第六話「ロマンス」
◇
スタジオでの練習も、気づけば残り時間10分になっていた。速やかに後片付けを終えて個室を出ると、狭い廊下には次の番であろう四人組が立っていた。俺達は軽く会釈をしてその横を通り過ぎ、会計を済ませて外に出る。
「よし。そんじゃまた連絡するんで。今日は解散! お疲れさまでした!」
「お疲れ」
「お疲れ様でした」
別々の方向に歩き去っていく五十嵐と響を見送る。
東谷のビル街はすっかり暗く、にわか雨に滲んでいた。俺もバッグの中にしまい込んだ折り畳み傘を開いて帰ろうとする、と。
「高宮」
不意に名前を呼ばれて、後ろを向く。
そこには着込んだジャージと同じ黄色の傘を差した音無さんが立っていた。
「あれ、先輩。どうしたんですか?」
「……お前。この後、時間あるか?」
「え? いや特に。帰るだけですけど」
「じゃあ、ちょっと付き合えよ」
受け答えする間もなく、音無さんは駅の方角へ歩きだしていく。
言われるがまま俺はそれを追いかけ、やがて、長い信号に捕まった。
「……」
無言の沈黙。どうもぎこちなくて距離を感じる――のは、俺が原因なんだろうな。さっきのセッションなんて、露骨に俺が足を引っ張ってたし。持ってきた曲も、全然歪んだ音なんか出しづらい曲で。音無さんはきっとやり辛かっただろう。
正直、負い目を感じているというのはある。この人がやりやすい曲を書けずにいるというのもそうだけど――バンドを組む以前、俺が一方的に付きまとっていた時に、面と向かって「嫌いだ」と言われたのが今でも脳裏に焼き付いているから。今も不快な思いをさせているのではないかと不安になる。
「……あの」
「……ん?」
沈黙に耐えかねて、俺は会話の口火を切る。
「やっぱ、やり辛いですか?」
「? 何がだよ」
「いや、あの。バンドのことです。さっきもちょっと思ってたんですけど、……なんか音無先輩、ずっと窮屈そうっていうか。やっぱ俺が足引っ張ってるせいなのかなとか思って、その、」
言ってる途中で、音無さんはにわかに溜息を吐く。
「違う」
「え?」
「原因は私の方にある。おまえが気を遣う必要なんかないよ」
目も合わせず、淡白な口調で音無さんはそう言った。
そのタイミングで信号が青になり、すたすたと一人で横断歩道を渡っていく。
「おい、何してるんだ。行くぞ」
「あ、はい」
慌てて俺はその後を追いかけた。
「あの、ところで。どこ行くんですか?」
「すぐそこ」
いやそこって言われても、どこなの。雨で滑る階段を登り、歩行者だらけの駅前デッキを抜け、やがて大きな建物の中に入る。
(? ここは……)
東谷駅に隣接するパルコの中にある大手CDレコード店だった。
それほど広くない店内はあまり人の姿がなく閑散としている。
「……で、」
新譜のコーナーの前に立ち、音無さんは俺に向き直る。
「お前の好きな音楽って、どれだ?」
「……はい?」
藪から棒に何を言い出すのかこの方は。
「いや、どれ、って……どうしたんスか急にそんなこと」
「……さっきの練習で分かっただろ? 私はお前の好きな音楽を全然知らない。そのせいで上手く合わせられないんだ。だから、なんとかしたいって思ってる。その為にはまず、私がお前の好みを知る必要があるだろ。だから連れてきたんだ」
ぶっきらぼうな言い方で、音無さんはそんな事を俺に言う。
正直、唖然とした。言葉の意味が全然うまく呑み込めないくらいに。
「ちょ、……っと待ってください。それってつまり、音無さん。俺に、好きなバンドどれかとか、もしかしてそういうこと聞いてます……?」
「……? いや、だからさっきからそう言ってるだろ」
驚愕で俺は大口を開ける。不思議そうに音無さんは首を傾げる。
あの音無さんが、この俺に歩み寄ってくれている。あの、音無さんが?
「おい……さっきから何ぼーっとしてるんだ」
「え!? あ、ハイ! いやでも好きな音楽っつっても、色々ありすぎてどうしよっかな。たぶん山積みみたいな量になっちゃうと思うんですけど」
「なら、お前が一番かっこいいと思うバンド」
「いやいやいや! それも多分両手で抱えきれなくなりますよ!?」
「……じゃあ、お前が一番かっこいいと思うギターが居るバンド」
「えーーーー!? んーーーーー。ま、まあ。ギリギリそれなら……」
邦楽ロックのコーナーに移動する。相当迷った後、俺はそのCDに手を伸ばした。
「これ、ですかね」
ジャケットには黒を背景にして立つ、黒いスーツの男四人組。thee michelle gun elephant「ギヤ・ブルーズ」。音無さんはそれを受け取ると、「ふーん」といった様子でじっとそれを眺め、
「じゃあとりあえずこれ買うか」
そう言ってレジの方に歩いて行こうとする。
「え、いやいや! 本当に買うんですか!? お、俺のお勧めしたCDですよ!?
