第五話「サークルゲーム」
◇
現在、うちのバンドの練習日は週三~四回になっている。
自宅練習場のある五十嵐の家は少々遠いので基本土日の午後に使わせて貰っている。軽音の部室を使えるのは週一回一時間とかなり短いので、それ以外の平日練習は普通のバンドと同じように、街にある貸しスタジオを使う。
というわけで俺達は都市部にある「B7」という古いスタジオに足を運んでいた。青く塗られた外壁がトレードマークで、学生料金が一時間900円と格安なのが嬉しい。少々狭くて埃っぽくてヤニ臭いのが難点だが、これもある意味風情だろう。
俺が響と個室の重い扉を開けると、他の二人は既に準備を始めていた。
「すみません、ちょっと遅れました」
「あ、やっと来やがった。三分遅刻だぞこの野郎ども……って、うわ!? こ、コイツ急にどうした? やけに落ち込んでるけど」
「ああ。さっき少し色々あったので、あんまり触れないであげてください」
「違うんだ……俺はただ……あんなことになるはずじゃ……ブツブツ……」
先刻の大惨事を引きずって苦悶し続ける俺だったが、流石にそろそろ切り替える。謝罪アンド謝罪を決め込んだ後、手早く自分の機材の準備を終えた。
「……えーとじゃあ、とりあえず今日は、こないだ触りだけやった
「了解」「わかりました」
五十嵐のカウントで、四人一斉に音を合わせる。曲名は「グリーンマイル」。一週間前くらいに作った俺のオリジナル曲。ロックってよりはカントリー的な、ゆったりとしたテンポで進む歌モノの曲だ。
基本的に俺の曲作りは『
一度通しで曲を確認した後は、適宜演奏を止めながら曲のアレンジを吟味する。
「……よし。じゃあまずどっから手つけっか。俺的にはイントロのギターフレーズ、ちょっと何か考えたいんだけど」
「それよりもまず、ドラムのパターンですかね。サビの所をもう少し――」
編曲の主軸になっているのは俺と響で、俺がああしたいこうしたい等ふわっとした要求をすると、響がそれを具体的に音に表したり言語化して纏めてくれる。オリジナル曲制作に関しては俺も五十嵐も素人同然なので、経験者の響の存在はかなり大きかった。まさに我がバンドのブレーン、大黒柱。少年漫画だったら有能すぎて封印されるタイプか中盤で裏切って絶望に叩き落してくるタイプ。たぶん。
まぁそんな感じで、編曲作業を繰り返している間に、気づけば時刻は18時前。
今日は二時間借りているので、ちょうど一区切りの時間になった。
「んー……」
一度アンプのスイッチを切り、俺は顎に手を当て考え込む。
今の所の手応えとしては、まあまあ。それなりに形にはなっている、が。
「……響。ぶっちゃけ、どう思う? この曲」
「どうって、オレは良いと思いますけど。先輩は違うんですか?」
「いや、もちろん良いと思って持ってきてっから当然良くはあるんだけど、……なんかこう、ちょっと地味っつうか……冴えないっつうか」
「アタシも、普通に良いと思うけどな。確かに少し地味かもしんねえけど、別にこういうもんだろ? この手の落ち着いた曲って」
「アルバムでいったら、リード曲の間に箸休め的に入ってる感じの曲ですよね」
「そうそう。響の言う通り。野球で言ったらまぁ、七番打者的な」
「おいおい五十嵐。流石に七番はねえだろ。そこはせめて二番とかじゃねえ?」
「ハッ。知らねえのかお前、最近のMLBは二番にホームランバッター置くんだぞ」
「え、ま、マジで!?!? 二番って足速いバント職人置くんじゃねえの!?」
「一体なんの話をしてるんだろう……」
顔をしかめる響くん。コイツに野球ネタは通用しないんだった。
まぁともかく。五十嵐の言ってる通り、この曲は俺が夏の大会に向けて作ろうとしてる四番打者じゃないってのは確かだ。実際それ用に作ったわけじゃない。
だけど、それでも何か引っ掛かる。この曲には何かが足りていない。
形とは十分成立しているんだが、例えるなら、色のない線画のような、ソースのかかってないタコ焼きのような。
そう。大事な何かを、いや誰かを、忘れているような――。
「……そういやさっきからずっと黙りこくってるけど。お腹でも痛い? 姉貴」
「……ん? あぁ!!」
響のその声で気が付いた。俺はすぐさま、横に居るその人に視線を投げる。
ひとたびエレキギターを掻き鳴らせば肉を裂き骨を断ち血の雨を降らすその人が、何故か今日はその悪魔的威容を薄れさせていた。
「楓先輩。大丈夫ですか? もしかしてどっか体調悪いとか」
「別に。どこも悪くないけど。喉は乾いた」
「先輩先輩! 俺ちょっと走って何か買って来ましょうか!」
「いいよ。後で自分で買う」
「だってよ高宮。ハウスハウス」
しょぼくれる俺に目もくれず、音無さんはギターのボリュームを小さく絞りながら、真剣な面持ちで足元のエフェクターボードを弄り回す。
