馬鹿にされたりするけど、男だけじゃなく意外と女の子ファンも多いのよ、うちって。特に真行寺が、ほら。ああいう見た目で雑誌モデルとかもしてるから。カリスマ女子的な感じで」

「……。あの性格でか?」

「うん。あいつ元芸能人だからか知んないけど結構オンとオフの差激しいのよ。ライブの時とか、誰これってくらいクールでビビるわよ。……いつもああだったらいいんだけど」


 溜息を吐きながら、舞子は疲れたOLみたいな顔をする。


「ところでそっちはどうなの? バンドの調子は」

「……どう、って言われてもな。まだ結成して一か月くらいだし」

「まぁ、それもそっか。次のライブがいつかとかはもう決まってる?」

「特に決まってない。今は一応、軽音の大会に向けて動いてるみたいだけど、私は出れないからな。暫くやることなさそうだし、どうしようかなって感じ」

「え? あ、そっか。留年してるもんねアンタ。そりゃ大会には出られないか」

「うん。だからひとまずそれが終わるまでは、ゆっくり見守ってようかなって」

「……そうなんだ」


 ――何故か。舞子は何か胸につっかえたような、複雑な表情になる。


「……楓」

「……ん」

「真行寺も言ってたと思うけど。……結局、アンタさ。どうするつもりなの? 高校卒業した後。高宮くん達とバンド続けるの?」

「……さあな。何でおまえまでそんなこと聞く?」

「……それは」


 それきり舞子は口を噤んでしまう。

 夜の街の喧噪、道行く人の足音だけが響き、生温い風が吹き抜ける。

 携帯の時計を見る。19時半。「そろそろ帰るか」と言って立ち上がったその時。


「楓」


 舞子が私の手首を掴んだ。思いつめた表情で、息を呑む。


「……ヴィクトリカに戻ってくる気、ない?」


 そして、言った。

 時が、止まったかのようだった。


「何言ってるんだ? 戻す気はないって、お前が言ったんだろ。舞子」

「言った。……でも、ごめん。あれほんとは嘘。あたし、……ほんとはアンタと、もう一回バンドがしたい」


 振り絞るように舞子は言う。

 思えば再会したあの日も、こいつは私にこんな風な事を言おうとしていた。


「バンドのリーダーが、言ってることコロコロ変えて――」

「それは分かってる。……ほんと無茶苦茶だよね、あんな態度取っときながら。……でも、アンタならわかんでしょ? あれって、全部あたしの強がりなんだ」


 ぎゅ、と。舞子は私の手首を強く握る。


「アンタは、あたし達三人が頑張ったから今のヴィクトリカがあるって思ってるのかもしれないけど。ほんとは違う。。アンタがほんとに居なくなってたら今頃、あたし――」


 ちくりと、胸に言葉が突き刺さる。肩を震わせて、舞子は洟を啜る。

 また少し、涙声になっていた。


「……舞子」

「……分かってる。アンタが、今は高宮くん達と一緒に居たいっていうのは。だけど、あたしだってっ……あたしだってまだアンタと一緒に居たい。アンタは、ヴィクトリカのこと、あたしのバンドだっていったけど、あたしにとっては違う。ヴィクトリカは、アンタが居たから――あの軽音楽部で、たった一人で、ぶっこわれるくらいのギターを鳴らしてたアンタが居たから、あたしは」