別にレンタルショップとかでも……」
「何買うかなんて私の勝手だろ。今日はお前が選んだの買うって決めてたしな」
平然と音無さんは言い切って、俺はまた口を閉ざしてしまう。
本気か。本気で、俺に向き合ってくれてるってことなのか。……なら。
「あの、先輩」
「?」
生唾を飲み込む。――それは一度はっきり断られた事。ずっと燻っていた思い。
だけど今ならもう一度、その言葉を吐き出せそうな気がした。
「やっぱり俺に、ギター教えて貰えませんか」
目と目が合う。怯まずに、言葉を続ける。
「音無先輩、俺にこういう事聞いてくれたってことは、その。俺に合わせてくれるってことですよね。……だったら俺も、先輩に合わせられるようになりたいです。ギター、もっとちゃんと上手くなりたいです」
「…………」
「あ、いや、一応これでも毎日練習はしてはいるんですけど。歌と違って、練習の仕方が悪いんじゃないかとか、そういう心配があ痛―ッ!?」
唐突。眉間に思いっきりデコピンが飛んできた。
「……分かったよ。元々そのつもりだったしな」
「え?」
ぼそりと聞こえたその言葉に顔を上げる。
「……ギター。私がお前に教えてやる。だからいちいちそんなでかい声で喋るなよ。耳が疲れるだろ。アホ」
面倒くさそうにそう言うと、音無さんはCDを手にレジの方へ歩いていった。
呆然と俺は立ち尽くし、やがて我に返ると、会計を済ませて戻ってきた音無さんに向かって、全力で頭を下げお辞儀をする。
「ッお世話になります! 師匠!」
「その呼び方はやめろ」
「じゃあ、マスター・音無!」
「やっぱ教えるのやめよっかな……」
「ぎゃああすみませんすみません! じゃいつも通り音無先輩で――」
「――あらあら。なんだかずいぶん楽しそうじゃない」
それは、唐突に。
恐ろしく艶のある声が俺の耳元で響く。
「――その話。わたしも混ぜてくれないかしら?」
瞬時に俺が後ろを振り返ると、そこには知らない女の人が立っていた。
モデルみたいに背が高く、白いマリンキャップを被った頭部からは腰まで届く長いホワイトブロンドの髪が下りている。大きなサングラス越しでも分かる、恐ろしく綺麗な顔立ちの口元には、蠱惑的な妖しい笑みが浮かんでいた。
「ごきげんよう、音無さん。後輩とのデート、お邪魔しちゃったかしら」
「……。またお前か」
怪訝そうに音無さんは答える。昔の知り合い――ってわけでもないのか? 両者、謎に睨み合ったまま動かない。とりあえず俺もただ突っ立ってるわけにもいかないので、思い切って挨拶をしてみる事にする。
「えっと、もしかして音無先輩のお知り合いの方ですか? あ、どうも! 俺、この人の後輩で、一緒にバンドやらせて貰ってる高宮って、いう――!?」
急にカツカツと靴音を鳴らしながら近づいてきたその人は、至近距離で俺の顔をまじまじと見る。ふわりとした香水の匂いが漂い、為す術もなく俺は硬直する。
「……ふーん」
サングラスをズラしながら、頭から爪先まで舐めるように見つめてくるその人は、やがてその薄く青い瞳に、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「イヤ、アノ……ナンデスカ」
「あなた、近くで見ると意外と可愛い顔してるのね。そこは合格」
「ハ、ハア。ソウデショウカ」
「でも、全然ダメね」
「え?」
「この子じゃ貴女に釣り合わないわ。音無さん」
俺から視線を切って、再び音無さんの方へとその人は詰め寄る。……なんだこの人、さっきから。はっきり言って異様だった。見た目も、振る舞いも、口ぶりも。何か普通の人間と一線を画している。
「……さっきから何が言いたいんだ? お前」
「ふふ。前にも言ったと思うけれど。――今の環境は貴女には相応しくない。分かってるでしょう? その子と貴女の音は絶望的に相性が悪い。合わないものを合わせようと頑張ったところで時間の無駄。自分の才能を腐らせるだけよ」
「……へえ。ずいぶんと物知りなんだな。で? おまえ。誰だか知らないけどさ。私とこいつの何を知ってるっていうんだ?」
「知ってるわ。だって見たもの。あの体育館でのライブ。悪くはなかったけれど、あのオリジナル曲は失笑もの。こないだのブッキングなんて最悪もいい所だったわ。ベースもドラムも、ギターも。たった一人のせいで全部台無しだった」
灰青色の瞳が横目で俺を睨む。そして、
「――そう。貴方一人のせいでね。高宮太志」
突き付けられた指先は、俺の眼の前で静止した。
「貴方はフロントマンでありながら、バンドメンバー全員の足を引っ張っている。素人の目は誤魔化せても、バンドをやったことがある人間なら誰でも簡単にわかってしまう。――正直、見ていて可哀想だったわ。あなた一人のせいでほかの全員が死んでいた。ねえ。なんで貴方はそこに居るの? そんな風に平然と立っていられるの? 半端者の、凡人のくせに」
