第九話「ナイショの話」

                 ◆



「響くんって、彼女とかいるのかな……」


 放課後の喫茶店。物憂げにケーキを食べながら舞子はそう言った。

 私はストローでジュースを一口飲み、おもむろに携帯で現在時刻を確認する。


「……。もう帰っていいか?」

「何でよ! つーかまだ来たばっかでしょうが!」

 

 相変わらず、いちいちうるさい赤メガネだ。

 そんな性格のくせに一丁前に乙女で奥手なところが始末が悪い。


「……一応聞くけど、まさかそんなふざけた理由で呼び出したんじゃないだろうな」

「はぁん!? こちとら至って真剣に……ッ。ま、まあ。確かに。別にそれが本題ってわけでもないんだけどさ。今日暇だし、ちょっと息抜きしたい気分だったから。どうせ暇してるアンタでも弄って遊ぼっかなって思って」

「……。それは別にいいけど、」


 私は溜息を吐きながら、目に痛いピンク色をした、窓のない店内を一望する。

 奢るから付き合え――そう言われて軽はずみについてきたのが運の尽き。辿り着いたのは雑居ビルの中にある、いわゆるメイド喫茶というやつだった。


「……なんでこんな店選んだんだ? お前の趣味か?」

「いや、だからハルとアキのバイト先だからって言ったじゃん。アンタに一回来てもらいたかったんだってさ。念願叶って嬉しそうだったし、よかったよかった」

「こっちは死ぬかと思ったけどな」

「にゃっはは。いやー、傑作だったわさっきのアレは。もっかい見たいくらい」


 けらけらと舞子は笑う。ちなみにさっき何が起きたのかというと、

 軽い気持ちでジュースを注文したら、メイド姿の双子に囲まれて、地獄みたいな儀式に巻き込まれた。あまりの出来事にもう記憶が飛んでいるけれど。何かひどく冒涜的な恥辱を味わった事だけは確か。


「でも凄かったでしょ。あの二人のプロっぷり。ハルは別にいつもと変わんないけど、アキなんか昔めっちゃ引っ込み思案だったのに、ここで働き出してからすっかり度胸ついちゃってさ。いやー人って、成長するもんよねー」

「そうだな。いつまで経っても成長しない奴もいるしな」

「え? いや別にアンタのこと言ったんじゃないけど。あ、でも、そうだ。アンタもここでバイトしてみたら? 意外と人生前向きになるかもよ~?」

「するわけないだろ。私があんな真似したら、爆発して店ごと吹き飛ぶぞ」

「いや、爆発はしねぇだろ。一体どういう生態系なのよアンタ」


 舞子は呆れながら、チョコレートケーキを口の中に放り込む。

 

「で、最近どうなのよ。そっちのバンドの方は」

「どうって、別に普通だけど」

「ふーん。……でも、結構意外だったな。アンタがああいうバンドで演るなんて。思ってたのと違うっていうか、メタル馬鹿のアンタがエルレとか弾くとこなんて想像もしてなかったからさ。見ててちょっと笑っちゃった」

「何でもいいから弾けって言ったのはおまえだろ」

「まあね。でもあたしの言う事素直に聞くなんてそれこそアンタらしくないじゃん? 一体どうしちゃったんだろうって思ってさあ」


 にやにやと、何故か楽しげに舞子は笑う。

 薄気味悪い奴だな。そのチョコケーキ一口奪ってやろうか。


「それに、あのボーカルの男の子。見た感じあの子がリーダーだよね。曲もあの子が作ってるんでしょ?」

「まあな」

「あ、やっぱそうなんだ。それ、あたし的に結構意外なんだよね。どうせアンタのことだから年下の女の子にでも口説かれたのかなと思ってたのに」

「一体どういうイメージだよ、それ」

「いやほら、アンタ昔から年下の女子にやたらモテんじゃん? 髪の毛短かった時とか、王子様~とかキャーキャー言われてたし。髪の毛赤くしてた時も、アンタの真似して赤くしてくる子とか結構いたわよ」


 ……。そういえばあのライブの後、赤い髪の女子が何か話しかけてきたような気がする。アカホシ、とか言ったっけ。一ノ瀬にしてもそうだけど、私が留年してるの、意外と知れ渡ってるんだろうか。まぁ、別に今更どうでもいいけど。


「ま、とにかく意外ってのはさ。アンタがあの子たちと組んだ理由。あのバンドって、技術的には皆すごい上手なんだけど。正直、曲はちょっと普通すぎるかなって思ってさ。だから不思議なんだよね。あんだけ音楽に対してこだわりの強かったアンタが、何であの子たちに付き合うのかと思ってさ」


 からん、と。私は氷の入ったコップを置いてため息をつく。


「……舞子。もしかしてお前、何か企んでるのか?」

「え? 企んでるって、何を?」

「ついこないだも似たような事言われた。お前のとこの金髪女に」

「金髪女? ……って、ああ。もしかして真行寺のこと?」

「シン、ギョウジ?」


 どこかで。聞いたような名前の響きだった。


真行寺しんぎょうじ奏恵かなえ。今のうちのメインボーカル。……え。嫌な予感してたけど、まさかアイツになんか言われたの?」

「ああ。なんかいきなり現れて、今のままで満足かとか。あなたは私のパートナーとか。ふざけた事ばっかり言って帰ってった」


 私がそう言うと、舞子は分かりやすいくらいに頭を抱え、心底うんざりした様子で溜息を吐く。


「……ごめん。アイツって、そういう奴なの。ちょっと、いや、かなり。頭がどうにかしてるバカ女っていうか……」

「それはもう分かってるけど、どういう奴なんだ?」

「えーと、どっから説明したらいいかな。バンドに入ったのは、ちょうど一年前くらいで。元々子役で、モデルとかもやってて。小っちゃい頃から舞台の上に立ってるだけあって歌はめっちゃ上手いんだけど。ちょっと世間知らずっていうか、癖がある性格してるっていうか。一言で言うと、ハイスペックでアホなお嬢様なのよ」

