第九話「Cold Edge」

                ◇


 あっという間に土曜日になった。五十嵐と音合わせをしたのが火曜日。バンドを組む事になった俺達はあれから昼休みや放課後の時間を目いっぱい使ってベーシスト探しに奔走した。結果はどうだったかというと、……全滅。

 軽音部員の居る教室はあらかた回ってしまい、残る希望といえばそもそも居るかも分からん「部外の楽器経験者」しか残されていないという割と絶望的な状況だった。


「あの、すいません。テイラー・スウィフトのCDってどこですか? 見つからないんだけど」

「いらっしゃいませー! あ、それですと今ちょっと別の棚に移動しちゃってましてー。確か……はい! こちらになります!」

「あ、こっちか。ありがとうございます」

「いえいえ。ごゆっくりどうぞー」


 女性客の応対を終えた後、棚の陳列に戻る。このレンタルビデオ店でバイトを始めて一年。接客も随分慣れたもんだ。今は特に何が欲しいってわけでもないが、バンド野郎ってのは何かと出費が激しい生き物なので、常日頃から金を稼ぐ必要がある。特にライブ活動をしようなんてことになれば、売り切れない分のチケット代を自腹で払わなければならないから大変だ。


「おーす太志! おつかれ」

「あ、どうも! おつかれさまです」


 みっちり八時間働いたところで今日の俺の仕事は終わり。スタッフルームに入ると田中先輩が着替えているところだった。俺より四個上、地元で活動してるバンドマンで、ちょっとだけ人相は悪いけど滅茶苦茶に良い人。


「そうだ太志。明日の今くらいの時間さ、暇だったりする?」

「あー、明日もシフト入ってますけど1時間早く上がるんで。夜は空いてますね」

「おお。じゃあまた頼みたい事あるんだけどさ。明日俺らライブあんだけど、まだチケット余ってんだよ。頼む! 買ってくれ!」

「あれ、またッスか?」

「そこを何とか頼む! 一枚だけでいいからさ!」

「え~?」


 田中先輩にはいつもよくしてもらっている。すごく明るい気さくな人で、シフト重なることも多く、色々音楽のこととか話したり、オススメのCDとかもいっぱい教えてもらった。去年学校ではまともな音楽仲間を見つけられなかった居た俺にとってはある種、救いのような存在でもある。

 今回のチケットは一枚1500円らしい。俺の時給は850円だからざっくり2時間分の労働に匹敵する。しかし毎度こうして頼み込んでくる田中先輩もきっと辛いのだろう。「行けたら行くわ」で結局こないってパターンを回避するためにわざわざ直接売りにくるわけだ。なんだか自分の将来の姿を見ているようで、無下にもできない。


「じゃあ、買います」

「おお!」

「しかも今回は友達誘うんで三枚買っちゃいますよ!」

「うおお! マジ!? サンキュー! あ、じゃあ3000円でいいわ! ……あれ、つーか太志、ついに友達できたん!?」

「ああ。まあできたっつうか、疎遠になってた奴とちょっと仲直りしたっつうか……今年はようやく、俺もバンド組めそうです」

「おお。マジかぁ。なんか俺も嬉しいわ。もしライブすんなら声かけてくれよ。お前には結構買って貰ったし、俺も友達連れてくから!」

「うぇえマジすか! あざす! じゃあそん時来たらよろしくお願いします!」

「おう! 頑張れよ!」


 田中先輩と別れた後、何枚かのCDを借りて店を出る。

 釣銭で缶コーヒーを買い、俺はまず一成に電話を掛けた。


                ◇


「うおお、やべえ遅れるッ……」


 翌日、日曜日。バイトを終えた俺はようやく東谷駅に辿り着いたところだった。時刻は17時35分。駆け足で階段を上りながら駅内広場のステンドグラス前を目指す。

 

「おす」

「あ、どうも。すんませんお待たせちゃって」


 ぺこぺこしながら俺は合掌する。私服姿の五十嵐は携帯を弄りながら突っ立っていたところだった。


「別にそこまで待ってねえけど。……つーか何だお前その格好」


 五十嵐の乾ききった視線が俺の全身を睨めつける。

 何やら俺のファッションセンスに物申したいらしい。


「え? いや別に普通でしょ。革ジャンにジーパンの何が悪いっていうんですか」

「悪いとは言ってねえけど、うちのハゲのセンスに大分近ぇぞお前」

「ははは。まあ別に誰が何着たっていいじゃないすか」

「年中そんな革ジャンとグラサン掛けてたら将来ハゲるぞ」

「ハゲねえよ! どういう原理だよ! つーか年中スカジャン着てるような人にとやかく言われたくねえんだよなあー!」

「あぁ!? スカジャンは別にいつ着てもカッケェだろうが!」


 カッコいいと思って着てたのかよそれ!? マジで!?


