第七話「突撃ラブハート」
◇
汗臭い
爽やかな朝の通学路。イヤホンを突っ込んだ俺の耳元には重厚なドラムのビートが流れていた。
マノウォーとは。「世界で最もうるさいバンド」の異名を持つ、伝説的なメタルバンドである。『偽メタルに死を!』というパンチの効いたスローガンはあまりにも有名で、その言葉の通りにヘヴィメタル絶対至上主義、商業メタルや生っチョロい腰抜け音楽を断固として許さない鋼鉄の精神を持つ偉大な兄貴達だ。
特にリーダーであるジョーイ・ディマイオ兄貴の放った言葉は語り草で、
『他のバンドは
『音量を下げるくらいなら俺は死を選ぶ』
『俺の前世は武士だった(?)』
などの凄まじい名言の数々を残しているとかなんとか。
しかしそんな恐ろしげなマノウォー先輩も、実際に聞いてみると、意外に聞きやすい。割とメロディアスというか、なんというか。デスメタルとかスラッシュメタルとかハードコア系の音楽よりはだいぶ初心者向きな気がする。やっぱ食わず嫌いってよくないな。もしかして音無さんはこれを見越して俺に――なるほど?
しかし朝っぱらから聞くには少々マッスルすぎてそろそろ頭がどうにかなりそうだった。一応昨日全部聞いたし、そろそろ別の曲行かせてもらおう。心の中で兄貴達に一礼しながら、俺はipodのシャッフル再生ボタンを押す。
「お」
軽快なオーバードライブサウンドが青空に鳴り響く。
和田光司『Butter-Fly』。アニメ「デジモンアドベンチャー」の主題歌。
少年たちが全力で駆け抜けていくような、軽快なロックチューンだ。
無限大な夢のあとの――サビのメロディを口ずさむと、なぜか不思議と笑顔になってしまう。俺はリアルタイムで見てた訳ではないけれど、小学生の頃からこの曲の事が好きで、初めて親に買ってもらったCDはまさにこのデジモンのアニメの主題歌集だった。久しぶりに聞いたけど、全く色褪せない。本当にかっこいい曲だと思う。
そう。何かこう、どんな人間も、一発でビビっとくるような――
(――!! そうか)
電撃のような閃きが、俺の脳から全身を駆け巡る。
大会に向けての曲作り。決まりきらないコンセプト。
モヤモヤと漂っていた曖昧なイメージを全部吹き飛ばすかのような衝撃。
――絶対にホームランをかっ飛ばせる、四番打者のような曲。
それってまさに、こういうのじゃないのか?
アニソン。特にアニメのOPのような曲。
(そういや、あのライブで特に評判よかったのって――)
一発目にやったロードオブメジャーの『心絵』。
そして最後にやったELLEGARDENの『ジターバグ』の二つ。
『心絵』はまさにアニメのOP曲だし『ジターバグ』の方も何かのアニメのOPでもおかしくないくらい、強烈なパンチ力とキャッチーさを兼ね備えている。
いや、実際にあんな曲を作れるかって言われたら全く簡単じゃないけれど。
目指す理想形、方向性としては――かなり、良いんじゃないか?
思った矢先、何の偶然か、ランダム再生でかかった次の曲は『カサブタ』。金色のガッシュベルのOPテーマ。――いや、良い! 良いね確実にこれは! そうそう! こういうの! 俺もこういうの作りたい!
