第十八話「深い森」

                 ◇


「終わっ……たー……」


 俺は思い切り伸びをした後、机の上にだらりと突っ伏した。

 七月初週、金曜日。時刻は正午前。今日は期末テスト期間の最終日。ホームルームが終わった教室内は一気にリラックスムードに変じ、放課後の部活に備えて昼飯を食べようとする者と、速攻で帰ろうとする者に二分されていた。


「うおっす、お疲れー」

「おう、お疲れ」


 ボケーっと窓の外の雨模様を眺めていると、いつもの昼飯仲間――安藤と水無瀬が俺の机の前にやってくる。会うのはほぼ一週間ぶりだった。


「やっと終わったなー、期末テスト。これで思う存分遊び呆けられるぜ」

「高宮はどうだった? 最近だいぶ切羽詰まってたみたいだけど」

「んー、まあギリギリ何とかなったと思うけど。五十嵐に教えて貰わなかったら正直かなりやばかったなー……俺の成績悪くて大会出れねぇとか笑えねえよマジで」

「ああ。そういやお前ら軽音の大会出るんだっけ? いつ頃やんの?」

「えーと、七月末だから今から三週間後くらいかな。俺らは全国大会の審査枠ってのを狙ってて――」


 俺は安藤と水無瀬に、昼飯を食いながら大会の流れをざっくり説明する。ちなみに音源審査の応募締め切りは県大会当日とも重なっているので、やはり三週間後が俺達の勝負所だ。


「ふーん、なるほどねえ。てか姫路、県大会一人で出るんだ。結構意外だな」

「? 言うほど意外か? 別に選抜ライブの時も一人だっただろ」

「いや、最近姫路ってお前らとつるんでたじゃん。だからてっきり、一緒にバンド組んで出るんかなーと思って。実際そういう噂流れてたし、な」

「うん。ああ、そういえば高宮に直接聞いてはなかったな。実際の所どうなの?」

「え? いやどうって、……ないない。シンプルに友達っつうか、音楽仲間的な感じでつるんでるだけだよ。てか、そんな噂流れてんの?」

「あー、まぁ特に最近、姫路に関しては色々な。……ほら、あいつって何か元のバンドメンバーと揉めて抜けたみたいな話だっただろ。それで色んな憶測が広まってるっつうか、どれもアホくせー話なんだけど」


 何週間か前の出来事を思い出す。姫路を責め立てるバンドメンバー、集まってきた野次馬の群れ。そしてその目の前で、あえて敵を作るような物言いをした姫路。

 その翌日から、姫路に対して露骨に注がれていた冷たい視線の数々。

 一連の出来事を鑑みれば、安藤の言うその『噂』とやらに、特に違和感はない。

 姫路だってきっとそういう雑音をすべて覚悟の上で行動している。

 けれど――。ふつふつと込み上げる感情の波を、どうにも俺は抑えられない。


「……安藤。ちなみにそのアホくせー話ってのは、どういう話なんだ?」

「……あん? それ知ってどうすんだ? どうせロクな気持ちにならねえぞ」

「いいから話せよ。半端に聞いたんじゃ、かえって喉につっかかる」

「そうか? ……ま、お前が良いならいいけど」


 紙パックの紅茶を一口飲んだ後、安藤は話し始める。


「とりあえず一番有名なやつだと、姫路が元のバンド裏切って、お前のバンドに乗り換えたってやつかね。俺と水無瀬はお前がまた勧誘ムーブ決め込んだんだと思ってたんだけど、噂は逆で、姫路がお前にうまく取り入ったみたいな感じになってる」

「ああ。高宮と姫路が付き合ってるみたいな噂も、女子とか結構してたよね」

「んだそりゃ。ほんっと噂ってデタラメだな……」


 確か二か月前は俺と五十嵐が付き合ってるとか、むしろ俺と響が付き合ってるとかわけわからん噂が流れてたが。……ただまぁ、そこは割と予想の範囲内というか。 しょうもなさすぎて特に驚きもない。


「……あとは? まさかそれだけで終わりじゃねえよな」

「ん、そうだな。――これは割と最近の話なんだけど。逆に姫路って別にそんな悪くなくね? みたいな話も結構出回ってきてんだよな。おもに男子の間で」

「……? え、つまりそれって姫路を庇う意見もあるってことか?」

「まあそんな感じ。実際選抜ライブの時の姫路の演奏ってかなり凄かったわけじゃん? それであいつのファンみたいになっちゃってる奴らが結構居るんだよな。細かい事知らんけど、実力は正義だろ、みたいな感じで」