「ん? あれそういやその帽子。リトルリーグん時のじゃん」


 ふと五十嵐の頭部に目が留まる。白地に赤鍔のツートンカラー。それは小学校時代、俺と一成と五十嵐が所属していた広瀬ヤングジャガーズの野球帽だ。


「あ? ……ああ。まあな」


 視線を逸らしながら五十嵐は帽子を深く被りなおす。


「へー。すげー懐かしい……」


 ……。つか今更気づいたけど今日の五十嵐先生なんかいつもと髪型が違うな。帽子の後ろの穴に髪を通してポニーテールにしてる。上はいつも通りのスカジャンだけど、下はショートデニムに黒いタイツと、割と普通に女子っぽい格好をしてる。金髪のせいか肌がやけに白く見えるし、やっぱり改めて見ると、野球のカズキくんだった頃のイメージから大分かけ離れている。

 昔の五十嵐は本当に男子と見分けがつかなかった。黒髪で、短髪で、日焼けをしていて。中学に上がった時、五十嵐がスカートを履いてるのを初めて見た時は割と衝撃だった。それまで一緒に野球やってた奴らからはカズキが女装してるだの何だのとからかわれていたのを覚えている。それきり五十嵐は野球をやめ、女子とばかり一緒に居るようになったのだった。


「……おい。さっきからなに人の顔じろじろ見てんだ」

「ん? いや、意外と五十嵐先生ポニテ似合うな~とか思って」

「あ゛? 急に何言ってんだテメェ。ぶちころがすぞ」

「なんで!? ……あれ、てか一成は? まだ来てねぇの?」

「あ? ……いや、まだ見てねえけど」

「えぇ? どういうことだあの野郎……」


 言った途端、一成から電話がかかってくる。


『あ、ごめんタカミー連絡遅れちゃって』

「おう、どした。何かあった?」

『あーそれがねえ。実は今日急にデートの約束が入っちゃって。思ったより長引いちゃったから、ちょっと今からそっち行くの間に合いそうにないんだよね』

「えぇ? マジかよ」

『うん。ほんとごめんね! おれの分のチケット代はまた今度払うから、今日は香月ちゃんと二人で行ってきてよ! そんじゃね!』

「は? ちょ、おい! ……切れてるし」


 溜息を吐きながら、スマホを革ジャンのポッケにしまい込む。


「……結局来れねえって?」

「ああ、なんかそうみたい。しゃーねえ、じゃあ二人だけで行くか」

「ん。……あ、ちょっと待った。チケットは?」

「え? ああ。ここにあるけど。俺が一緒にまとめて渡すから別に」

「いいから、今渡せ」


 言われるがままにチケットを渡すと、五十嵐は千円と五百円玉を差し出してきた。


「何スかこれ」

「チケット代」

「え。いや別にそんな気遣わんでも」

「お前のおごりとかなんか気持ち悪ィんだよ。早く受け取れ」


 ははあ。相変わらず口はともかく律儀なお人だな。チケット代とかわざわざ調べたんだろうか? 俺は千円札だけを受け取ると五百円玉をそのまま返す。


「ん? なんだこれ」

「先輩からは1000円に割引してもらったんで。その五百円はドリンク代に使おう」

「ふうん。……んじゃ、さっさと案内しろよ」

「はいはい」


 駅の西口を出てしばらく歩き、屋根付きの商店街アーケードに入る。日曜夕方ということもあり、かなり混雑していた。先導する俺は時折後ろを振り返りながら五十嵐がちゃんとついてきてるか確認しながら歩く。


「着きました。ここっすね」


 駅を出て十五分ほどで目的の場所に辿り着く。アーケードの中にある手狭な建物。上の階はスタジオ、一階は楽器店になっており、ライブハウスへの入り口は地下への階段を降りた先にある。