「ん?」
校門の前に辿り着いたその時だった。俺の目の前に、よろよろと一人で歩く女子生徒の姿が目に入る。高めの背丈。青いカーディガン、黒いニーソックス。尻尾みたいな後ろ髪を揺らして歩くそいつの元に、俺は早足で駆け寄っていく。
「……?」
「おっす、おはよう姫路」
俺が明るく声を掛けると、姫路はしばし絶句して、思いっ切り苦虫を噛み潰したような表情になる。
「…………、」
そして姫路は思い切り舌を打つと、俺に背を向け――、
なぜか猛スピードで逃げだした。
「……は? いやちょ、待て! ま、待ちやがれこんちくしょォォォ!!」
「!? つ、ついてくんなよ変態!」
「おめーが逃げっからだろうが! いいから止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
「ぎゃあああああ!?」
数分後。
「ぜえ、ぜえ……はあ……はあ……」
校舎の周りを三週したところで二人とも力尽き、体育館裏の壁に手をつける。
姫路は息を整えて立ち上がると、嫌味っぽい眼差しを俺に向けながら言った。
校舎の周りを三週したところで二人とも力尽き、体育館裏の壁に手をつける。
姫路は息を整えて立ち上がると、嫌味っぽい眼差しを俺に向けながら言った。
「……っていうか、おまえ、誰だっけ?」
「いや誰って、昨日はそっちから話しかけてきただろうが……?」
「ああ。皮肉も通じないんだ? 高宮の脳みそって。おめでたいね」
「いやぁ、実はそうなんだよ。ところで今お前、普通に俺の名前呼んだけど?」
「…………、」
姫路は大きく舌を打つと、不機嫌そうに半目で俺を
「……で? 何? あたしに何か用?」
「ん、ああ。えーと、とりあえず昨日の事、謝りてえなって思って。ほら俺、別に関係ねえのに、余計な口挟んじまったつうか……あれはほんとごめん。悪かった」
「……は。なにそれ? 紳士ぶっちゃってさ。誰にでも優しい俺かっこいーって? リア充気取りって大変だね」
「はっは。なんかほんと急に口悪くなったなお前。何か嫌な事でもあった?」
「何それ。喧嘩売ってんの? それともアホすぎて昨日の記憶飛んじゃった?」
「いや、昨日の事なら普通に覚えてっけど。何か他に言ってたっけ?」
「もう話しかけんな、っつったよね。何で話しかけてくんの?」
「ん? ……ああ。言われたっけそんな事」
確かに、去り際に何か言ってたような気もするが。
「……。ま、それはそうと、ちょっと俺いま誰かとアニソンの話したくて仕方ねーんだよな。だから姫路、ちょっと俺とアニソンの話しようぜ!」
「は、はあ? 何それ、ぜんっぜん意味わかんないんだけど」
「あれ? ああ、そういや姫路って、アニソンも別に好きじゃねえの? 何か妙に人当りのいいキャラ作ってたのは分かるけど、まさかあれも嘘だったとか?」
「は? ……ッそれ、は、」
ぐぐ、と。姫路は心底嫌そうに歯を食い縛る。
そして大きく溜息を吐くと、視線を逸らしながら苦々しく呟いた。
「……嘘じゃないよ。そんな嘘ついたって、別に何の意味もないし」
「……ふーん。それじゃ、」
「言っとくけど、話す気なんか全然ないから。本当に好きなモノとか、わざわざ誰かと語り合う必要ないと思うんだよね。自分の中だけで完結するべきっていうか」
