第十一話「メランコリック」

                ◇


 朝。窓から差す日差しとスズメの声で目を覚ました。

 自宅の自室。目の前には電源のついたままのデスクトップPC。画面右下の時計には6時と表示されている。どうやらまた、机の上で寝落ちしてしまっていたらしい。頭をぼりぼり掻きながら、俺は大きく欠伸をする。


「……ん? あっぶね! 保存してなかった!」


 開きっぱなしのDAWソフトの画面、表示されたプロジェクトを上書き保存する。最近ようやく手を付け始めたDTM――デスク・トップ・ミュージック。コンピューターを使った打ち込み音楽。昨日の夜も、未だに慣れない操作と多すぎる機能と格闘しながら、俺はオリジナル曲のデモ作りに勤しんでいたのだった。


「……」


 ヘッドフォンを頭につけて、作りかけの曲を再生する。一度睡眠を挟んだフレッシュな頭の中に、何ともいえない音楽が流れてくる。おかしい。寝る前はすげー良い感じだった気がするんだが。深夜テンションって危険だ。

 もちろん悪くはないけど、渾身の出来ってほどでもない。

 理由は多分色々あるんだろうけど。一つ気にかかっているのは――


『……いやマジで、悪くねーっつうか、何なら曲はカッケェけど、何だろな。あんまピンとこねー感じ?」

『ああ。わかる。こないだ体育館でやってた曲は、ほんとに高宮らしいっていうか、熱い感じがしてよかったけど。俺もあんまこれは刺さんないかな』


 安藤と水無瀬に聴いて貰った、俺の曲の感想。要約すると、曲はいいけど俺らしさが足りないらしい。問題はその「俺らしさ」とは何なのかという事。

 体育館ライブでやった「素晴らしい世界」は、俺は正直曲だけで見たらあんまり気に入ってはない曲なんだけど。ナイーブな歌詞を含めたトータルで好きな曲ではある。


(やっぱ、歌詞……なのか?)


 確かに俺が最近書いている詞は、俺の心の内面を切り取るというよりは、リズムと語感重視で言葉を選んでいる。その方がハイスピードでロックな曲調に合うと思ったからだ。洋楽を聞いてる時、日本人の俺は歌詞の意味をダイレクトに理解はできないけれど、カッコいい曲はカッコいい曲だと感じるわけだし。そういった印象から歌詞を軽視していた面はある。


(……でも)


 確かに、歌詞は重要だ。

 別に歌詞がよくわからなくてもカッコいい曲は山ほどある。だけど、本当に魂に響く曲は、やっぱり歌詞が良い。何故なら歌詞は、人間の情感を呼び起こすからだ。思考や感情、ストーリー性。音とは別の所で、脳に刺激を与えてくる。曲に魂――人間性を与えるとするなら、それは歌詞に違いない。


 俺が、誰なのか。

 音楽で、何を伝えたいのか。


 きっと、そういう根本的な所にも歌詞は通じている。

 そして曲以上に、作った人間の個性を表せる要素でもある。


(……とりあえず、これは一旦保留だな)


 分かった所で、今すぐに解決できる問題じゃない。歌詞に注力する時間をもうちょっと増やそう。そう思いながらソフトを閉じ、インターネットのブラウザを操作する。開いたのはニコニコ動画のランキング。その音楽カテゴリの24時間ランキングの上位に、俺は見慣れた名前を見つけた。


「お。ハルP新曲上げてんじゃん」


 すぐさまアニメ調のイラストが描かれた動画のサムネイルをクリックする。

 ボカロP『ハル』――現役高校生の人気VOCALOIDプロデューサー。その正体は何を隠そう、うちの高校の軽音楽部部長・三好晴臣みよしはるおみその人である。

 動画を再生すると軽快な伴奏と共に、初音ミクの歌うメロディと、歌詞の添えられた手書き風のイラストが流れてくる。ボカロP、絵師、動画編集者の三位一体。ボカロ界隈は年々手が込んで、ここまで来ると一本のアニメーション作品だ。

 

(やっぱりすげえよな、三好先輩)

 

 曲に関しては言うまでもない。イントロからキャッチーで、サビまで期待を裏切らない。特に感心するのはサウンド面――生の音源を使ったギターとベース。ハルPの作る曲として一貫してるのがこのリアルなバンドサウンドで、当然ながら弾いてるのは三好先輩本人だ。しかもべらぼうに上手い。それも単に上手いってんじゃなく、ちゃんと個性的な所も隙がない。