「ふーん……そういやお前の先輩のバンドって、どんなの演るんだ」

「ああ、一言で言うならヴィジュアル系っていうか。でも結構ヘヴィな感じかな。大半オリジナルだけどこないだ見た時はDir en greyのカバーとかやってた」


 化粧とかだいぶ派手派手しい感じ。いつもは地味な田中先輩もフルメイクで完全に別人になってて最初は笑ってしまった。でも演奏はタイトで、かなり迫力があった。


「なるほど。そっち系ね」


 あからさまに興味がなさそうに五十嵐は鼻を鳴らす。完全に舐め腐ってるなこれ。

 まあ後の反応を楽しみにしておこう。

 階段を降りて扉を開ける。ライブハウスと言えばなんとなく小汚いイメージがあるけれどここは全くそんな事は無く綺麗だった。もうライブは始まっているらしく、重低音がホールに続く扉の向こうから響いてくる。バーカウンターのような受付でチケットとドリンク代を手渡し、俺と五十嵐は重い扉を開けホールの中に踏み入った。


「……うお!? 結構人居るな今日!」


 薄暗いホールの中で、カラフルな照明が煌びやかにステージを彩っている。小さな箱の中には既に五十人くらいの客が詰め掛けていた。まだまだ満員ではないけれど前来た時よりはずっと多い。

 ステージ上はちょうどトップバッターのバンドの演奏が終わったところで、転換中のようだった。やがてすると照明の色が紫に変わり、最前列にいるゴスっぽい格好をした女子達が甲高い声を挙げる。


「お、ちょうど出番みたいだ」


 いかにもって感じの化粧をして髪の毛を逆立てた黒ずくめのバンドが現れる。あれが田中先輩のバンド、名前は「ルナマリア」。初期のヴィジュアル系を思わせる刺々しいスタイルだった。

 前列ではしゃぐ女子達をよそに五十嵐は冷め切った面をしている。しかし演奏が始まるとそんな表情が一変した。髪の毛を逆立てた田中先輩の激しいドラミングから曲は始まり、ツーバスドラムが疾走感のあるグルーヴを形成する。素人目に見ても手数がヤバい。普段話している田中先輩とはまるで別人だった。同じドラマーとして何か感じ入るものがあるのか、五十嵐は神妙な面持ちでそれを食い入るように見つめる。そのせいか俺も歌はそっちのけで田中先輩の姿に見入っていた。

 そしてあっという間に、先輩のバンドの出番が終わる。相変わらず、ゴリゴリのヘヴィメタルな世界観だった。ゴス子達の黄色い声援を遮るように俺は田中先輩と叫んでみた。それに気づいた田中先輩は笑いながら俺に両手でメロイックサインを送る。そんなやり取りをしていると不意に五十嵐が俺の袖をくいと引っ張った。


「ん? 何?」

「あのドラムの人が、お前のバイト先の先輩?」

「そうそう。どうよ五十嵐さん。あの人すげぇ上手かっただろ」

「……うん。普通に凄かったわ」


 あの五十嵐が言うくらいなんだから本当に凄いんだろう。俺も何か妙に誇らしい。


「ところであと三バンドあるらしいけどどうする? 俺は最後まで居るつもりだけど、別に帰りたくなったらいつでも帰って――ん?」


 そんな事を言ってる途中、前列に固まっていたゴス女子達がまた甲高い声を挙げる。ステージ上に現れたのは、またしても派手な化粧をした男五人組。田中先輩のバンドに比べると、全員線が細く、中性的で華やかな印象を受ける。

 バンド名は『ザ・バフォメット』らしい。


「キャーッ! キョウくーん!」


 とりわけ人気なのは、意外にもギターの奴らしかった。颯爽と現れた長髪のボーカルの登場をよそに、ゴス子達の視線をかっさらっている。……なるほど、確かに。ありゃすごい美少年だ。他に比べるとまだ薄化粧なのに、人形か何かってくらい、ぞっとするほど綺麗な顔立ちをしている。執事服がここまで似合う奴もなかなか見ない。


「なんかすげえイケメンが出てきたな。あれでギター上手かったら相当やばくね? クソッ……実は滅茶苦茶下手だったりしろ……ッ!」

「僻んでる暇あったら練習しろ」

「ハイ」


 そんなやり取りを交わす間に、照明が暗くなる。

 どうやら転換が済んだようだ。


(それにしても、あの、キョウとかいうやつのギター……)


 いわゆる「フェンダー・テレキャスター」タイプのエレキギターだった。立ち上がりの速い音が特徴で、昔から色んなジャンルで使われている名機なのだが、この手のV系バンドのリードギターが持っている事は珍しい。

 一体どんな音を鳴らすんだろう――そんな俺の疑問は、すぐに明らかとなった。


(う、お!?)