「あ、じゃあこうしよう。俺が一方的に好きなアニソンの話するから、姫路はそれを聞くだけ。これならオッケーだろ!」
「え? いや、だから、そんなの別に聞きたくな――」
「えーと、ちなみにさっき聴いてたのは」
「聞けよ人の話!?」
「ああ。これこれ。デジモンのButter-Fly」
俺がipodの画面を突き出しながら言うと、姫路は一瞬目を丸くした。
すると、また卑屈そうに顔を歪めて視線を逸らす。
「……は。何それ。ド定番すぎて欠伸出るんだけど?」
「お。やっぱ知ってんだな普通に」
「知ってるも何も、基礎知識でしょ。超有名な曲だし。曲作ってる人がガッシュのOP歌ってる人ってのも常識」
「え、そうなの? ……うわマジだ! すげえ! マジで詳しいな姫路!」
「は。この程度で詳しいとか。むしろ馬鹿にしてるよね、それ?」
「いやー、でもマジでいいよなデジモンの曲。俺結構アルバム持ってるけど、挿入歌も全部めっちゃ熱いし。和田光司さんの声がもうめっちゃ好きでさ」
「ああ。それは、わかる……じゃ、なくて!」
「ん?」
姫路は大きく後ろに退がり、壁を背にしながらキッと俺を鋭く睨む。
「……高宮さ。何でそんな、話しかけてくるの? 昨日のあたしの醜態、全部見てたでしょ? わざわざそうやってあたしの事、小馬鹿にしにきたの?」
「いや、別に。そんなつもりは――」
「じゃあ、なんでだよ。別にあたしの事なんか、……どうだって、いいじゃん」
そう言って姫路は、苦々しく目を伏せる。
気丈な態度に反して、最後に放った一言だけは、何故かとても弱弱しかった。
だからだろうか。俺もついムキになって答えてしまう。
「……どうだっていいわけねえだろ」
「……え?」
溜息を吐きながら、とりあえず俺はいま直感で思ったことを口にする。
「……姫路。俺、昨日。お前の歌聞いた時、本気で感動してさ。気づいたら、ずっとお前のこと考えるようになってたんだ」
「……え? あたしの、事?」
「ああ。お前の事考えると、胃のあたりがこう、キューってなって、動悸と眩暈がして――何でなのか全然わかんなかったんだけど。今日お前の姿を見た時、はっとしたんだ。ああ。この気持ちは、こういう事だったんだなって」
「……こういう、事?」
呆然と姫路は目を見開いて、何かに気づいた様子で肩をびくりと震わせる。
するとたちまちに顔が赤くなり、気まずそうに視線を逸らす。
「そ、それって。やっぱ――そ、そういうこと、だよね?」
「……ああ。姫路。やっぱりお前、何かこないだの俺みたいな立場だから見ててしんど――ん? そういうことって?」
視界の隅。体育館裏にぽつんと立つ一本の痩せ木が俺の目に映る。
あれは、確か――我が青葉東高校に代々伝わる伝説の樹!? あの樹の下で告白した男女が結ばれるとか結ばれないとかいうあの伝説の!? し、しまった! ここは体育館裏! 告白の定番スポットじゃねーか! 一体何を口走ってたの俺!?
「い、いや、あの姫路さん? 何かちょっと、誤解があるようなんだけど……」
「誤解? 誤解って何?」
「や、だから。俺はただ、純粋にですね……」
「そ、そっか。純粋に、僕のこと好きなんだ……?」
……。ああ、もう。よりわけわかんなくなってきたじゃねーかクソッ!
大体コイツさっきまでめちゃくちゃ辛辣だったのに何で急にしおらしくなってんだよ! 一人称も僕に戻ってるし、ほんと何この状況!?
