第十話「Killer Tune」

                  ◇


「んー。やっぱ厳しいな……」


 月曜日の昼休み。教室をあらかた回り終えた後、俺はでかい溜息をついた。

 メンバー勧誘は相変わらず絶望的な状況だ。ニ、三年生は三好と聞いて怖気づく。一年生は例の噂で俺を警戒して話にすらならない。今は一応、五十嵐と最後の希望を求めて、軽音部室に向かって歩いている所。


「もうベースは安藤か水無瀬に頼むしかねぇかな。五十嵐さんはどう思う?」

「安藤と水無瀬って、お前と飯食ってる奴ら? どんくらい弾けんの」

「どっちもギターだったから全然弾けない。でもまぁ基本のルート弾きくらいなら、今からでもなんとか……?」

「……負けてもいいってんならともかく、勝ちたいならそりゃ論外だろ。単純な人気と実力でいったらあっちの方が上なんだし、一個でも妥協したら、はっきり言ってこっちに勝てる見込みなんてない」

「だよなあ。でも流石にもう、時間が……」


 言いかけてふと、足が止まる。


「……どうした?」 

「なんか、聞こえないか?」


 五十嵐に指で沈黙を促して、俺は廊下の窓から響いてくるその音に耳を澄ませる。歯切れよく響く低音。それが奏でる独特のフレーズに、確かに聞き覚えがある。


「……この音。ウッドベースか?」

「ああ。ストレイ・キャッツとかのあれの音だ」


 そう。聞こえてきたのはロカビリーやサイコビリーの象徴ともいえるスラップ奏法を使ったウッドベースの音だった。ズンズンと歩くような特徴的なフレーズは一度聞けばすぐにそれだと分かる。


「行ってみよう」


 その音は軽音楽部とは真逆の方向、吹奏楽部の音楽室があるほうから聞こえてくる。ウッドベースは別名コントラバス。吹奏楽で用いられる低音パートの一つだ。もっとも吹奏楽でスラップなんて使うのかどうか知らないけど。部員の誰かが遊びで弾いてるのかもしれない。

 近づくにつれ、音はどんどん大きく聞こえてくる。かなり激しい演奏だった。しかもとてつもなく上手い。一体誰が鳴らしてるんだろう。惹かれるがまま、俺は音楽室の扉を開けた。


「失礼しまーす」


 靴を脱いで音楽室に踏み入ると、演奏は止まってしまった。見渡すとウッドベースの周りを数人の女子が取り囲んでいるのが見える。


「……すみません。もしかしてうるさかったですか?」


 不安げな視線を交わす女子達の向こうからそんな声が響いてくる。

 大きな眼鏡をかけた男子生徒。どうやらそいつが、あの音を奏でていたらしい。


「あ、いや。うるさかったっていうか……ん?」

「……ん?」


 俺は思わず掛けていたサングラスを着けたり外したりしながら二度見した。

何かこのイケメン、どっかで見たような覚えが……。


「「「あ」」」


 俺と五十嵐が同時に気付く。

 向こうも、俺たちが誰か気付いたようだった。


                 ◇


「ほい、コーヒー。これでよかった?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ぽかぽか陽気の校舎中庭。ベンチに座ったキョウくんに、俺は自販機で買ってきた無糖コーヒー缶を手渡す。ここで再会したのも何かの縁と、一杯奢らせてもらった次第だった。周囲を見渡すと結構な数の生徒がいて、弁当を食べたり、複数人で携帯ゲームをしたり、みんな思い思いの昼休みを過ごしている。