 氷の刃のような旋律が空を裂き、俺の喉元を斬り抉る。

 その鋭い音の担い手は、あのキョウと呼ばれている美少年ギタリストだ。俺みたいな底辺ギタリストにはおよそ及びもつかない方法で、ギターを奏でている。


(……スラップ奏法! エレキギターでかよ!)


 スラップ奏法、またの名をチョッパー。それは一般的にはベースで用いられる技術で、弦を素手で叩いたり引っ張ったりして、さながら打楽器のような独特のサウンドを作り出す、大変派手かつ雅な演奏法である。


(すっげえな、あいつ。……けど)


 スラップは派手な分、音としての主張が強く、他との兼ね合いがなかなか難しい。故に選択肢は大きく二つに分けられる。スラップを主役としたアンサンブルを形成するか、一部のフレーズでアクセントとして使うか。今やってる曲はおそらく前者で、あのサウンドを中心に、ダンサブルな怒涛のグルーヴが形成されている、が。


「……なんか、無茶苦茶だな」


 五十嵐の口が、そんな言葉を紡ぐ。俺も同感だった。

 あのギターが目立ちすぎているせいか、ボーカルの歌が埋もれてしまっている。それだけならまだしも、ベースとドラムは妙にもたついてるし、もう一方のギターに至っては何を弾いてるのか全然わからない。前列の観客は盛り上がってはいるが、それはあのキョウって奴のプレイを見ているだけで、他のメンバーには一切の視線を注いでいなかった。


「あ」


 そして三曲目の中盤、ギターソロが始まった途端にもう一人のギターが演奏を止め、ステージの奥へ去って行ってしまった。それから最後までひりついた空気のまま、残りの曲をすべてやり終えると、残りの四人もステージを去っていく。


「……いやあ、なんか色んな意味で、すげえもん見ちまったな。ある意味ライブ感えぐくて面白かったけど……ああいうのって誰が悪いんだろう」

「全員だろ。ステージ立つ前に、ちゃんと打ち合わせしとけって話だ。……でもまぁ、強いて言うなら、あのギターに合わせられない周りの方が悪い」

「あれ、意外にそっちの肩持つんだな」

「まぁ、アタシなら合わせられるし」

「ひ、ヒューッ!」


 かっこよすぎてチビるかと思った。いつか俺もそんなこと言ってみたいぜ。

 でも確かに五十嵐の言う事も分かる気がする。あいつの激しい演奏には、全力で観客を楽しませようという気概を感じたから。それに、これは邪推かもしれないが。他のメンバーのあの冷め切った表情。あれは合わせられないというよりは、むしろ――


「……ん? なんだ?」


 再び、転換の時間。

 まばらだった前列に観客が集まり始め、ライブハウスの空気が俄かに熱を帯びる。


「何だあれ。……メイド?」


 五十嵐が露骨に顔を顰める。ステージ上に立ったのは四人組のガールズバンド。一人は明らかに秋葉原とかにいそうなミニスカメイドの格好をしているが、よく見れば他のメンバーはそうでもない。ゴシック・ファッションとでもいうんだろうか。どっかの洋館で優雅に紅茶を啜ってそうな雰囲気だった。


『こんばんはー! みんな元気かーい!? いぇーい!』


 ギター担当らしい、ミニスカメイドの人が元気よく声掛けをすると、客席からいぇーいと歓声が上がり、そのままコール&レスポンスでいぇーい! の応酬になる。なんだか楽しそうなので俺もいぇーい! と言ってみたが隣の五十嵐さんに冷たい目で見られたのでそっと腕を降ろした。

 まぁでも確かに、ロックバンドってよりは地下アイドルか何かみたいなノリだ。俺は別に嫌いじゃないけど、さっきのバンドに比べると大分緩い雰囲気で力が抜ける。


『それではみなさん、私にあわせて手拍子お願いしまーす!』


 演奏が始まる。ゆったりとしたドラムのビートに合わせて、観客の手拍子が重なっていく。クイーンのウィー・ウィル・ロック・ユーを思わせる曲と演出。見た目の予想に反して、音作りは地にしっかり足のついたハードロック調のものだった。


(……う、おお!?)


