第二十一話「鱗」

                ◇


 ホームルームが終わった後、すぐに学校を出て五十嵐の家に向かう。午後は雨が降るって予報だったが、降りそうな気配はない。こんなことなら、自転車を使えばよかったと後悔する。


「あ、居た居た。タカミー」


 河川敷の通学路を歩いていると、後ろから自転車に乗った一成がやってきた。

 相談があるから今から会いたいと、俺が呼びつけた次第だった。


「一成。悪いな、急に呼び出しちまって」

「全然いいよ。それよりアイス買ってきたからさ、食べながら話そうぜ!」


 流石、気が利く。日が傾き始めてきた空の下で、俺達はアイスバーを片手に二人で並んで河川敷の傾斜に座る。


「そんで一成、……相談のことなんだけど」

「うん。どうせ香月ちゃんのことでしょ?」

「え、なんで分かった? エスパー?」

「あっはっは。タカミー、何かこないだ凄い大変だったみたいだし、そろそろ揉めてる頃かなって。それで? 何があったの?」

「ああ。……実は」


 俺はこの間のガレージでの会話の一部始終を話した。すると一成は珍しく苦い顔をして首を捻り、それ以前に起きた出来事や会話の内容について詳しく聞かせて欲しいと言った。応じるがまま、俺は包み隠さずこれまでの事全てを話した。


「うーん……」


 腕を組んで一成は捻る。そして、あからさまに大きなため息をついた。


「……何だよその反応は」

「いやーなんていうか、その……とりあえずタカミ―、一発ぶん殴ってもいい?」

「え、なんで?」

「だっていくらなんでもこれは……あちゃーって感じだよ……」


 マジか。こいつに呆れられるとか相当なもんだぞ。いや多少は自覚してるつもりだけど。俺はその想像の遥か上をいくトンチンカンという事なのか。


「まずタカミーはさ、なんで香月ちゃんが怒ってるんだと思う?」

「それは、……俺が自分の都合ばっか考えて。あいつの気持ちとか、全然考えてなかったからだと思う。いつもあいつに自分の意見押し付けてたくせに、俺はあいつの意見を受け入れようとはしなかった。だから……怒らせちまったんだと思う」

「うん。そうだね。……それに香月ちゃんはさ、友達として寂しかったんだと思うよ。辛い事があるなら話してほしいじゃん。頼って欲しいって思うじゃん。実際、おれもさ。小学ん時とか中学ん時とか、タカミーが落ち込んで話してくれなくなった時、ずーっと寂しかったよ? ぶっちゃけちょっとむかついたくらいだし。事情が込み入ってたのはわかるけど、一人で抱え込むのは悪い癖だよタカミー」

「……そうだな」


 馬鹿な俺が見落としていたもの。それは、信頼だ。

 俺のいつもの勝手な独り善がりが、あいつのことを傷つけてしまった。


「……あれ? 吉井と高宮じゃん」


 背後からそんな声がして、振り向くとそこには安藤と水無瀬の姿があった。


「あ、アンドリューに水無瀬くん。久しぶり!」

「おう、久しぶり」

「何やってんの? 二人してこんなとこで」

「あー、なんつーか。ちょっと人生相談っつうか……」

「やー、実はタカミーが香月ちゃんと喧嘩しちゃってさあ、相談乗ってあげてたんだよねえ。あ、わかる? ドラム叩いてる金髪の子!」


 おい。適当に濁そうとしたのに。一成のこういうとこはホントどうかと思う。


「あー、五十嵐だろ? 何、やっぱお前ら付き合ってんの?」

「は? ……いや安藤、お前な。あんま恐れ多い事ほざくなよ。俺と五十嵐が付き合ってるとか、そんなわけねえだろうが」

「あれ? そうなんだ? 俺もてっきり二人付き合ってんのかと」

「え? 水無瀬まで? ……そんなに俺らって、そういう風に見えてんの?」

「いやだって、去年も……なあ」

「うん」


 安藤と水無瀬が、互いに顔を見合わせて頷き合う。

 意味がわからず、首を傾げた。


「去年? ……去年って一体、なんの話だ?」

「いや、ほら。夏休みに入る前にさ。お前、坂上たちと滅茶苦茶喧嘩しただろ」

「え? ああ」


 あいつらとは入学直後からやり合い続けたけど、あそこが去年で最悪のピークだった。部室に持ってきていた俺の親父のアコギに、あいつらが落書きしていた事をきっかけに取っ組み合いの喧嘩に。喧嘩つっても、俺はほとんどリンチみたいにボコられただけで、それから俺は本格的に軽音楽部内で遠巻きにされ、なるべく学校内では目立たないように立ち回るようになっていた。


「……あ。そっか。高宮ってあの後しばらく学校来てなかったから、もしかして知らなかったりするのかな」

「……? 知らないって、何がだよ。水無瀬」

「えっと。あのあと五十嵐が、部室でめちゃくちゃブチ切れてたって話」

「……え?」


 それは、どういう。まるで聞いたことが無い。


「二人共……それ、詳しく教えてくれるか」

「いや、俺らも途中からしか見てねえからよく知らねーんだけど。確かあん時、坂上たちに媚び売ってた一年の連中……誰だっけかな。とにかくそいつらが、なんか部室でお前のこと馬鹿にしてて、それに五十嵐が突っかかってったんだっけ」

「うん。なんか高宮の動画広めてたみたいな話で、誰かの携帯ぶっ壊したとか」

「俺の、……動画?」

「ほら、あれだよ。お前の中学時代のライブのやつ。……いや俺も、正直あれをガチで弄んのはひでーなとは思ってたけど。あん時、五十嵐があそこまでキレてたのは結構謎だったんだよな。別にお前ら、一年の時とか特に面識なさそうだったし」

