第十二話「クレイジー・トレイン」

                 ◇


 鬼か。悪魔か。化け物か。今、俺の目の前にあるあれは一体、何だ?

 黄金のギターが雷鳴を奏でている。機関銃のようなコードストローク、耳をつんざくピッキングハーモニクス。あれが腕を振るう度に俺の皮膚が、魂が切り裂かれる。

 暴風サイクロンどころじゃない、雷雲の嵐スーパー・セルだ。荒れ狂う音の嵐になす術もなく飲み込まれ、ほとばしる稲妻に脳天をぶち抜かれた俺は今、黒焦げになっている。

 そしてようやく思い出す。ああいうのを、何て呼ぶんだったか。


 ――ギターヒーロー。

 ――コード一発で世界を黙らせる、光速の六弦使い。


                 ◇


 時は10分ほど遡る。月曜日の放課後。場所はいつもの五十嵐邸ガレージ。

 響と出会ったあの日から、ちょうど一週間が経っていた。

 結局、あれから響は毎日ここに来てくれて、俺達は一緒に音を出しながら沢山の事を話した。好きなバンドは何かとか、あの曲弾けるとか、おすすめのCDはあるかとか色々。自分が知ってるものや好きなものを相手が知っているとわけもなく嬉しいもので、いやはや全く話題が尽きない。大変に充実した一週間を過ごした。


「おーかっこいい! 響君、そのスラップっていうの? おれにもできるかな!?」

「あ、はい。練習すれば多分誰にでも」


 今日は一成が来ていて、初対面の響にダル絡みをしている。俺と五十嵐はそれを眺めながらソファーで休憩中。この一週間で、ここはすっかり溜まり場と化していた。


「……なあ、あのバカほんとにバンドに入れんのか? ベース二人もいらねえだろ」

「ん、ああ。なんか雑用とか手が欲しい時はいつでも呼んでってっていうだけの話だから。まぁ緊急時のサポートメンバーってことで一つ、よろしくお願いします」

「……サポートねぇ。ま、そういうことなら別にいいか」

「うん。……いやーそれにしても、久々に弾くとやっぱいいなぁレスポール」


 ボリュームのツマミを絞り、俺は黄金色のギターをスタンドに立てかける。

 レスポール・スタンダード・ゴールドトップ。ただしギブソン製ではなくエピフォン製の廉価版。五十嵐の兄貴である竜也さんが所有していたギターの一つだ。中学の頃まともなエレキを持ってなかった俺があの人に貸してもらっていた機体でもある。


「三人でやるなら、俺のレスポール・スペシャルよりこっちかもな。歪ませたときのパワーがやっぱちげえわ。五十嵐先生、ずばりどっちがいいと思う?」

「どっちでもいいから、腕の方を磨いとけ」


 ぐへぇ。血も涙もないマジレスだ。


「……でも本当によかったんかな。竜也さんのギター、俺が貰っちまって」

「本人がいいっつってたんだから、別にいいだろ。どうせ兄貴がガキの頃から使ってるボロだし、お前の手垢もつきまくってるしな」

「んーまぁ、そうか。……じゃあ有難く、貰わせていただきます」


 竜也さんには本当足を向けて寝れない。遠い東京の空へ向けて、合掌。


「……よし。じゃあこいつにはどんな改造を施してやろうかなー! まずはやっぱピックアップ交換かなー! おっ丁度こんな所にドライバーと半田ごてが!」

「早速弄り倒す気満々かテメェ! んなもんいいからとっとと練習し、ろッ……」

「ご、ごええッ……! ヘッドロックは、ヘッドロックは勘弁してくださいッ……」

「いやー、今日も平和だねえ響くん」

「そうですね」

「ッ……言われてんぞリーダー。このダラけきった空気、いい加減なんとかしろ」

「へいへい……おし、じゃあ全員集合!」


 呼びかけて、四人でテーブルを取り囲む。


「えー、じゃあ、これからのバンドの方針について決めたいと思う。まずコピーやんのかオリジナルやんのかって話から。はい曲書いてるって人挙手」


 沈黙。誰も手を挙げない。


「じゃあ、とりあえずライブまで日数もないし、コピーバンドってことで――ん? なんすか五十嵐さん」

「高宮。お前、こないだ曲書いてるとか何とか言ってなかったか」

 