 そして何より度肝を抜かれたのは、中央に立つ、漆黒のドレスに身を包んだボーカリスト。その人が声を出した瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。

 モデルみたいな高身長から繰り出されたのは、ワイルドなハスキーボイス。その圧倒的な声量と緊迫感はおよそ日本のガールズバンドという可愛らしげなイメージから乖離した、完全なハードロック・シンガーのそれだった。流暢な発音の英語も相まって、急に80年代のアメリカ西海岸に来てしまったかのような錯覚に陥る。サビのワンフレーズは、初めて聞いた俺でも覚えられるようなもので、気づけば80人ほどにまで増えていた観客達が大合唱し、大盛り上がりのまま一曲目を終える。

 ――今日やけに人が多い理由が分かった気がする。間違いなく、このバンドが原因だろう。さっきまでの軽いMCも狙った演出なのか? 思わず興奮を抑えきれない。


「ちょ、五十嵐さん! やばくね!? 俺、このバンドかなり好きなんだけど!」

「……アタシも、結構好きかも。なんかすげぇ、聞きやすいし」


 そう、聞きやすい。今の演奏自体は早弾きとか、なにか超絶技巧があったわけじゃないけれど、バンドの音がきっちり一塊に纏まっていた。

 ――そして何より、あのボーカルは異次元の怪物だ。金髪碧眼という見た目も日本人離れしていて、とてもアマチュアとは思えない。


『いぇーい! ご協力、ありがとうございまーす!』


 MCはギターのミニスカメイドが担当しているらしい。再び場を緩い空気に戻す。


『えー今日はなんと、私たちヴィクトリカ、結成だいたい四周年記念! ということで! 初期の曲をお蔵出しのスペシャルエディションに、スペシャルなゲストをお迎えしてお送りしたいと思います! ザ・バフォメットのギター、キョウくーん!』


 そして、まさかのキョウくん再登場。黄色い歓声が大爆発する。

 え? 嘘だろ。ここにあいつが加わるの? 一体どうなっちまうんだよ。

 それからヴィクトリカは、LAメタルを思わせるキャッチーな曲から高速スラッシュメタルまで幅広く演奏。途中バラードなんかも挟んだりして、終始華やかなパフォーマンスを繰り広げ、ライブハウスを大いに盛り上げた。


                 ◇


 ライブ終了後。適当に物販を物色した後、そういえば夜飯を食ってなかった事を思い出した俺と五十嵐はちょうどすぐ近くのイタリアン系ファミレスに駆け込んだ。メニューが格安で有名な所だ。


「で、どうよ五十嵐。ライブの感想は。見るだけの価値はあっただろ」


 切り分けたピザをつまみながら俺は言う。


「……ああ。正直、舐めてた。お前の先輩、アタシより全然上手かったよ。他のバンドもかなりレベル高かったし。……視野の狭さってのを、思い知らされた気分だ」

「あれ、もしかして五十嵐先生、落ち込んじゃってます?」

「落ち込んではねえけど、なんつうか、今すぐ帰って練習してぇっつうか」

「ああ。分かる分かる。なんかほんと、モチベ爆上がりって感じで――」

「――てめぇ、ふざけてんじゃねえぞ!」


 不意に背後からそんな怒鳴り声が響く。身を乗り出して振り向くと、斜め後ろのボックス席に五人組の姿が見えた。そのうち一人は立ち上がり、目の前に座る少年を睨みつけている。


