第二部

第一話「名前のない怪物」

                 ◇


「やっほー! 高宮たかみやくん! それにひびきくん! おはよう!」

「ああ。おはよう」

「おはようございます」

「やー今日はいい天気だね! でも午後は雨が降るとか降らないとか? 雨ってほんと嫌になっちゃうよねー! 僕なんか癖っ毛だから髪の毛くるくるになっちゃうし! ほんと参っちゃうよ! あっははは!」

「あっははは」

「あ、ところでこないだの話だけど、考えてくれた?」

「ん? ああ。ところでその前に一つ聞きたいんだけど」

「うん! なに?」

「えっと、ど、どなたでしたっけ?」

「は、――――」


 6月上旬の朝。いつも通りの通学路。見上げれば晴れ渡る、清々しい青空。

 見知らぬ女子と顔を見合せたまま、何だか気まずい空気が流れる。

 いや、本当今さら申し訳ないけども。そろそろ聞くべきなのかなって……。


「え、えぇ!? うそ!? 覚えてない!? ほら僕、去年同じクラスだった」

「ああ! ……ええ……と……え?」

「え?」


 今度こそ絶句だった。――やばい。本気で分からない。いや待て落ち着けちゃんとよく見ろどっかで見覚えがあるはずだ。

 まず背は160後半くらいありそうなほど高く、栗色に染めた長い髪が印象的だ。後ろで一纏めにされたそれが歩くたびに尻尾のように揺れる。くりっとした大きな目もあいまって、それは悪戯好きの猫みたいな印象を与え、キラッキラに明るいオーラが全身から迸っている。……うん。なるほど。そこから導きだせる答えは一つ。


 全然分からん。

 いやほんとに全く見覚えがねえ――!


「ご、ごめん、名前聞いてもいい?」

「えぇ……」


 滅茶苦茶嫌そうに顔を顰める。いや言いたくない気持ちはわかるけども。


「ま、まあまあそう言わずに! 最初、最初の一文字だけ!」

「……。じゃ、じゃあ、ひ!」

「ひ、……日蔭茂井ひかげもいさんか!? 小学生の時、同級生だった!」

「全然違うよ!? ってかそれどんな苗字!?」

「……!? もしかして、オレの中学時代の知り合いだった彼岸島ひがんじま先輩――?」

「それも違うっ! ってかそれもどんな苗字!?」

「あああ! じゃあせめて一個! 一個だけ! 何かヒントお願いします!」

 

 謎の女子は気まずそうに顔を赤らめると、やがて声を震わせながら言った。


「こ、これ言っちゃったら、も、もう答えみたいなもんだけど……二位だよ! こないだの軽音のライブで、二位だった――」

「……こないだのライブで」「……二位!?」


 俺と響が顔を顔を見合わせると、謎の女子はぱあっと顔を明るくさせた。


「あ! やっと気づいてくれた? これで、僕が誰だか――」

「…………。」「…………。」

「え、何その悲しそうな表情……。え? 二人共ぼくのライブ、見てた、よね?」

「いや、あの……俺らその日、出番くるまで教室に居たから……」

「見れてなかったですね……」

「…………。」


 今度こそ絶句だった。

 死ぬほど気まずい沈黙の中、隣に立つ響がぼそりと俺に耳打ちしてくる。


(先輩、流石にフォローしきれないです。オレもう逃げるんで一人でどうぞ)

(無茶言うなチクショウ! どうするってんだよこの空気!)

(いや、そもそもなんでこんな存在感のある人のこと覚えてないんですか。同じクラスだったんでしょ? 誰? っていくらなんでもひどすぎますよ)

(だって本当にわかんねえんだもん仕方ねえじゃん……!)


 流石に俺でも去年のクラスメイトの顔と名前くらいは憶えてる。しかし本当にこんな女子のことは見覚えがなかった。向こうは、俺のことを知っているようだが。


「……あ、そ、そうだごめん! ぼ、僕急がないといけないんだったー! じゃあ二人共また今度ね!!」

「は? いやちょ待て! ここまで来たらもう流石に名乗っ――!」


 引き留める間もなく、謎の女子は嵐のように走り去って行ってしまう。


「……行っちまったよ。何か凄え申し訳ねえ気分だ……結局誰だったんだか」

「さあ。……ところで先輩、さっき言ってた、こないだの話っていうのは?」

「ん? ああ。なんかあのライブの後何回か話しかけてきてさ。よかったらバンドの練習見せてくれないかって。今んとこ適当にはぐらかしてんだけど。……正直、今こっちそれどころじゃねえしなぁ……」

「ああ。まさかまだ引きずってるんですか? 先週のライブハウスの事」

「……まあな」

 

 あの体育館ライブの後。一週間でオリジナル五曲入りのデモテープを完成させた俺達は、響のツテで、「モッキンバード」という小さなライブハウスでブッキングライブをすることになった。ところがそこそこ人は入ったものの体育館ライブの時が嘘のように盛り上がらないという、なんとも苦いデビュー戦となったのだった。