「ハイスペックで、アホなお嬢様……」


 なるほど。つまり。


「つまり、変態ってことか」

「……まあそうね。ぶっちゃけそういうとこあるわアイツは……隙あらば胸とか揉んでくるし」


 だろうな。そういうタイプじゃないかとは思ってた。


「それはともかく。アイツ、前からアンタに物凄い興味持ってるみたいでさ。最近アンタをヴィクトリカに戻そうってうるさいのよ。だからそのうち、何かやらかすんじゃないかと思ってたんだけど……直接突撃しちゃったか。ほんとごめん」

「ふうん。じゃあ別に、お前の差し金じゃなかったのか」

「まさか。こないだも言ったけど、あたしは今のところアンタをヴィクトリカに戻す気ないから。あいつに何言われても気にしないで」

「言われなくてもそのつもりだけど」

「そ。……だけどさ、楓」

「?」

「あいつの歌は本物よ。あんまりこの言葉使いたくないけど――天才ってヤツ」


 そう呟いた舞子の表情は真剣で、妙に強張っていた。

 何か、恐ろしいモノを視ているかのように。


『――そうこなくっちゃ、私のパートナーは務まらない』


 あの時の、あいつのあの声が今も耳元にへばりついている。ねっとりと、底の知れない、艶やかな声。あの声が唄を歌ったら、一体どうなるのか。想像するだけで胃のあたりがざわついた。

 

「天才、か」


 舞子のモノの見方や、考え方については、私も少しは知ってるつもりだ。

 だからその言葉の通り、あいつはそれなりのモノをもってるんだろう。だけど。


「その割に、人を見る目がないな」

「? どうしてよ」

「私を評価しときながら、うちのボーカルを凡才呼ばわりだ。何もわかってない」


 昔から私の周りの人間は、私を無駄に過大評価してる。

 所詮、私は譜面をなぞるしか能のない人間だ。

 確かに小中学生の頃なら「難しい曲を弾ける」っていう事だけで天才扱いされたけど。いつまでたっても、コピーしかまともにできない人間なんて凡才もいいところだ。掃いて捨てるほどに居る「上手いだけ」の演奏者にすぎない。


「……ふーん」

「……なんだよ、その気持ち悪い目は」

「や、だって。人嫌いのアンタが、そんな風に誰かの肩を持つのって、やっぱ珍しくない? そんなにあの子の事気に入ったの? あ、それとも、もしかして。特別に何かあったとか? 好きとか、惚れたとか」

「あるわけないだろ、馬鹿馬鹿しい」

「あはは。ま、そもそもアンタの好みってハリウッドスターみたいな男だっけ。渋くて、彫りが深い感じの」

「まあな」

「そういえば、あんたのお父さんもそんな感じでカッコよかったっけ。……はあ。響くんも将来あんな風になるのかなあ……」


 ぽやー、と舞子は虚空を見上げて目元をうっとりさせる。

 その恋愛モード、さっきから気持ち悪いからやめろ。


「……まぁ、別に。私だってあいつを天才とまでは思ってないよ。ただ」

「ただ?」

「あいつは何かを持ってる。知識とか、技術とか。そういう理屈を超えた何かを。……それに」


 半開きのバッグの中。積まれたCDの山に視線を移しながら私は言う。


「……単純に今は楽しいんだ。あのバンドで、あの三人と一緒に居るのが。正直、悔しいけどな。毎日色んな事に気づかされてる」

「……へえ?」


 舞子たちと組んでいたあの頃は、色んな事が重くのしかかってきた。

 自分が何かしなければならないという思いに囚われて、周りと衝突して。

 真剣が行き過ぎて必死になり――行き着いたのは絶望と自殺。

 あれで痛いほど思い知った。私はあまり、頑張りすぎない方がいいらしい。

 一歩退いて後ろから見守る。そういう生き方を試すのも悪くないと、そう考えた。


「……誰かを背負ってやれるほど、私は強くないけどさ。支えてやるくらいならできるから。まぁ、今はそういう気持ちで適当に、気楽にバンドやってるってだけ」

「……ふーん」

「……だからなんなんだよ。さっきからお前のその目は」


 肘をつきながら、見透かしたように舞子は笑う。


「別に。アンタもちょっとは、大人になったんだなーって」 

「馬鹿馬鹿しい事言うなよ。私もお前も、今年で二十歳だぞ」

「そうね。じゃ、楓。二十歳なんだし、自分でここの代金払う?」

「やだ」

「んなこと言う二十歳初めて見たわ……」


 いや、奢るから付き合えって言いだしたのはお前だろ赤眼鏡。

 細かいことを言うなら私の誕生日は秋だし、まだ十九だ。


「ちなみにあの子たち、名前なんていうの? ボーカルの子とドラムの子」

「? ああ。ボーカルの方は高宮で、ドラムの方は五十嵐っていう」

「高宮くんに、五十嵐ちゃんか。よし覚えた。ちなみに下の名前は?」

「……」

「か、楓? アンタまさか……」


 なんだっけ。普通にど忘れした。

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