「いやー……まさか同じ高校だったとは。こんなことってあるんだな」


 ミネラルウォーターの蓋を開けながら俺は言う。五十嵐はキョウくんの横に座って、紙パックのジュースをストローで飲んでいる。


「えっと、キョウくんって一年生なんだよな。部活は吹奏楽部?」

「あ、……いえ。ちょっと弾かせて貰ってただけで、ただの見学で。一応中学までは吹部だったんですけど」

「へえ、そうなんだ」

「それから名前、キョウじゃなくて、ヒビキです。岡峰響おかみねひびき

「あれ? そうなの? じゃあキョウってのは?」

「最初読み間違えられたのが定着して、仇名みたいな感じで」


 そう言って響くんは少し照れた様子で苦笑する。

 ……なんか、この前に会った時と随分印象が違うな。もう少し尖ってて気難しい奴なのかなと勝手に思ってたけど。礼儀正しいし雰囲気も柔らかで普通に話しやすい。


「なるほどね。あ、俺は高宮太志。二年。で、そっちの人は――」

「五十嵐香月」

「……まあ見ての通り愛想の欠片もねえけど、意外と良い人だから安心してほしい。あとこう見えてドラムがめっちゃうめぇんだわこれが」

「……そういえば先輩たちって、例の、色々噂になってる軽音楽部の人達ですよね」

「あ、うん、そうそう。でもどうせろくな噂じゃねえだろ。ま、あながち間違ってもねえんだけど、ははは」

「三好先輩のバンドと戦うっていうのは、本当なんですか?」

「ああ、それは本当。一応来月の末くらいに…」

「岡峰」


 ストローから口を離し、唐突に五十嵐が俺の言葉を遮る。


「アタシら今バンドメンバー探してんだ。お前、一緒にやらねーか?」


 思わず口に含んでいた水を吹き出した。


「い、五十嵐さん!? 急に何言ってん――」

「ちまちまとさっきからまどろっこしいんだよ。こういう話は早い方がいいだろ」

「こ、こういう話? ん、んー。一体なんのことやら……」

「今更何とぼけてんだ……。で、岡峰。どうだ?」

「は、はあ。どうって言われても……」


 響は真剣な面持ちでしばらく黙り込むと、やがて静かに口を開く。


「――いいですよ」

「あー、だよな。やっぱダメ……え!? いいの!?」

「元々軽音には少し興味があったので、試しにって事でいいなら」

「お、おお。全然いいよ! な、五十嵐!」

「……試しに、ね」


 飲みきった紙パックを潰し、五十嵐は立ち上がる。


「じゃ、さっさと行こうぜ、高宮」

「ん? 行くってどこに?」

「部室に決まってんだろ。――アタシらの実力、ちゃんと見せてやんねえとな」 


                ◇


 そして、俺達は軽音楽部室までやってきた。部室にはちらほらと部員の姿が見られるが、幸いにも坂上グループや三好グループの姿はない。


「えーっと、ちょっと待ってくれよ。確かこの辺に、置きっぱにしてある安藤のギターが……」

「そういえば先輩たちのバンドって、パートは今どんな感じになってるんですか?」

「ああ。俺がギタボで、五十嵐がドラム。今はベースとギター探してるって感じ」

「じゃあオレ、ベースでいいですよ」

「え? 響くんってベースも弾けんの?」

「はい。というか、元々ベースから始めたので」

「マジか。……んじゃあ、これ備品のベースだけど使ってみて。すげー安物だけど」

「ありがとうございます」

 

 ベースを受け取った響は眼鏡を外し、チューニングを一瞬で済ませると、VOXの小さなベースアンプにシールドを接続する。そして、準備運動とばかりにさらっとビリー・シーンばりの速弾きをしてみせた。ドゥルドゥルと異様な音の連なりが大蛇のように部室を這い回る。


「……音量、もう少し下げたほういいですかね」

「……え? いや、そのままでいい、と思うけど……」


 凄すぎて何が起こったのか一瞬よくわからなかった。俺も含めたこの場に居る全員が呆気に取られている。あのボロベースって、あんな音出たのかよ。俺はもしかしたら、とんでもない化け物に声をかけてしまったのかもしれない。


「ちす」


 気だるげな声。振り向くと、自前のドラムスティックを教室に取りに行っていた五十嵐がようやく部室に姿を現したところだった。


「……げ」

「い、五十嵐……」


 五十嵐が現れた途端、部室に異様な緊張が走る。

 妙な、違和感を覚えた。一年生があの金髪頭にビビるのは仕方ないとしても、去年あいつと仲良くしていたはずのニ、三年生がビクついてるのは……何でだ? 


