第十二話「Stairway Generation」
◇
放課後、軽音楽部室。今日は俺達が部室を使える日だ。
といっても本格な練習ができるほどの時間は取れないので、基本的には音を出しながらの打ち合わせなど軽い内容になる。四十分ほどかけて先日のオリジナル曲のアレンジを詰めた後は、俺が音無さんのギター指導を受ける運びとなった。
「もう一回、最初からやり直し」
「は、はい!」
メトロノームのクリック音に合わせて、また俺は自分で持ってきた課題曲を最初から弾き始める。アークティック・モンキーズ『I Bet You Look Good On The Dancefloor』。ロックの本場イギリスで弱冠19歳という若さで鮮烈なデビューを果たし、オアシスの再来とも呼ばれた若き怪物たちの代表曲だ。
「さっき言った事、ちゃんと意識できてるか? もう一回」
「は、はい……」
演奏を止められ、また俺はイントロのフレーズから演奏やり直す。
一応、ギターの難易度的にいえば俺でも問題なく弾ける程度のはずなのだが、さっきからダメ出しを食らい続けていた。鬼コーチすぎてちょっと泣きそう。
「ねえねえ、香月ちゃん。高宮くんのギターってそんなにダメなの? あたしからしたら、普通に弾けてるように見えるんだけど」
「んー、一応弾けてはいんだけど、何か雑なんだよな高宮のギターって」
「歌はやたら上手いくせに、不思議ですよね。ハーモニカも下手だし」
「うっせぇぞテメェら! 気が散るだろうが!」
偉そうに腕組みをする五十嵐と響、そしてなぜか居る姫路に俺は当たり散らす。
さっきから楽しそうに俺の醜態を見物しやがってからに。後で覚えとけよ!
「……とりあえず、今日はこのへんにするか。ちょっと課題まとめとく」
「あ、はい。すんません。ありがとうございました……」
礼のお辞儀をして、俺はようやく肩の力を抜く。
こりゃ思ってる以上に道のりは長そうだ。自分の事ながら頭が痛い。
「……。ってか、姫路がここに居んのはまぁいいとして。先輩たちはさっきからそこで何してんですか?」
つい、と。俺は部室の壁際に視線を投げる。そこには三年バンド「ハルシオン」のメンバー、ボーカルの
「え? あぁ。えっと……と、瞳子。何か言ってやって」
「む? う、うむ。私達はアレだ。一応軽音の副部長として現場の監督をだな」
「監督って……さっき緑川先輩とか、あっちでぐーぐー寝てましたけど」
「!? し、忍、貴様ァー! 一体何をしてるこんなところで!」
「んん? ああ。ここ、良い感じの騒音で逆によく寝れるんだよな……」
楽器置き場の衝立の向こうから、のそりと長身の男子が姿を現す。同じく「ハルシオン」のドラム担当、
「……はっ!? ま、まさか、アレっすか赤星先輩。ハルシオン総出で、俺ら二年バンドを潰しにきたとか……!?」
「ち、違!? あ、あたしと瞳子は、その。音無先輩を見に来ただけっていうか」
「え? 音無先輩を?」
言われてチラっと、俺は音無さんの方を見る。何かノートに書き込んでいるようでで、こちらには気づいていない。俺達四人は赤星先輩たちの居る壁際に集まり、詳しい話を聞くことにした。
(……高宮たちは知らないかもしれないけど、あたし達の世代だと、音無先輩って、有名人っていうか、憧れの人っていうか。ちょっと伝説上の存在なんだよね)
(で、伝説? 伝説って?)
(ああ。国枝先輩と音無先輩のヴィクトリカ、そして遊馬先輩と柴崎先輩のダ・ヴィンチ――当時、拮抗した実力を持つ二つのバンドが県大会で激突した伝説のライブ。三年の部員の半数はあれを見てこの学校に入ったといっても過言ではない)
(そ、そうなんすか!?)