 いきなり五十嵐がそんな事を言って、俺は思わず固まってしまう。


「……あー、ああ。まぁ去年作ったクッソ暗い弾き語りの曲がいくつかと、リフとか歌メロを録音した断片的なネタみたいなのはあるけど。まだ全然形にはなってねぇっていうか、もう少し、自分の中であっためときたい、みたいな……」

「ふーん……」


 平然と返すつもりが、あからさまに動揺してしまった。五十嵐は訝し気にこちらを睨めつけてくるが、やがて何か察したように息を吐く。


「………。わかった。モノはあるんだろ? じゃあそれ、今度ちゃんと聞かせろよ」

「う、うん。……あ、そういえばさ。今日響の姉ちゃん来るんだっけ?」

「はい。そろそろ来ると思うんですけ」


 響が言いかけた、その時だった。ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンと唐突に暴走族みたいにやかましいバイクの駆動音が外から響き、こちらに近づいてくる。


「え、何この音!?」「あ、あれか!? 五十嵐の親父さんか!?」

「いや、あのハゲまだ帰ってくる時間じゃねえよ。つーかそもそも音が違う!」


 音が違うってなんだよエンジン音で判別できんのかよやっぱアンタあの人の娘だよ。じゃあ一体誰が? ガレージの外に出て様子を伺うと、すぐにそれは現れた。


「え、ええ……」 


 低い音を立てて唸るのは漆黒と銀、あまりに無骨で厳めしい大型二輪車。その上に怪物のような模様が描かれたフルフェイスヘルメットを被った女の人が跨っている。


(ひ、響? もしかしてこの人って……)

(はい。……うちの姉貴です)


 マジかよ。想像の遥か上を行く登場シーンすぎて言葉が出ねえ。


「ハーレーのスポーツスター……すっげーカスタム……やっば、超かっけぇ……」

「急にどうした五十嵐……? あ、と、とりあえず。どうぞどうぞ中へ!」


 四人で先導してガレージの中へ。しかし響の姉は入り口に入ってから、じろじろ周囲を見渡すばかりで一向に動く気配がなく、やがて正面に立つ俺と睨み合うように対峙した。――え、いや、何この状況?


「え、えーと。とりあえず。本日はわざわざご足労頂いてありがとうございます」

「……」

「それで、そのー……えーと。今日は見学ということで、よろしかったでしょうか」

「……」

「あ、あのう……? あれ? き、聞こえてます? 聞こえてますよね?」

「……」

「……いや、その……」


 おい何だこの人さっきから全然喋んねえぞどうすればいいのこれ。


「前置きはいい」

「……え?」

「さっさと始めろ」


 低く、無機質な、くぐもった女の声。誰がそれを放ったのか、何を言っているのか、一瞬よくわからなかった。少し遅れて、それが響の姉が発した言葉だと気づく。

 さっさと始めろってのは、俺らの演奏を、実力を見せろってことなんだろうか?    つまりそれまでは顔を見せる気はないと? ……お、おおう。な、成程。確かにちょっと一癖ありそうな姉ちゃんだ。