「で、何やる?」


 準備を終えた五十嵐が口を開くと、ひそひそ話はすっかり静まり返った。これだけの人数が居て、もはや誰も音を立てていない。どうやら全員、俺達の演奏を眺めるつもりのようだった。


「んーと、じゃあとりあえず響くんが好きな曲でいいんじゃねえかな。まあ俺弾けるかわかんねえけど。思いついたのとりあえず適当にやってみて」

「はい。えーと。じゃあ……」


 誰かが、生唾を飲み込む音が聞こえた。


 響の右手が軽快なリズムで弦を叩き、引っ張り、弾く。

 あの日のライブで俺が聞き惚れた音――スラップ奏法。それは誰もがベースという楽器に抱いていた地味なイメージを粉々に打ち砕く、必殺の技。


 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ――『ハイヤー・グラウンド』。


 響が鳴らすその曲は、まさにその象徴ともいえるものだった。 

 曲自体はスティーヴィー・ワンダーのカヴァー曲。だけどイントロからレッチリの名物ベーシスト・フリーのファンキーなスラップが炸裂し、まるで別の曲のような印象を与える。ジャズベースが持つ硬いバキバキとしたサウンドと、響の精密な技術が相まって、その演奏は単純なコピーを凌駕していた。

 手に汗が滲み、俺は持ったピックを危うく落としそうになる。一方で、五十嵐はにやりと獰猛な笑みを浮かべていた。――やってやろうじゃねえか、と。原曲と同じタイミングで響の演奏に割って入る。我に返った俺は慌ててギターのハイポジションを握りカッティングフレーズを刻み始める。一応、曲自体は去年コピーしたはずだった。しかし情けない話、俺は必死で二人についていくのが精一杯だった。


 惜しい。そしてなんて、もどかしい。

 もう少しで、俺達は何かとんでもないモノになれそうなのに。

 他でもない俺がその足を引っ張ってしまっている。

 それでも楽しいは、楽しい。だけど、これじゃだめだ。

 俺は、もっと。もっと――。 

 

 そんな事を思ってるうちに、曲はもう終盤。ちらりと前を見やると、五十嵐と響は何だか凄く楽しそうに演奏していた。リズム隊特有の連帯感というやつだろうか。しかし結局、俺達は合奏の熱を頂点に達せないまま終わってしまう。


「かっ、こいい……」


 だけど。ふと、女子の誰かがそんなことを呟いて、それから周りの部員たちが一気にざわつきだした。言うまでも無く、響のベースプレイに圧倒されてのことだろう。

 俺の演奏はいいとこ四十点だとして、五十嵐は百点。響に至っては百五十点だ。レッチリの曲のベースラインは派手だから凄さが分かりやすいというのもあるけれど。響のプレイはそれを再現して余りある、これ以上ないくらいの演奏だった。


「……す、ッげえな響。いやマジで、すげえとしか言いようがねえよ、お前!」

「は、はあ。ありがとうございます。でもオレ五歳の頃からやってるので、別に凄くないですよ。あと、先輩のドラムもすごい上手でした」


 五十嵐の方に視線を送りながら響は言う。まあ、あの人も歴長いしな。高校生であそこまでやれるのは男子含めてもマジでなかなか居ないと思う。


「じゃあちなみに、俺のギターは?」

「え? あっ……」


 何だその「あっ」は。いやそれは言わずもがなだろうが。


「先輩もよかったですよ。なんていうか、……ね、熱量は感じました」

「ヒューッ! 聞いたか五十嵐! まるでジョニー・サンダースの再来だってよ!」

「お前の耳には何が聞こえてんだ?」

 

