第三話「あんなに一緒だったのに」
◇
「ああ。それ姫路だろ?
「……姫路、瑞貴?」
思わぬ答えに、箸を止める。
昼休み。俺は二年B組の教室でいつもの面子と昼飯を食っているところだった。
「……それって去年、俺の前とか隣とか後ろに座ってたあの姫路?」
「こないだのライブで二位だった奴だろ? じゃあその姫路だよ」
「え、高宮。一年も同じクラスだったのにほんとに顔覚えてないの?」
俺が指で眉間を抑えながら考え込むと、いつも柔和な表情の
「マジかよコイツ」
「姫路、かわいそ……」
「い、いや待て待て待て! 姫路って、去年あんなだったか!? 俺の記憶じゃ、もう少しこう……」
「あー、まぁ確かに見た目は凄ェ変わったよな」
「結構二年の間で話題になってたもんね。え、あの子誰!? みたいな感じで」
「マジか……」
全然知らなかった。俺の記憶だと去年の姫路の見た目は黒髪に黒カーディガンに黒タイツの黒尽くし。更にゲゲゲの何太郎みたいな前髪と何故か年中巻いてるマフラーで顔がほぼ隠れてて、後ろ髪を三つ編みにしてたとかそんな感じ。
「ちなみにお前らは姫路たちの演奏見たんだろ? どんなだった?」
「ああ、ピアノのソロの弾き語りで何曲か? ジャンルは結構バラバラだったけど、めっちゃよかったよな、あれ」
「うん。マジでびびったよね。姫路ってめっちゃ歌上手かったんだな~って。俺最後の方ちょっと泣きそうだったもん」
「な、何だそれクッソ気になる……! ……ん? ってか安藤、今お前ピアノのソロの弾き語りでとか言った? 姫路って、バンドで出てたんじゃねえの?」
「いや、ピアノ弾きながら一人で歌ってた。他のメンバーとかはなし」
思わず、俺はぽかーんと口を開けてしまった。
「え? 一人、って……マジで?」
「うん。あ、でも姫路って去年の文化祭は確かバンドで出てたよね?」
「出てた出てた。けいおん!のコピバンでドラム叩いてた」
「ああ。そうだそうだ! 姫路ってドラムだったよな。今思い出した……いや、そんなことより、待てよ? ってことはもしかして俺ら、姫路一人に負けたって事?」
「ま、そうなるわな。ぶっちゃけ俺も姫路に一票入れたし」
「あ、安藤も? 実は俺も」
「あぁん!? おいどういうことだテメェら! 友情はどうした友情は!」
「俺は忖度はしねぇ主義なんだよ。まぁ、お前んとこも良かったけどさ」
「うん。僅差だよ僅差。ロックスタディもかっこよかったよ。高宮のボーカルめっちゃ熱かったし、他のみんなも、なんか凄すぎて笑っちゃったし」
「でも姫路の方は一人であれってのがな。俺的にはそこがポイント高かった」
「あー。まあ実際一人でってのは……」
一瞬、想像する。
もし俺が五十嵐に。響に。音無先輩に。誰にも出会えなかった世界線を。
「……確かに、すげえよな。一人で演奏して、二位か」
たった独りで。あのステージの上に立つ重圧は俺にはとても計り知れない。
だからこそその事実に惹きつけられる。軽く、嫉妬さえ覚えるほどに。
だってそんなの、最高にロックだ。――カッコよすぎるだろうが。
「俺も聞いてみてえな、姫路の歌。よし、ちょっと今から頼みに――」
「……誰が、誰に話しかけに行くって?」
「ん? ……ゲェーッ! 五十嵐さん!? 居たの!?」
「いや居たよねさっきから……?」
「後ろの方でフツーにいつもの三人で飯食ってたよな……」
聞き覚えのある声に後ろを振り返ると、そこには金髪で目つきの悪いヤンキー……もとい我がバンドが誇る凄腕ドラマー・
「おい。もっかい聞くぞ高宮。今から、誰に、会いに行くって?」
「え、えーと……だから、去年同じクラスだった姫路さんに……?」
「……何かアレ、浮気がバレて詰められてるみてーな絵面だな」
「……ぶふっ! リカ、マジそれな! ちょーウケる!」
黙ってろや伊勢海老コンビ! しかし実際、今日の五十嵐は他の女子生徒よろしく涼し気な夏服姿なのに、心なしか威圧感が二割増だった。いつもと違うポニーテールな髪型で、身長が微妙に高く見えるせいだろうか。
「…………はぁ」
ひゅーひゅーと冷やかしてくる伊勢崎さんを横目に五十嵐は大きく溜息を吐くと、面倒くさそうに頭を掻きながら俺に向き直る。