 

(インターネットの、インディーズ――)


 響の言っていた言葉を思い出す。

 ボーカロイド曲、歌い手、弾いてみた。ニコニコ動画には独自の音楽シーンが存在する。初めは些細な流行にすぎなかったらしいが、徐々にそれは数を増やし、今やネットに集う若者達の注目の的。最先端を走り続けるコンテンツに成長した。

 それゆえ投稿されている作品の数も尋常じゃなく、完全に素人みたいな代物から、プロかってくらい洗練されたモノまで、玉石混合、清濁の坩堝になっている。まさに恐れを知らない若者達のパワースポット。中学時代の俺の黒歴史ライブ動画も、何かほんの些細な出来事に思えてくるほどの熱量がここにはある。

 実際にここからプロデビューを果たしてる人間も居て、響が言っていた通り、地方のライブハウスなんかよりよっぽど実験的で実戦的な場所かもしれない。

 どうすればより多くの人の注目を引き、関心を集める事が出来るか。

 それはきっと一芸で食っていく上で、常に付きまとってくる問題だからだ。


(――考えて見りゃ、俺も)


 その気になれば、いつでもこの戦場に飛び込めるはずだ。

 今すぐそれをしないのは、現状に甘えてるからか?

 それとも、怯えているからか。

 

 天才。

 ふと、流れてきたそんなコメントが目に留まる。


『何で貴方はそこに居るの? 半端者の、凡人のくせに。』


 あのひとに言われた一言が、脳裏を過ぎる。


「……、」


 寝惚けた顔を両手で叩いて、ブラウザを閉じる。

 歌詞ノートを開いて、ペンを握る。


 何でも何もクソもない。俺が何者なんてどうでもいい。

 俺はただ、行きたいところに走るだけ。


 ……とはいえ。


 寝起きのせいか、びっくりするほど何も言葉が浮かんでこねえ……。 

 う、うーん、こういう時はアレだ。インスピレーションインスピレーション。俺は一回閉じたニコニコ動画の画面をもう一度開き、音楽タグの最新投稿一覧を表示した。すると朝5時とかいうイカれた時間に投稿された作品が目に留まり、何となくロックな魂を感じた俺は、そのタイトルをクリックする。


『【歌ってみた】アリカ【オリジナル】』


 時間帯的に当然なんだが、再生数は3とか4とか。コメントは一個もなし。

 うん。良い感じだ。事前情報が一切ないこの感じ。店頭で全く知らないアーティストをジャケ買いする的なワクワク感がある。

 つーかそもそも歌ってみたって、普通はカバーとかじゃなかったか? たまにボカロP本人が歌ってたりするパターンはあるらしいけど。とりあえず聞いてみるか。

 再生ボタンを押すと、手書き風の静止画をバックに、ピアノのリフを主軸にした、モロに打ち込みって感じの演奏が流れてくる。フレーズは簡素で、何だか親近感を覚える拙さだ。 


「……?」


 あれ? この声って……いやそんなわけないよな。ネットの大海原だぞここは。

 世間がそんなに狭いわけ、――いや、そんな、まさか。


                 ◇


 というわけで、月曜日の朝。いつもどおりの通学路である。

 こないだ五十嵐家のガレージで遊んだのが先週の金曜日のこと。俺の週末といえば基本的にバイト漬けで休みも何もないんだが、ぼちぼち大会も近いのでシフトを減らしてもらい、そのぶん家でゆっくり曲作りに励む事ができた。 

 もっとも、とある理由でそこまで作業は捗らなかったんだが。

 しかしモチベーションは爆上がり、光明も徐々に見え始めている。


「信じるべきモノ――それは自分自身ッ……!」

 

 耳に流れるメロディーを口ずさみながら、俺は一本ずつ右手の指を折りたたみ、堅い握り拳を作る。井出泰彰『Reckless fire』。こないだ姫路に勧められたアニメの一つ『スクライド』のOP曲だ。

 ラテン調のフレーズがふんだんに盛り込まれたアップテンポな曲の上で、荒々しいハスキーボイスがシャウトする。やさぐれた歌い方といい、歌詞といい、もう完全に俺の好みド真ん中だった。アニメの内容にしても最高の一言で、なんつーか「男のアニメ」としか言いようがない、意地とプライドのぶつかり合い。骨太で泥臭い男達の生き様がそこにある。まったく、教えてくれた姫路さまさまだった。