 高宮イヤーは時折自己防衛のため都合のいい解釈を行う。よく覚えておけ。


「ってかレッチリ好きなのか? こないだやってた音楽と大分ジャンル違うけど」

「あ、はい。フリーのベースが昔からすごい大好きで。一番かも」

「ふーん。他に普段どんなの聞くんだ」

「普段ですか。……オレ結構何でも好きなので何ともいえないですけど。父親と姉貴がハードロックとメタルをよく聞いてたので、最初はそのへんでしたね」

「へー、五十嵐ん家と一緒だな」

「最近はロックよりは昔のファンクとか、ジャズとか、フュージョンにハマってて」


 言いながら、響はまたベキベキとエグいスラップフレーズを鳴らす。


「……ラリー・グラハムとか、マーカス・ミラーとかこういう、スラップのある曲ばっかりコピーしてます。ラ」

「うおお……やべえ。全然知らねえ。ジャンルすらわからん」


 見れば、流石の五十嵐も首を傾げている。

 俺らの知らない領域に居るやべーやつだこれ。


「でも本当、色々好きですよ。日本のバンドだとラルクとかジャンヌとか。ミッシェルとかナンバガとか、マキシマムザホルモンとか」

「お。よかった俺でも知ってる名前が出てきた」

「ふーん。……じゃあジャンルには特にこだわりないって感じか」

「そうですね。結構すぐ何でも好きになっちゃうので。……やっぱダメですかね」

「別にいいんじゃねえの。アタシもコイツも割とそんなだし」


 スティックを回しながら、ぶっきらぼうに五十嵐は言う。

 なんでも好き、か。まあ要は本当に純粋に音楽が好きってことなんだろう。

 楽器を始めたり、全く知らない興味のない曲を聞いたりすると今まで見えなかった世界が見えてくる。最初は分からなくても、聞いたり弾いたりしてるうちに徐々にその曲の良さが分かり始めるのだ。俺はまだ音楽ってものを意識しはじめて四年くらいだけど、見える世界はだいぶ広がったと思う。それこそ最初はボーカルの声や歌メロばかりに耳がいって、ついでに見た目やイメージで食わず嫌いなんかもしていたけど、色々聞いてるうちにそういう偏見が無くなったっていうか。

 響や五十嵐は本当に小さい頃から音楽に触れてきたわけだからその広がりっぷりはきっと凄まじいものに違いない。――そう考えると、やっぱり俺だけ追いつけてないみたいで、ちょっぴり寂しいが。


「…………。岡峰。悪いんだけど次、コイツのやりたい曲やってもらっていいか?」

「あ、はい。全然いいですよ」

「だってよ、高宮。さっさと準備しろ」

「え? 準備? 何の?」


 ぼーっとしていたせいで、ついそんな返答をしてしまった。

 すると五十嵐は呆れた様子で溜息を吐く。


「お前、自分のパートも忘れちまったのか? もう時間ねぇんだから早くしろ。アタシらまだ

「……あ」


 そして五十嵐の言わんとしている事を、俺はようやく理解した。

 

「……わかった。悪い、響。ちょっと待っててくれ!」


 休み時間は残り7分。それだけあれば十分だ。1分でエフェクターとミキサーの調整をして、俺はマイクスタンドの前に立つ。


「あー、あー。……OK。響。ストレイテナーってバンド知ってる?」

「あ、はい。ベースの人のファンなので」

「うし! じゃあ大丈夫だな」


 そして曲名も明かさず、俺は一人でイントロを弾き始めた。パワーコード、指の形は変えないままスライドして奏でるシンプルなリフ。俺がそれを繰り返し弾くのを見ると響はこくこくと頷いていた。五十嵐に目配せすると、二人は完璧なタイミングで同時に演奏に入ってくる。

 

 ストレイテナーの「KILLER TUNE」。

 