「そうそう。むしろ何か、姫路の元居たバンドの方を叩くみたいな流れもあるよね」


 それは少し意外な情報だった。しかし。


「姫路を支持する……ってとこはまだわかるけど。元居たバンドの方を叩くのは正直行き過ぎてるな。何があったとか、外野からじゃ何もわかんねえのに」

「確かにそれは俺も思った。……でも、神崎だっけ? あいつがぶっちゃけ元からちょっと評判悪いヤツだからな。見た目ヤンキー系だし、周りに当たりきついし。バンド自体も去年の文化祭ん時、めちゃくちゃ下手だって馬鹿にされてたしな」

「されてたね、そういえば。……俺と安藤のバンドもだけど」

「マジで萎えたよなーあれ……俺ら以外もあれで殆ど軽音やめちまったしな」


 去年の文化祭――俺はバンドを組めなかったという劣等感から体育館ステージの方に寄り付かなかったので、詳しい事は何も知らないが。

 ただ当時、幅を利かせていた二年生――坂上雅也が率いるヤンキーグループが文化祭でも相当胸糞の悪い事をしていたという話は聞いていた。演奏中に周りを巻き込んで野次を飛ばしたり、勝手に動画を撮ったり、根も葉もない噂を流したり。それで初心者バンドの殆どは嫌になって半数は軽音学部から姿を消したのは有名な話だ。


「つーかぶっちゃけ、今軽音の噂話流してんのって大体元軽音の奴らなんだよな」

「そういえば、坂上達が居なくなったから、軽音に戻ってる人いま結構いるよね」

「そうそう。そういうのに限って偉そうに、あることないこと好き勝手ほざいてやがんだよな。自分がされて嫌だった事をしてるって、自分で気づけねぇもんかね」


 卑屈そうに口元を歪め、安藤は焼きそばパンの残りを口に放り込む。


「……ま、なんか話逸れちまったけど。俺が知ってる噂っつうとこんなもんだな」

「ああ、サンキュー。さすが安藤、見た目通りの事情通だな」

「何が言いてえんだテメェ。情報料とるぞ」

「ははは。あ、ところで高宮、この後ヒマ? せっかく試験終わったんだし、久々に三人でどっか遊びにいかない?」

「あー、行きてぇけど俺このあとちょっとバンドの打ち合わせ入ってんだよな」

「そうなんだ。じゃあ別に明日とか、土日どっちでもいいよ?」

「えーと土日は土日で、バンドの練習と、バンドの方で打ち上げがあって……」

「んだこのバンド糞野郎。おい水無瀬。明日からコイツ無視しようぜ」

「うん。そうしよっか」

「ちょ待て! 今日の打ち合わせはそんなかかんねえから! マジでマジで!」


 後で合流したい旨を伝えると、水無瀬が快諾し、安藤は渋々了承する。

 それから二人は教室を出て、俺も楽器を回収しに部室へと向かう。


(……それにしても)