「わ、わかりました。じゃあとりあえずそのソファーに座っていただいて。五十嵐さん、お茶ァ!」

「うるせえ命令するんじゃねえ。……どうぞ。先輩」


 ソファーの前のテーブルに五十嵐が冷たい麦茶とお菓子を運んでくる。

 しかしそれでも、響の姉はヘルメットを脱ぐ素振りを見せない。


「……すみません、色々。ほんと。素でああいう人なんで……」


 小声で響が話しかけてくる。


「いや……うん……でも無理言って来てもらったんだろ? 仕方ねえよ……」

「タカミー、おれは何してたらいい? ちょっと楽しい雰囲気にしてこようか!」

「やめろ。強いて言うなら何もするな。五十嵐、響。とりあえずさっき決めた曲順通りに、やってみよう」

「わかった」「了解です」


 レスポールを抱え、マイクの前に立つ。足元のエフェクターを踏み、オーバードライブとブースターの音を確認する。問題なし。始めよう。


 曲はACID MANの「造花が笑う」。


 響のベースが、地面を斬りつけるようにラインを刻み、俺のギターと五十嵐のドラムが、爆音を唸り上げて疾走する。

 ああ。この曲も、俺が本当に大好きな、爽快なロックナンバーだ。

                  

                 ◆


 (……一週間程度で、これか) 


 思ったよりは、悪くない。リズム隊がしっかりしてるからだろう。

 響が言ってた通り、あの金髪のドラムはなかなかやる。

 だけど、ダメだ。あいつが足を引っ張ってる。一体、何なんだあのヘボギター? 音作りは雑だし、別に大した事もしてないのに、何でそんなにリズムがブレる。だいたい下手糞なくせにあんな低い位置にギターを構えて、カッコつけてるつもりか。


 だけど。――ずいぶん、楽しそうに演るんだな。こいつ。


 何が楽しいんだ? そんなに下手糞のくせに。ああ、ほら。また間違えた。

 なのに。なんでお前はそんな楽しそうに、笑いながら歌うんだ。


                 ◇

 

 最後の曲はFUZZY CONTROLの『モナリザ』。言っちゃなんだけど、今の俺にとっては背伸びしすぎた曲だった。特に今やってるギターソロなんかボロボロで、だけど、それでもつい楽しくて口角があがってしまう。ミスっても自信満々に、ノリと勢いでぶちかまし、最後はライブのラストらしく、響と二人で楽器をかき鳴らし五十嵐のキメでスパッと終わる。


「今の曲で全部です! ありがとうございました!」

「ひゅーっ! タカミーかっこいー!」


 吉井が野次を飛ばしてくる。身内ウケとか恥ずかしいから本当やめろ。

 一方で響の姉は結局、最後までヘルメットを被ったままだった。俺達の演奏が気に食わなかったのだろうか。つーかなんか、やけに俺を見てる気がするような……? あ。もしかして。


「……あの、もしよかったら、ギター。お姉さんも弾いてみます?」


 恐る恐る尋ねてみる。しかし反応はない。すると響が何やら耳打ちしてきた。


(先輩、普通に言うだけじゃだめです。もっと煽って)

(煽っ……、どういうことそれ!?)

(いいから、なるべくムカつく言い方で煽って!)


 ええ……なぜに俺がそこまでせにゃならんの。まあいいけど。

 とりあえず真顔でやるのは恥ずかしいからサングラスを装着する。


「ゴホン。あ、あれぇ、弾かないんですかぁ~? それとも、もしかしてぇ、弾けないんですかぁ? んっ、ま、まままま無理もねえよなあッー! お俺らの超絶最強パフォーマンスを見た後じゃあよォーッ! ひひひははははは!! は――」


 我ながら百億点満点のクソ煽りだった。流石にこれは効いたのか響の姉がようやく立ち上がる。そしてついにヘルメットを脱ぎ、その素顔を晒した。


「――、え?」


 思わず俺もサングラスを外した。

 ヘルメットの下から現れたのは響とそっくりの顔をした、息を呑むほどの美人。

 そこに特に驚きはない。ただ、身に纏う雰囲気が――異様だった。

 表情は氷のように張りつめていて、長い前髪の隙間から覗く大きな瞳は、暗い色に陰っている。美形ってのは、みんなわけもなくキラキラしてるもんだと俺は勝手に思っていたけれど。目の前に居るその人はおよそ輝きと呼べるものがない。退廃的、とでもいうのか。ポッキリと折れてしまいそうなくらいに身体の線が細いのも手伝って、まるで死人、幽霊が立っているみたいで空恐ろしいものがある。

