第十七話「そして僕にできるコト」
◇
「お。太志じゃん。お疲れ」
「あ。田中先輩。お疲れ様です」
バイト先のレンタルビデオ店。その駐車場で仲のいい田中先輩に出くわす。
21歳くらいのバンドマンで、俺にとっては良い兄貴分の人だ。
「先輩、今日はもう上がりっすか」
「おう。これから彼女と飯行くんだ。太志は今からバイトだろ? 学校帰りなのによくやるよなーお前も。……あ、そういやさっき新人で高校生の女の子入ってたぜ。ちなみに、結構可愛かった」
「新人? へぇ」
「ま、とにかく。俺はもう行くから、バイト頑張れよ。じゃな!」
「うっす。お疲れ様です」
軽自動車に乗って去っていく田中先輩と別れ、従業員用の入り口を通って中へ。
しかし、俺と同じく高校生のバイトか。この店に目をつけるとは、中々鋭い。
基本レンタルCDビデオ店ってアダルトものとか取り扱う関係上、基本的に18歳未満は募集してない所が普通なんだが。うちの店は珍しくそういったコーナーが存在しないので高校生でもOKらしい。その代わりに書店コーナーがデカかったり、カードゲームの対戦スペースがあったり幅広い年齢層に対応している店舗になっている。
「あ、高宮くん。ちょうどいいとこに」
バイト用の制服に着替えて店に出ると、店長が俺を見つけて手招きする。
そのすぐ傍には、明るい髪色をした女子の姿があった。
「こちら、今日から一緒に働く新人の神崎さん。こっちはさっき言ってた高宮くん」
「あ、どうも。初めまして」
「よ、よろしくお願いしま……」
ぴしり、と。お互い顔を見合わせた瞬間、空気が一瞬凍り付く。
神崎。――こいつって確か、姫路の元居たバンドのメンバーの……。
「? あれ? どうしたの、二人とも。もしかして知り合いとか?」
「え? いや知り合いっていうか。一応、同じ学校というか」
「へえ。凄い偶然だね。まあとりあえず神崎さん、今日は高宮くんと一緒にレジ入ってもらって。分からないところがあったら彼に教えて貰ってね」
「あ、はい」
「それじゃ高宮くん、頼んだよ。同じ高校生同士だし、仲良くね」
「りょ、了解です」
店長が別の業務に戻り、レジには俺と神崎の2人だけが残される。
「……まあ、そういうわけなんで。なんでも気軽に聞いて貰って」
「……ああ、うん。あ、いらっしゃいませ!」
俺と同じくぎこちない表情の神崎だったが、本を持ったお客が来た瞬間、明るい営業スマイルに変わり、慣れた様子でレジを打つ。流石にレンタル周りの手順は少したどたどしかったけど、レジ打ちに関しては随分慣れた様子だった。そこから約二時間半、お互い特に会話もなく機械的に客の対応をし続け、やがて一段落を迎える。
「……ねえ」
「……ん?」
15分くらい客足が途絶えた時、神崎の方から話しかけてくる。
「さっき店長に聞きそびれちゃったんだけど。ここってバイトでも社割で安く借りられるって本当なの?」
「ん、ああ。それは本当だよ。一応少し制限もあるけど」
「ふーん。そっか。ありがと」
髪先を弄りながら、素っ気なく言って神崎は視線を逸らす。
時計は間もなく二十一時だった。
「神崎って、今日のシフト何時まで入ってるんだ?」
「10時までだけど。……何?」
「いや、平日なのによく働くなと思って」
いくら地下鉄が動いてるからって、平日から高校生が働ける22時ギリギリまで頑張る奴は中々いない。女子だったらなおさら、門限とか厳しそうだし。
「そっちこそ、やたら長時間働いてるって聞いたけど。何? 楽器でも買うの?」
「ん、まぁ。それもあるし、スタジオ代とか、チケットノルマとか。バンドって本格的にやろうと思ったら結構金かかるからな」
「……本格的にバンド、ね」
「……なんだよ?」
「……別に。アンタとか姫路みたいに、好きな事にお金と時間使えるって、幸せだろうなって思って」
何か、棘のある言い方だった。
「……まぁ、俺は実際幸せ者だと思うけど。姫路のことまで、知った風な口利くなよ。あいつもあれで、結構苦労して……」
「……苦労? アンタらの言う苦労ってさ、結局全部自分のためのもんでしょ? それができるって時点で、自分が相当恵まれてるって気づいてる?」