(そうだよ。あたしと瞳子が実際にそうだし。ハルも確かそう)
マジかよ。てか俺も見てみたかったな、音無先輩が居た当時のヴィクトリカ。
(……だからあたし達、高宮たちのライブ見た時、すごいびっくりしたんだよね。音無先輩ってヴィクトリカ辞めた後に、学校もやめちゃったって噂があったから)
(うむ。今こうして居る以上、何か複雑な事情があるのだろうが……。高宮。よければあの人がバンドに入った経緯を教えてくれないか?)
(え? えーと、それは……)
響が軽く自分を指差す動作を見て、俺はその意を察する。
(……その、実はコイツと音無先輩が
(え、そうなの!? お、弟!?)
(い、言われてみれば、確かに。顔も雰囲気もそっくりだな……!)
二人がキラキラと羨望の眼差しを響の方に向ける。
何とか気まずい話題は避けられたようだ。危ねえ危ねえ。
その時、不意に部室の扉が開く。
「やあやあ、みんなお疲れ様。調子はどんな感じかな?」
「あ、松本先生」
「お疲れ様です、先生。……む? 晴臣も一緒か」
姿を現したのは軽音楽部の顧問の
そして、その後ろに。見覚えのある人物が立っていた。
「……姫路」
黒髪ポニーテールの女子生徒。あの時部室に押しかけてきた姫路のバンドメンバーの一人だった。確か、
一瞬ぴりっとした気配が漂う中、松本教諭が前に進み出る。
「えーと、ハルシオンに、ロックスタディに、姫路さんに……うん。ちょうどメンツは全員揃ってるね。練習中のところ悪いんだけど、ちょっと皆に話があるんだ」
「話? もしかして、それって」
「うん。今から一か月後にある、県大会のメンバーについてだね」
県大会。この県での正式名称は「高校対抗バンド対決」、通称タイコバン。
7月半ばに開催され、県内から集まった約30組のバンドで全国大会への切符を争う、軽音楽部にとって夏の大一番のイベントだ。
「もうみんな知ってると思うけど、うちの高校は伝統的に二つのバンドが出場することになってるんだ。この間の体育館ライブは、そのオーディションって感じだね。観客投票がつけた順位はあくまで目安で、別にそれが絶対ってわけじゃないんだけど……まあ、とりあえず圧倒的に一位だったハルシオンの出場は確定かな? もちろん出ないってんなら話は別だけど。どうする三好くん?」
三好先輩が、涼し気な顔で周囲を一瞥する。
相変わらず、何を考えているかわからない。超然とした雰囲気の漂う人だ。
ふと横を見ると、ハルシオンの面々はやる気満々の表情でその答えを待っている。
まあ、当然。出るよなそりゃ。ここで出る以外の選択肢を選ぶ奴なんて流石に、
「……いえ。自分からは特にありません。この場に居る各員の意思に任せます」
ん?
「……は? いや、ちょ、っと」
期待に輝いていたハルシオンの三人の表情が凍り付く。そしてあの温厚な赤星先輩が、わなわなと震えながら、思いっきり指をさして叫んだ。
「瞳子! 忍! ハルをふん縛れ!」
「やらいでか!」「許せ、ハル」
「…………っ!?」
あっという間に二人に拘束され、三好先輩は床に這いつくばる。
「ハル。あたし達最後の大会なんだよ? いったい何考えてんの?」
「全くだ晴臣。貴様部長の自覚はあるのか?」「流石の俺もどうかと思ったぞ」
「……いや。俺はただ、」
「出るよね? 出るって言え」
赤星先輩の圧に、三好先輩は閉口する。……一体さっきから何を見せられてるんだ俺達は。ってか仲いいなこの人ら。やがて三好先輩は目を細めながら立ち上がると、クールにネクタイを締め直しながら言った。
「……。出ます」
「はっはっは。とにかくハルシオンの出場はこれで決まりだね。さて、問題は二つ目のバンドなんだけど……」
松本教諭が、姫路と秋本を交互に見ながら言う。
「……うん。これがちょっと、僕の手違いで、ややこしい事になっちゃってね。ひとまず秋本さん、姫路さんに状況を説明してあげて」
「は、はい。姫路。その、お前がバンドを抜けたいという話なんだが」
「……うん」
「あれから話し合った結果、――全員が、お前の脱退に同意した」
一瞬。秋本の放ったその言葉に、姫路の指先がぴくりと震えた。
「そっか。……はは。みんな、やっと同意してくれたんだ?」
「……ああ。ただ、」
どこか苦々しい面持ちで、秋本は言葉を続ける。