 だけど、いや。だからこそ。

 どうしようもなく俺は目の前のその人に見惚れてしまっていた。

 だってこんな人、――俺は今まで一度も見たことが、


「ん?」


 いや待てよ。ごめんやっぱよく見ればなんか見覚えあるわこの人。


「あ」


 思い出した。

 ベース探しに三年の教室に突貫かけた時、松本教諭と何か話してた人だ。


「……」


 その人が俺の目の前に立つ。女子にしてはだいぶ背が高かった。流石に俺の方が高いけど、足がめちゃくちゃ長い。170あるか、ないかくらいか。


「ど、どうぞ」


 クロスで弦を拭いた後、ピックごとレスポールを手渡す。


「あ、アンプとかエフェクターとか、好きに弄ってくれちゃっていいんで。弾きにくかったらストラップの長さとかも調整してもらっても――」


 言う前に響の姉はぐりぐりと足元のエフェクターのツマミや配置を弄っていた。遠慮も迷いも一切ねえ。やっぱ何か、こだわりのセッティングでも、――!?


『All aboard‼HAHAHAHAHA!!』


 全員、ご乗車ください。悪魔的な哄笑が鳴り響く。

 幻聴。しかし、鳴り響くこの音は幻なんかじゃない。メサブギーのアンプから巨大な列車が飛び出してくる。黒煙を撒き散らし、怪獣の鳴き声みたいな汽笛を響かせながら。立ち尽くす俺を轢き潰しぐちゃぐちゃの肉片に引き裂いていく。


 ”メタルの帝王”オジー・オズボーン――『クレイジー・トレイン』。


 それは若き天才ギタリスト、ランディ・ローズを象徴する一曲だ。

 唐突に、本当になんの前触れもなく響の姉はそれを弾き始めたのだった。

 一発。たった一発コードを鳴らしただけで、俺は顔面をぶん殴られたかのような衝撃を受けた。シンプルなフレーズほど格好よく演るのは難しい――俺が同じ事をやってもこんな音は絶対に出ない。セッティングとか音作りとか――そういう問題じゃない。何でこんな音が出せるんだ? 俺のギターは一度だって、……あんな風には。

 脳が理解を拒む。何も考えられない。

 今は、ただ。目の前のそれと、魂を衝くような音に心を奪われる。

 生音が聞こえるかのようなピッキング、耳をつんざく凶悪なハーモニクス音。強烈に聞き覚えがあるその音はオジー・オズボーンバンドの三代目ギタリスト、ザック・ワイルドを彷彿とさせる。それはおよそ「女子」なんていうワードからはかけ離れたバキバキにマッチョでぶっとい音だ。しかし響の姉は涼しい顔をしてそれを再現する。そこにぎこちなさなんていう可愛げのあるものはまるでない。何百何千回と弾いたかのように手馴れていて細い指先はまるで意思を持つ別の生き物のように滑らかに動く。怖気の走るほどの正確さ。コピーなんて言葉がいっそ生ぬるい。


「……!」


 道なき道を行く暴走列車の前に、一本の線路が現れる。

 響と五十嵐、リズム隊の演奏だ。こうなればもう、止まらない。

 レールに乗った車輪が火花を散らし、列車は更に加速し続ける。


(す、げえ……)


 目の前にある光景がとても現実と思えなかった。音だけ聞けばまるで「本物」がそこに居るみたいだ。全員の音が、存在感がやばすぎる。目を瞑れば長髪もじゃもじゃ、マッチョマンの変態が三人、めちゃくちゃヘドバンしながら演奏してる光景が浮かんでくる。しかし何度目を凝らしても見てもそこには三人の高校生しかいない。……何だ、コレ。