「ん? あれって……さっきの」

「……揉めてた連中か」


 五十嵐の一言で確信する。化粧を落として地味な服装に着替えているから分かりにくいが、さっきのライブに出ていた『バフォメット』の五人だ。


「……怒鳴らないでくださいよ、こんなところで。他の人に迷惑でしょ」


 話し声の途絶えた店内に、低い声が響く。キョウ、とか呼ばれてたあいつだ。真っ黒なジャージ姿になっていて、面倒くさそうにジュースのストローを咥えている。


「……迷惑、だぁ? ふざけんなよ、お前」 

「おい、落ち着けってユウマ」


 声を荒げているのは、あのステージを途中で降りたギタリストだった。隣に居る長髪のボーカルはそいつの肩に手を置き、何とかなだめようとしている。


「……なあ、キョウ。俺たちも別に責めてるわけじゃないんだ。ただ、そういう態度を取られると、こっちも、その。どうしようもないっていうか。だから一言――」

「……責任を、人に押し付けないでくださいよ。どう考えても、勝手にステージを降りたり、演奏をミスする方が悪い。……オレから言わせたら、そっちの方がふざけてるけどな。いくらアマチュアだからって、金払って見に来てる客の前であんな演奏して、恥ずかしくないのかよ?」


 不遜な態度を崩さず、冷静に。キョウは刺々しい言葉を返す。見た感じ相手の方がだいぶ年上っぽいのに、なんつう担力だろうか。全く怯む様子がない。


「……っあのな、ほんと何も分かってねえのな、お前」

「……分かってない? 何が?」

「俺らはな、元々ちゃんとやろうと思えばできんだよ。それを、お前が滅茶苦茶にしてんだ。一人だけ突っ走りやがってよ。全員で音を合わせんのがバンドだろうが。それを気付かせる為に、わざわざあんなモタつかせたのに。合わせるどころか、平然と無視しやがって。自分の事しか頭にねえのはどっちだよ」

「……特に走ってたつもりはないんだけどな。大体その理論でいくなら、アンタらの方がオレに合わせるべきだろ? 本番でそんなくだらない事して、何の意味があんだよ。言いたいことがあるなら、練習の段階ではっきりそう言えばいい」


 鋭い返答にギターの奴が言葉を詰まらせる。


「……じゃあ、今ここではっきり言ってやるよ。お前、うぜえんだよ。年下のくせに、ああだこうだ偉そうに文句つけやがって」

「……そうだよ、意見を言われるのは別にいいけど、言い方ってもんがある」

「俺も、やり方まで指図されるのはごめんだ。好きな事は、好きにやらせてほしい」

 

 黙っていた他の二人がそこでようやく口を開き、非難の視線をキョウへと向ける。


「エイジ、コウスケ! お前らまでそんなこと――」

「ショウ! てめえは黙ってろ! ……なあ、王子様よ。人を見下すのはさぞ気持ちがいいんだろうが。いい加減、自分に非があるって認めたらどうなんだ? 少なくとも、三対二だぜ」


 ダン、とテーブルに片手をつきながら、ギターの奴が至近距離でキョウを睨む。


「……数なんてどうでもいいけど、それで? 結局オレにどうしろって?」

「謝れよ。そんでもう、二度と舐めた口利くな。それが嫌なら、バンドやめろ」


 キョウの瞳から光が消える。ギラついていた眼つきが、完全な黒へと変じる。


「……ああ。やっぱりアンタらも、そういう口か」

「……は?」


 キョウは深く溜息を吐くと、呪うように言葉を続けた。


「バンドを、音楽を。ただの馴れ合いの道具にしてるだけの集まり。さっきから何だ? どうでもいい感情論ばっか口にして。オレの言ってる事に一つも答えてないよな。アンタらが嫌だったら、客の前で手抜いていいのかよ。せっかく作った曲を、台無しにしていいのかよ。謝れ? 冗談じゃない。お前らこそ、オレと音楽に謝れよ、――下手糞」


 瞬間。キョウの身体が宙を舞った。比喩ではなく、実際に。ギターの奴に胸倉を掴まれ、そのまま引っこ抜かれて通路に放り出された。その拍子にテーブルの上のコップや皿が大きな音を立てて割れ、別の席の女性客が悲鳴を上げる。いよいよもって、ヤバイ雰囲気だ。


「お前……マジで、ぶん殴んぞ……」


 床に倒れたキョウを、ギターの奴がまた胸倉を掴んで無理やり引き起こす。愕然と目を見開くキョウの表情には、明らかに動揺と、恐怖の感情が混じっていた。

 

 心臓が、ドクンと大きく脈を打ち。思い出したくもない記憶が頭を過ぎる。

 