自分の為の苦労。
深々と、刺刺しいその言葉が俺の胸に突き刺さる。
「分かんないよね。……アンタらみたいに、才能にも環境にも恵まれてる奴らには。なんも持ってない、あたし達の苦労なんて」
何か言い返そうと思ったその時、丁度レジの前にそれぞれ客がやってくる。
それから特に会話もなく、俺と神崎はバイトが終わるまで無言のままだった。
◇
「……ふう」
帰宅後。いつも通り俺は速攻で風呂に入った後、ジャージに着替えて自分の部屋に戻っていた。アイスバーを齧りながら、兄貴が出て行って以来俺の物置になっている二段ベッドの下の段にいったん腰を落ち着け、スマホの画面を片手で操作する。
時刻は23時。響からは早速、グループチャットでさっきの音源のリンクが届いていた。まあグループチャットつっても、五十嵐と音無さんは普通のケータイユーザーなので実質今のところただの個人チャットなんだが。
姫路からは――、何か怒涛の長文おすすめアニメレビューと、既読無視に対しての怒りのスタンプ連打が現在進行形で届いている。『試験勉強は?』と打って返すと、『すみませんでした』の一言だけ帰ってきてそれきり大人しくなる。
(改めてみると、スマホってマジで便利だよな……)
一か月くらい前、ケータイをぶっ壊してから乗り換えて大正解だった。正直最初は無駄に金かかりそうだしどうなんだと思ったけど、もはやこれ無しじゃ考えられんってくらいに活用している。
まずケータイに比べて文字打つの楽だし、普通にインターネットのサイトも動画も見れるってのは革命的だ。グループチャットも、バンドの情報共有にすげー便利。店の人に聞いたらまだ日本での普及率はまだまだらしいけど、アメリカではとっくに一般的になっているとか。
そんなわけで五十嵐先生にも是非と勧めてみたのだが、何か「キーホルダー着けられねえじゃん」とか意味の分からん事を言われた。……まぁ確かにあの両手ですさまじい速度で文字を打つ謎の技術といい、ギャルにとってケータイは神器か何かに等しいのかもしれないが。そんな事を思いながらメールボックスを開くと、丁度その五十嵐先生から明日の勉強会の日時の連絡が来ていた。
昼過ぎ、飯食った後に集合。持ち物は各自でとのことらしい。
なら午前中はゆっくり寝られるか。久々に――、
「……」
ふと。学習机の椅子の上に置かれた、アイロンのかかったワイシャツと、綺麗に畳まれた洗濯物の群れが俺の視界に入る。
『……苦労? アンタらの言う苦労ってさ、結局全部自分のためのもんでしょ?』
『それができるって時点で、自分が相当恵まれてるって気づいてる?』
今更の話だ。とっくにそんなの気づいてる。――だけど。
「……。寝る前に少し、部屋片づけとくか」
食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に放り、俺は立ち上がる。ここ最近曲作りに没頭していたせいで、元々汚い部屋が更に足の踏み場もない有様になっていた。兄貴が居た頃は、兄貴が綺麗好きなのもあっていつも片付いてたんだが――、
「……あれ。そういや」
部屋の中をドタバタひっくり返しながら、ふと思い立つ。
兄貴の持ってた大量の参考書とかってどこ行ったんだろ。捨てたってことはないだろうし、
漫画を抱え、廊下に出てすぐ横の部屋の前へ。やっぱりまだ起きてるみたいだから問題ないだろう。どんどんと遠慮なく扉をノックする。
「……千春さん。千春さん? 起きてますか姉上? 姉上ーッ!」
「……うっっせーなー、アホ弟。いったい夜中に何の用だよ」
扉が開き、でかい眼鏡をかけた不機嫌そうな千春さんが顔を覗かせる。
「いや、部屋片付けてたら何か大量に漫画出てきたんで。返しにきたんですけど」
「うわ。何か色々なくなってんなーとは思ったけど、やっぱお前が持ってってたんかい。てか何でこんな時間に部屋片付けてんの?」
「いや、ちょっと掃除のスイッチが入っちゃって。とりあえず入っていいすか」
「はぁ。まぁそれはいいけど、余計なもんに触んなよ?」
了承を得たので、部屋の中に入れてもらう。