「……先日の選抜ライブの二位は、私達の『スニーカーズ』名義になってしまっているだろう。前にも話した通り、私達はそもそも大会に出る意志はない。だからあの選抜ライブの結果は、あくまでお前個人の成果ということで松本先生に同意して貰ったんだが――お前もそれで、構わなかったか?」
「? うん。もちろん。それで構わないけど。……どうしたの?」
「……、だって、それは」
言い淀む秋本に代わって、松本教諭が言葉を紡ぐ。
「うん。つまりどういうことかというとね、姫路さん。……大会に出るなら、このままだと君一人で出るという事になっちゃうんだ。ああ、もちろん。まだ登録は済んでないから今からメンバーを別に集めてもいいんだけど。時間もあんまりないからね。今のうちに君の意志だけは確認しておこうと思って」
姫路は、立ち尽くす。この場の誰に視線を向けるでもなく。
やがて大きく息を吸い込むと、
「――出ます。もちろん、一人のままで」
真剣な表情で、はっきりとそう言い切った。
「そうか。……うん。じゃあそういう事で話を進めようか」
「はい。よろしくお願いします」
「姫路。……本当に大丈夫なのか?」
秋本が心配そうな顔で姫路に声を掛ける。
「別に全然大丈夫だよ。実際こないだも一人で演ったじゃん? ……あ、でも先生。ソロで出るのって大会のルール的に大丈夫なの?」
「うん。特に問題はないはずだよ。まぁ今まで一人で出た子が居るのかはわからないけどね。はっはっは」
「あ。いい。それ逆に燃えてくんじゃん。あたしが最初の一人になっちゃうかー」
楽しそうに笑う姫路と目が合い、俺は自分が黙り込んでいたことに気づく。
「どしたの高宮くん。さっきから大人しいけど。……あ、もしかして。あたしが辞退するの期待してた? 残念だったね。あっははは」
「え? い、いや別に。全然期待なんかしてねぇけど?」
「はっはっは。いや実は僕も、もし姫路さんが辞退したらロックスタディに出てもらおうと思ってたんだよね。惜しかったねぇ高宮くん」
「だ、だからそもそも期待なんかしてませんって! 俺らはその、そもそも県大会とか眼中にねえっつうか? 音源審査の方で全国行く気ですから! なぁお前ら!」
「まぁ、そうですね」
「アタシはいま初めて聞いたぞ」
「音源審査? へー。そんなのあるんだ」
「あ、懐かしいねハル。あたし達も一年の時、音源審査で全国行ったよね」
「ああ。状況によっては、今年もそのルートを使うつもりだったんだが」
「む? それは一体どういうことだ?」
「要するに、アレだろ。高宮と姫路に県大会の枠を譲る気だったんだろ、ハルは」
「え? じゃあさっきのアレって、まさかそういうことだったの? ハル?」
「その割に随分遠回しだったが。まさかアレで伝わってるつもりだったのか晴臣?」
「…………、」
首を掻きながら、気まずそうに視線を逸らす三好先輩。
いや、言葉足らずにもほどがあるだろ。意味もよくわかんないし。
「……軽音楽部は、ずっと前から廃部の危機に晒されてる。それでも辛うじて廃部を免れてきたのは、……大会で結果を残してきた歴代のバンドが居たからこそだ」
ふと、音無先輩の方に視線を投げながら。三好先輩はそんな事を口にする。
「その可能性を、俺は繋いでいきたい。今の俺があるのは、この軽音楽部が在ったお陰だから。……俺達が卒業した後も、この場所がなくなってほしくない。その為に出来ることを、俺なりに色々考えてはいたんだが」
「……ハル」
真摯な想い。神妙な面持ちに、誰も彼もが口を噤む。
そして三好先輩はまた俺達全員の顔を眺めると、穏やかに微笑んだ。
「……確かに不誠実だったな。危うく、全員の思いを踏みにじる所だった」
「……ほんとその通りっすよ。三好先輩」
俺は笑って、その言葉に同意する。
「そんな気ぃ使って貰わなくたって、先輩達に勝つ気ですよ俺らは。そんでこの軽音楽部を、未来永劫不動の部活にしてやりますよ! なあ姫路!」
「え? あ、う、うん。ソウダネ?」
「え? おい、何だお前その腑抜けた返事は……なぁ、響?」
「え? あぁ。まぁ、はい」
「え? あぁ。まぁ、はい。じゃねえよ! 何でお前らそんなテンション低いんだよ! 俺がまるでおかしい奴みてぇだろうが! なぁ五十嵐!」
「え? いや、まぁ、それは普通に事実だろ?」
「え、えぇ……?」
「ぷ、あっはははは」
赤星先輩が噴き出すと、つられて皆が笑いだす。
何だ何だ? 今日は俺がひたすら愚弄され続ける厄日なのか?
