第十話「Don't say "lazy"」
◇
日も暮れかかった十七時半。徐々に曇り始めてきた空模様に赤い夕陽の姿はない。
今にも雨が降り出しそうな不穏な空気の中、俺たちはそんな天気に相応しい音楽をガレージの中に響かせていた。
『四、――』
マイクに覚えたての歌詞を口ずさみ、パワーコードを激しく刻む。
やっぱり俺はこういう、無骨でスピードのある曲が大好きだ。やってて爽快感が半端ない。淀みのない流れで、三人の音が一体になる。
そのままスパッと演奏を終えると、バカに明るい野次が飛んできた。
「うおおーっ! いいよいいよ皆ー! カッコいいよー! ひゅーひゅー!」
そう声を上げるのは、俺と五十嵐の幼馴染で、別の学校に通ってる
「瑞貴ちゃんもほら! 一緒に冷やかそうぜ! ひゅーひゅー!」
「え? あ、そそそ、そうだね!? ひゅ、ひゅーひゅー!」
その横。同じソファーの上に座ってる姫路はといえば、見知らぬファンキーモンキーの明るさに圧倒されてか、何だか様子がおかしくなっている。
「おい、吉井。初対面なのにあんまダル絡みすんなよ。怖がってんだろ」
「え!? あ、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだけど!」
「あ、あはは。い、いや僕は別に、そんな……」
「もしかして姫路、お前初対面だと緊張してそのキャラになるのか……?」
「はッ……!? い、いや。別に? そんなわけ、あるわけないじゃん??」
「図星みたいですね」「だな」
「ッ……」
ぎりぎりと、歯を噛み締めながら姫路は赤面する。
いや俺も割と似たような面はあるけども。難儀な奴だ。
「ん?」
その時、ぶるると。機械的なバイブレーション音が鳴り響いた。
ソファーに座った一成が、ズボンのポケットから震える携帯を取り出して開く。
「あ、もうこんな時間か。おれ、そろそろ帰らないと」
「そっか。今日金曜だもんな。お前が晩飯作る日だっけ?」
「へへへ。実はそーなんだよねー。弟と妹が待ってんだ」
通学バッグを肩に掛けながら、一成はソファーから立ち上がる。
「それじゃ、邪魔してごめんね皆! お疲れ!」
「お疲れ様です、吉井先輩」「お疲れ」
「来たかったらまた連絡しろよ」
「うん。頑張ってねタカミー。瑞貴ちゃんも、じゃーね!」
「あ、うん」
姫路の答えに満面の笑みを返すと、一成は自転車に乗って去っていく。
あいつもあれで、意外と大変なんだよな。母子家庭で、下に小学生の妹と弟がそれぞれ一人ずつ。仕事で忙しい母親の代わりに、頻繁に一成が家事を手伝ってるとか。そんな苦労人のくせに、あの朗らかな性格だから全く参る。
「……さて。そんじゃ俺らも一旦休憩にするか」
ギターをスタンドに置き、俺はペットボトルの水に手を伸ばす。
それから俺達四人はガレージ内にある五十嵐の親父さんのバンドの酒盛りスペース、二つあるボロボロのソファーに男女分かれて座り、談笑を始めた。
「んで、どうよ姫路。俺らの演奏を生で見た感想は」
「え? うん。まあ、別に普通かな」
「あぁん? 普通だとぉ……?」
「い、いや、だって。三人でやってるとこは前も何度か見たし? あたし音無先輩が見たかったのに、なんか今日居ないし……」
「あ! お前まさかそれが目当てかよ! うーわ! また騙された!」
「や、別に騙してはないでしょ!?」
「一応、姉貴も呼んだんですけどね。舞子さんたちの方に先約があったみたいで」
「ま、急な話だったし。残念だけど仕方ねぇよな」
ぽりぽりと、テーブルの上の柿ピーをつまみながら五十嵐は言う。まあ実際俺も、姫路に音無さんの超絶技巧を聞かせてみたかったから、残念な思いはある。