 姫路に関して、そんな噂が流れてたとは。今まであえて触れずにいたけれど、実際姫路の居たバンドで何があったかはまだ謎のままではあるんだよな。

 そろそろ本人に直接聞いてみるべきか。あるいは――


「ん?」


 軽音の部室の前に辿り着いたところで、姫路の姿が目に入った。

 締まり切ってない扉の前で、なぜか深刻そうな顔で立ち尽くしている。


「よう。お疲れ姫路」

「え? あ、ああ。高宮。お疲れ」


 半開きの扉を閉めながら、姫路は俺の方に向き直る。


「……? どうした? 中でまた何か悪口でも言われてたか?」

「い、いや、別に。そ、それより。試験の結果どうだった?」

「え? まぁ結果はまだわかんねえけど、多分赤点は避けられたと思う」

「そっか。あたしも何とかぎりぎりいけたかな? って感じで、……あはは」


 不自然な笑みを見せた後、それきり姫路は何故か気まずそうに口を閉ざす。


「……あ、そうだ! 香月ちゃんが言ってた打ち上げの話、もう聞いた?」

「え? ああ。日曜に勉強会組でどっか出かけようって話だろ」

「そうそう。でさ、あたし。実は最近ギター買おうかなって思ってて、楽器屋さんみんなとと回りたいなとか思ってるんだけど、みんなに迷惑だったりするかな?」

「ギター? へー。別にいいんじゃね? 響も来るっつってたし。楽しそうじゃん。俺らでめっちゃアドバイスするぜ」

「ほんと? じゃ、じゃあ日曜日楽しみにしてるね! ……それじゃ!」

「? お、おう」


 俺が答える間もなく、姫路は通学バッグを揺らし走り去っていってしまう。

 いつもの余裕がない、何だか妙なテンションだった。

 試験が終わった解放感からか――それとも。


「……」


 部室の扉に俺はそっと手をかける。話し声は聞こえない。

 ただここで姫路は

 内靴を脱ぎ、それなりの覚悟をしながら、俺はゆっくりと扉を開く。


「!? ……ふ、ふぇぇ!?」

「……ん???」


 扉を開きまず目に飛び込んできたのは、予想に反してほぼ誰も居ない部室の全景と、小動物のように小柄な女子生徒だった。エレキギターとしてはかなり小型なはずのムスタングを重そうに抱えたその子は、俺を見るなりそれを床に置き、ぴゅーっと衝立のある楽器置き場の方に逃げて隠れてしまう。


「どうした、なほ!? ……な、なんだ。高宮か」


 もう一人、背の高い女子生徒が俺を見て安堵の息を吐く。

 肩から提げているのはジャズベース。あの印象的な黒髪ポニーテールは、確か。


「秋本……さん、だっけ?」


 そう。姫路の元居たバンド、「スニーカーズ」のメンバー。県大会の取り決めをしていたあの時、姫路に直接脱退の旨を伝えに来た人物だった。今ぴゅーっと逃げて行ったちっこい女子の方も、名前は知らないけど確かバンドのメンバーだったはず。


「悪い。楽器取りに来ただけなんだけど……、え、俺なんか、悪い事したっけ?」

「ああ、いや、すまない。なほ――平田は最近、他人に対して少し過敏になっていてな。また何か言われるんじゃないかと怯えているんだ」

「? 何かって……」


 楽器置き場の衝立の向こう、平田というらしい小柄な女子は俺と目線を合わせると、びくりと震えて部室から飛び出て行ってしまう。


「え、ちょ。待っ……! 逃げる程怖いの俺!?」

「いや、多分トイレだろう。さっきちょうど行きたいと言っていたからな」

「そうか。でも……大変だよな、この学校。俺もだけど、無神経な事言ってくる連中けっこう多いもんな」

「……仕方ないさ。今回の事で無駄に注目を集めてしまったのは、リーダーである私の管理責任だ。メンバーの事を制御できなかったのも……な」


 言うと秋本は苦々しく視線を落とし、ジャズベースの四弦を一度鳴らす。


「……てか練習、二人だけなんだな。神崎とかはまだ来てないのか?」

「ああ。のえる――神崎は、バイトが忙しくてな。普段来られる方が珍しいんだ」

「そうなのか。そういや俺のバイト先でも、だいぶ忙しそうに働いてたな」

「? 高宮、まさかのえると同じ職場なのか。ということは、スーパーの?」

「ん、いや。俺のバイトはレンタルビデオ店だよ。神崎はこの間新しく入ってきた」

「……。そうか。のえるはまた、バイトを増やしたのか」

「え? あいつまさか他にも掛け持ちしてんのか? このあいだ平日で10時まで働いてたけど。……まさか毎日10時までとかじゃねえよな」

「流石に毎日ではないと思うが……あいつは家庭の事情が少し複雑のようでな。恐らく生活費のため、かなり――、」


 はっとした様子で、秋本は手で口元を抑える。


「……すまない。余計なことを口走った。のえるには言わないでくれ」

「あ、いや、勿論。言ったりしねえけど」


 それに正直、あいつの口ぶりから大体想像がついていた事ではあった。

 この青葉東は、私立高。当然ながら公立高より金はかかる。親に無理を言って入れて貰ったその穴埋めとして、あんなに身を粉にして働いているのかもしれない。


「……高宮」

「ん?」

「最近、姫路の様子はどうだ? 元気にしているか?」


 楽器置き場からギターケースを引っ張り出していると、唐突に秋本が心配そうな顔でそんな言葉を口にする。


「ああ。元気だよ。何か色々言われてっけど、割とピンピンしてる」

「そうか。……なら、よかったんだが」


 どこかほっとしたような面持ちで、秋本は視線を落とす。


「何かずいぶん、責任感じてるみてえだけど。あんまり気負い過ぎない方いいんじゃねえか。全部が全部リーダーの責任ってわけじゃねえだろ」

「気を遣ってくれるのは有り難いが、私自身がそう感じているのだから仕方ないさ。姫路が悪者扱いになってしまったのも。その結果いま私達が色々言われているのも……あの時私が、安易な言葉で姫路を追い詰めてしまったからだ」


 あの時――ってのは、姫路を四人で問い詰めていた時の事だろうか。

 分からないが、ひどく思いつめた様子で秋本は言葉を続ける。

 

「この間、姫路がお前たちと楽しそうに笑っているときに痛感したよ。私は姫路の事を何も理解していなかった。……だって私は、あんなに楽しそうな姫路の顔を去年一度も見た事がなかったんだ。本当に、一度たりともな」

「……去年、一度も?」


 それは流石に、言いすぎじゃねえのか?