「……あのな。実はアタシ去年、姫路にちょっとだけドラム教えてた事あんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。……まぁほんとにちょっとだけど」
そういや五十嵐は去年の今頃は金髪ヤンキーじゃない普通の外見で、数少ないドラム経験者ってことで軽音楽部の初心者たちに引っ張りだこだった。
「だからアタシ、姫路の事割と知ってんだけど……あいつ結構繊細っていうか、人見知りっつうか。お前みたいな騒がしいバカが絡むべきじゃねえっつうか」
「騒がしいバカ……? え、お、俺が……?」
「そこは疑問を挟む余地ねえだろハゲ」
「はい」
断じてハゲてはないけどそこは、はい。
「……とにかく、アイツの事はそっとしとけ。独りが好きで、他人が煩わしい奴ってのも、この世には居んだよ。お前だって、分かんねえ話じゃねえだろ?」
「……ああ」
確かに。俺にもそういう時期はあった。何なら、今だってたまには。
「だったら余計な面倒かけんなよ。あいつの平穏を、邪魔すんな」
「……五十嵐。そうだな。……お前が、そこまで言うなら」
神妙な面持ちの五十嵐を前に、俺は全てを理解した顔で頷いた。
◇
「……というわけで響。準備はいいな!」
「……いや、準備って言われても」
放課後の二年廊下。俺はあらかじめ呼び出していた響と階段近くの壁に隠れる。
「一応メール読みましたけど、一体どういう事なんですか」
「あん? どうもこうもねえよ。俺が前衛。お前は後衛。朝っぱらから話しかけてきたあの女に”挨拶”に行く。ミッションは以上だ。アイコピー?」
「いやアイコピー? じゃなくて。五十嵐先輩に止められてたんじゃ?」
「確かに止められたは止められた……が、俺は行かないとは言っていない――!」
「最低だなこの人……」
「まあ冗談はさておきだな、真面目に俺、今朝の事ちゃんと謝っときたいんだよな。誰? とか流石に酷すぎたし。……それに一つ、ちょっと気になる事があってさ」
「気になる事?」
「五十嵐も言ってたけど、姫路って本来かなり大人しい奴のはずなんだよな。でも、今朝のあいつってさ」
「ああ。真逆、って感じでしたよね。むしろフレンドリーっていうか」
「うん。……だからまあ、五十嵐が言うほどの事はないと思うんだよな、多分」
「なるほど。それは分かったんですけど……オレは何で呼ばれたんですか?」
「ああ。話が上手くいったら、姫路にちょっと演奏見せて貰えないか頼んでみようと思っててさ。ほら、お前もさっき聞いて見たいって言ってただろ? 俺だけの為にってんじゃアレだし、一緒に頼んでくれねえかなって」
「ああ。そういうことか。なら普通に付きあいますよ」
「うし。んじゃ五十嵐に見つかる前に、行くぞ! GOGOGO!!」
「別に見つかってもいいと思うけどなー……」
それはまぁそうなんだが、何となく流れで頷いちゃった手前致し方なし。まぁ五十嵐には後で説明すれば問題ないだろう。
適当にその辺の生徒から姫路のクラスを聞き出し、俺達はA組の教室へ向かった。
「えーと姫路姫路……ってあれ? 居ねえ」
しかし姫路の姿は教室になかった。近くの生徒に話を聞くと、どうやらホームルームが終わったらすぐに教室を出て行ってしまったらしい。
「もう帰っちゃったんですかね」
「んー、かもなぁ。……まぁいいか。今日は俺らも五時からスタジオで練習だし。ちょっと早いけど、部室で楽器回収してこようぜ」
A組の教室を離れ、そのまま二階の部室棟に繋がる渡り廊下へ移動する。
その時――耳に飛び込んできたその音に、俺と響の足が止まった。
「……なんだ、この声?」
「……聖歌?」
そう。それはまさしく聖歌のような――神々しい光のような歌声だった。
重く荘厳な響きはどこか物哀しく、幻想的で、現実感がない。
「うちの学校って、合唱部とかありましたっけ」
「いや、……ないはずだけど」
半開きになっている渡り廊下の窓から身を乗り出して、俺は声の方向を確認する。どうやらその歌声は三階の隅の部屋から聞こえてくるようだった。――あの方向は、まさか。俺と響は顔を見合わせると、俄かに足を速めて階段を登る。
そして辿り着いたのは、軽音楽部の部室。少しだけ扉を開け、隙間から様子を伺うと、電子ピアノの前に座る一人の女子の姿が辛うじて目に入った。