 五年前の記憶が頭を過ぎる。

 白け切った視線。苛立たしい連中。いけ好かない部室の空気。


 だけど、しつこく話しかけてきた奴が居た。


 お節介焼きで、いちいち小言がうるさくて。

 見栄っ張りで、いちいち素直じゃなくて。

 小器用で、八方美人で、冷めた現実主義者を気取っていたくせに。

 最後には大勢の”普通”の友達を捨てて、嫌われ者の馬鹿女一人を選んだ。

 結局、誰よりも情に脆い。大嘘吐きの赤縁眼鏡。


『――この、ヴィクトリカってのは?』

『――ん? ああ。何か響きがいいなって思って。まぁ、ラノベに出てくる女の子の名前で、特に意味とかはないんだけど』

『――それって、綴りはどう書くんだ?」

『――え? えっと、どうだろ。多分だけど、V、I、C、T、O、R……ICAとか?」

『――うん。じゃあこれにしよう』

『――は? なんで……って、メタリカっぽいフォントで書くな! 絶対メタルバンドっぽい響きだから選んだだけでしょそれ!』

『――なんだよ。じゃあ他に良いのがあるのか』

『――ん。……まぁいっか。アンタがそれでいいなら。何となく可愛いし、かっこよさもあるし。いいじゃん。――あたしとアンタで、ヴィクトリカ」


 夕焼け色に染まった放課後の教室で、私達は二人で黒板を見上げていた。

 その先にきっと、見果てのない夢を望みながら。


「二人で作ったバンドでしょ。あたしと、アンタの二人で。だから、楓――」


 舞子は俯いた後、もう一度私の眼を見て言う。


「すぐに、とは言わない。だけどもう一回よく考えて欲しい。アンタが学校を卒業するまで私は待つ。それまでに、結論を出してくれればいい」


 潤んだ眼差しに、向けられた思いに。返すべき言葉を吐きだせない。

 見てみぬ振りをしていただけで、本当はとっくに気づいていた。

 舞子こいつが私に未練を抱いていた事も。

 そして私が、舞子こいつに未練を抱いていた事も。


「……」


 掴まれた手首を、振りほどく。


「……お前の気持ちは分かった。だけどひとつだけ約束しろ」

「……うん。何?」

「……あいつらには何も言うな。言ったら、お前とは二度と口を利かない」

「……分かってる。それだけは、絶対に――、」


 舞子が片手で口を抑え、何かに気づいたように青ざめる。


「……? 舞子?」

「……楓。どうしよう。あいつ、もしかしたら――」


 生温い夜の風が、嫌な臭いを運んでくる。

 きっとそれは罪の香りだ。

 嘘も吐けない嘘吐き達の、腐れた思いが溶け合う匂い。

 

                  ◇

 

「――聞こえなかった? 高宮太志」


 日曜日の夜。やっと帰ってきた自宅の門の前。

 もう一度、俺の目の前に立つその人は言う。


「身を引いてくれないかしら。ヴィクトリカの未来のために」


 真剣な顔で腕を組みながら、真行寺さんは俺に言う。


「……身を引く、って。それは」

「当然、音無さんのことよ。貴方の方から言って、今のバンドをやめさせてほしいの。理由は言わなくてもわかるわよね? 念のため言っておくけれど、これは私一人の願いじゃないわ。私達ヴィクトリカ全員が望んでいること」


 つまり、それは――


「音無さんも、そう言ってるんですか。ヴィクトリカに戻りたいって」

「……いいえ? あの人自身は口に出していないわ。義理堅い人だもの。だけど心の奥底ではそう望んでいてもおかしくない。貴方に分かる? 舞子がどれだけ長い間、あの人と共に居たか。二人きりからバンドを始めて、同じ苦難を味わって。あの人が居なくなってしまった間、どれだけ心を痛めていたか。貴方も本当は気づいているんでしょう? 高宮太志。ってこと」


 言葉を返せない。紛れもない事実だと、俺自身が認めてしまっている。


「……この間はつい辛く当たってしまったけれど、本当は私、とても貴方に感謝しているのよ。何を言ったにせよ、貴方たちが音無さんを音楽に引き戻したのは事実だもの。だけど、選択を間違えないで。貴方が本当にあの人の事を思っているのなら。あの人の気持ちを、自分のために利用したりしないで」

「あの人の、気持ちを、――」


 言葉がうまく呑み込めない。目を背けていた醜い真実。罪の意識が胸を穿つ。

 真行寺さんは艶めかしく笑うと、俺の耳元でそっと囁いた。


「――あの人は貴方に恩を感じている。だから貴方の側にいるのよ」


 心臓が一瞬、止まったかのようだった。


「……貴方の気持ちは分かるわよ高宮太志? あんな人が隣に居たら、誰だって側に置いておきたくもなるわ。だけどね、誰だって居るべき正しい場所がある。本当は迷っているんでしょう? 貴方だって。そんなに考えのない子には見えないもの」


 溶ける程に甘く、優しい声を囁きながら。

 真行寺さんは俺の頬に触れて微笑する。


「答えはまた聞きにくるわ。――ただし、私が来たことは誰にも言わない方がいい。貴方が本当にあの人と、あの子たちの未来を思うなら」


 去っていく背中を、黙って見送る。

 しばらくの間、俺はずっとそこに立ち尽くしたままだった。


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