「あ。おーい、姫路ー」


 思ってるそばから、尻尾みたいな後ろ髪が俺の視界に入る。

 イヤホンを外し、俺はひとりで歩く姫路の元に駆け足で近づいていった。


「おっす、おはよ……ってうお!? どうしたお前その顔!?」

「んぇ? ああ、高宮か。ほはよ……」


 振り向きながら、姫路は大きく欠伸をした。その目元にはクッキリと黒い隈ができていて、栗色の髪の毛も心なしか、乱れ気味で艶がない。


「なんかずいぶん寝不足みてーだけど、大丈夫か? 足元ふらついてんぞ」

「ん? んー……そういう高宮も、目の隈すごいじゃん? そんな夜遅くまで何してたの? エロサイトでも見てた?」

「朝っぱらから失敬な奴だな……。曲作りだよ曲作り。そういうお前の方こそ、寝る間も惜しんで何してたんだよ」

「えぇ? あたしは、まぁ。絵とか描いたり、色々」

「絵? へー。姫路って絵も描くんだな」

「描いちゃ悪い?」

「いや、別に。いいと思いますけど」


 ちなみに俺は絵心の欠片もない人間なので、普通に感心してしまう。

 しかし、絵。絵か。……。ちょっと試しに聞いてみるか。


「そういや姫路って、ボカロとか歌い手とか、そっち方面には詳しいのか?」

「? まぁ、詳しいって言うか……フツーにめっちゃ好きだし、結構聞くけど?」

「お。じゃ、一つ聞きたいことあんだけど。この歌い手知ってる?」

「ん?」


 俺がスマホの画面を見せつけると、姫路は凍り付いたように固まった。


「…………。」


 そして見る見るうちに顔が青ざめて、変な汗がダラダラと顔中に浮き出てくる。

 う、うわぁ。露骨すぎてどう反応したらいいものやら。


「……なあ姫路。これってもしかしてお前の――」

「は、はあ? ん、んなわけないじゃん……!?」

「どっち向いて言ってんだ? こっちを見ろ」

「……ってかそれ、全然数字伸びてないじゃん。そんなの聞くより、ハルPとかak@neの曲聞いた方いいと思うけどなぁ……」

「別に誰かと比べる必要とかねえだろ。俺さっき初めて聞いたんだけど、めっちゃ良かったぞこのオリジナル。朝っぱらからコメントしたのに即返信してくれたし」

「あ、あのコメントお前かよ……!?」

「ん? あのコメント?」

「え? あっ……」


 手で口を抑えながら、死ぬほど気まずそうに眼を逸らす姫路氏。

 俺が白い目でそれを見つめると、やがて身構えるような態勢でこちらを睨む。


「ッ……で、なに? ま、まさかそれをネタにあたしを脅そうっての……!?」

「いや、なんで脅すとかそんな話になんだよ……。てか別に隠す必要なくねえか? 歌も絵も上手いし。なにがそんなに恥ずかしいんだよ」

「……いや、だって、再生数とかまだ全然ショボいし」

「単にまだ見つかってねーってだけだろ。大体こういう表現の世界って、恥ずかしいって思う事自体が逆に恥ずかしいって思うけどな、俺は」

「うッ……!?」


 俺がニヤニヤしながら言うと、姫路は図星を突かれたように硬直する。

 

「……それで? 結局何が言いたいの、高宮くんは」

「ん、ああ。要するに、姫路って自分で歌を録音したり、PCでオリジナル曲作ってんだろ? 俺も最近DTM始めたんだけど、身近にそういう人間全然いねえからさ。よかったら色々情報交換してえなって思って」

「情報交換? ……例えば?」

「使ってるソフトとか、録音のやり方とか。他にも音楽に関すること色々あんだろ。単純にこないだみたいに好きなアニソンの話とか――あ、そういや見たぜ! こないだお前がおすすめしてくれたアニメ! スクライド!」

「え? ああ。……どうだった?」

「めっっちゃよかった。いやぶっちゃけ俺、すげー軽い気持ちで見始めたんだけどさ。もうほんと、マジで面白くて。最初の方しか借りて来なかったんだけど、途中で続き借りにいっちゃったし。あ、そうそう。サントラの音楽もめっちゃいいんだよな! ノリノリのジャズって感じで、ED歌ってる人の曲も――」