明らかな敵意に、明らかな否定に。腹の底が煮えくり立つ。
「……ッ俺は、」
一瞬。今日の練習での出来事と、ブッキングライブでの失敗が頭を過ぎる。
半端者。凡人。――それを否定するだけの材料が、今の俺には何処にもない。
「どうしたの? 何も言い返せないの? は。凡夫ここに極まれりね! まったく情けない男! ねえ音無さん? こんな奴の事は捨ててわたしと来ない? 貴女に相応しい場所に導いてあげるわ。さあ、この手を取って。一緒に行きましょう?」
しばし両者は見つめ合い、音無さんは差し伸べられたその手に視線を移す。
「――私の居場所は私が決める」
そして、パチンと。その手を払いのけて言った。
「お前の指図なんて興味もない。分かったら失せろよ、不細工女」
「――ふふ。強情ね。ますます気に入ったわ。そうこなくっちゃ、私のパートナーは務まらない」
パートナー? そういえばこの人の目的って一体なんなんだ? 口ぶりからしてバンドやってる人なんだろうが。なんかどっかで見覚えがあるような……ん? 待てよ? 俺はポケットからスマホを取り出し、検索画面を表示する。
「まぁ、今日はこのへんにしておいてあげるわ。これから用事が入ってるの」
「待て。その前に一つだけ答えろ」
「ええ、いいわよ。何かしら?」
「お前、どこかで会ったか? 結局どこの誰なんだ?」
「ふふ。……それはまだ秘密。それじゃあまた会いましょう? 音無楓さ――」
「……あ、すいません。その前にちょっといいですか」
颯爽と去っていこうとするその人を、俺は手を挙げて引き留める。
「……何? もう貴方とは口を利きたくはないのだけれど」
「いや、あの。もしかして、あなたって、ヴィクトリカのボーカルの人じゃ……」
新しく買ったスマートフォン。インターネットで開いたのはヴィクトリカのバンドHP。トップページにある四人の集合写真の中央、喪服のような黒いドレスに身を包んでいる金髪の女性は、今俺の目の前にいる人物にそっくりである。
「………………。」
長い沈黙。
「く、ふふ。うふふふふ。あーっはっはっはっはっは!」
からの三段笑い。マジかよ。それ実際にやってる人初めて見た。
「いやちょっと何言ってるかわからないわ!」
「いやウソつけ! なんで何言ってるかわかんねんだよ!」
誤魔化し方超下手だなこの人!
「ああもう。悪いけどこれ以上貴方みたいなバカに構っている時間はないの。焼きたてのメロンパンが売り切れてしまうから。――じゃ!」
「は!? いやちょ待っ、って逃げ足早えええッ!?」
長い手足を申し分なく振るい、アスリートのようなロングストライドで金髪の女の人は走り去っていく。ぱっと見、万引き犯みたいだけど大丈夫か。サングラスかけてて怪しいし。いや、それにしても。
「な、なんだったんだ一体……?」
今まで出会った中でも三本指に入るヤバイ人だった。おかしいな。ライブだとめっちゃクールで上品そうな人だったのに。
ただ、投げかけられた言葉はそれなりに痛かった。あの人のパフォーマンスに、俺は同じボーカルとして本気で尊敬の念を抱いていたから。全く知らない奴に何か言われるのとはわけが違う、重いダメージがのしかかってくる。――でも。
「……? どうした?」
この人が。音無先輩が。俺のことを認めてくれた。
それだけでもう全部、どうだっていい。
「いや、別に。あ、それよりせっかく来たんだし、先輩も何か俺におすすめのCD教えてくれませんか? 俺もそれ買うんで!」
「えぇ……? やだよ面倒くさい」
「いやいや、人に聞いといてそれは流石にないでしょ」
「ちっ。仕方ないな……じゃあ、選んだ。これでいいだろ。ほら」
「早! ありがとうございます!」
手渡されたCDを確認する。
さて先輩は俺に一体どんなCDを選んでくれたの、か。
「……」
筋肉モリモリマッチョマンの男が四人、決めポーズをとっているものすごいジャケットが俺の目に飛び込んでくる。これあれじゃん。漢の中の漢にしてヘヴィメタルの中のヘヴィメタルバンドのマノウォー先輩じゃん。
歩み寄ってくれてると思ったのにめっちゃ突き放してきてませんかねこれ。それとも何かの暗喩なの? これ聞いて筋トレでもしろってことなの?
「あの、ちなみにこれ他に別の選択肢とかって?」
「ない」
「そっかぁ……」
ないのか。
さよなら俺の三千円。よろしくメタルの大兄貴たち。
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