俺の部屋と同じ広さ、二段ベッドと学習机の上にPCが一個置いてある所までは一緒。ただ本棚が大小それぞれ四つくらいあって、そこに大量の漫画やら何やらが敷き詰められている。壁には何かイケメンのミュージカル舞台のポスターと、大量のキャラクターグッズ。言っちゃなんだけど、かなりオタクっぽい部屋だ。
「そういや兄貴の参考書って、いま千春さんが持ってんの?」
本棚に漫画を戻しながら、俺はPCでお絵描きしてる千春さんに呼びかける。
「
「ああ、もうすぐ試験なんで。勉強会に持ってこうかなと思って」
「いや、テストの範囲なんて別に参考書いらんでしょ。教科書読んどきな」
「まぁ、そりゃそうか。……お。これ新刊出てんじゃん! 借りてっていい?」
「試験勉強はどうした……?」
冷静に突っ込まれてしまった。まぁ試験終わってから借りさせて貰おう。
「……ああ。そういや太志。一応文句つけとくけどさ。あんた最近なんか夜中にガシャガシャやってない? ギターは電気入ってないからギリ許せるけど、歌うのだけはマジでやめとけ? 小声でもすげー響くから」
「あー、それはマジですみません。5時半ならギリギリもう朝かなと思って……」
「いやそらギリギリ朝かもだけど……ま、私も夜中に作業中、好き放題動画の音垂れ流してるし、別に気にしなくていいけどね。どうしてもアレだったら耳栓するし」
「マジすか。やっぱ器が違うね千春さんは。流石俺の唯一の姉貴なだけはある」
「唯一って……千秋はどうした千秋は」
「いや、アレを姉貴としてカウントするのは無理だろ……?」
「……。いやわかるけどさ、そう言いたくなる気持ちは」
誰の事を話しているのかというと、高宮四人兄弟姉妹の上から二番目。
高宮家史上最悪の自己中クソ女、
どんな奴かと言えば、ワガママでヒステリックで、誰彼構わず平気で暴言を吐き、都合が悪くなるとすぐ人のせいにする。自分が女王様とでも思ってるような女だ。
「まーでも実際、千秋が居た時って結構色々しんどかったなー……家ん中ずっと気まずいし、それなのに私ずっと同じ部屋だったし。耳栓買ったのもそん時だったな」
「ああ。そういや何か夜中に二段ベッドの上で一生友達と長電話してたよな」
「してたしてた。でも学校から帰ってきた時、ここで男といちゃついてた時が一番キレそうだったな。普通、妹と共同で使ってる部屋に彼氏呼ぶかっつう」
「俺はあいつにバイト代盗まれて逆ギレされた時が一番殺意湧いたわ」
「太志すげー根に持ってるよね、それ。……今頃どこで何してんだろあいつ」
知らんし興味ないし考えたくもない。が。地元の高校卒業した後、何か東京で暮らすとか言って出てったのは覚えてる。母親曰く、仕送りは受け取っているらしい。
ちなみに高宮四人兄弟姉妹の一番上、
「……しかし。相変わらず絵上手っすね、千春さん」
「おーん? 何勝手に見てんだ? 眼ぇ潰すぞ?」
「別に潰すこたねえだろ!」
机の上に傾けて置いた、大きな液晶タブレット。その上で千春さんは慣れた様子でペンを走らせている。昔から絵が上手かったけど、最近はもうプロ並みって感じだ。まあ主に描いてんのは大体何かの漫画に出てくるイケメンキャラなんだけど。普通にそれ以外も上手くて、ツイッターでそこそこの数のフォロワーを抱えてるらしい。
「そういや千春さん、漫画家ってまだ目指してんの?」
「一体いつの話だそれ。小学生ん時は言ってたかもだけど」
「でもそんだけ絵上手かったら、絵で食ってこうとか考えなかった?」
「あー、まぁ。ちょっと前は真剣に考えてたけど、やっぱ別にいいかなって」
「へー、ちなみにそれはなんで?」
「私、絵ぇ描くのは好きだけど、ぶっちゃけオリジナルより二次創作やってたほう楽しいし。本気で色々すり減らしてやるよりは、趣味で気楽にやりたいんだよね」
「……なるほど」
趣味で気楽に――か。まあ普通というか、当然の発想だよな。
絵にしろ音楽にしろ、それで食ってけるのなんてほんの一握りだし。別にそれを職業にする必要なんかないわけで。好きなモノをずっと好きでいる為には、そのくらいの距離感が丁度いいのかもしれない。