「でも三人とも普通にすごいよね。一時間で、ここまで形になっちゃうんだ」
「ま、突発でコピーすんのは慣れてるからなアタシら。主にコイツのせいで」
「ははは。ま、今のはたまたま全員知ってる曲だったからってのもあるけどな」
「DOESの『修羅』は、難しい所もそんなにないですしね」
「そうそう。実際うちの軽音じゃ結構定番のコピー曲なんだよな」
DOESの『修羅』、もしくは『曇天』。俺の覚えてる限りじゃ去年は3つのバンドがコピーしてたアニソンだ。この2曲の何が凄いって、超絶かっこいいくせに、初心者バンドでもそう苦労せずコピーできるくらい、技術的には簡単なところだ。
曲が良ければ、細かい技術はいらない――。
70年代、複雑化するロックミュージックに反発するようにして生まれたパンク・ロックの時代から繋がっている一つの『答え』。人をブッ飛ばすのに戦車や戦闘機なんかいらない。その辺に落ちてる鉄パイプでブン殴っちまえばいい。
そういうパンクな精神を、俺はこのバンドに感じている。
ただ、どうせ例えるなら。鉄パイプじゃなくて刀だろうか。
緩急の激しい構成、気だるげな語り口、どことなく和を感じるメロディは、個性の塊そのもので、決して聞く人を退屈させない作りになっている。さながらこの曲を作ったDOESは、無骨な
「高宮先輩、曲作るんならこういう方向性、結構いいんじゃないですか?」
「うん。実際俺も、こういう曲作りてぇんだよな。シンプルなのにカッコいいって、割とマジで理想形だと思うし。何よりこれ、ちゃんとアニソンって感じがするだろ? 音はめちゃくちゃガレージロックなんだけど、フック力100点っていうか」
「アニソン作りたいとか急に言い出した時は、何言ってんだと思ったけど。まぁ、なんとなくやりたい事は分かったわ」
「だろ? いや俺前から睨んでたんだよな。アニソンとロックバンドの親和性! FLOWのGO!!とか、アジカンのリライトとか、UVER WORLDの曲とか!」
「確かに、アニメのOPになった曲が物凄い人気出たり、そのバンドの代表曲みたいな扱いされるパターン結構多いですよね」
「ま、アニメの為に作ったってよりは、単なるタイアップってパターンも多いみたいだけどな。特に90年代のアレとかコレとか――」
それから俺達三人は、アニソンを中心に、音楽の話で大いに盛り上がる。
その時、ふと。姫路がずっと黙り込んでいる事に俺は気がついた。
「……どうした? 姫路。なんかやけに大人しいけど」
「……え? い、いや。別に?」
「あ、そっか。あんま他人の評価聞きたくないとか言ってたもんな。悪い、」
「い、いや、そうじゃなくて!」
きゅ、と。カーディガンの袖端を握りながら姫路は言う。
「……あたし。スニーカーズじゃ、全然まともに音楽の話とかできなかったからさ。なんか三人見てると、すごい、毎日楽しそうだな、とか、って……」
小さくそう呟いた後、姫路はハッと目を見開き、慌てて片手をぶんぶん振る。
「い、いやごめん! いまのなし! 別に全然そんな事思ってないから!」
明らかに狼狽えた様子の姫路を横目に、俺は他の二人と顔を見合わせる。
それから平然と、会話を再開した。
「ところで五十嵐。去年軽音で流行ってた曲って、なんだっけ?」
「ん。そりゃまぁ、アレだろ。Don’t say “lazy”」
「ああ。『けいおん!』ってアニメの曲ですよね」
「あの曲めっちゃかっこいいよなー。ガールズ・パンクって感じで」
『けいおん!』ってのは、数年前に大流行した、軽音楽部が舞台のアニメの事だ。
その影響力たるや凄まじく、放送した次の年からうちの軽音学部の部員の数は三倍以上に跳ね上がったのだという。現在もその影響力は支配的で、去年の1年生の半分はその『けいおん!』の曲をコピーしていたといっても過言ではない。