「……ん?」
その時、ぼりぼりと。何かスナック菓子を食べるような音が聞こえてくる。
俺が後ろを振り返ると、そこには野生のチベットスナギツネ……によく似た眼つきの五十嵐香月が、じゃがりこを食べながら仏頂面でそこに立っていた。
「……五十嵐。一体いつからそこに?」
「んー、お前が何かデジモンの話しだした所から?」
「そっか……ちなみにどうやってここに?」
「茶髪のバカが女を追い回してるとか聞いて」
「そっか。最後にもう一つ聞きてーんだけど」
「何だ?」
「もしかして俺この後、死ぬのかな?」
五十嵐はぼりぼりと咀嚼音を響かせると、ごくりと飲み込んだ後に言う。
「まぁ安心しろよ。……一撃で楽にしてやる」
「はっはっは。そりゃ随分お優し――ッぷハンぬッ!?」
目にも止まらぬ手刀。俺じゃなきゃ意識を失ってるね。
両手で後ろ首を抑えながら、俺は地面にうずくまる。
「……ったく。人の忠告は聞かねえわ、懲りもせず無駄に周りの評判下げるわ。ほんとどうなってんだよ、クソリーダー」
「お、おっしゃる通りでございます……」
「大丈夫か姫路。このアホに何かされてないか」
「ん? ああ。別に大丈夫だよ。途中からこっちも遊んでただけだし」
「ふーん。そっか。じゃがりこ食う?」
「あ、うん。食べる」
「ず、随分仲良いなお前ら……ハッ、まさか二人して俺を嵌めやがったのか!?」
「大丈夫あれ? なんかすごい被害妄想始まってるけど」
「いつもの事だから安心しろ。あんな奴もう放っといて行こうぜ」
「ちょ、待てや! 俺を可哀想だとは思わねえのか! おい!」
さっさと昇降口の方に行ってしまう二人の背中を、俺は必死で追いすがる。
「しっかし、あの忠告の意味がようやく分かったぜ五十嵐先生。この激ヤバ腹黒面白女の脅威から俺を守ろうとしてくれたってわけだな?」
「まあ、なんつーか。お前ら二人じゃ絶対揉めるって分かってたからな」
「誰が激ヤバ腹黒面白女だよ。このクソハゲ童貞ゲロ男」
「あァ!? テメッ……よくもそんな暴言をスラスラと!」
「これだよ……似たもの同士っつうか、なんつうか」
うんざりした様子で、五十嵐は溜息を吐く。
「にしても、見た目ほんと変わったよな姫路。一瞬誰かと思った」
「ん? あはは。香月ちゃんもだいぶその格好、馴染んできたよね」
「あー。……考えて見りゃ、ちゃんと話すのってあれ以来か」
「うん。……ごめんね。あの時は、勝手なこと言って」
「別にいいって。ま、思ったより元気そうで安心したわ」
「あっはは。まぁね。あたしも今年は、色々吹っ切ることに決めたから。それよりさ、最近――」
それから姫路と五十嵐は、ハマってるゲームがどうとか、最近のアニメがどうとか。取り留めのない会話を仲良く続ける。そんな様子からは、本当に慣れ親しんだ仲なんだなという事が分かった。――それだけに、今の会話。少し気になる部分があったけど。俺が触れていい話題なのか判断に迷う。
「……おい。お前さっきから黙りこくってんだ? 盗み聞きとか趣味悪ィぞ」
「ん? いや盗み聞きっていうか。邪魔しちゃ悪いかなーと思って」
「ほんとかなあ。こないだもあたしの演奏、勝手に聞いてたみたいだけど?」
「いや、あれはお前が窓開けっぱなしにしてっから――」
昇降口の下駄箱前。
不意に、ニヤついていた姫路の表情が固まる。
「……? どうした? 姫路?」
異変に気付いた五十嵐が、姫路の視線の先を追う。時代遅れな、鍵のない簡素なロッカーの群れ。その中に――あるはずのものがそこにない。
一体何が起こってるのか、そんな事はアホの俺でもすぐにわかる。
昨日起きた出来事と、この学校の、悪い噂の広まる速度を鑑みれば。
「……あっはは」
乾いた笑い声が零れる。
俺と五十嵐が言葉を探す間に、姫路は平然とバッグに片手を突っ込む。
「ま、こんなこともあろうかと。実はちゃんと対策してきてんだよね」
そして新品の上履きを引っ張り出しながら、勝ち誇ったように笑った。
意気揚々とそれに履き替える様子を、俺と五十嵐は黙って見つめる。
「姫路、」
「香月ちゃん」
何か言いかけた五十嵐の声を、姫路が遮る。
「あたしさ、別に。一人で大丈夫だから。あたしなんかに構うヒマあったら、そのボンクラの面倒、ちゃんと見ときなよ。……そんじゃーね」
そして不敵にそう笑って、姫路は独りで行ってしまう。
あの時と同じように、たった一人で堂々と。胸を張りながら。
「……高宮」
「……ん?」
五十嵐が零した小さな呟きに、俺は黙って頷いた。
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