「うん。で、今年になって二人で急に仲良くつるみだしたからさ。あれってやっぱ、裏で付き合ってたからなのかなとか、そういう……た、高宮?」


 完全に俺は絶句していた。そして一つ、ある事が頭を過ぎる。


「……水無瀬。俺、去年文化祭のステージ見なかったんだけど。五十嵐はライブに出てたのか」

「……え? 多分してないんじゃない? だって」

「あいつ、何か急に金髪になって全然軽音に来なくなったもんな。文化祭の時、緑川先輩が代わりに5個くらいバンド掛け持ちして大変だったみたいな話聞いたし」


 響と音を合わせた時のことを思い出す。あの時、五十嵐は他の部員たちに恐れられ、白い眼で見られていた。もしかしてあれは、――そういう理由だったのか。


「……でも、あいつ、そんなこと一言も」

「……タカミー。そんなん、香月ちゃんがいちいち言うわけないじゃん。だってあの香月ちゃんだよ? 口下手で、全然素直じゃなくて、あれで実は物凄い引っ込み思案なの、昔から知ってるでしょ?」

「……知ってる、けど」


 いや、待て。ということは、まさか。


「一成、お前、昔、俺に無視されて辛かったって言ったよな」

「え、うん」

「それは、……まさかあいつも、そういう事、思ってたりとか」

「……はああああ?? いや、だからさっきからそう言ってんじゃん! なんで香月ちゃんがわざわざタカミーと同じ高校に通ってると思ってんの!? 陸上頑張ってたからトモヤンたちと同じ高校に推薦取れてたのに! え、まさかその理由もわからなかったりする? さすがにないよね?」

「え? 理由って、……あいつ確か智也達と同じ学校行きたくなかったとかじゃ」

「いやそれは建前でしょ! 香月ちゃんなんか昔からあまのじゃくなんだから! 本当の事なんか言うわけないじゃん!」


 鈍器で頭を殴られたような衝撃を受ける。


「……じゃあ、なにか? あいつ、俺とバンドやるつもりでわざわざ、この学校入って、……それなのに、俺は」


 一年間も、放置し続けた。

 友達だったのに。急に金髪になった理由を、問いかける事もなかった。


『……急に? お前、それ、本気で言ってんのか』


 震えながら吐き出していた、あの言葉の意味をようやく理解する。

 急にじゃない。五十嵐はずっと怒っていたんだ。思い返せば五十嵐をバンドに誘いに行ったあの日、あいつが無茶苦茶不機嫌で辛辣だったことを思い出す。一年間もスルーしときながらあんな絡み方したらそりゃキレるだろう。……そうだ。五十嵐はずっと俺にイラついてたはずだ。なのに、ヘラヘラ平謝りする俺とバンドを組んでくれた。メンバー探しに付き合ってくれた。滅多に感情を表に出さないあいつが、俺の胸倉を掴んで怒鳴った理由はなんだ。俺を心配していたからじゃないのか。だったら、急にやめるなんて言い出した理由もそれじゃないのか。五十嵐は俺に、――逃げ道を選ばせようとしてくれてたんじゃないのか。


「カズ、キ……」


 ああ。まったくお前ってやつは。何でいつもそんな遠回しで。なんて、


「なんて面倒くせえヤツなんだ……」

「いやタカミー、それすごいブーメラン……」

「いやそれは分かってる……」


 面倒臭いヤツ同士だからこんなにこじれちゃったわけだろうし。俺も相当察しが悪いけど、本当に自分から何一つ話しかけてこなかったアイツもどうかと思う。

 そして俺は五十嵐香月という人間を改めて理解した。あいつは、滅茶苦茶素直じゃなくて、滅茶苦茶引っ込み思案で、そして滅茶苦茶――良い奴なのだ。


「一成。俺の事をぶん殴れ」

「オッケイ! 死ねぇ!」

「いいからぶん殴っぷァ!?」


 思いのほかすぐに拳が飛んできてびっくりした。


「よ、容赦ねえなお前……!」

「うん。流石におれも今回はタカミーのアンポンタンぶりにはマジでイラっときたからね。なんならもう一発ぶん殴りたいくらいだよ」

「そっか。悪かった。お前にも。……色々、気遣わせちまって」

「いいよおれのことなんて全然。……とにかくさ、香月ちゃんは今もタカミーのこと待ってると思うよ。ほら、覚えてる? 香月ちゃんがチームに来た時のこと。あんまり馴染めてなくて、キャッチボールの相手探すのに時間かかってたじゃん。だから最初のうちはタカミーがいつも声掛けて相手してあげてたんだよ」

「……そうだっけ」


 遥か昔の記憶すぎて、よく覚えてない。


「だから、早く行ってきなよ。謝るだけじゃダメだよ? ちゃんと話して、言いたい事言って。そしたら絶対、わかってくれるはずだから」


 言いながら、一成は俺に自転車を譲り渡す。


「……ありがとう、一成。じゃあちょっくら、行ってくるわ!」

「あ、レンタル代一時間千円ね!」

「高ェよボケ!」


 思い切り自転車を走らせる。あの頃みたいに立ち漕ぎで息つく暇もなく。

 しばらく走っていると、急に土砂降りの雨が降り始めた。だけど関係ない。

 そんなもんで、今の俺を止められると思うな。


「上等だ、……オッラァァァァァァァ!」


 だって俺は行くんだよ。遊ぶ約束をした、友達の家に。


               

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