 曲はソロに突入する。ランディ・ローズがロックの歴史にその名を刻みつけた珠玉のギターソロ。タッピングを使った速弾きと、合間に挟まるメロディアスなフレーズ、緩急がつけられたその構成はまさにギターソロの黄金比率、理想形といってもいい。俺がいつまで経っても弾けないそれを、響の姉はいとも容易く、立ち眩みを覚えるような鮮やかさで奏でてみせる。

 

 上手い、とか凄い、とか。

 そういう次元じゃなく。浮かんだのはもっと単純な感想だった。

 

 ――かっこいい。

 ――かっこ、よすぎる。

 

 この人のギターに比べれば俺のギターって、何? ウンコ? あれが本当のギターなのだとしたらもしかして俺が今までギターだと思って弾いていたものはギターではなくウンコだった可能性が浮上してくる。いやむしろ俺がウンコだっ、た…… 


「生まれてきてすみませんでした――――」

「た、タカミーーーーーー!?」

 

 曲が終わった瞬間、俺は自然と膝をついて地面に突っ伏してた。

 カンカンカーンと、ゴングが鳴り響いているような気がした。

 

 ……いや待て。落ち着け? 『クレイジー・トレイン』はメタルだけど、難易度でいえば中級者クラスのはずだ(まあ俺はイントロしか弾けないけど)まだ負けを認めるには早、


「……あ、ああ……」


 死体蹴りってのはこういうことをいうのか。メサブギーが唸りを上げる。

 イングヴェイ・マルムスティーン「デーモン・ドライバー」。列車に跳ねられて吹き飛んだ俺を、今度は暴走車両が引き回す。……うわあ。あれが噂のスウィープピッキングかー。めっちゃ音数多いのにめっちゃ指遅く見えるんですけどー。すげー。意味わかんねー。


『WOW! WOW!  WOW!!』


 今度は何だ。犬の鳴き声がどこからか聞こえる。MR.BIG『コロラド・ブルドッグ』。開幕からギターとベースが、何やってんのこの人たち? もうなんか、ここまで来ると変な笑いしか起きないよね。何が怖いって、この人の演奏に他の二人が普通についていけるところだよ。


 ――っていうか。今さら気づいたんだけど。

 ――こいつら全員、メタラーじゃねえか!


 メタラーとは。メタルを聞いたりメタルを演奏したりメタルを愛してやまないメタルヤベェ人たちのことである。特に楽器を弾くタイプのメタラーは大抵のものすごく演奏が上手いからマジクソヤバイ。メタルというジャンルは基本的に演奏が難しいがメタラーはメタルを愛するが故にメタルを演奏する為の地道な努力を惜しまない。そう。彼らは「メタル」という凶悪で恐ろしげなイメージに反して実際のところ勤勉な努力家でありストイックでまた紳士的な一面を持ち合わせている。つまり何が言いたいのかというとヤバイ。メタラーは、ヤバイ。

 俺は基本的に90年代以降のポップ・パンクやオルタナティブ・ロック方面の趣味嗜好なのであんまりメタルとは縁がない。いや聞くのは割と好きなんだけど弾けないし、歌えないから、どうにも遠い存在に感じられてならないのだ。そしてメタラー特有のテクニカル演奏技術を見せつけられると劣等感が凄まじく何だか泣きたくなってくる。やめろマジで。俺にできないことを簡単にやってのけるんじゃねえ!