「大丈夫ですよ。オレも前のバンドの初ライブはガラガラだったし」

「うん。まぁ俺もそこは覚悟してたからいいんだけどな。ライブハウスの雰囲気とか確かめる意味でも良い経験できたと思う。けど。……この先も、あの盛り上がりだと、現実的にチケットノルマの問題がさ」

「ああ」


 チケットノルマ。それはアマチュアバンドがライブ活動をする上で避けて通れない切実な問題だ。客の入りが少ない=ノルマをこなすため自腹を切らなければいけないという関係上、人気のないバンドはライブの頻度をそう簡単には増やせず、知名度もなかなか伸ばせないという悪循環に陥る。友人や知り合いにチケットを売りつけても、買ってもらえるのは最初のうちくらいで、そのうち煙たがれるようになってしまうというのもありがちな話だ。


「真面目に、どうすりゃいいんだろ。響、経験者的にはどう?」

「んー……まぁ、曲と演奏のクオリティを高めるのは当然として。結局地道にやるしかないと思いますね。継続は力なり、って割とほんとの事だと思うし」

「継続、か。つってももどかしいよなぁ。何か手っ取り早い方法とかねぇもんか」

「ないですね。強いて言うならうちはまだ曲の数も少ないし方向性も曖昧なので。何か一つバンドの印象を決定づける強烈な一曲を作る。これが最優先事項かな」

「あー確かに。『これだ!!』って一曲を作りてえよな。あと他になんかある?」

「んー、先輩が全裸でアナーキーインザUKを弾いてみた動画をアップするとか?」

「オメー急に何言ってんだ!?」

「最近の世の中、炎上商法というものが流行っているらしいので」

「炎上どころか俺の人生が焼失するわ!」

「大丈夫ですよ。そうなったら先輩を外して三人でやっていきますから」

「お前まだその陰湿な企み持ってやがったの!?」


 それはいい加減捨てとけや! 普通に怖すぎる!


「まぁ冗談はさておき――割と近くにあるじゃないですか。有名になる為に手っ取り早い方法が」

「何だその笑いは……またろくでもねえ方法じゃねえだろうな」


 俺が眉間に皺を寄せると、響は涼しい顔で言ってのける。


「軽音の全国大会で優勝する。あのハルシオンを、今度こそ完璧に打ち負かして」


 口元は笑ってるけど、目は笑ってなかった。


 ハルシオン。俺達の通う高校の軽音部長・三好晴臣が率いる三年生バンド。

 全国大会二連覇の実力は本物で、地元では最強の高校生バンドとも名高い。

 数週間前、俺達のバンド『the rock study』は夏の県大会の出場枠を争う軽音楽部内の選抜ライブでその『ハルシオン』に戦いを挑み、辛くも三位という結果に終わってしまったのだった。

 ――あの対決の後、一番勝敗を気にしていたのは実はこの響だ。他の二人は勝敗なんてどうでもいいってスタンスだったけど、コイツだけはいつまでも感想ノートを眺め続け、澄ました顔の上に、ぞっとするような闘争心を滲ませていた。


「三好先輩に勝つ、か。……そういや俺が最初に言い出したんだっけな」

「そうですよ。まさか忘れてたんですか」

「ぶっちゃけちょっと忘れてたわ」

「おい」

「ははは。まぁ、だけど」


 だけど、俺はお前のそういうところが大好きだ。

 だって、俺もお前と同じくらい根っからの負けず嫌いだから。


「……最ッ高にシンプルで良いアイデアだ。その線で行こうぜ、響!」

「……そう言うと思った」


 俺が指を鳴らしてニヤっと笑うと、響も悪ガキのような笑顔を見せる。


「……ん? あれ? でもちょっと待てよ? 俺ら選抜ライブで負けたのに、どうやって夏の大会に出んだ……?」


 すげー今更な事に気づいたけど、どうすんのこれ? もしかして本末転倒では?


「あれ? 知らないんですか? 全国大会って音源審査の参加枠があるんですよ。県大会とかがない地区用の枠と、単純に音源の出来で選ぶ推薦枠っていうのがあって」

「あー。じゃあ県大会すっ飛ばして、その推薦枠ってのを狙うってことか。成程」

「オレ達が二位取れてたら一応、県大会にも出れたみたいなんですけどね。一校あたり参加枠二つまで取れるらしいので」

「へー。そう聞くとなんか、ギリギリ二位に負けたの改めて悔しいな……」

「ですね。……どんな音楽を演ったんだろう。さっきの先輩のバンド」


 確かに、それは俺も気になる。あのライブの出来にはかなり自信あったし、正直ハルシオン以外のバンドは目じゃないと思っていたんだが。あの謎の女子といい、二位の奴らは一体何者なんだろう。


(……でも)


 あいつの、あの、猫の尻尾みたいに揺れる長い後ろ髪。

 あれだけは――どこかで見た覚えがあるような。


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