「……先輩、あの人って」
「……ああ」
――姫路瑞貴。朝会った時とはまるで別人だった。伏せた瞳は儚げに、細い指先が慈しむように旋律を奏でる。マイクに口はつけていない。なんなら電源も入っていないようだった。それなのにこの、肌を震わせるかのような声量。胸の奥に突き刺ささるような、切ない響き。
演奏が終わる。いざ扉を開けようとしたその時、ふと五十嵐がさっき言っていた事が俺の頭を過ぎった。――練習の邪魔しちゃ悪いし、今日の所は挨拶だけしてさっさと出よう。横に居る響を頷かせた後、俺は今度こそ扉を開ける。
「? ……あ、高宮くん! それに響くん!」
「おす、お疲れ姫路。練習中悪いな。俺ら楽器持ったらすぐ出てくから――」
「え!? そんな、いいよいいよ! ゆっくりしてって、って、ぶげぇ!?」
「えええええええええ!?」
意気揚々と歩み寄って来た姫路が、急に何もないとこで顔面から床に転ぶ。
「つ、つう……」
「ちょ、大丈夫かよ姫路! 鼻血出てんぞ!? 保健室行くか!?」
「だ、大丈夫大丈夫! たまにこういうことあるんだよね! 一日に三回くらい」
ポケットティッシュを鬼ドローしながら、姫路は笑顔でそんな事を言う。
それ稀にってレベルじゃなくない? 場所によっては命に関わるぞ。
「あ、ってか名前! 思い出してくれたんだ?」
「ん、ああ。今朝の件については……本当に申し訳ございませんでした……ッ!」
「ええええ!? いや、そんな土下座までしなくても! こ、こちらこそ、慣れ慣れしく話しかけちゃって申し訳ございませんでした……!」
「!? な、なんて綺麗な土下座だ。姫路まさかお前も土下座リストなのか?」
「土下座リストって何!?」
いやそれは俺もよくわからんけど。
「……改めて、久しぶり姫路。なんか雰囲気変わりすぎてて全然気づけなかったわ。ほんとごめん」
「あっはは。そっかそっか。いいよ別に。でも高宮君も随分雰囲気変わったよね」
「ん? ああ。そういや俺も今年の最初は誰とか言われまくったな……」
「へえ。ちなみに高宮先輩って、去年はどんな感じだったんですか」
「あ。えーと、見た目は今の響くんよりちょっと髪が短い感じ? で、ちょっと尖ってるっていうか、ピリっとしてるっていうか。今みたいに誰にでも元気全開おはようございまーす! って感じじゃなかったよね!」
「なるほど。……だから高校再デビュー野郎とか言われてたのか……」
「え? 俺そんなエグい蔑称で呼ばれてたの? 初耳なんですけど?」
「あっはは。でも僕も初めて見た時、うわっこんな露骨にイメチェンする人なんて居るんだって思ってすごいびっくりしたよ!」
「ぐッぬぬぬ……!! いや、でも姫路さんアナタその発言割とブーメランでは?」
「えっへへへ。僕はほら、ただ高宮くんの真似しただけだから」
「へ? 俺の真似?」
どういうこっちゃ。
「ほら、ちょっと前さ。ここで一年の子達があの怖い先輩たちに絡まれてた時。高宮くんがバーッと出て来て助けてたじゃん。その後、五十嵐さんと一緒に学校中駆け回ったり、響くんと音合わせしてる所とかも。僕、実はこっそり見てたんだよね」
「え? マジで?」
「うん。でね、あれ見て僕、何かすっごく衝撃受けて。――思ったんだ。僕も、高宮くんみたいに頑張れば、まだ……やり直せるんじゃないかって」
やり直せる。――その言葉が、妙に重く響いた。少し陰った瞳はどこか虚ろで、いつもぼーっと窓の外を眺めていた去年の姫路の姿を彷彿とさせる。
「高宮くん」
「は、はい」
急に名前を呼ばれ、なぜか敬語になってしまう。
「あのライブ、凄く良かった。響くんも、音無先輩も、本っっっ当にみんなカッコよかったよ! もう最後のほうとかあたし、半泣きで見てたし! 高宮くんと香月ちゃんが泣いてるの見えちゃったら、もう涙腺が、ぶわーって! ぶわーって!」
「お、おおう!? わ、わかった! わかったからちょっと落ち着けって!」
「あ、あっははごめんごめん! 思い出したらつい興奮しちゃった」
「い、いや。でも嬉しいわ。ありがとな。……俺らも見れたら姫路のライブ、マジで見てみたかったんだけど……って。あ、そういえば」
「うん?」