「……ま、四人中二人くらいはまともな職につかんとうちの親も心配だろうしね。お母さんとか共働きなのにずっと家事してるし、お婆ちゃんボケてきて介護もあるし。私くらい地元に残って、少しでも家庭を支えてやらんとなぁ」
ペンを走らせながら、千春さんは平然とそんな言葉を口にする。
茫然と俺は何も言えなくなって、その場に立ち尽くす。
「ん? どした?」
「いや、なんか……。千春さんすげー大人っつうか、色々考えてんだなと思って」
「ま、そりゃ千秋とかあんたに比べたらねー。でも別に普通じゃね? 私はしたいからそうしようって思ってるだけだし。私の友達とか、親にああしろこうしろって縛り付けられてて、きつそうだなーって思うもん。それに比べたら十分幸せよ」
「そうだよな。……自分のしたい事できるって、やっぱ相当幸せなんだよな」
「……? 何? そんな深刻そうなツラして。あ、いや別に太志に当てつけて言ってるわけじゃないよ? これはマジで」
わざわざこっちを向いて、千春さんは慌てたように否定する。
「いや勿論わかってるけど。……さっきバイト先の、同い年の女子に似たような事言われてさ。俺ってやっぱ、傍から見たら贅沢なガキなんかなって思ってさ」
「ぷっ、そんなキッツイ事言われたの? 同い年の女の子に?」
「うん。まぁ……でも実際その通りだと思ったんだよな。俺って、俺視点だと結構昔から酷い目にあったり、それなりに苦労してると思ってたんだけど。……それってぶっちゃけ、単なる自爆っつうか、要らねえ苦労っていうか。今にしてみると、ぜんぶ贅沢な悩みだっただろうなって」
つい二か月前の騒動にしたってそうだ。当事者の俺としちゃそれなりに苦労したし、割と壮絶な一幕だったんだけれど――部外者の視点からしたら、そもそも何もかも大げさな、くだらない茶番劇だったのかもしれない。能天気にアニソンがどうだとか、大会がどうだとか言ってる、今この状況でさえも。
「……贅沢な悩み、ねえ」
走らせていたペンを置き、千春さんは腕を組んで大きく伸びをする。
「……ま、私も別に他の家がどうとか知らんし、人の事情なんざ星の数ほどあらーな。隣の芝とかいちいち見てたらキリないっしょ」
「いやまあ、そりゃそうなんだろうけど」
「……大体、逆に。あんたの苦労とか、その子には分かんないわけでしょ? だったらやっぱ、そんなもん気にするだけ無駄じゃない?」
眼鏡を外し、ニヒルに千春さんは
「あんたにはあんたのできる事やりなよ、太志。せっかく末っ子で、色々自由にできる御身分なんだからさ? 今更誰かに気ぃ遣うとか、それこそ贅沢でしょ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸に刺さった棘が、呆気なくぽろりと落ちてしまうようだった。
(……贅沢か。確かに)
自分と他を比べてどう、なんて思うのがまず傲慢な話だ。俺にしろ、神崎にしろ。
そして相変わらず――なんというか。ほんとに立派なねーちゃんだなと思う。
昔から面倒くさい俺や千秋の間に挟まれて、どっちのご機嫌取りも器用にこ
なして。さぞ大変な思いをしただろう。だけど結局、性根が家族の誰よりも優しい。
さっきも俺に合わせて一緒に愚痴ってたけど、本当はきっと千秋の事もそんなに嫌いじゃない。家族みんなの事を考えてる。――高宮千春は、そういう人間だ。
「……ま、だからって千秋みたいに無駄に人に迷惑かける奴にはなんないでは欲しいけどね。とりあえず周りの人に恩返せるように頑張ってみたら? 例えば漫画貸してくれる優しいお姉ちゃんのために、美味しいケーキを買ってくるとか」
「……そっすね。ちなみにケーキ、何がいいすか」
「いや、本気にすんなよそこは。買うんならお母さんになんか買ってあげな? あの人が一番、アンタの事応援してんだから」
「……そうだな」
試験勉強が終わったら、たまには親孝行でもしてみるか。
優しいお姉ちゃんにケーキ買って来て、思いっきり笑われてみるのもいい
俺に出来る事なんて限られてる。だったら俺に出来る事の最大を。
あの人にも――ちゃんと。逃げずにしっかり、向き合わなければ。
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