「ほら。余計な心配いらないみたいだよハル。あたし達、良い後輩に恵まれたね」
「……そうだな」
「ま、少し手がかかる奴らのようだがな。特に高宮は」
「そうか? 元気が良くて、俺は好きだけどな」
「いやあ、青春だねえ。それじゃみんな頑張って。僕は基本的に居るだけの顧問だけど、応援してるからね。はっはっは」
ハルシオンの面々が笑い、松本教諭が大笑しながら去っていく。
気づけばとっくに、俺達の練習時間は過ぎていた。次の順番のハルシオンに場所を譲るべく、俺達は自分たちの機材の片付けの準備を始める。
「高宮」
ギターケースを背負ったところで、音無さんが俺に切り取ったノートのページを手渡してくる。見ると、そこにはびっしりと文字が記されていた。
「基本的な練習法と、改善点を纏めておいた。読んで参考にしろ」
「あ、ありがとうございます! 助かります!」
「うわ。いいなぁ、高宮……。音無先輩に構ってもらえて……」
「ほんとですよね。許せないですよねあいつ?」
「うん。許せん。……あ、そうだ姫路。あたしと連絡先交換しない?」
「はい。……はい!? え、赤星先輩、あたしなんかと、い、イインデスカ?」
「うん。今度カラオケ一緒に行こうよ。お互い色々勉強になりそうだし」
「あ、ありがとうございまひゅ!」
何だあの二人。俺で勝手に意気投合しやがって……まぁ楽しそうだから放っておくか。いつものロクスタの四人で、部室の外へ。
「これでいよいよ、大会に向けて本格的な始動って感じですね」
「だな。七月の半ばだから、だいたい三週間後くらいか?」
「またハードなスケジュールだな。こんなんばっかか、アタシら」
「ま、何とかなるだろ。俺もう死ぬほど頑張るし? どーんと任せてくださいよ」
「そこが不安なんだけどなアタシは……まぁでも、音無先輩もいるし。大丈夫か」
「あんまり姉貴を当てにしない方がいいですよ先輩。大会には出られないんだし」
「あー、そうだよな。大会には出られないし……ん? 大会には出られない?」
廊下を歩く全員の足が止まる。
「……響。今の言葉、どういう意味だ? 大会に出られないって……」
「いや、姉貴って留年してるわけだし。普通に大会出るのは無理なんじゃ?」
「……言われてみれば確かに、そりゃそうか」
「……い、いや、でも。スポーツとかならともかく、軽音楽部の大会だぜ? 案外そのへん緩かったりするんじゃねえの? ちょっとスマホで検索してみようぜ」
軽音学部全国大会の応募要項ページを開く。しかしそこにはしっかりと、「高校入学後3年以内の生徒のみ」という無慈悲な文字が記されていた。
「……。」
全員でスマホの画面を凝視したまま、真顔になる。
夕暮れの空にカーカーと、嘲るような鴉の声が響き渡っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます