第二十二話「キャッチボール」

                ◇


『よう。お前、文化祭でニルヴァーナやったんだって?』


 中学二年生の1月だった。河川敷でアコギを弾いて歌っていたら、背が高くて目つきの悪い金髪の高校生が声を掛けてきた。よく見ればそれは見覚えのある顔で、リトルリーグ時代の俺の先輩だった――竜也さん。五十嵐の二つ上の兄貴だった。


『一人でやってもつまんねえだろ? 外寒ィしうち来いよ。アンプもあるぜ』

『いや、でも俺……まだ全然、下手糞で』

『ん? じゃあ俺が教えてやっからよ! ほらさっさと来いって!』


 それから俺はあのガレージで竜也さんにギターを教えてもらって、一成と一緒に五十嵐家に通うようになった。グリーンデイとか、簡単なやつからいっぱいコピーして、たまに五十嵐も混ざって、バンドっぽいことをさせてもらって、それをきっかけに野球やめてから疎遠になってた五十嵐ともまた話すようになった。

 それから時が経ち、いよいよ進路を決めるって時期。軽音楽部の大会でハルシオンの圧倒的な演奏を見た俺は、青葉東に進路を決めたところだった。


『青葉東かぁ。タカミーが行くんならおれもそこにしよっかなぁ』

『いや、お前勉強できんだし全然もっと上の高校狙えんだろ。そっちにしとけって。公立なら学費もあんまかかんねえらしいし』

『うーんそっか。確かにうち、下に弟妹がいるし。お金かかるのはダメだよねぇ』

『そうそう。大体、男同士でいつまでもベタベタくっついてんのもアレだしな』

『えー、何だよタカミーってばつれねーなぁ! 幼稚園の時から一緒なのにさー!』

『うるせえ、まとわりつくな! あ、五十嵐は、陸上で推薦取れてるんだっけ?」

『あ? ……ああ。まあ、一応」

『じゃ高校は三人別々かぁ。この集まりも今年限りって考えると微妙に寂しいな』

『え、何言ってんのタカミー。別に高校違くても三人で集まればいいじゃん!」

『いや、でも現実的にきつくね? それぞれ高校で新しい友達ができたら、そっちの付き合いが優先とかになるんだろうし。だいたい五十嵐も陸上あるんだから、今みたいに俺らがしょっちゅうここに遊びに来ても困るだろ」

『んー、そうかなぁ。香月ちゃんはどう思う?」

『はあ? いや、どうって、…………別に、どうでもいいっつうか』

『えーっ! 何それ! まったく、二人ともつれねーなー!』


 確かそんな会話をした事を覚えてる。その時は、互いの家が正面にある一成とはともかく、五十嵐とは高校生になったらもう、会わないような気がしていた。

 だけど。


『……五十嵐?』


 入学式の日。

 一年生の教室前の廊下には、俺と同じ制服を着た五十嵐が居た。


『え、なんで居んの? 推薦は?』

『蹴った。どうせ陸上飽きてたし。胸糞悪ィ奴らと同じ高校行くのもな、って』

『ああ。そういや坂上達と仲悪かったもんな。でも、なんでわざわざ青葉東に?』

『……知らね。別にどうでもいいだろ。じゃあな』


 素っ気なくそう言うと、五十嵐は自分の教室に戻っていく。

 一成が知ったら、またきっと呆れるだろう。

 だってそれが、一年の時の俺と五十嵐の、最初で最後の会話だった。


               ◇


 五十嵐の家に着く頃には雨は上がっていた。どうやら局所的な豪雨だったらしい。見上げればまばらな雲の隙間から夕空が覗き、光が差し込んでいる。体力はもう尽きかけてたけど、近くに聞こえるドラムの音を聞いて最後の力を振り絞る。自転車を乗り捨てて、俺はガレージへ駆け出した。


「カァズキィィィィィィィィ!」

「……!?」


 ずぶ濡れのまま飛び込んで、地に頭をつける。

 まずは一手、思うがままに感情をぶつけた。


「俺が悪かった! ほんとに俺、自分の事ばっかで、お前の考えてる事とか、全然考えてなかった! だから、もう一回俺の話を聞いてくれ!」

「……ッ」


 激しく舌打ちすると五十嵐は俺を無視してガレージを出る。


「ちょ、ちょっと待てって! 話を――って足はっやッ!」


 流石は元短距離選手。物凄いスピードで俺を振り切ると、五十嵐は玄関口の向こうに消えていく。慌てて追って扉を開こうとするが、鍵を閉められてしまった。


「カズキ! 頼む! 開けてくれ! 話聞いてくれ!」


 インターホンを連打して扉を揺するが反応はない。ガレージに車が無い事から見るに、お袋さんは買い物にでも出かけてるらしい。直接話せないならせめて、一方的でも俺の言いたい事だけでも伝えるしかない。


「……一成から話は聞いた! お前が去年俺の動画の事でぶち切れたってこと! お前がわざわざうちの高校選んだの理由とかも! ……お前、俺と高校でバンドやるつもりしてたんだよな!? なのに俺、一年間もお前をほったらかしにして、そのくせ急にノコノコやってきたりしてよ! 腹立ったよな!? 俺も今滅茶苦茶自分に腹立ってるよ! 何でこんな大馬鹿野郎だったんだろうって!」


 五十嵐は何も言わない。あいつは今、玄関の向こうに居るのか、自分の部屋に居るのか。それすらもわからないけど、言いたい事を叫び続ける。


「……それから、こないだの話! お前は、俺にタオルを投げてくれたんだろ!? 無理すんなって、辛いなら、やめていいって! 軽音楽部やめるってのはそういう意味だったんだろ!? なあ!」


 五十嵐は、何も答えない。喉が枯れて、少しだけ声を落とす。


「でも、俺……ほんとにそんな無理とかしてねんだよ。知らねえ奴らの悪口とか、そういうの、もう本当にどうでもよくなってんだ。辛いのは、……一番辛いのは! お前らとバンドができないことだった! 殴られることよりも、金奪られることよりも! 響やお前と音楽できない事が一番辛かった! ――だから、お前が勝負降りろってんならそうする! 見返したいとかつまんねえ意地より、お前らとバンドやることが、一番諦めたくないことなんだって、気づいたから!」


 気づけば俺はまた涙声になっていた。最近、どうも涙もろい。


「それとお前……ドラム叩けりゃ他の奴でもいいんだろとか言ってたけどな! いい訳ねえだろ! いい訳あっかよこの糞馬鹿野郎! ジョン・ボーナムやデイヴ・グロールが俺の友達に居たって俺はお前を選ぶ! だってお前しか居ねえんだよ! 俺なんかに付き合ってくれんのは! 俺のことわかってくれてんのは! お前じゃなきゃ、ダメなんだよ! 小学生の頃あんだけ友達いっぱい居たけど、本当の友達になれたのはカズナリと、――カズキ! お前だけだから!」


 最後の声を、振り絞る。


「もう一回、俺とバンドを組んでくれ! もう誤魔化したりしねえ! 俺の言いたい事、お前にはっきり言うから! お前も俺に言いたい事はっきり言ってくれ! ……頼む……!」


 玄関扉に頭をつける。だけど返事も、足音も、何も聞こえなかった。

 開かない扉の前で、俺はずっと立ち尽くす。――ああ。ダメなのか。やっぱり。一回入ったヒビは元に戻らないのか。一度間違えたら人生そこまでなのか。なるほど。ならしょうがない。綺麗さっぱり諦めよう。もう今日はこのくらいで、――


「なんて、そんなわけあるかよこんちくしょう!」


 そろそろいつもなら本当に引き下がる所だが今の俺は本当に一味違う! 

 鉄パイプ持って殴り込む勇気は流石にねえけど、俺にはいつだってこの喉と、ギターがある!

 

「……カズキィ! 聞こえてんだろ!? 言っとくけど今日の俺はマジだからな! お前が出て来るまでここで歌い続けてやりますからね!? どっちが耐えられるか勝負だオラァァァァッ!!!」


 もはや何を言ってるのかどういう理屈なのかさっぱりだ。しかしここまで来た以上、もう俺は止まらない。アンプに繋がないまま、持ってきたエレキギターをがしゃがしゃと掻き鳴らす。


「はいじゃあ聞いてください! バンプ・オブ・チキンでラフメイカー! アッでもちょっと待って、いま半音下げチューニングす……」


 瞬間、ガラっと玄関の扉が開き、何かが猛スピードで飛んできて俺の顔面を打ちのめした。勢いそのままに俺はコンクリートの上に仰向けに倒れ道路の上にころころと転がる白球を見る。


 ――ああ。本当に久しぶりにそれを見た気がする。


「……おい」


 ぼすっと俺の顔の上に何かが落ちてくる。懐かしい革の匂い。

 野球の、グローブ。


「キャッチボール、しようぜ」

 

 帽子を被ったカズキくんは、ぶっきらぼうにそう言った。

 

               

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