 新たにベーシストを加え三人編成になったストレイテナーのサードシングル。

 シンプルながら個々の音が際立つ、名前通りの強烈なロックナンバーだ。

 さんざん弾き慣れたこの曲なら、俺も二人の演奏に追いつける。

 そして今度こそ、さっき一瞬見えた、とんでもないモノに。俺はなれる気がしていた。ミドルテンポの心地いいリズムにキレのいいボーカルが乗っかってくるこの曲は、やっぱ歌わなきゃ様にならない。


『――! ――! ――――!』


 Aメロを歌い始めた俺を見て、響は一瞬驚いた顔をしていた。やがて頷きながら微笑むと豪快に頭を振りながらベースラインを刻む。

 響のベースに俺のギターの音は負けていた。が、これは既定路線だ。曲の展開に合わせて、各楽器の音量や音色を調整してメリハリをつける手法。分かりやすいところでいくとニルヴァーナってバンドはこれを多用している。


 通常時はギターの歪みと音量を抑え、リズム隊の音を目立てさせる。

 しかしサビではエフェクターを踏んで、ギターの歪みと音量を爆発させる。

 静と動のコントラストで、大胆にサウンドを色付ける。


 『Killer Tune』――この曲はまさにその例に倣ったものだ。ディストーションのペダルを踏んだ瞬間、激しく歪んだギターサウンドが部室の空気をビリビリと震わせる。タイミングは完璧。すかさず俺はマイクに最大限のシャウトをぶち当てる。


『YEAH-YEAH!!』


 ――その瞬間。まるで、雷が迸るみたいだった。


 ドラム、ベース、ギター。そして声。四つの音のうねりが渾然一体となって巨大な渦になる。五十嵐と二人でやってた時とは、まるで違う。あれでは不完全なのだったと思い知らされる。響がここに居ることで、俺達はいま完全に一つになっていた。

 

 バンドは生き物だと、誰かが言った。

 

 バラバラの生命、バラバラの楽器。それらが一つの曲の元に集い一つの形を得る。数年、数十年、あるいは一瞬の間だけ。バンドは一つの、巨大な怪物になる。


 生きている。

 俺達バンドは今、ここで生きている。


 この流れなら。俺は二番のAメロにいかずフェイザーのエフェクターを踏み、そのままソロを弾き始めた。予想していた通り、響と五十嵐は俺の勝手なアドリブに全く戸惑うことなくついてくる。五十嵐はともかく、響とは今日初めて会ってさっき一回合わせただけなのに、何だってんだろう。一緒に音を鳴らしていると、……まるで。お互いの考えてることが分かるみたいだ。

 間奏が終わる。ギターはここで一度引っ込んでリズム隊だけの演奏になる。


(ん? ……)


 その時、おもむろに部室の扉が開き、何人かの生徒がぞろぞろと入ってきた。どうやら俺達が何かしてることを外に伝えにいった奴らがいるらしい。その中には坂上グループや、ハルシオンの面々。そして――部長の三好晴臣の姿があった。


 思わず生唾を飲み込んだ。


 こんなことは、想定外だった。あいつらに演奏を見られる事に妙な抵抗を覚える。それはきっと、恥ずかしいとか怖いとかいう情けない感情。しかし五十嵐の視線を背中に感じて、一瞬の気遅れを取り戻す。


 何も怖がる事はない。ここはステージの上。

 後ろにはバンド。俺はギターを持って歌ってる。

 

 つまりそれは、――無敵ってことだろ。

 

 マイクを握りしめ、俺は堂々と歌い始めた。ひそひそ声をかき消すようにでかい声で。足元のペダルを踏み、サビを叫ぶ。全員の鼓膜をぶち破るくらいでかい声で。


『Tune-Tune-Tune!!』


 演奏が終わると、部室はまた深い静寂に包まれた。寒気のするような空気の中で、坂上雅也が俺に刺すような視線を送ってくる。そこに嘲笑の色はない。いつかと同じ、苛立ちの目線だった。

 俺は何も言わずそれを睨み返す。どうだ、と。薄ら笑いを浮かべながら。


「……調子こきやがって、クソ虫が」

 