なお去年の俺はそんな超有名アニメの事を見たことがないアホ間抜け野郎だったので、あっという間にみんなの蚊帳の外に置かれ、そのDon't say "lazy"を頑張って覚えてきた時にはもう全て手遅れだったという哀しい思い出がある。
「ちなみに五十嵐って、あの曲叩けんの?」
「叩けるし、なんなら姫路だって叩けるよ。そもそも去年コイツと知り合ったの、それでドラム教えるのがきっかけだったし。な」
「え!? あ、うん。そうだね……」
「へー。じゃあ響は? 当然弾けちゃう感じ?」
「弾いたことはないですけど、確か基本ルート弾きだったし。大丈夫だと思います」
「あー。あれも簡単なのにカッコいい曲だからすげーよな。ギターも基本、パワーコード繰り返すだけだし」
ルート弾きにしろ、パワーコードにしろ、演奏面でいうとかなり初歩的な技術。
もしかすると、作曲者の人はアニメを見た学生でも弾けるようにとか考えて作ったんだろうか。そうだったらマジで凄いなと思う。
「よし。じゃあせっかくだし次、それやってみるか!」
「オッケー」「了解です」
まず俺が立ち上がり、五十嵐と響がそれに続く。
一人取り残された姫路を後目に、俺はわざとらしく頭を抱えた。
「あ、やっべー……! 肝心なこと忘れてた!」
「どうしたんですか」
「いやぁ、俺。ギターはともかく歌はなんとなくしか覚えてないんだよな。歌詞とか全然曖昧だし。そもそも女の子の歌う曲だから音域的にちょっと……んー、どうしよ。五十嵐さん、どう? ドラム叩きながらいける?」
「無理。そういう練習はしてねえし」
「そっかぁ。じゃあどうすっかな。どっかに暇そうな、歌めっちゃ上手い女子とか居ねえかなぁ? ん~~~~、おや? おやおやおや?」
ソファーの方に視線を投げると、姫路は物凄く嫌そうに顔を背ける。
その隙に俺は、ここぞとばかりに距離を詰めた。
「あのー、姫路さん。実はちょっと折り入ってお願いがあるんですけど」
「……なに? 言っとくけど絶ッ対やらないからね。絶対に」
「あれぇ? もしかして自信ない感じだ? 俺達にたった一人で勝ったお方が、情けねぇなおい。じゃあこの間のライブの結果も、実質俺達が勝ちってことに……」
「い、いや、ならないでしょ。どういう理屈それ?」
「ふはは。ま、口だけではなんとも言えるわな。実力で示して貰わねえと」
俺がわざとらしく肩をすくめると、姫路はクソでかい溜息を吐き、勢いよくソファーから立ち上がる。
「ッ……仕方ないな。ちょっとだけだよ」
「はは。そうこなくっちゃな」
それから俺達四人は、10分程かけて曲の流れと音作りを確認し、準備を終える。
あとは通しで、演奏するだけ。
「よし。じゃあいけるか、姫路」
『いつでも』
マイク越しの素っ気ない返事に頷き、俺は響と五十嵐に目配せをする。
ガレージの中には一時の静寂が降り、ステージの上のような緊張感に包まれる。
そして五十嵐の激しいドラミングで、勢いよく演奏は始まった。
すぐさまそれに姫路のボーカルと、俺のギター、響のベースが同時に乗っかかる。掴みは完璧、一瞬で最高速までブッ飛ばすロケットスタート。
(――!! やっぱ、こいつ)
すげえ。普通に、生のバンドの演奏に合わせて歌を歌いやがる。それはごく当たり前の事のように思えるけれど、実は慣れない内は結構難しい技術だ。
初心者バンドの失敗として一番ありがちなのが、演奏隊とボーカリストの足並みの揃わなさだ。演奏隊の爆音に埋もれて、歌がまったく聞こえなくなったり、テンポがブレブレになるなんてのがよくあるパターン。
バンドは生き物。当然CDやカラオケの音源をバックに歌うのとは違う。