 それから俺はテンションMAXのまま、本来の話から脱線してアニメと曲の感想を熱弁してしまう。はっと正気に戻る頃には、姫路はぽかーんと口を開けていた。


「……ん? どした姫路。何かちょっと引いてねえか?」

「……いや、だって。本当にそんな見てくるとは思わなくて」

「いやいや。俺はちゃんと見るって言っただろ。まさか信じてなかったのか?」

「え? いや、べつに……そういうわけじゃないけど」


 気まずそうに姫路は視線を逸らす。ははーん? どうやら図星だな?


「だったら、もうちょっと俺の話に付き合ってくれよ。人に教えといて、今さら知らぬ存ぜぬってのはないよな」

「わ、わかったよ。ったく、面倒くさいな……」


 それから姫路は、ぶつくさ言いつつも俺の話に付き合ってくれた。きっちりネタバレはしないあたり流石の配慮を感じる。そしてなんだかんだ、喋る。もの凄い喋る。作画とか監督とか声優とか、正直今の俺には全然よくわからん話を喋りまくる。

 

「……でさ。漫画版もすっごい面白くて……、な、何?」

「ん? あんま誰かと語りたくないとか言ってた割にはすげー喋るなと思って」

「ッい、いや。そっちが話せって言ったんやろがい……!!?」

「はは。……ま、でも。やっぱ案外普通に話してくれんじゃん姫路。その調子で、俺にもっと色んな事教えてくれよ。知識と刺激に飢えてんだよね、俺」


 俺がそう言うと、姫路は呆れたように息を吐く。


「……。なんか前にも同じような事聞いた気するけど。それ、教えるあたしの方に何かメリットあるの?」

「もちろんタダとは言わねえよ。情報交換の取引だからな。俺もお前に色んな情報を提供してやる」

「へえ、例えば?」

「え? んー、初心者におすすめのロックバンド、邦楽編&洋楽編。ザ・高宮ベストセレクションとか!」


 俺が指を立てながらドヤ顔でそう言うと、姫路は物凄くシケた顔をした。


「……。高宮って、ほんとに変な奴だよね」

「まあ否定はしねえけど。俺からしたらお前も相当変な奴だぞ」

「あっはは。……ま、それはそうだろうね」


 苦笑すると姫路は大きく息を吐き、歩く足を止める。


「……高宮さ。こないだ押し付けてきたおすすめリスト、また適当に作ってもらっていい?」

「え?」

「……あたし、アニソンとボカロには詳しいけど。それ以外はあんまりだから。もうすこし見識広めたいとは思ってたんだよね。だから」


 言いながら姫路は、ぶっきらぼうに俺の方に右手を差し出してくる。


「……取引成立。これでいいでしょ?」

「……お、う!?」


 手を伸ばした瞬間、姫路は食虫植物めいて俺の右手を掴む。

 そして口元に、にたあと邪悪な笑みを浮かべた。


「――ああ。ひとつ言い忘れてたけど。あたしのおすすめリストって相当ぶ厚いからさぁ。あとで後悔して、吠え面かかないでよ?」

「ッ……上等じゃねえか。そっちも後で、泣き言ほざくなよ」


 バチバチに睨み合いながら、ギリギリとお互いの手を締め付ける。と。その時、なぜか姫路の顔がみるみるうちに赤くなった。な、何だ? 急にどうした? よく見るとその視線は俺の背後に向いている。嫌な予感がして振り向くと、そこには。

 

「……へぇ」


 妙に楽し気な音無先輩がそこに立っていた。こくこくと無表情で頷きながら、俺と顔を赤らめた姫路が握手している様子をじーっと見つめている。

 

「あ、お、おはようございます先輩。いやあの、これはその、違くて」

「安心しろよ。誰にも言ったりしないから」

「え? ちょ、どこ行くんですか先輩? 先輩!?」

「高宮くん、僕ちょっとあの川に突っ込んできていい?」

「おめーは急に何言い出してんの!?」


 朝、通学路で意味もなく異性と手を繋ぐのはやめましょう。

 友達に噂とかされて恥ずかしい事になるのはあながち間違いでもないらしい。

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