「……姉貴。自分で分かってるとは思うけど、」
「……分かってる。いちいち言うな」
「……ならいいけど」
何やら意味深なやり取りを交わすと、響は溜息を吐いて俺の方に向き直る。
「高宮先輩。アレンジ詰めるのは一旦ここまでにして、残りの時間、ちょっと違う事やってみませんか?」
「ん? ああ。別にいいけど。違う事って?」
「ジャムセッション、ですね」
ジャムセッション。いわゆる即興演奏。あらかじめ軸にする曲やリフ、あるいはキーやコード進行を決めて、後はアドリブで曲を回していくっていう、例のアレ。
「先輩、作曲に悩んでるって言ってましたよね。だったらセッションは良い気分転換になりますよ。良いインスピレーションを得られるかも」
「ああ。いや実は俺もちょっと興味あったんだよな、セッションでの曲作り」
今まで俺がしてきた作曲は、メロディと詞を軸に延々と一人で捻り出す作業だった。なのでどうにも手癖が出てしまいがちというか、気づけば似たような歌モノの曲ばかり作っていたり、風通しの悪い閉塞感に悩まされている所があった。
しかしセッションならどうだろう。ギターリフやコードを軸に、複数人で伴奏から音楽を作っていく発想。歌よりもまずサウンドありき、即興で一瞬を作りあげていく究極の『曲先』。歌メロという指標がない時、うちの楽器隊はどういう風に動くのか。どんな化学反応を起こすのか――もう新しい風が吹く予感しかしない。
「……よし。じゃあ残りの時間は、それでやってみるか!」
最初はまず音無さんが持ってきたギターリフを軸に始める事になった。
未経験の俺は響から基本的なルールと流れを教わった後、いざ実践へ。
それから二十分後。
(なんだこいつら……?)
俺は完全に白目を剥いていた。
呟きは轟音にかき消され、俺の耳にすら届かない。
いかにもHR/HMめいた重いリフを軸にする音無さんのギターフレーズの引き出しはまさに無限の宇宙そのもので、それに追従する響のベースはギターがバッキングにシフトした途端に暴れ出す。息ぴったりなのにいつ喧嘩してもおかしくなさそうな二人をギリギリで繋ぎ止めているのが五十嵐のドラムで、パターンを変えながらも決してモタつかず、緊迫した疾走感を保ち続けている。
……。いやなんかもう、この三人だけでいいんじゃないかな? 十分にインストバンドとしてやってけるだろ。気づけば俺は自分のギターから完全に手を離し、茫然と目の前の光景に見惚れていた。
(――、そういやそうだった)
そして気づく。そうだ。これが、本来のうちの演奏隊だった。
あの体育館のステージ上、互いを飲み込まんと荒れ狂う双頭の怪物。迸る稲妻。鳴り止まないキラー・チューン。焦げ付くような生命の
圧倒される反面、あらためて実感する。
コピーしたあの曲たちのパワーに、どれほど助けられていたのか。
いかに俺の曲が、この強烈な個性達を殺していたのか。
特にあの、あんなにも壮絶な音を奏でられるギタリストを、俺は――。
「……。ダメだな」
その一言で、我に返る。
呟いたのは音無さんだった。マーシャルアンプのスイッチを切りながら、納得のいかなそうな顔で視線を落とす。俺が呆けてる間にセッションはもう終わっていて、他の二人は汗が浮かんだ顔を腕で拭っていた。
「……あ、す、すいません。俺のギター途中から全くついていけなくて」
「別にそれは関係ない」
「え? じゃあ何がダメなんですか?」
「これじゃまるっきりメタルだろ。このバンドに合ってない」
確かに、途中からリズムもリフも完全に高速スラッシュメタルだった。ザクザクと重く鋭いギターリフそのものに特化した音楽。ここに歌を乗せろって言われたら確かに、今の俺の引き出しじゃ厳しいものがある。
「じゃあ、姉貴は高宮先輩のギターの後に入った方がいいんじゃないかな。多分その方がしっくりくる流れになると思う」
「そっか。じゃあ五十嵐、次もうちょい速度落とした8ビートで。まず最初に俺が弾くから、響と音無さんは適当に、好きなタイミングで入ってもらう感じで」
「分かった」「分かりました」
五十嵐がスティックを持ち直し、響と音無さんが同時に頷く。黄色いレスポール・スペシャルのネックを握りこみ、俺は手元のボリュームを上げる。
リフってほどの大したもんでもないけど、「良い」って感じたフレーズはいくつか持ってきていた。歯切れよくカッティングでコードを鳴らし、ダブルチョーキングを絡めた手癖のフレーズを響かせると、五十嵐はすぐにそれに合わせる。一定の流れを掴んだ後、響のベースが入ってきて、一気にグルーヴ感が熱を帯びる。
(よし――)
なんかいい感じだ。あとはここに音無さんが入れば――。
それとなく視線を投げるが、しかし。
(……?)