 坂上がこめかみに青筋を立てながら一歩前に進み出る。


「はいはい。君たち。もう昼休みの時間終わりだよ。そろそろ後片付けしようね」

 

 しかし丁度そのタイミングで、顧問の松本が手を叩きながら姿を現した。途端、部内に満ちていた緊張の糸はほつれ、一気に解散のムードとなる。皆が慌ただしく移動を始める中、坂上や三好たち上級生も足早に歩き去って行く。俺はそれを見送ると、使っていた機材を片付け始めた。


「あの、先輩。これ」

「お。サンキュ」


 響からベースを受け取り、俺は自分のギターケースと一緒に元の場所に戻す。


「ありがとうございました。部員でもないのに弾かせてもらって。楽しかったです」

「え? いやあ、そりゃこっちの台詞だよ。無理やり誘ったのに付き合ってくれて」


 お陰であいつらに一泡吹かせられたし。響には本当、感謝しかない。


「そんで、……俺らのバンドに入ってくれるかって話なんだけ、ど」


 俺がおずおずと口火を切ると、響は平然と言葉を返す。


「はい。オレなんかでよければ、ぜひ」


 呆然と俺を口を開け、五十嵐と顔を見合わせる。


「マジで!? ほ、ほんとにいいの!?」

「はい。まあどうせ他に、行く当てもないので」

「うおおおお! やっっったぜ五十嵐! いやまてよ五十嵐!? これもしかして夢じゃない!? ちょっと俺のほっぺたを引っ張ッがああああ!!」


 ほっぺたっつってるのに何故かアームロックを仕掛けてくる五十嵐氏。理不尽過ぎない? やっぱ夢か? そんな事をやってる間に、昼休み終了のチャイムが鳴り、大急ぎで俺達三人は連絡先を交換し合った。


「……よし! じゃあとりあえず、いったん解散だな」

「ん。じゃあな響。お疲れ」

「あ、はい。お疲れ様でした」

 

 一足先に部室を出ていく五十嵐を二人で見送る。

 こっそりと小さな声で俺は響に話しかけてみた。


「……な。見た目おっかねえけど、思ったより優しいだろあの人」

「はい。それに何か、カッコいいですよね。良い意味で女子っぽくないっていうか」

「ばっ、おま、失礼な事言うな殺されるぞ後で主に俺が」

「す、すみません。えっと。勿論悪い意味ではなくてですね……?」


 まあ気持ちはわかる。実際、音に関していえば五十嵐は本当にゴリゴリだからだ。ニルヴァーナのデイヴ・グロールみたいにスティックを逆さに持ったパワープレイ。目を瞑るとヤクザが金属バットで車のボンネットをボコボコに凹ましてるようなイメージが脳裏に浮かぶ。酷い例えだけどそれくらい強烈な音を出す人だ。


「それに何か、……オレの姉貴もああいう雰囲気の人だったので、なんか少し、懐かしいなとか思ったり」

「姉貴? へえ。響って姉ちゃん居るんだ」


 そういえばさっきそんな事言ってたような。確かにどことなく弟感ある。


「やっぱ、楽器やってたりすんの?」

「はい。ギターを。でもあんな良い人じゃないです。もっとひねくれてるっていうか、むしろ性格、腐りきってるっていうか、ろくでもない感じで」

「腐りきっ……ええ? それ弟の財布から札金抜き取っといてバレたら逆切れするとかそういうレベル?」

「いや……流石にそのレベルのクズじゃないですけど……誰の話ですか?」

「ゲホッゲホッ……まあとにかく響の姉貴はそういうタイプじゃないんだろ? だったら別に、身内だからってそんな悪く言わなくていいんじゃないか?」」

「そう、ですね。……いい加減、殻を破るべきなんだろうな。オレも、あの人も」

「ん? ……殻?」

「いえ、なんでもないです。それじゃまた」


 意味深な事を言い残し、爽やかに微笑むと響は歩き去っていった。

 しかし、なんだろうあの表情。何かひどく、思いつめていたような。

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