第二話「あなただけ見つめてる」

                  ◆


「そういえば音無おとなしさんって、進路はどうするの?」


 昼休みの三年教室。一ノ瀬綾香いちのせあやかは藪から棒にそう言った。

 私は野菜ジュースのストローから一度口を離し、もう一口飲んだ後、息を吐く。


「……一ノ瀬ってたまに、急に重めの話題ぶちこんでくるよな」

「え、そう? そんなに重いかなこの話題?」

「……そうでもないか」


 実際そうでもない。季節はもう六月、とっくに進路希望調査票は配られてる。

 だけどギターだのバンドだの、将来設計を夢見がちな方で生きてきた挙句に、つい最近まで自殺することばかり考えていた私のような人間にとっては、進路という言葉はあまりに現実的すぎて、いささか気の遠くなる話題ではある。


「音無さんって結構勉強できるよね。だからどうするのかな、って」

「どうって、別に。今のところは決めてない」

「そうなんだ。ちなみに二年前は?」

「二年前?」

「夏休みまでは学校行ってたんでしょ? その時はどうするつもりだったの?」

「ああ」


 二年前。つまり私がまだ同学年の国枝舞子くにえだまいこや一つ下の後輩の金子かねこ姉妹とバンドをやっていた頃。父親の死とその後のいざこざで、一年半も休学する以前の話。

 

「その時は、確か――」


 音楽で食っていくと本気で考えていた時期のことだ。だから進学する気はなくて、金子姉妹が卒業するまでの一年間は地元でバイトして金を貯め、その後に四人で東京に出ていこうなんていう展望を描いていた。しかし母親が成績がいいんだから大学に行け、将来の事をもっと考えろとかなんとか言って来て、それから――。


「……」


 父さんが死んだあの夏の、嫌な思い出が頭を過ぎる。

 別に今更それはいい。引っかかったのは、別の事。


「……音無さん?」

「……いや、なんだったかな。もう覚えてない」

「そっか」

「一ノ瀬はどうするんだ?」

「私? 私はまぁ、普通に進学かな」

「ふーん」

「あ、興味なさそう。どこ狙ってるかとか聞かない?」

「じゃあ、どこ狙ってるんだ?」

「秘密」


 悪戯っぽく一ノ瀬は微笑む。どうもこいつ最近、私をおちょくることに楽しみを見出してる節があるな。――まぁ、嫌じゃないから別にいいんだけど。


「音無さんの進路が決まったら、教えてあげよっかな」

「あんまし興味もないけどな」

「あはは。でも、音無さん。高宮くん達とバンドやることにしたんでしょ? だったらちゃんと先の事考えてあげた方いいんじゃない? 今年卒業しちゃうんだし」

「……そうだな」


 あのバンドは、ロックスタディは。まだ結成して一か月もない。正直どこまで続くのかわからないし、あっさり解散してしまいそうな気さえする。

 だけど一ノ瀬の言う通り、考えておくべきなんだろう。とりあえずやってみると決めたとはいえ、ケジメはきっちりつける必要がある。

 ジュースの残りを一気に飲み干し、紙パック潰してゴミ箱に放り込む。

 少し、頭を冷やしたい気分だった。


「ちょっと手でも洗ってくる」

「あ、うん。いってらっしゃい」


 教室を出て、廊下を歩きながら、ぼんやりと先の事を考える。


(あいつは、どうするつもりなんだろう)


 高宮太志。一年下の後輩。死にかけていた私の感情を掻き回し、無茶苦茶な勢いと馬鹿みたいに暑苦しい言葉を吐いて、私を音楽に引っ張り戻した奴。 

 あいつは、音楽で食っていくつもりなんだろうか。今のバンドでプロを目指すつもりなのだとしたら私も迷う必要はない。先の進路は容易に絞れる。――けれど。


(それでいいんだろうか)

 

 あいつらの存在が、私の心に、変化を及ぼしたのは確かだ。

 しかし私の抱えている本質的な問題は何も変わっていない。

 

 私は、常に誰かに依存して生きている。


 かつては父さんや舞子に依存して、それを自分の生命線にしてきた。今ある現状は結局のところ、それが高宮たちに入れ替わっただけの話じゃないのか?


(……まあ別に)


 それも今更、どうでもいいか。 

 所詮自分なんてそんなモノなのだと、開き直ってるのが今の私だった。

 必要とされるなら、出来る範囲でそれに応えるだけ。

 しょうもない生き方と言われようが、別に知った事じゃない。

 

 女子トイレに入り、洗面台の蛇口を捻る。冷たい水で手を洗いながら、ふと、さっき一つ引っかかった事について考えを巡らせた。

 

(そういえば、舞子たちあいつらは)


 何故まだ、地元に残っているのか。

 二年前に話し合った時は、全員卒業したら東京に出てバンド活動をしていくという話になっていたはずだった。いくらここが東北で最大の都市とはいえ、当然東京に比べればアマチュアのバンドシーンの活気は雲泥の差で、あえて地元に残ってバンド活動を続ける意味は薄い。活動に行き詰まって、一人抜けてしまった状況というなら尚のこと、新しい環境と出会いを求めて、地元を離れる方が自然なはずだ。


 なのに何故あいつらは、まだこの街にいる?


(……。考えすぎか)


 自意識過剰にもほどがある。金子たちはほんの数か月前にこの高校を卒業したばかりだ。資金が貯まるまで、しばらく地元に残っていても何も不思議じゃない。

 だが、本当に仮にもし。その自意識過剰が、真実だとしたら?

 私は、……


「――人生に迷っているようね、音無さん」


 突然、横から声を掛けられる。一体いつからそこに居たのか。

 隣の洗面台の前には、見慣れない金髪の女が立っていた。


「迷う事はいいことよ? 何も選ばないより、とりあえず選ぶのもいいこと。だけれど、――


 何だ? こいつは。急に何を言っている? そもそも何故私の名前を知ってる。

 リップを塗り終えると、金髪の女は私の方に向き直り、不敵な笑みを浮かべた。


「ねえ。音無さん? 今の自分についてどう思う? 本当に貴方はそこに居るべきだと思う? 自分にはもっと、相応しい場所があるとは思わない?」


 改めて、私はそいつの姿を見た。腰まで届く長い金髪、ルーズに着崩したワイシャツの胸元と袖には高級そうなアクセサリーが煌き、異様に短いスカートからは長く白い脚が伸びている。一見して下品と言っても差し支えない格好なのに、妙に様になっているのは私よりも高い身長のせいか、海外のセレブが掛けてるみたいなでかいサングラスのせいか。一つはっきりしてるのは、やはり見覚えは全くないという事。


「何かを為したいのなら独り善がりはやめろ。何かしたいのは自分だけじゃない」

「……?」

「いつか誰かに、そんな事を言われなかった?」


 確かに聞き覚えのある言葉だ。けど、あれは。


「……誰だ? お前」

「……さあ? ふふ。まあいいわ。今日のところはこれくらいで。――また会いましょう。私のプリモウォーモ」


 すれ違いざま私の耳元でそんな台詞を囁くと、謎の金髪女はさっさと歩き去って行ってしまう。


「……なんなんだ、あいつ」


 薄気味の悪い。ただ本能的に分かることが一つ。


(……変態やばいやつだな、あれ)


 経験からいってそれは間違いない。

 意味も無く学校でサングラスを掛けてるような奴にろくな奴は居ないのだ。


 二度と関わり合いになりたくない、と思いながら。

 そういうのに限ってまた会う事になるんだよな、と。

 廊下に出た後、私は大きく溜息をついた。


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