音無さんは棒立ちのまま動かない。見れば、アンプのスイッチは切られたまま。ほどなく手詰まりを起こし、セッションは中断。
「あの、音無さん。どうかしましたか」
「姉貴、アンプのスイッチ入ってない」
「知ってる」
「じゃあ、なんかほかにトラブルでも?」
「いや、……それより。今のをもう一回、三人でやってみて」
「……? はい。じゃあ」
◆
一歩退き、改めて。
私はこのバンドの全体像を俯瞰する。
だけどやっぱり高宮のギター、特にあの妙な手くせは少し厄介だ。
まず左手。ハイコードの抑え方が普通と違う。人差し指を立てるんじゃなくて、ネックを握りこんで親指で六弦を抑えるシェイクハンドスタイル。それ自体は別にどうでもいい。ただ六弦と一弦の抑え方が甘く、ところどころ音が尻切れになっているのが格好つかない。正直凄くイライラする。
それから右手。腕の振りが無駄に大きいせいで時々弦をスカしている。ピックの角度も一定じゃないから出音が安定していない。ソロフレーズを弾く時も、他の弦のミュートが甘いからいちいち音像がブレている。
やっぱり普通に下手糞だ。というか雑だ。初めて見た時からずっと思っていたことではあるけれど。練習の仕方が良くないのか、悪い癖がついてしまっている。同じバンドに居る人間として直面してみると結構、深刻な問題に思えてくる。
(――まあ、それ以上に深刻なのは)
私の、ギターの方なんだけれど。
響が睨んでいた通り、私はまだ全くこのバンドに適応できていない。
理由はハッキリしてる。私の偏った音楽嗜好と、高宮の持つ個性の食い違いだ。
私たち二人はたぶん、好きなものや影響を受けてきた音楽が根本的に違う。どんなバンドが好きか、どういう音が好みか――そもそもそういう共通認識が曖昧な上、私には知識が、高宮には技術がそれぞれ足りていない。つまりお互いが得意な土俵で出せる手札が不足しているのだ。そこに付け加えて、互いが遠慮がちで上手くコミュニケーションが取れていないのもある。
だから、いまいち噛み合わせが悪い。
(……とりあえず、解決策としては)
まずギターを一本にする。高宮にはボーカルに専念させて、私が代わりにギターを弾く。あいつが弾こうとして弾けてないアレを私なら完璧以上のものにできる。そうすれば一応、バンドとしての形は整うはずだ。
「……」
しかし、それでいいんだろうか。弾けと言われたものを弾く――そんな事で済ませてしまうのは簡単だ。バンドの真価はメンバーそれぞれの個性が生み出す「化学反応」にある。音と音が思いがけず重なり合うその瞬間に、音楽に魔法はかかる。
重く激しい音が好きだ。だからバンドをやるならヘヴィメタルかハードロックしかありえないと、そんな風に昔は本気で思っていた。だけれど――前のバンドのヴィクトリカを辞めたあの日以来、ずっと思っていたことがある。
私の持つそのこだわりには、一体どれほどの意味があるのか。
例えばポップスでも、そこに色んな要素を入れることができる。ジャズのシャッフル、ラテンのリズム、クラシックの旋律。ヘヴィメタルのエッセンスだって、噛み砕けばそこに入れられないはずはない。
自分の音をバンドに落とし込む。それこそが、プレイヤーに求められる資質なんじゃないのか。あの時、私はその責務から逃げただけなんじゃないのか。
『――歌えないなら、俺が代わりに歌いますよ!』
あの夜、こいつが言った言葉を私は忘れていない。
返した言葉を、無かったことにするつもりもない。
だから私がやるべき事なんて、一つしかない。
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