「ちくしょう! メタルなんか大っ嫌いだああああああああああああああ!」

「た、タカミーーーー―!?」


 ジェット・トゥ・ジェット。アルカトラズの名曲が流れるのを聞きながら、俺は居ても立っても居られずガレージの外へ駆け出した。溢れだす興奮は止めどなく、そうする以外に方法を知らない。

 だって俺の頭に、いつの日かのように。エレキギターロックンロールがぶっ刺さっていた。


                 ◆


 食い込んだ指の腹に、血の熱さを感じる。六本の弦は、私の喉。掻きむしり、吐き散らす。鋼鉄を纏う怪物の声。世界を食い破る、悪魔の歌。


 (――ああ)


  暗い部屋で一人、散らかしたレコードの山に埋もれていた日の心象がよぎる。

 そうだった。これだけが、私にとって唯一の鎮痛剤で。

 けれど、こんなものは。

 くだらない自傷と同じ――その場しのぎの、麻薬でしかない。

 

 演奏が終わる。一時の熱に浮かされた身体には、自己嫌悪と虚脱感だけが残った。


 「……せ、先輩、」

 

 ドラムの金髪女がゆらりと立ち上がり、妙な殺気を放ちながらこちらに近づいてくる。そして私の手を強引に両手で掴みとると、細い眼を見開かせながら言った。

 

「あ、アネキって呼んでもいいですか」

「……は?」 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 困惑する間もなく、ガレージの外からあのアホが舞い戻ってくる。

 うるさい。何なんださっきからお前は。コケて怪我でもしろ。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!」


 うわ。本当にこけた。何で何もない所でそうなるんだ? 意味がわからない。勢いそのままにごろごろと茶髪は床を転げまわり、やがて私の眼の前に辿り着く。そして流れるように土下座の姿勢をとった。――何だその技。気持ち悪すぎる。


「さっきは! 失礼なこと言って! 申し訳ございませんでしたァァァ!」

「いや、すみません高宮先輩。そもそもオレが――」

「馬鹿野郎、響! まとまりかけた話をややこしくするんじゃねえ! それで、あの、先輩! 失礼を承知でお願い申し上げたいことがあるんですけど、聞いてもらえますか!」


 嫌だ。絶対に聞きたくない。何を言ってくるかなんて大体想像が……


「お、お名前、なんですか! まだ聞いてなかったので!」


 ……それくらいなら答えても良いか。


「音無楓」

「おと、なし。……ん? 音無? 岡峰? ん???」

「あーっと、すいません。ちょっとうち、家庭の状況が複雑で……」

「え? あっ……。と、とにかく。音無さんですね! ありがとうございます! あああ、あともう一個あるんですけど聞いてもらえますか!」

「……何」


 露骨に溜息を吐きながら答える。今度こそ、バンドに入れとかそんなことを、 


「お、俺の――ぎ、ギターの師匠になってくれませんか!」

「「「……は?」」」


 金髪と響と、声が被った。


「……えっと、お、俺! 今の先輩のギター聞いて、めちゃくちゃ感動したんですよ、マジで! なんか、こう、すげえ、なんか熱いもんが込み上げてくるっていうか、その。とにかく、すげーカッコよくて! 俺も、先輩みたいなギタリストになりたくて、その、」

「……私、みたいな?」

「は、はい! 何ていうか、出す音がもうレベルが違うっていうか、そう! 先輩の音はホンモノだ! さっきのクレイジー・トレインなんてザックワイルド本人みたいだった! マジで超かっこよかったですよ!」


 本物? ……ホンモノ、だと? 

 おぞましい毒気が、腹の底から立ち昇る。


「……おまえ、名前は?」

「え? た、高宮。高宮太志です」

「たか、みや」

 

 高宮。――お前はどこまで、私を虚仮にすれば気が済む。


「何も分かってないんだな、お前」

「え?」

「こんなもの、ただのゴミだ」

「……、え」

「何の価値もない、ゴミなんだよ」


 借り受けたギターを手渡して、響の方に視線を投げる。


「帰るぞ、響。コピーバンドなんて時間の無駄だ。やるなら他のバンドにしろ」


 響は俯いた後、睨み返しながら私に言う。


「……無駄かどうかは自分で決める。オレは、誰の指図も受けない」

「……なら、勝手にしろ」


 踵を返してガレージを出る。あいつらは追ってこなかった。

 これで明日から元通り、平穏で、無為で、何もない毎日が待っている。





 ――はず、だったのに。

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