しかし、姫路はその点凄い。これが初の
それどころか楽しんでやがる。あの時と同じように、曲の世界に、歌の主人公になりきって。マイクを片手に伸び伸びと動きながら、声を張り上げる。
『能ある鷹は――、』
俺の方に近寄って、ニヤニヤと歌う姫路を見て、変な笑いが零れ出る。
完全にノリ切りやがって。さっきまで縮こまってた奴は一体どこ行った。
(上等だ)
そっちがそうなら、こっちだって考えはある。
予定通り行くぞ。俺は他の二人に目配せして、仕込んでいた作戦を実行する。
『……!?』
2番のAメロ。そこから俺達演奏隊が、シンプルなコードにのった演奏をやめて、露骨に余計なオカズを入れ始める。もちろん、テンポはキープしたままだけど。さっきよりは大分、伴奏がやかましい感じになる。
しかし姫路も負けていなかった。俺達のアドリブに一瞬気を取られるも、すぐに平静を取り戻し、むしろこちらを煽るように色んな声色でメロディーを歌い始める。
『――♪ ――♡』
やけに幼い高い声、一転してクールな大人の声。
目を瞑って聞けば、まるで複数人が代わる代わる歌っているかのようだった。
やるじゃねえか、クソッ! ならこれはどうだ!
(殺れ! 響!)
曲は間奏に入り、響が即興で物凄いベースソロを弾き始めた。
姫路はノリノリで頭を振りながらそれを眺めていたが、徐々に、首を傾げ始める。
……長い。そう。長いのだ。延々と同じ間奏を繰り返し続ける俺達を前に、姫路は
「え? これ歌の続きどこから始めるの?」といった表情になる。
さぁいつだろうなオイ! まぁもうすぐなんですけど!
そして、唐突に曲がブレイク。無音の状態、時が止まったかのようになる。
お好きにどうぞ。俺が右手で譲るようなハンドサインを送ると、姫路は「ああ、そういうこと?」って感じで頷き、息を吸い込む音をマイクに乗せる。
そして、姫路が声を吐き出すタイミングに合わせて、俺達はまた演奏を再開した。
そこからは、もう。ほとんど無法状態。
俺も響も、関係ないエフェクターを踏みまくって変な音を出しまくる。姫路はドラムを叩く五十嵐の背後に近づいて、サビのワンフレーズを歌わせる。後奏は五十嵐以外の全員で、バカみたいに跳んだりヘッドバンキングしながら暴れまわる。やがて俺と響が互いに激突して地面に倒れたところで、ようやく演奏は終了した。
「……。ぷ、あっはははは! 何やってんの二人とも、あはははは」
「……。ほんと、男子ってバカだよな」
姫路が腹を抱えて俺らを笑い、五十嵐も呆れて笑いながら汗を拭う。
「言われてるぜ、響」
「まあ、否定はできないかな……」
俺と響はのそのそと起き上がり、抜けてしまったシールドをそれぞれアンプに突き刺し直した。
「ったくもう、なにこれ。途中まで凄いよかったのに。ほんとめちゃくちゃだよ」
「これがバンドってことだぜ姫路。何が起こるか予測不能ってな!」
「仕組んでたくせに、よく言うよね? ……でも」
「ん?」
「今の本当に、楽しかったね!」
そして姫路は、太陽のように明るく笑った。
あの河川敷で話しかけてきた時のように、屈託のない自然な笑顔で。
しかしそれは一瞬の事、慌てた様子で姫路は視線を逸らす。
「……あ、いや。そこそこね! そこそこ楽しかったかなーっていう……?」
「……姫路」
俺は口元を綻ばせながら、ぐっと右手でサムズアップのサインを送る。
「言えたじゃねえか。これから毎日、素直になろうぜ?」
「なんでお前は偉そうなんだよ」
スパーン、と俺は五十嵐に後頭部を叩かれる。
それを見て姫路は、耐えきれずまた笑いだしていた。
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