「姫路って、確か去年ドラムやってたはずだよな。それが何で急に一人で出る事になったんだ? 今も他のメンバー、居ないみたいだけど」
姫路は急に表情を強張らせると、やがて気まずそうに笑みを浮かべる。
「あ、あっはは。そうそう、実は今、ちょっと色々揉めちゃっててさ」
「揉めたって、それはどんな原因で?」
「えっと、僕が急にドラム辞めたいって言ったせいで、みんなに嫌われちゃったっていうか。それで一人で出る事になっちゃった、みたいな」
「はあ? 何だそりゃ。じゃあ今もそれで全員ボイコットしてるって事か?」
「い、いやいや。全然ボイコットとかじゃないよ。元はと言えば、僕が悪いんだし。それにもうバンドは抜けるって言ったから。これからは一人で頑張ろうかなって」
「そうなのか……」
それから全員黙り込み、沈鬱とした空気が流れる。
今の話だけを聞く分には他のメンバーの方も悪いように思えるが。しかし実際のところ、急にドラムが辞めたいって言い出すのはバンドにとっては根幹を揺るがす大問題だ。深い事情を知らない以上、あまり軽率な事も言えない。
「あ、あはは。ごめんね? また気まずい空気にしちゃって」
「いや全然、こっちこそ、変な事聞いて悪かった」
「あ、そ、そうだ! 高宮くんたち、さっきライブ見たかったって言ってたよね! じゃあ今から見てかない!?」
「え?」
「ほらどうせ僕、ずっと一人で練習してるだけだからさ。よかったら見てってよ!」
「いや、でも――」
「……じゃあせっかくなので、お願いします」
「ちょ、おい響!?」
「おっけー! じゃあすぐ準備するから、椅子にでも座って待ってて!」
止める間もなく、姫路は電子ピアノの前へ、響は部室の隅までパイプ椅子を取りに行ってしまう。俺は響を追いかけて、小声で強めに話しかけた。
(いや何してんだお前! 予定と違うだろうがッ……!?)
(別にいいじゃないですか向こうから言ってきたんだし。先輩だって見たいでしょ)
(ぐッ……そりゃまあそうだが。じゃあせっかくだし五十嵐と音無さんも呼んで)
(今から呼んだんじゃスタジオに間に合わなくなりますよ。とりあえず、今はオレら二人で聞いて見ましょう)
いまいち煮え切れないが、こうなっちまったからには仕方ない。
姫路の立つ電子ピアノの正面に、俺と響はパイプ椅子を並べて座る。
「あー、あー、んん”っ。よし、じゃあ聞いてください。創聖のアクエリオン」
ピアノの前奏が鳴り響いた瞬間、空気が張り詰める。
音無さんや響の演奏を初めて聞いた時と同じ、異質な雰囲気をそこに感じ取る。
息を吸い込む音が聞こえた。
柔らかな吐息と共に、姫路は歌い始める。
『――、――』
最初の歌詞の一フレーズ。そこだけで、ぞわりと背筋に鳥肌が立った。少し癖のあるメゾソプラノ。儚い少女を思わせる、細く清らかな歌声。それはさっきの聖歌の時のような、超然とした歌声とは全然違う。かといって話している時の地声とも違う。
原曲は知らないけど、その歌手の声を真似ているのか? ――多分それも違う。直感的にそう感じた。だって、あれには感情が籠りすぎている。時折溜めを作ったり、意図的に崩してるような部分があり、そのせいで不安定な印象さえ受けるほどだ。
何もかも、想像していたのと、全然違う。てっきりもっと、明るい歌を歌う奴なのかと思っていた。だけどこれがこいつの音。ひどく寂しい――独りの音。
甘く、切ないビブラートは途切れてしまいそうで、壊れてしまいそうで。どうしようもなく胸の奥を締め付けられる。綺麗だった。それを聞く自分の中身が、虚ろに感じられてしまうほどに。
――君を知ったその日から、僕の地獄に音楽は絶えない。
絞り出すようなその一節で、曲は締めくくられる。
ピアノの後奏が終わったことに気づかないまま、俺は目を瞑り続けていた。
「い、以上。創聖のアクエリオン、でした」
「……」
「ど、どうだったかな? ちなみに今の曲は、アニメのOP曲で」
「…………」
「あ、あれ? あの、高宮くん? なんで眼閉じたまま動かないの?」
「………………」
「ちょ、ちょ、なんか怖いんだけど! 響くん、起こして起こして!」
「……。死んでる」
「死んだの!?」
死にました。
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