「去年ここで最初に会った時、姫路はとても大人しい奴だった。どこか人に怯えている所があって、自分から意見を言うことはおろか、声を出すのも珍しい。……高宮。お前は同じクラスだったから覚えているだろう。去年の姫路のことを」

「……ああ」


 髪も服も眼鏡も、全身が真っ黒で。点呼の時以外は一言も発さない。

 いつも一人で昼食を食べ、物憂げに外を眺め、暇さえあればイヤホンで音楽を聴き、早朝の部室で独りドラムを叩いている。姫路瑞貴はそんな人間だった。


「私の最初の間違いは、たぶん。バンドを組んだあの日、パート決めで姫路にドラムを押し付けてしまったことだ。私がベースで、なほがギター。そこからバンドを組めずあぶれてしまった三人が集ってできたのが『ザ・スニーカーズ』――全員が楽器初心者で、誰がドラムをやるのかというのが私達にとってまず最初の話題だった」

「……押し付けた? じゃあ姫路って、まさか」

「……そうだ。自発的にドラムを選んだわけじゃない。


 そういえば――確かに。あの日、メンバーの内の一人がそんな事を言っていた。

 その時点でもう。現在に繋がる綻びのようなものが見える。


「……ドラムって、確かに不人気っていうか。仲間内でやりたいヤツが居なくて困るみたいな話がすげー定番ではあるけど。希望じゃないのに押し付けるってのは、いくらなんでも横暴すぎねえか?」

「……確かに、結果的に押し付けてしまったのは事実だ。しかし最終的には、姫路が自分から言い出した事ではあったんだ」

「? ……自分から?」

「ああ。恐らくきっと、この場の誰かが折れなければならないという事を察して、あいつが自分から折れてくれたんだ」


 自分から折れた。あのこだわりの強い姫路が。

 

「……まあ、確かに。あれで結構大人っつうか、優しいもんな、あいつ」

「……ああ。私たちはずっと、そんな姫路の優しさに甘え続けていた。あいつに重荷を背負わせて、それをずっと当たり前のように過ごしていたんだ。なのに、私達は」


 勝手なことを言うなと。他人の事を考えろと。

 あの時、秋本や神崎はそんな言葉を口にしていた。


「……でもあん時。たしかボーカルの子が姫路の代わりにドラムやるって言ってたよな。ってことは一応、バンド内で話し合いはあったのか」

「……ああ。あかり――喜多川は特に、姫路の事に責任を感じていたからな。あいつの気持ちも私は汲んでやりたかった。しかしそれが結局どっちつかずで、あの日の結果をもたらしてしまった。姫路に恨まれても仕方ない。私は大馬鹿者だった」


 成程。それがあの日起きていた事の全てか。

 どちらかといえば秋本より、語気の強すぎる神崎の責任が大きいように思うが。

 

「……待てよ? でもそもそもの話、それって何かおかしいよな」

「? 何がだ?」

「いや、だって。姫路って今は普通に一人でやっていこうとしてるわけだろ。一年前の時点でも、今みたいに一人でやれたわけだろうし。それなのにあいつなんで、わざわざスニーカーズに入ってドラムパートを一年間も請け負ったんだ?」

「それは、……確かに」


 さっき深刻そうな顔で、たった二人しか居ない部室を見ていた姫路の表情。

 あれは、もしかしたら――。


「……ん?」

「……ふ、ふぇぇ!!?」

 

 ふと。部室の入り口に目を向けると、さっき飛び出て行った平田さんが戻ってきたところだった。俺を見て「え!? まだ居るの!?」という顔をしている。


「……まあ、大体話は分かったし。とりあえず俺もう行くわ。ありがとうな」

「ああ。おいで、なほ。この男見かけはチンピラだが言うほど怖い奴じゃないぞ」

「誰がチンピラだよ……。んじゃ、すみません。お邪魔しました」


 ギターケースを背負い、俺は一礼して部室を去る。


(……? そういや)


 バイトで忙しい神崎はともかく、もう一人はどうしたんだろう。

 喜多川あかり、だったか。姫路の事を気にしていたというボーカルの子。

 まあ今日、たまたま居ないだけか。

 特に気にも留めず、俺は雨音が響く部室棟の渡り廊下を歩いて行った。

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