 まただ。また、あの時みたいに。俺は勝手に他人と自分を重ねている。青い怯えと赤い怒り。暴走する主観と俯瞰する客観。矛盾した二つの感情がせめぎ合い、

 そして気づけば、また俺の身体は勝手に動き出していた。


「……あの、すいません、ちょっといいですか」

「……あ? なんだよお前」


 片手を挙げながら、割って入る。こちらを睨むギターの奴の顔は真っ赤になっていた。かなり酒臭い。どうやら酔っぱらって、怒りを制御できなくなっているらしい。


「あっと、そのー、さっきから少し声がでかいっていうか、ほら、皆さんせっかく楽しくお食事中なのに、雰囲気が台無し? みたいな。さっき自分の事にしか頭にないとか言ってた割に、自分の事しか頭にないのかなー、なんつって」


 アッやべえ緊張して余計な事を口走ってしまッむ、胸倉を掴まれるッ!


「なんなんだお前、喧嘩売ってんのか!?」

「いやいやいやいや! まあまあまあまあまあ!」

「っ唾飛んだぞ! クソが! てめえやっぱ喧嘩売ってんな!」

「いやいやいやいや! まあまあまあまあまあ!」

 

 俺が掴まれてる間に早く誰か迅速にこの場を納めて欲しいできれば俺が殴られる前に。とか思ってたら女性店員が店長を連れてきて、ぱぱっと収拾をつけてくれた。ギターの奴は強制退店、それを追って、ベースとドラムらしき二人も店を出ていく。


「あ、あのー、すみません。俺も出てった方がいいんですかね……?」

「あ、いえ。別の席のお客様ですよね? ちゃんと見てましたから。大丈夫ですよ」

「わ、わー。よかった……」

 

 女性店員の言葉に胸を撫でおろしていると、ようやく五十嵐が近づいてきた。


「……っい、いきなり何やってんだよお前、アホか」

「はっはっは。いやーつい、うっかり」

「うっかりってなんだよ。……け、怪我とか、してねぇだろうな」

「ん? ああ。それは全然大丈夫。ちょっと胸倉掴まれたくらいだし――」


 言った直後、店から出ていこうとするキョウと長髪のボーカルの姿が映る。


「きょ、キョウ。大丈夫か? さっき血が――」

「……触んなよ。もうウンザリなんだよ、アンタのことも」

「……キョウ、」

「……。すみません」


 長髪の手を払いのけると、キョウはそのままギターケースを背負って店を出て行ってしまった。残された長髪も、荷物を持ってトボトボと店を出ていく。


「あのキョウって奴、でかい口叩いてた割には、結構ビビってたな」

「いやまぁ、あんないきなりぶん投げられたらそりゃ誰だってビビるだろ。喧嘩慣れしてねぇと急な暴力とかマジで、……頭真っ白になるからな」

「…………。そういや、サングラス落ちてたから拾っといたぞ、ほら」

「あ、サンキュ」


 手渡されたサングラスが、俺の手を滑って床に落ちる。予想外の出来事に、俺は一瞬固まってしまった。すぐ拾い直した後、五十嵐の視線に気づいて自分の手を見る。微かに、震えていた。サングラスごと革ジャンのポケットに突っ込んでそれを隠す。


「……お前、」

「あ、そういや五十嵐さん、俺の分ピザ残しといてくれたって無くなってンじゃねーかッ! 仕方ねえ、もう一枚頼むか。すみませーん!」


 そんな会話で誤魔化し、残りの料理を平らげて俺達も店を出る、と。

 すぐ外に、意外な人物が待ち構えていた。


「……あの」


 キョウだった。俺達を見るなり、頭を下げに来る。


「さっきは、……ありがとうございました」

「あ、いや。全然。俺別になんもしてないし。それよりライブ超かっこよかったよ。これからも頑張ってな!」

「え? あ、……はい。それじゃ」


 そしてもう一度深く頭を下げると、キョウはよろよろと歩き去っていく。


「……見つかると良いよな、あいつ」

「ん?」

「いや良い環境っつうか、なんつうか。うまく言えねえけど……頑張ってる奴は、報われてほしい」 

「……そうだな」


 夜の街に消えていく背中を、二人で見送る。

 口を衝いて出た言葉の、薄ら寒さを感じながら。

 一体、俺は誰をそこに重ねて、そんな台詞を吐いたのだろうか。


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